永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京

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 その頃、沖田総司から近藤の首を託された室宅之助は、やはり、京師に居た。板橋宿で、近藤の首を回収する機会をうかがっていたが、やはり首は京に運ばれてしまった。その後を追うように京に入った。それが、二日前のことである。

(沖田先生は、きっと、近藤先生にお会いしたいに違いない)と室は思った。土方に渡すなと言う、命令はぞっとするような剣幕だったが、それ以上に、死の淵に居る沖田自身が、近藤に逢いたくて、あのようなことを言ったのではないかと思った。それから、土方が思いつきもしないような所に、近藤の首を弔うと言うことだろうと勝手に解釈していた。

 三条河原に晒された近藤は、もはや、近藤とは思えないほどのものだったが、それでも、持って帰らなければ為らないと、切実に思う。今、生き長らえていることを、室は恥じた。隊長が討ち死にしたら、部下は生きて帰るな、と新撰組では教えられた。だが、近藤が死んだというのに、室は生きている。新撰組の思想から行けば、室は、近藤と共に戦って散らなければならなかった。

 本当に、死のうかともこの二日間考えて居た。新撰組の不動堂村屯所で、介錯もなく腹を切って死に絶えるまでもだえ苦しめば、おそらく、室の心は晴れただろう。だが、沖田は、人斬りは下らないという。生きろと言う。室は、沖田の一番隊に所属していたので、沖田の人斬りを間近で見たことがある。

 一瞬の躊躇いもなく、迷いもなく、ス、と鞘を抜けた刃が、銀色の軌跡を描く。抜き様に血飛沫。己の体から血が噴き出していく音と、深紅の霧掛かった視界で、やっと斬られたことに気がついた男が、急いで刀を抜こうとするが、手が、いる。何が起こったのか解らないうちに、喉を突かれる。電光石火のような勢いだった。

 凄味のある太刀筋だった。気が漲っているというのだろうか、いや、室はその時、正気の沙汰ではないと思った。狂気を帯びている。剣を振るっている時は、さすがに、気合いの雄叫びを上げながらの突進だったが、それが終わってしまえば、別人のようだった。なんというか……そうだ。今、人斬りが行われた痕跡など、沖田の表情から読み取れないほど、沖田は平然としていただ。

 室は(人ではない……)とさえ思った。沖田の剣は、それほど、凄かった。その沖田が、人斬りは下らないという。ならば、室は、もう剣を棄てるほか無かった。剣一本で身を立てることが出来る時代は終わったのだ。ましてや、沖田のような剣の使い手が、世の中には数多いると思ったら、剣一本でやっていこうと志した自分の愚かさを恥じるほか無かった。沖田の領域は、室にはとても立ち入ることなど出来ないものだ。

 これからの身の振り方は、よく解らないが、郷里にもどっても、家族は居ない。それならば、近藤の首を持って帰り、沖田が死ぬまでは側に仕え、それから、江戸で働こうと思った。天皇は東下りをして、江戸城に入るという話を聞いたからだった。

(これからは、江戸がみやこになる)という確信が室にはあった。沖田が世話になっている植木屋に頼み込んで、植木屋になろうと思った。剣は下らないと言われたので、木を植えて花を咲かせてやろうと思った。これから、沢山の人間が江戸に移住する。その時には、きっと、大工や表具屋、指物屋、植木屋などの手が必要になってくると思ったのだ。

 それに、室は花木を見るのが、存外好きだった。

(そういえば、不動堂村の屯所は、副長の部屋から見える白梅が見事だったな)と室は思い出した。土方の部屋の前には、枝振りの良い、見事な白梅があった。香りも良いし、白い花の楚々とした雰囲気も良い。丁度、見頃の頃を見計らい、土方の留守を狙って梅の見物をしたことがある。どこかから、移植して植えられたものだと聞いた白梅は、見事なもので、室は時間も忘れて梅を見ていた。

『室君は、花が好きなのかい』と声を掛けられた時には、飛び上がるほど驚いた。土方は、怒りもせずに室に聞いた。今まで、室が見たことがあるのは、険しい顔をした土方だけだったので、驚いた。くつろいだ様子だった。驚いて平謝りする室に、土方は苦笑しながら、『酒も何もないがね、花見ならば好きなだけすると良い』と言って室の滞在を許した。

 土方も、部屋の中からぼんやりと花を見ていた。室は、なんとなく『副長は、梅がお好きなのですか?』と聞いた。

『そうだな』と考えてから、『梅は一番好きな花かも知れないな』と呟いた。『花も、楚々としているし、香りも良い。古来、花と言えば桜ではなく梅を言ったと言うことだが、私は、桜よりは、梅の方が良いと思うね。桜は華やかに咲いて潔く散るが、後には何も残らない。梅は、散ってなお美しい香りを立たせる。まるで、誇り高く生きる武士のようだね』と土方はいう。室は、解ったような顔で『私もそう思います』と答えておいたが、土方にはお見通しだったらしく、苦笑をするばかりだった。

『……『雪霜に色よく花の魁けて 散りても後に匂ふ梅が香』という辞世があってね、私の、古い同胞はらからであり、尊敬するでもあった方のものだがね。この方の、師の様な立場の方というのもやはり、梅を辞世に詠み込まれていてね。『咲く花の 花は儚く散るとても 馨は君が袖に移らん』というものだったかな。二人とも、梅の香りを、己の志に見立てておられた。たとえ、身は滅ぼうとも、志は残る。そして、それは、誰かに受け継がれる。そういう、心映えだ。私は、梅を見る度に、この二つの辞世を思い出すよ。私には、出来ない生き方だ。私は、同胞だった方の最期を、穢したのだ。この辞世のような、美しい最期を奪ってしまったのだ』

 土方は、梅の花をじっと見つめた。室も、梅の花を見た。そのまま、無言で梅の花を見ていた。どれほど、長い間花を見ていたのかは解らない。その後、どうやって、隊士達の寝泊まりしていた部屋にたどり着いたのか、見当も付かない。ただ、梅の木を見ている間、無性に悲しい気持ちになったのを覚えている。

 不動堂村屯所で、梅を見られたのは、慶応三年の春だけだ。室が土方と梅を観たのは、ただの一度だけだ。けれど、室は、梅を見る度に、土方を思い出すようになった。そして、無性に悲しい気持ちになる。

 室は、感傷的な気分を振り払う様に、一度瞑目した。

(今の私の使命は、近藤局長の首級を入手し、そして、沖田隊長の所に運ぶことだ)

 沖田は、土方を憎んでいるような顔つきだった。死の香りの漂う沖田が、忌々しげに土方の名前を呟いたのを見て、室は、不思議な気分になった。沖田・近藤・土方は、江戸の頃からの知り合いだったはずだ。室は新撰組に居た頃、この三人は、仲が良いと信じて疑わなかった。確かに、土方は近藤を常に立てて居た。近藤が、土方に対して『トシさん』と呼ぶのを聞いたことがあるものも多い。けれど、一つ、違和感もあった。近藤の方が、土方より一つ年嵩である。道場では師と為るはずの近藤が土方に『さん』と呼びかけることに違和感がある。だというのに、沖田に対しては、『総司』と呼びつけることもあった。

 近藤は、沖田には気を遣わないと言うことになる。それはおかしな話だ。道場の入り婿になったとは言え、沖田の家は歴とした白河藩の足軽頭である。武士の子息である沖田を呼び捨てて、土方に『さん』を付けるのは、おかしな事だ。

(つまり)と室は、考えた。(つまり、近藤先生は、土方先生を気遣わなければならなかったけれど、沖田先生の事は、身分も乗り越えた友という感じだったのだろうな)

 だからこそ、こうして首を案じるのだ。けれど、やはり、違和感はある。

(それならば……土方先生は、近藤先生を、どう思っていたのだろうか)
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