永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京

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 相馬主殿は、土方達と合流することになった。また、市村からの提案であった、『近藤の弔いをする』というのも、行うことにした。幸い、土方宛に近藤の髪の一房が届けられている。それを、三つに分けることにした。

 一つは、松平容保が取り計らってくれた、会津天寧寺に埋めることにした。土方が会津滞在中に指示して作らせた墓があるからだ。もう一つは、近藤が生前親しくしていた、京・誓願寺の僧侶に頼む事にした。誓願寺は、謡曲の舞台にも成り和泉式部に縁のある古刹である。ここの和尚と近藤が昵懇だったというので、人をやって弔って貰うことにした。最後の一つは、土方が持つことにした。松平容保が付けた戒名と共に、肌身離さず持つことにした。

 土方が近藤を弔うという話は、方々に伝わったらしく、伝習隊や回天隊の者達からも、いくらか預かった。なので、京の誓願寺に、ひっそりと近藤の慰霊の碑を建てようと言うことになった。石碑と言っても墓石のようなものを想定していた。それに、施主として、土方を初め、新撰組の者達、金を出してくれた、伝習隊・回天隊の者達の名も刻む予定だった。土方が、使いにやったのは、若い隊士だった。このまま、戻らなくとも良いという気持ちだった。若い者から、未来を摘む気にはなれなかった。このまま、戦えば、戦死か刑死か、待ち受けるのはどちらかだろうという気持ちだった。

 母成峠の戦いの後、土方は米沢に援軍を求めたが、断られた。そのまま、母成峠は惨敗。母成峠から半月も過ぎたが、仙台の態度も定まらない。降伏するとも言われていたが、それすら解らないという有様だった。

 先の事がよく解らないという、悶々とした状況の中、土方の元に、一人の客が訪れた。初老の男だった。小男、と言うのがぴったり来るような、痩せた小柄な男だった。年のせいだろう、曲げが寂しい。その曲げにも白いものが混じっているほどだった。その浅黒くて痩せこけた男の顔を見て、驚いたのは、島田魁だった。

「平間さん……っ!」と声を喪って驚く島田に「取調方の……島田さんでしたか。お久しぶりです」と男―――平間重助はゆっくりと一礼をした。

 島田は声も出ないほど驚いた。思わず土方を見るが、土方は平然としている。

(平間さん……と言ったら、芹沢さんの生家からの傳役のような人だったと聞いている。芹沢さんの暗殺事件の時は、唯一生き残って、どこかに逃亡したという話だったはずだ…………その人が、なぜ、土方さんの所に来るんだ?)

 島田には、まるで訳がわからないが、土方は子細を語るつもりが無いらしく、驚く島田には、「懐かしいだろう。私も、逢うのは久しぶりだ」と言う。

 島田は、という言葉に引っかりを覚えた。逢うのは、ということは……つまり、直接会っては居なかったが、よしみは通じていたと言うことだ。

「この間、斉藤一隊長が来た時に、土方さんの髪を預かりましたが、本当に断髪されたのですねぇ」とじっと、平間は土方の頭に注目していた。

「似合いませんかな」と土方が聞くと、平間重助はすこし考えるような素振りをしてから、「未だに断髪には慣れないものですからね。頭が寂しいような、きまりが悪いような気がしますが……男前な土方さんですからね。お似合いなんだと思いますよ。なにより、その洋装には、断髪のほうが似合います。洋装断髪だというのに、二本差しというのが、土方さんらしい」と平間重助は言った。一応、『似合う』という言葉を引き出せたことに、土方は満足そうな顔で、「そうか、そうか」と呟いて居た。

「島田さんが不審そうな顔をしていますね。まぁ、不思議なことはないと思います。私は、芹沢様の事件の時に新撰組を出奔しました。その後、土方さんから、こんな申し出があったのです。『もしも、土方さん宛の届け物があったら、届けて貰いたい』と言うことです。土方さんが京に居られるなら、佐藤彦五郎殿の所を経た後で送る。それ以外の場合ならば、土方さんの居所を探して送るという面倒な者でして。芹沢さんの事件から、もう、四年でしたか。とにかく、土方さんに届け物をするのは、今回が初めてになります。それで、京より、土方さん宛てに文と、荷物が届いておりまして。荷物の方は、伏見の酒だと言うことです。ただし、これは土方さんだけが呑むことと書いてありますので、そのようにして下さい。他の皆さんあての酒は、べつに一つあります」

「酒……? わざわざ京から送ってもらう約などした覚えはなかったが………水府より大荷物を運んで頂き、ありがとう存じます」

 訝りながらも、土方は鄭重に礼をした。平間重助は、「いえ、酒と言っても、大きな酒樽で来たわけではありません。手桶くらいのものですので、さほど難儀しませんでしたよ」と言う。しかし、各地で戦が起こっている。特に仙台近辺は、陸前浜街道側も奥羽街道側も、何カ所も戦は起こっていた。酒樽や書簡を抱えての仙台入りは、幾多の困難があったことだろう。

「それで、どなたからの荷物です?」と土方は聞いた。

「……ご覧になれば解るとのことです」と平間重助は静かに言った。そして、小さな酒樽を二つ、土方の前に持ってこさせた。酒樽は、確かに小さなものではあったが、直径は一尺を軽く超えるだろう。高さもそうだ。これを持ってきたとなると、難儀しただろうと土方は思った。酒樽に、『原酒』の文字が躍っており、『ひ様』と書かれている。墨跡も流麗な手跡には見覚えがあった。

(君菊が送ってくれたのか……)

 だとしたら、陣中見舞いか。これから北に向かう出陣前の景気づけにと、送ってくれたのかも知れない。土方用にと一樽送った理由はわからないが、よく見れば『何人たりとも開封厳禁』と書かれているところを見ると、土方に空けて見ろと言うことだろうと思った。

「……原酒の方が、土方さんへと宛てられたもの。それ以外は、皆様でということです。それと、文になります」

 と平間重助は文を渡した。薄い文だった。離れてから十月以上経つというのに、薄情なことだと土方は思った。最も、薄情はお互い様のはずである。土方の方も文一つよこさなかった。

「平間さんは、すぐに芹沢村に帰られるのですか?」と土方が聞くと、「いや、流石に、このままとんぼ返りするど若くはないからね。少し休んでから芹沢村に帰ろうと思うよ」と平間は笑った。

「そうですか」と土方は受けてから、島田と相馬に目配せした。「島田君、相馬君、平間さんは仙台に来て間もない。土地勘も無かろう。料理屋にでもお連れしてくれないか。君らは、少しは知っているだろう」

 この口ぶりから察するに、土方は同行しないと言うことらしかった。つまり、一人で、手紙を見たいと言うことだろう。島田と相馬は、「解りました」と受けて平間を連れ出した。部屋を出て行く島田を呼び止めて、土方は手招きした。

「……突然済まないな。いろいろ、驚いただろうが、よろしく頼む」と島田に幾らかの金を渡した。島田は遠慮無く金を受け取り、部屋を辞した。

 部屋に一人になった土方は、まず、文を開いた。君菊のいつもの文字とは、趣を違えるような、力強い筆致だった。文字の内容より、紙を開いたとたんに、君菊のきしめていた香が聞こえた。土方は、溜まらなくなって紙の香を嗅いだ。君菊の肌の香だった。身に纏う衣に焚きしめていた香りが肌に移るように、紙に香りが移っていた。ここの所、血なまぐさい空気の中にいた土方にとっては、ことさら甘美なものに感ぜられた。

 文面は、短いものだった。それを見た瞬間、土方は、眉を顰めた。



『瀟湘何事等閑回

 水碧沙明両岸苔

 二十五絃弾夜月

 不勝清怨却飛来』



 たったこれだけが書かれていた。他にはないのだろうかと思ったが、何もない。土方は、がっかりした。折角、はるばる京から文を送ってきたと思ったら、こんな、真名で書かれた漢文である。君菊は、土方があまり、漢籍を好まないことを知っているというのに、こんな文をよこしたのだ。遠く離れた戦場にいる男に宛てる文ならば、体を気遣うものだったり、戦勝を祈るものだったりするのではないかと、土方は勝手に憤る。

 腹立たしくなった土方だったが、(そういえば)と思い出した。君菊は、土方が寂しがっているころに文を出すと言ったのだ。土方は、『じゃあ、俺の所に文は来ないな』と

言ったが、君菊は、ころころと笑うばかりだった。

『何言うてはりますの。いつもいつも、寂しそうにしてるお方のくせに』見透かされたような気分になったが、悪い気分ではなかった。そんな君菊が送った漢詩だ。じいっと眺めてみたが、どこかで見た覚えはない。こうやって書いてくるくらいだから、名詩なのだろうと思うが、白文を書き下すのは、慣れていないと難しい。

瀟湘しようそう何事なにごとぞ 等閑とうかんかえる……」



『君に問おう。水はみどりに澄み渡り、沙は明るく輝き、両岸は苔生している、この美しい土地から、何故、帰っていくのか。

 二十五絃の琴が月夜に奏でられている、その調べが、美しく、あまりにも悲しすぎるのに絶えかねて、飛び去っていくのだ』



(雁だ)と、土方は咄嗟に思った。美しいところを見捨てて去っていくのは、雁だ。もしかしたら、違うのかも知れないが、君菊からの言葉ならば、雁だ。春を見捨てて行く雁だ。

 大意は理解できたが、君菊の意図がわからなかった。わざわざ、なぜ、この漢詩を送ったのか。けれど、それ以上、何の説明もないと言うことは、君菊は、答えを土方に見つけろというのだろう。しばし、考え込んだが、答えは出てこない。

(そうだ、酒樽があったな)と土方は思い出した。わざわざ、隊士用と土方用に分けたのだから、何か意図があるのだろう。それに、何人たりとも開封厳禁と言うことになっている。ならば、きっと空けてみた時に何か、書かれているのだろう、と土方は思った。

 土方は、意を決して、酒樽の蓋を開けた。酒樽は、妙に重かった。石でも沈められているのかと思った。酒の香りと木の香りが混じり合って、なんとも良い香りだった。酒はあまり得意では無い土方だったが、思わず、一杯やりたくなるような気分になった。君菊が送って寄越したくらいだ。流石に良い酒なのだろう。

 しかし、酒樽の中をのぞき込んだ土方は、目を見開いた。想像もしていなかったものが、入っていた。信じられない、と小さく呟いたが、声にはならなかった。もう一度、酒樽を見た。これは、どういうことなのか、と土方は思った。誰か、説明してくれ! と思った。悪い夢を見ているような気分になった。夢ならば、一刻も早く醒めてくれ、と思った。

 訳がわからなかった。とにかく、なにか、なにか、なにか、書かれていないかと文を見た。例の漢詩が書かれているだけだ。では、樽は? 『原酒』の文字と『ひ様』。それに『開封厳禁』が書かれている。他には何か無いか。土方は、蓋を取った。蓋の裏に、なにか書かれていた。若干、酒に滲んだのか、読みづらいが、判読は可能だった。やはり、君菊からの、ものだった。

『お送り致します。かつて屯所だった壬生界隈の方のお手を借りました。皆様も、あなた様の身を案じています。』

 ただ、それだけが書かれていた。君菊は、は土方の所にあるべきだと考えて、送ってきたのだろう。けれど、をもつ資格など自分にはないと、土方は思った。酒樽を前に、土方は、ただ、茫然としていた。受け取る資格はない―――という気持ちもある。それ以上に、これを受け入れたくない気持ちだった。

 土方は、畳に突っ伏して、拳を打ち付けた。「畜生」と罵りながら、何度も何度も拳を叩き付けた。何度、畳を叩き付けても、どうしようもなかった。夢も覚めなかった。土方は酒樽を見た。もはや、は、なんなのか、説明されなければ、解らないものだった。一夏越えてしまったのだから、仕方がないと言える。だが、何の説明もなくても、土方には、が何なのか、よく解った。

「…………」

 微かに、土方が、何事かを呟いた。だが、声はかすれた。眦から、涙が溢れた。拭おうとはしなかった。拭いきれないほど、滂沱たる涙が、溢れた。

 酒樽を抱きしめて、土方は堪えるように、唇を噛んだ。それでも、涙は止まらなかった。やがて、唇を噛み締めていることさえ出来なくなって、堪えていたものが一気にあふれ出した。

「うわぁぁぁっっッ!」

 慟哭が部屋の障子をビリビリと揺らした。悲痛な叫びが、響いた。誰が見に来るとも解らない状況だったが、土方は、構わずに泣き叫んだ。

 それしか出来なかった。
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