41 / 59
15
1
しおりを挟む山崎が京に付いたのは、慶応四年閏四月十日の事だった。生酒に漬けられて板橋から運ばれてきたという近藤の首は、ところどころ腐り初めては居たが、近藤を知るものならば、すぐに、判別が付くような状態だった。生酒に漬けられていたせいか、肌は青白かった。閏四月ともなれば、気温は高い。じきに、皮膚が膨れて割け、脂肪が溶解して、本格的に痛んでいくだろう。
(その前に、なんとか、あの首を回収しなければならないな)と山崎は思った。しかし、首の周りには、竹垣が廻らせてあり、容易に近づくことは出来ない。せめてもの救いは、警備のものが居ないことだ。夜陰に乗じれば何とか、首一つを回収できるかも知れない。
人間の首は、意外に重い。三条河原は、近辺に旅籠や料理屋も多い場所である。夜と言っても、見咎められる可能性は高い。市中を、首を持ち歩いて帰るわけにも行かない。
どういう道筋を通って、どこに行くか……だ。
近藤は、何のゆかりもない場所に埋めろ、と言ったが、山崎は東海道を上る間、ずっと考えて居た。やはり、何の縁もゆかりもない場所に近藤の首を埋めるのは忍びない。近藤は、土方にさえ場所を特定されなければいいと考えて居たのだから、そういう場所は無いかと思ったのである。だったら、いっそ、京に埋めようと思った。新撰組にとっては敵だった者達が眠る、霊山。ここは、京の東山より少し南にある。霊山のすぐ側には、伊東甲子太郎達の居た、高台寺も近い。土方は、あまり近づきたがらない場所だろうと思った。
京の東から、西向きに墓を建てる。そうすれば、極楽浄土の方向を見られる上に、京の市中を見守ることも出来る。それでこそ、新撰組局長近藤勇だ、と山崎は思っていた。
だからこそ、首を、何としてでも回収しなければならない。近藤の首を回収する為には、少々準備が要るだろう。早めに行動しなければ、と思いながら山崎は三条河原を後にしようとして、一人の女の姿に目を止めた。
(あれは……たしか、土方の妾だった女じゃないか)
山崎は、密やかに土方の身辺も探っていた。おそらく、土方も百も承知だっただろう。色白の柳腰が溜まらない女だった。土方に通じている女だと思わなければ、山崎も、誘い込む算段を考えるだろう。
(たしか……名は君菊と言ったか……。土方との間には、子も出来たとか言う話を聞いたが……なぜ、あの女が、近藤さんを見物に来ているんだ)
君菊は、じっと、近藤の首を見つめている。あの首が、土方のものでなくて良かったと思っているのだろうと勘ぐると、山崎は堪えようもない怒りが腹の底から沸き上がっていくるを感じた。
(お前の間男に売られたせいで、近藤さんは、こんな姿を晒しているんだ!)と、あの女に罵りたい気持ちを堪えた。これは、八つ当たりにしか為らないことは、山崎も、よく解る。本当ならば、土方に何か言ってやりたいとさえ思うが、山崎は、死んだ身だ。少なくとも、死んでいるはずの人間が、姿を現すべきではない。近藤からの願い……生きろ、という切実な願いさえ、遂行できなくなる。
「……もし」と君菊が声を掛けてきた。どきり、とした。「なにか、ご用ですか?」と山崎は答えた。君菊は、「急にお声を掛けてすみまへん。………もしや、新撰組の方ですやろか? 以前、副長の土方はんに良うして頂きまして……。局長の近藤はんが、こないな事になってしまわれたので、なにか、土方はんの事を、知っている方でも……と思いましてなぁ。土方はんのこと、なんぞご存じですやろか」と滑らかに聞いてくる。山崎は苦笑した。いきなり、こんな所で、土方と知己だという事を言い出すと言うことは、山崎を、新撰組の隊士だと知っての質問だろう。
「私は、新撰組の医師でした」と山崎は言い切った。「このような旅装束では、医者と言っても信じて頂けないでしょうがね。今は、江戸からの帰りで、大坂の医学館に向かうところです。松本良順先生より薬と道具を頼まれているのです。近藤殿、土方殿は、江戸の医学館にも足を運ばれておりましたので……その時にはお会いしていますよ。近藤殿などは、伏見の戦い以降は、江戸の医学館に入院しなければならなかったものですからね。土方殿については、知っている限りのお話をしますと、先だって、江戸を抜けられて、会津の方へと向かったと言うことです。今は………幕府軍の先鋒隊を務められていると言うことですので、ご出世なさったものです。我ら医学館も、幕府恩顧で御座いますから、大坂に立ち寄り、薬屋道具を調えましたら、すぐに会津に向かうつもりです。松本良順先生は、もう、会津に入られているはずですので、私も、道を急がなければと思っております」
山崎の言葉を、一言一言、君菊は真剣な表情で聞いていた。
「そうどすか……土方はん、会津に向かわれましたの……。せやけど、幕府軍て、どなたが、大将どすか? 京雀の噂話では、慶喜はんは朝廷から命令されて、水府に下られる、いう話やったと思います。まさか、帝さんの命を無視して、大将やらはっとるんどすか?」
「ああ、……確かに、将軍様は、水戸の方に下ったと言うことです。私が聞く限りでは、幕府軍の総督は、大鳥圭介殿という方だと思います」
山崎の答えに、君菊は不審そうな顔をした。「なんや、あんたはん、今から会津に向かわれるんですやろ? なのに、自分の所の大将の名前も、よう知りませんの? へんやわ」
首を傾げた君菊に、山崎は笑った。
「大将など、誰でも構わないんですよ。みんな、幕府には恩義があるのです。二百五十年分の恩義です。父祖の分の恩義です。ですから、武士は、戦わなければならない。大将の為に戦うのではありません。幕府の名誉の為に戦うのです。官軍に弓引けば、賊軍です。朝敵になります。それでも、幕府の為に戦って、散る馬鹿者が、それだけ居ると言うことです。もちろん……幕府の為だけではなくて、自分の為でもあります。いままで、主家や幕府の為に生きてきたのです。天朝様の為に、生きていく自信がありません」
きっぱりと言い切る山崎に、君菊は「おとこはんは、みんな阿呆やわ」とあきれたように言った。「おなごが、死ぬ思いして腹を痛めて生んだ命を、無駄にちらすんやから、男はんは、みんな阿呆どす。遠くに、おなごを待たせても、知らん顔で出ていかはる」
「それでも行くのが、男というものですよ」と微苦笑した山崎に、「あんたも、命は大切にした方がええ」と君菊は言う。
「……近藤はんも、土方はんも、敵味方構わず、斬りすぎましたのや。だから、こないな姿になる。次は、土方はんの番や。官軍に弓引いた朝敵の幕府軍の、先鋒隊の隊長さんやろ? 市中引き回されて磔にでもなりそうやわ」
存外口の悪い物言いに山崎は苦笑した。「土方殿ならば、上手に世渡りをされるんじゃないでしょうかね。もともと、そういうことは得意そうな方でした。ご実家では、薬売りの行商をしていたこともあると聞きましたし、大店に奉公に出されていたとも聞きます。侍というより、商人のような方だと、私は感じていました。商人でしたら、利のある方に動かれるでしょう。あの方は、そういう感じがします」
「ふうん」と君菊は呟く。小馬鹿にしたような口調だった。「あんた、土方はんのこと、大嫌いなんどすなァ……確かに、あの人は、利のあるほうに動かはるでしょうな。でも、ご自分は、貧乏くじを引いてばかりだということは、中々外には晒しまへん。うちが言うても、信じてくれへんでしょうが、あの人は、寂しい人どす。せやからお仲間の方々の為に、いろいろしはります。悪いことも良いこともしはります。あの人の利は、お仲間の皆様方のことを考えての、利……」
「そんなわけがあるかッ!」君菊の言葉を遮るように、山崎が激昂して叫んだ。「ならなんで、あの人は!」
(こんな所に首を晒されなければならなかったんだ)と言い出すのを、君菊が制した。
「あの人やったら、考えそうやわ。局長はんの首一つで、お仲間百人救えると算盤はじかはったら、局長はんの首、売りますわ。あんたさんは、それを恨まれてはると思いますけど、あんたはんかて、隊に居た時分には、そうやって、他の局長さんや参謀さんを追いやって、あの方が守っていた隊で暮らしていたと違いますか? その上、あんたさんは、こうやって、生きとるやないの。局長さんかて、他の方を追いやった負い目がありますやろ。自分の手下たちの命守るのは、大将の務めどす。局長はんも、それは解って居ったはずや。それやったら、局長はんは、喜んで首を差し出したのですやろ」
君菊の言葉に、山崎は圧倒されていた。確かに、君菊の言うとおりだ。けれど、山崎にそれが割り切れるかというと、別問題だ。
「早う、大坂に向かった方がええです。会津にはお医者は必要や」
「そうですね。京でも用事がありますから、それを済ませてから、会津に向かいます」
山崎も、これ以上、ここに長居するのは、まずいと思い始めていた。女と言い争いをしているのだから、注目を集めても仕方がない。「では、私はこの辺で失礼する」と言い残して、山崎は三条河原を出た。
三条から、不動堂村まで向かった。三条から不動堂村の新撰組屯所までは、丁度下京の対角にある。鴨川近辺を南下しても良かったが、旅籠なども多いし、出入りしていた場所も多い。一応の用心の為、山崎はそのまま、三条から西に向かった。
京の治安は、変わらずに悪いようだった。悪化しているようにも見えた。幕府が瓦解し、市中を守るものが居なくなったから、当然のことだ。勝てば官軍というが、その通りで、我が物顔で威張りくさって町を闊歩するものも居る。なるべく、目を合わせないようにしながら足早に行く。今の山崎の姿は、旅装である。足早に歩いていても違和感は無い。
先を急ぎながら、山崎は情けない気持ちになっていた。今まで、洛中を大手を振って歩いていたのは新撰組の方で、長州や薩摩の者達は、黒羽織に黒袴の集団をみるや、視線を逸らしてそそくさと立ち去っていた。だというのに、今では、立場がまるで逆だ。
(悔しいなぁ)と山崎は唇を噛み締めた。大将首は獲られた。戦に負けると言うことは、こういうことか、と山崎は思った。地面に突っ伏して、悔しいと叫んで、気が済むまで大地を叩き付けたい気持ちにも為るが、今、そんなことをしていても、無意味なことを知っている。嘆いていても仕方がない。進んでいくしかない。少なくとも、今は、近藤から託された首の処遇を何とかしなければならない。山崎は、三条河原に晒されていた近藤の首を思い出した。酷い状態だった。なんとか、鳥につつかれる前に、肉が腐り落ちる前に、近藤の首を回収しなければ、と山崎は思った。
1
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―
馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。
新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。
武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。
ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。
否、ここで滅ぶわけにはいかない。
士魂は花と咲き、決して散らない。
冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。
あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる