永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京

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「沖田さんは……そんなに、お悪いか……」と山崎は苦々しく呟いた。松本良順の江戸医学館に入院していた沖田を見たことがある。二月頃だったか。その頃も、もう、げっそりと痩せて、酷い状態だった。三月。寧ろ、良く持ったのかもしれない。と、山崎は、あることに気がついた。

(たしか、室君は、京の出身ではなかったか? ……ならば、なぜ、沖田さんの事を知っているのだ。もしや、室君は、沖田さんと逢っているのか? ならば、なぜ、三条河原にいた?)

 急に険しい顔になった山崎に、室が「山崎さん、どうしましたか?」と聞く。山崎は、幾らか躊躇いながら、

「室君。君は……沖田さんから、なにかをされて、にきたのかい?」と聞いた。首……とは直接言わなかったが、室が、びくっと肩をふるわせたのを見て、これはだ、と思った。

「室君。もしや……君は、沖田さんから、近藤さんを連れて帰るようにと……頼まれているのかい? ならば、後生だ。私に、近藤さんを渡して呉れないかい?」

「違います!」と室は山崎の懇願を振り切るように言った。「違います。山崎さん。私はたしかに、沖田先生から、近藤先生の首の件を、頼まれましたが、それは、出来ることならば、土方先生が絶対に解らないような所に、近藤先生の首を埋めてくるようにということだったのです。土方先生の手に渡れば、近藤先生の首は、ぞんざいな扱いを受けることがあるかも知れないと言うことで、沖田先生は、そのことを大層案じていらっしゃいまして、私が、こうして、京まで向かい、近藤先生を、弔おうと思っていたのです」

「なるほど」と山崎は一応、合点がいった。「たしかに、土方さんならば、近藤さんの首を踏みにじりそうな気がするが……沖田さんも、土方さんを、思っていたと言うことか……」

「山崎さん、沖田先生というのは? 他に、どなたが、こんな事を言うのです」

「近藤さんだよ。………私は、近藤さんに頼まれて、首を回収にきたのだよ。回収してから、土方さんが、全く知らないような場所に、埋めてくれと言う頼みでね。近藤さんは、土方さんに騙されたようなものだからね。近藤さんを差し出して、自分は悠々と、北に旅立ってしまった。近藤さんの無念は、計り知れない」

 無念だっただろう、と山崎は思うが、死の瞬間、『これで良い』と呟いた近藤の真意が、よく解らなかった。なにが、これで良かったのだろうかと、山崎は思う。想定できる最悪の事態ではないかと思うのだが、近藤には、あの結末で良かったのだろう。

「……それで」と室は、遠慮がちに聞いてきたので山崎の思考は途切れた。「近藤さんの首は……山崎さんがお持ちというわけではないのですね?」

「当たり前だ。……だが、妙だ。昨日の昼までは、たしかに三条河原にあったのだ。なぜ、あれが無くなってしまったのか……私や室君以外の誰が、近藤さんの首を欲しがるというのだ。近藤さんは、我々にとっては、新撰組局長という大切な方であるが……我々以外のものが、首を欲しがる理由がわからない」

「たしかに」と室は頷いた。「他の隊士たちも、わざわざ、近藤さんの首を弔ったりはしないでしょうし……、近藤さんのご実家や道場の方も、京まで来ることは出来ないでしょうね。そうすると、一体誰が、あの首を持ち去ったのかという話になります」

「沖田さんや、近藤さんは……土方さんの手に、渡ることを恐れていたな」と山崎がポツリと呟く。

「まさか……土方先生が? 土方先生は、会津に行っているのでは?」と室はかすれた声で言う。

「しかし、室君。土方さんのところには、沢山の人間が居るだろう。ならば、何人かを京に向けることも可能だ。きっと……土方さんの手の者達が、近藤さんを奪っていったのだ」

 茫然と、山崎は呟いた。「じゃあ、近藤さんの首は、どこに行ったんだ……」

「解りませんが……土方先生ならば……」と室は一度、言を切った。ふと、室は、香りを聞いたような気がした。幻の香りだろう。不動堂村屯所は、ほこりっぽい。土のような、枯れたような、喉の奥がこそばゆくなりそうな、黴の混じった匂いがする。良い香りがするはずがない。

(これは、なんの香りだったか……)記憶をたどる。香りは、記憶に強く結びついている。思い出すのは、容易いはずだ。甘い、微かな、香りだ。微かなはずなのに、強い。芯の強さを感じる香りだ。

『この梅は、香りも良いだろう? 枝振りも見事だし、花も良い』

 土方の言葉を思い出した。(ああ、あの梅だ)と室は思った。土方の部屋から見える、美しい白梅。

「……まさか、土方さん……梅の木の下に……?」

「室君、どうした。梅とは……土方さんの部屋から見えた、あの梅か?」

「以前、あの梅を見ていた時に、辞世の和歌うたの話をされたのです。だから……」

「辞世? 土方さんは、辞世を用意していたのか?」

「いえ、違います。どなたかの辞世だと言っていました。良くは覚えていませんが……『散りても後に匂ふ』とか『馨は君が袖に移らん』とか、そんな歌だったと思います」

 室の言葉に、山崎は考える素振りをしたが、出てこないようだった。

「私の知っている方の、辞世ではないようだね。………でも、そんな辞世を諳んじられるんだから、土方さんは、随分、梅が好きなようだ。ちょっと行ってみようか」

 山崎は、スッと立ち上がった。室も続いた。不動堂村屯所の長い廊下を行く。廊下は、かつて、隊士達が糠袋を使って磨き上げていたので、艶やかに輝いているはずだった。毎日毎日、掃除は、鍛錬の一つだということで、これも、手抜きは許されなかった。道場の隅から隅まで毎日毎日全員で水拭きをする。不動堂村屯所は、大所帯を抱える新撰組であるから、部屋数も相当なものになった。毎日埃を払い、畳を乾拭きして部屋中を清めた。便所や風呂も綺麗に掃除をした。庭の手入れもした。雑草は一本残らずに引いた。

 昔の美しかった不動堂村屯所は、夢だったのではないか―――とすら、室や山崎は思う。今や、狐狸妖怪の類でも住み着いていそうな程に荒れ果てたこの屋敷が、新撰組不動堂村屯所だと思うものは居ないだろう。

 人気のない屯所を行きながら、山崎は(悔しい)と思った。(もし、あの時、伏見の戦いで、勝っていたら……!)不動堂村屯所は、このような惨状になることはなかった。山崎は近藤を喪うことは無かった。

 あの戦いに、参加したことが、間違いだったのだ、と山崎は思う。将軍だった、德川慶喜でさえ、逃げ出したのだ。新撰組も、逃げれば良かった。けれど、逃げなかった。逃げなかったから、取り残されてしまった。

 逃げ出した将軍は、次の時代も、生き長らえるだろう。けれど、逃げなかった新撰組は、時代に取り残された。旧恩はあった。幕府にも、会津にも良くして貰っただろう。だが、恩義の為に戦うことを選んだのではない。新撰組は、ことを拒んだのだ。そして取り残された。

 土方の部屋にたどり着いた二人は、注意深く梅を見た。土が掘り返された様子は無い。それを見た二人は、肩を落とした。

「掘り返す迄もありませんね。硬い土だ。周りと様子も変わらない。掘り返されたと言うことはないでしょう」

「本当だな」と山崎は溜息混じりに言った。「……しかし、なら、首はどこに行ったのだろうな。近藤さんの首が、無残なことになっていなければ良いが。うち捨てられたり、野犬に食わせたりということが無ければ、それで良い」

 山崎は目を閉じた。瞼の裏に、近藤を思い描いた。笑っていた。
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