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 新撰組不動堂村屯所は、人一人いないせいもあり、ひっそりと寂れていた。『大名屋敷のような』と形容された程の豪奢な屯所である。山崎は、もう、荷物や金目のものなどは持ち去られていると思ったが、時が止まったように、ただ、そこにすべてのものがあった。すべての物品は、残っていたが、その上には、うっすらと埃が積もっていたし、カビ臭い。庭も、背丈ほどにもなる背の高い雑草に覆われており、人の進入を拒んでいたようだった。 山崎が最初に向かったのは、近藤の部屋だった。美しい襖は、所々に金彩が用いられていたので、行灯の光を反射して、室内をよりいっそう明るくさせる。近藤は、この部屋でよく、文机に向かっていた。手習いに読書にと、近藤は一日を室内で過ごすこともあった。

 頼山陽を愛読していた事もあり、漢文も好んだ。攘夷志士達に愛されていた、文天祥の『正気歌せいきのうた』も気に入っていた。元代に作られたとされる忠臣の気概を描いた歌である。五言の長い詩だが、諳んじられるほどであった。近藤は、辞世の一首に、この『正気歌』の故事を織り交ぜている。

 山崎は、近藤の部屋に来る回数よりも、土方の部屋を訪ねる回数の方が多かった。土方は、山崎にとっては直属の上司であるので、度々、報告に訪れなければならなかったし、薬に詳しい山崎は、土方と共に散薬作りなどをしていたからだ。

『山崎君、そいつは、徹底的にやってくれ』と薬草を徹底的に薬研に掛けた。土方も、薬研をやっているので、山崎も文句が言えないまま、仕方が無く薬研をやる。土方の部屋で、二人で黙々と作業をしているのが気が滅入る。一度、

『副長はご多忙です。私が一人で薬研をやります』と申し出たことがあったが、土方は、やんわりと笑って『山崎君一人に押しつけるわけにも行くまい。私もやるよ』と作業を始めてしまう。結局、土方と二人で薬研をやる。始終前屈みで、ごりごりと薬草を砕くわけであるので、腰や腕がだるくなってくる。けれど、ここで、薬を作るのも大切な役目の一つか、と思えばおろそかには出来ない。新撰組は、とかく怪我人が多い。かすり傷ならば、唾でも付けておけと言うところだが、刀傷はそうも行かない。早く治療をしなければ、命に関わることさえある。

 一心不乱に作業を続けていると、大体、土方が声を掛けてくる。『最近は、暑いな』とか『京の寒さは堪えるな』とか、大体が他愛のない話だ。思い出話の時もある。日野宿の話は、良く聞いた。近藤と初めて出逢ったのは、日野宿の名主である佐藤彦五郎の道場に、近藤が出稽古に来た時だ。その頃の話、江戸に出てからの話。浪士隊として上洛の道中での話。おかげで、山崎は、日野宿のことならば、大体解る。日野の地形まで、事細かに土方は語った。山崎は、土方を日野の出だと思っていたが、そうではなく、石田村という近隣の村だと聞いて、さらに驚いた。石田村、という名前を、土方から聞いた記憶がなかったからだ。

「……まだ、半年しか経っていないというのになぁ」

 懐かしい思い出ばかりが、よみがえる。懐かしかった。あの頃に戻りたいと、山崎は思った。まだ、近藤が居て、土方が居て、永倉、斉藤が居て、沖田も健在だった頃に戻りたいと、山崎は思った。戻ることが出来ないことなど、百も承知だ。けれど、願わずには居られない。例えば、鳥羽伏見の戦いからの、悪夢のような敗走も、近藤の斬首も、全部、夢だったらどんなに良いだろうと、山崎は思う。近藤は、土方は、新撰組は、幕府は、一体、どこで間違ったのだろうか、と山崎は思う。

 この不動堂村屯所が出来た時、誰が、こんな未来を予想していただろうか。この屯所に移った頃、誰もが、明るい未来を思い描いていた。なにせ、幕臣に取り立てられたのだ。幕臣とは、将軍の直属である。下手をすれば、陪臣である諸藩の家老よりも、幕臣の方が立場が上と言うこともあった。

 異例の大出世に、舞い上がっていたのかも知れない。そもそも、幕府旗本八万騎と言われる。それらの旗本は、微禄とはいえ禄を貰って二百五十年の時代を生き抜いてきたわけだ。だと言うのに、その者達が戦わず、新撰組のような、烏合の衆が京の見廻りをしていたことが、そもそも、おかしな話なのだ。

 それに、新撰組は、『攘夷』の為に集められたはずである。その大前提が、いつまで経っても、守られない。そもそも、幕府に、攘夷を決行できるだけの力がない。

 攘夷派の志士達は、日本を外国の食い物にされて溜まるか、という気概で日本の為に尽くしていた。少なくとも、彼らを先導していた者達は、そう信じて動いていたはずだ。

 德川幕府の思いとしては、もう、德川家には政治を行うことは出来ないので、大政は天皇に返し奉るという気持ちであったので『尊皇』であり、諸外国に対しては、有利な外交条約を結び『開国』するというものだった。

 実は、新撰組のお取り立ての話は、文久三年の十月頃には、すでに出ていた。文久三年と言えば、上洛の年である。芹沢鴨を殺した、その年だ。この時の取り立て身分は、京都見廻組の『同心』ということなので、見廻組の下に付くと言うことだった。待遇に不満があったのかもしれないが、この時の近藤の回答は、

『攘夷が決行されるまで幕臣の禄位を辞退する』というものであった。その、新撰組が、攘夷も決行されていないというのに、禄位に預かったのである。勿論、これを不服とする隊士も居た。その者達は、隊の方針に反するという事で、切腹して果てた。

『攘夷の志を忘れたのか』と言いたかったのだろう。何年も、禄位を辞退し続けてきた新撰組が、攘夷も果たさないままに幕臣となった。攘夷を諦め、腹を括ったのかも知れない。それ以外の理由があるのかも知れない。だが、山崎には、その理由は知らされていなかった。山崎は、近藤の側に居ることを決めたのだ。理由など、別に要らなかった。

(けれど、その近藤さんも、もう、首を斬られてしまった……)

 すぐにでも相伴したかったが、それを近藤は許さないだろう。山崎に出来ることは、近藤の首を、どこかに埋めること。そして、山崎は医者になり、生き抜くと言うことだ。ここで、近藤の死に相伴するよりも、辛い人生かも知れないが、行かなければならないのだと山崎は思った。

(だとしたら、まずは、首の回収だ)

 首を埋めるのは、霊山と決めた。明日の昼に、正確な場所を決めて、下準備をしなければ為らないだろう。出来るだけ人目に付かないような道筋も考えなければ為らない。

(明日の昼間に準備を整えて、夜になったら首を回収する)

 昼間は町人の格好であちこちを動き回り、夜になったら、夜陰に溶け込むことの出来る新撰組の漆黒の装束で行こうと決めた。新撰組の隊士が、局長を迎えに行くのだ。隊服以外にはあり得ない、と山崎は思った。

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