永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京

文字の大きさ
49 / 59
16

2

しおりを挟む


 その夜、相馬主殿が土方の所を訪れた。

「相馬君、無事だったか!」と土方は相馬の手を取って喜んで見せたが、相馬は、ややもするとムッとした表情だった。それも、そうだろう。流山での『近藤救出作戦』の際には、相馬は、見捨てられた、と言っても過言ではなかったからだ。

 一応、土方は勝海舟からの書簡をもたせ、近藤の擁護にしていた。書簡を持たせた相馬が近藤の一味ということで捕縛されたというのに、土方は相馬の守備も安否も確認せずに、幕府軍に合流してしまった。

「相馬君、今まで良く無事だったね」と島田も声を掛ける。隊長が死ねば、その組の平隊士は生きて帰るななどと言われた新撰組とも思えない言葉だった。

「相馬君。近藤さんの件は、報告で聞いた。君は、今まで、どうしていたんだい」

「まずは、流山の件ですが、私は、阿波守様からの書簡を持ち、板橋宿に向かったところ、板橋宿で捕縛されました。その後、四月二十五日に、私の身柄は笠間藩に移されることになりました。私の助命は、近藤先生がしてくれたと言うことです。東山道軍としては、近藤先生からの助命を聞き入れたが、その先は、笠間藩の方で何とかしろと言うことだったようです。……笠間藩も、戦が始まる所で忙しかったので、私に構っている余裕もなかったのでしょうね。隙を見て脱走しました。その後、私は、彰義隊に参加しましたが、彰義隊は、瓦解しましたので、今度は幕府軍に参加しました。私は、磐城方面を転戦しつつ、仙台を目指しました。私は、土方先生に、渡さなければならないものがあるのです」

 相馬は、懐から後生大事に油紙に包まれた、分厚い書簡を取りだした。それを土方に渡す。

『新撰組副長 土方歳三殿』宛てになっていたが、差出人の横倉喜三次という男には、見覚えはなかった。

「相馬君。この、横倉喜三次という方は、何者なのだ? 私には、覚えがないが」

 訝りながら聞くと、相馬は、一つ、吐息してから「近藤さんの首を落とした男です。笠間藩に預かりになっていた私の所に、この書簡を託して行きました」と告げた。

 近藤の首を落とした男、と聞いて土方の顔色が変わった。じいっと、得体の知れないものを見るように、書簡を見つめていた。

「土方先生。それでは、我々は、失礼致します」と相馬達は、去ってしまった。この書簡を読むのには、土方一人が良いだろうと判断したようだった。おそるおそる、土方は油紙を開いた。上等とは言えない紙に、やや無骨に見える文字が綴られている。近藤の首を落としたほどの者ならば、相当の剣の達人であるだろうと土方は思った。いくら、動きを拘束されているといっても、すぱんと一撃で首を落とすのは難しい。達人になると皮一枚残して切るという俗説もあるが、首を落とすというのは、思いの外難しかった。土方も、何度か、経験があるから、余計にそう思う。

 書簡を開くと、懐紙に包まれた何かが出てきた。それを開いてみると、髪の毛の様だった。曲げを結い直す時にでも一房切り取ったのか、三寸ほどの髪が紙縒りで束ねられていた。懐紙に書き付けがある。思わず、どきり、とした。近藤の文字だった。

『知汝遠来応有意 好収吾骨瘴江辺』

 土方は、近藤とは違ってあまり、漢詩には詳しくないが、それでも、近藤が勧める漢詩などはいくつか諳んじさせられた。信念の為に生きた男の作る漢詩を好む近藤に対して、土方の方は、花鳥風月の美しさを詠んだものの方を好んだ。漢詩にも、流麗なものは数多あるが、なにせ、近藤は、そういうものには興味がない。従って、土方は漢詩よりも和歌や俳句に行き着く。ちなみに、君菊を初めとする芸妓たちは、あまり漢籍をやらない。漢籍は男子の学問であり、真名(漢文)を扱う女は賢しらだという風潮は、実は平安時代から変わらない。清少納言や紫式部という平安時代を代表する女二人は、漢籍まで知識が及んでいた。それゆえ、才女と言われたが、やっかみも酷かったようだ。

 近藤が書いた漢文は、いささか見覚えがあった。

(たしか、韓愈かんゆだったか。たしか……左遷させられて旅立つのを見送りに来た兄の孫に向けて詠んだものだったと思ったが……)

 必死に記憶を辿ると、たしかに、近藤に覚えさせられた記憶がよみがえった。

『正しいことをしようとしたのに、左遷の憂き目にあったのだ。これは、左遷はさせられるがこころは曲げぬと言う、強い意志の顕れた漢文なのだ』と必死に力説する近藤に、暗記させられた事を思い出してみる。



『左遷せられて藍関らんかんに至り てつ孫湘そんしように示す

 一封いつぷう あしたに奏す 九重きゆうちようの天

 夕べに潮州ちようしゆうへんせられる 路八千

 聖明の為に弊事へいじを除かんと欲す

 あえ衰朽すいきゆうもつて残念を惜しまんや

 雲は秦嶺しんれいよこたわって 家 いづくにか在る

 雪は藍関を擁して 馬 進まず

 知る 汝が遠く来たる まさに意 有るべし

 し 吾が骨を収めよ 瘴江しようこうの辺』

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

処理中です...