52 / 59
18
1
しおりを挟む相馬主殿は、土方達と合流することになった。また、市村からの提案であった、『近藤の弔いをする』というのも、行うことにした。幸い、土方宛に近藤の髪の一房が届けられている。それを、三つに分けることにした。
一つは、松平容保が取り計らってくれた、会津天寧寺に埋めることにした。土方が会津滞在中に指示して作らせた墓があるからだ。もう一つは、近藤が生前親しくしていた、京・誓願寺の僧侶に頼む事にした。誓願寺は、謡曲の舞台にも成り和泉式部に縁のある古刹である。ここの和尚と近藤が昵懇だったというので、人をやって弔って貰うことにした。最後の一つは、土方が持つことにした。松平容保が付けた戒名と共に、肌身離さず持つことにした。
土方が近藤を弔うという話は、方々に伝わったらしく、伝習隊や回天隊の者達からも、いくらか預かった。なので、京の誓願寺に、ひっそりと近藤の慰霊の碑を建てようと言うことになった。石碑と言っても墓石のようなものを想定していた。それに、施主として、土方を初め、新撰組の者達、金を出してくれた、伝習隊・回天隊の者達の名も刻む予定だった。土方が、使いにやったのは、若い隊士だった。このまま、戻らなくとも良いという気持ちだった。若い者から、未来を摘む気にはなれなかった。このまま、戦えば、戦死か刑死か、待ち受けるのはどちらかだろうという気持ちだった。
母成峠の戦いの後、土方は米沢に援軍を求めたが、断られた。そのまま、母成峠は惨敗。母成峠から半月も過ぎたが、仙台の態度も定まらない。降伏するとも言われていたが、それすら解らないという有様だった。
先の事がよく解らないという、悶々とした状況の中、土方の元に、一人の客が訪れた。初老の男だった。小男、と言うのがぴったり来るような、痩せた小柄な男だった。年のせいだろう、曲げが寂しい。その曲げにも白いものが混じっているほどだった。その浅黒くて痩せこけた男の顔を見て、驚いたのは、島田魁だった。
「平間さん……っ!」と声を喪って驚く島田に「取調方の……島田さんでしたか。お久しぶりです」と男―――平間重助はゆっくりと一礼をした。
島田は声も出ないほど驚いた。思わず土方を見るが、土方は平然としている。
(平間さん……と言ったら、芹沢さんの生家からの傳役のような人だったと聞いている。芹沢さんの暗殺事件の時は、唯一生き残って、どこかに逃亡したという話だったはずだ…………その人が、なぜ、土方さんの所に来るんだ?)
島田には、まるで訳がわからないが、土方は子細を語るつもりが無いらしく、驚く島田には、「懐かしいだろう。私も、逢うのは久しぶりだ」と言う。
島田は、逢うのはという言葉に引っかりを覚えた。逢うのは、ということは……つまり、直接会っては居なかったが、誼は通じていたと言うことだ。
「この間、斉藤一隊長が来た時に、土方さんの髪を預かりましたが、本当に断髪されたのですねぇ」とじっと、平間は土方の頭に注目していた。
「似合いませんかな」と土方が聞くと、平間重助はすこし考えるような素振りをしてから、「未だに断髪には慣れないものですからね。頭が寂しいような、きまりが悪いような気がしますが……男前な土方さんですからね。お似合いなんだと思いますよ。なにより、その洋装には、断髪のほうが似合います。洋装断髪だというのに、二本差しというのが、土方さんらしい」と平間重助は言った。一応、『似合う』という言葉を引き出せたことに、土方は満足そうな顔で、「そうか、そうか」と呟いて居た。
「島田さんが不審そうな顔をしていますね。まぁ、不思議なことはないと思います。私は、芹沢様の事件の時に新撰組を出奔しました。その後、土方さんから、こんな申し出があったのです。『もしも、土方さん宛の届け物があったら、届けて貰いたい』と言うことです。土方さんが京に居られるなら、佐藤彦五郎殿の所を経た後で送る。それ以外の場合ならば、土方さんの居所を探して送るという面倒な者でして。芹沢さんの事件から、もう、四年でしたか。とにかく、土方さんに届け物をするのは、今回が初めてになります。それで、京より、土方さん宛てに文と、荷物が届いておりまして。荷物の方は、伏見の酒だと言うことです。ただし、これは土方さんだけが呑むことと書いてありますので、そのようにして下さい。他の皆さんあての酒は、べつに一つあります」
「酒……? わざわざ京から送ってもらう約などした覚えはなかったが………水府より大荷物を運んで頂き、ありがとう存じます」
訝りながらも、土方は鄭重に礼をした。平間重助は、「いえ、酒と言っても、大きな酒樽で来たわけではありません。手桶くらいのものですので、さほど難儀しませんでしたよ」と言う。しかし、各地で戦が起こっている。特に仙台近辺は、陸前浜街道側も奥羽街道側も、何カ所も戦は起こっていた。酒樽や書簡を抱えての仙台入りは、幾多の困難があったことだろう。
「それで、どなたからの荷物です?」と土方は聞いた。
「……ご覧になれば解るとのことです」と平間重助は静かに言った。そして、小さな酒樽を二つ、土方の前に持ってこさせた。酒樽は、確かに小さなものではあったが、直径は一尺を軽く超えるだろう。高さもそうだ。これを持ってきたとなると、難儀しただろうと土方は思った。酒樽に、『原酒』の文字が躍っており、『ひ様』と書かれている。墨跡も流麗な手跡には見覚えがあった。
(君菊が送ってくれたのか……)
だとしたら、陣中見舞いか。これから北に向かう出陣前の景気づけにと、送ってくれたのかも知れない。土方用にと一樽送った理由はわからないが、よく見れば『何人たりとも開封厳禁』と書かれているところを見ると、土方に空けて見ろと言うことだろうと思った。
「……原酒の方が、土方さんへと宛てられたもの。それ以外は、皆様でということです。それと、文になります」
と平間重助は文を渡した。薄い文だった。離れてから十月以上経つというのに、薄情なことだと土方は思った。最も、薄情はお互い様のはずである。土方の方も文一つよこさなかった。
「平間さんは、すぐに芹沢村に帰られるのですか?」と土方が聞くと、「いや、流石に、このままとんぼ返りするど若くはないからね。少し休んでから芹沢村に帰ろうと思うよ」と平間は笑った。
「そうですか」と土方は受けてから、島田と相馬に目配せした。「島田君、相馬君、平間さんは仙台に来て間もない。土地勘も無かろう。料理屋にでもお連れしてくれないか。君らは、少しは知っているだろう」
この口ぶりから察するに、土方は同行しないと言うことらしかった。つまり、一人で、手紙を見たいと言うことだろう。島田と相馬は、「解りました」と受けて平間を連れ出した。部屋を出て行く島田を呼び止めて、土方は手招きした。
「……突然済まないな。いろいろ、驚いただろうが、よろしく頼む」と島田に幾らかの金を渡した。島田は遠慮無く金を受け取り、部屋を辞した。
部屋に一人になった土方は、まず、文を開いた。君菊のいつもの文字とは、趣を違えるような、力強い筆致だった。文字の内容より、紙を開いたとたんに、君菊の薫きしめていた香が聞こえた。土方は、溜まらなくなって紙の香を嗅いだ。君菊の肌の香だった。身に纏う衣に焚きしめていた香りが肌に移るように、紙に香りが移っていた。ここの所、血なまぐさい空気の中にいた土方にとっては、ことさら甘美なものに感ぜられた。
文面は、短いものだった。それを見た瞬間、土方は、眉を顰めた。
『瀟湘何事等閑回
水碧沙明両岸苔
二十五絃弾夜月
不勝清怨却飛来』
たったこれだけが書かれていた。他にはないのだろうかと思ったが、何もない。土方は、がっかりした。折角、はるばる京から文を送ってきたと思ったら、こんな、真名で書かれた漢文である。君菊は、土方があまり、漢籍を好まないことを知っているというのに、こんな文をよこしたのだ。遠く離れた戦場にいる男に宛てる文ならば、体を気遣うものだったり、戦勝を祈るものだったりするのではないかと、土方は勝手に憤る。
腹立たしくなった土方だったが、(そういえば)と思い出した。君菊は、土方が寂しがっているころに文を出すと言ったのだ。土方は、『じゃあ、俺の所に文は来ないな』と
言ったが、君菊は、ころころと笑うばかりだった。
『何言うてはりますの。いつもいつも、寂しそうにしてるお方のくせに』見透かされたような気分になったが、悪い気分ではなかった。そんな君菊が送った漢詩だ。じいっと眺めてみたが、どこかで見た覚えはない。こうやって書いてくるくらいだから、名詩なのだろうと思うが、白文を書き下すのは、慣れていないと難しい。
「瀟湘、何事ぞ 等閑に回る……」
『君に問おう。水は碧に澄み渡り、沙は明るく輝き、両岸は苔生している、この美しい土地から、何故、帰っていくのか。
二十五絃の琴が月夜に奏でられている、その調べが、美しく、あまりにも悲しすぎるのに絶えかねて、飛び去っていくのだ』
(雁だ)と、土方は咄嗟に思った。美しいところを見捨てて去っていくのは、雁だ。もしかしたら、違うのかも知れないが、君菊からの言葉ならば、雁だ。春を見捨てて行く雁だ。
大意は理解できたが、君菊の意図がわからなかった。わざわざ、なぜ、この漢詩を送ったのか。けれど、それ以上、何の説明もないと言うことは、君菊は、答えを土方に見つけろというのだろう。しばし、考え込んだが、答えは出てこない。
(そうだ、酒樽があったな)と土方は思い出した。わざわざ、隊士用と土方用に分けたのだから、何か意図があるのだろう。それに、何人たりとも開封厳禁と言うことになっている。ならば、きっと空けてみた時に何か、書かれているのだろう、と土方は思った。
土方は、意を決して、酒樽の蓋を開けた。酒樽は、妙に重かった。石でも沈められているのかと思った。酒の香りと木の香りが混じり合って、なんとも良い香りだった。酒はあまり得意では無い土方だったが、思わず、一杯やりたくなるような気分になった。君菊が送って寄越したくらいだ。流石に良い酒なのだろう。
しかし、酒樽の中をのぞき込んだ土方は、目を見開いた。想像もしていなかったものが、入っていた。信じられない、と小さく呟いたが、声にはならなかった。もう一度、酒樽を見た。これは、どういうことなのか、と土方は思った。誰か、説明してくれ! と思った。悪い夢を見ているような気分になった。夢ならば、一刻も早く醒めてくれ、と思った。
訳がわからなかった。とにかく、なにか、なにか、なにか、書かれていないかと文を見た。例の漢詩が書かれているだけだ。では、樽は? 『原酒』の文字と『ひ様』。それに『開封厳禁』が書かれている。他には何か無いか。土方は、蓋を取った。蓋の裏に、なにか書かれていた。若干、酒に滲んだのか、読みづらいが、判読は可能だった。やはり、君菊からの、ものだった。
『お送り致します。かつて屯所だった壬生界隈の方のお手を借りました。皆様も、あなた様の身を案じています。』
ただ、それだけが書かれていた。君菊は、これは土方の所にあるべきだと考えて、送ってきたのだろう。けれど、これをもつ資格など自分にはないと、土方は思った。酒樽を前に、土方は、ただ、茫然としていた。受け取る資格はない―――という気持ちもある。それ以上に、これを受け入れたくない気持ちだった。
土方は、畳に突っ伏して、拳を打ち付けた。「畜生」と罵りながら、何度も何度も拳を叩き付けた。何度、畳を叩き付けても、どうしようもなかった。夢も覚めなかった。土方は酒樽を見た。もはや、それは、なんなのか、説明されなければ、解らないものだった。一夏越えてしまったのだから、仕方がないと言える。だが、何の説明もなくても、土方には、それが何なのか、よく解った。
「…………」
微かに、土方が、何事かを呟いた。だが、声はかすれた。眦から、涙が溢れた。拭おうとはしなかった。拭いきれないほど、滂沱たる涙が、溢れた。
酒樽を抱きしめて、土方は堪えるように、唇を噛んだ。それでも、涙は止まらなかった。やがて、唇を噛み締めていることさえ出来なくなって、堪えていたものが一気にあふれ出した。
「うわぁぁぁっっッ!」
慟哭が部屋の障子をビリビリと揺らした。悲痛な叫びが、響いた。誰が見に来るとも解らない状況だったが、土方は、構わずに泣き叫んだ。
それしか出来なかった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。


【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。


幕府海軍戦艦大和
みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。
ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。
「大和に迎撃させよ!」と命令した。
戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる