永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京

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「酔わはると、眠ってしまう」と教えてくれたのは、上七軒の芸妓をしていた君菊という女だった。色が白い京美人という風情で、柳腰に色気のある女だった。土方は、君菊の所に通う時に、何故か、島田を誘うことがあった。

『おい、島田君。餅でも食いに行こう』

 大声で島田を呼びつけて、半ば無理矢理連れ出す。壬生の屯所だったか、西本願寺だったか、不動村だったか。何度も、島田は、土方に誘われて、北野の君菊の家をおとななった。

 なぜ、女の所に通うのに、島田を誘うのか、理由は聞かなかった。勿論、島田の前で、君菊と情を交わすわけではないので、そういう時は、こっそりと忍んでくるのだろう。

 君菊の住まいは、こぢんまりとした家だった。さっぱりとした雰囲気で、囲われた女の家というような、ねっとりした雰囲気がないのは、島田には何となくありがたかった。土方が個人的な付き合いを持つ女との、そういう空気を感じたくはない。

 君菊の家に行くと、いつも、餅が用意されていた。土方は『餅を食いに行こう』と誘っているので、君菊は島田の為に餅を用意しておく。土方も一つや二つは食べるが、山のように用意された餅は、島田の為だ。

「このあたりに、美味い餅屋があるんだよ」と得意そうに土方は島田に餅を勧める。島田は、甘党な上に、相撲取りに間違えられるほどの巨漢で、よく食べる。餅や饅頭などは、あればあるだけ食いたくなる。二、三十個は食べられる。それを見越して、君菊は、島田の為に山のように餅を用意する。

「島田はんは、よう、お食べになるから、見ていて気持ちがええわ」と笑う仕草が、楚々としている。色の白い小柄な女だった。

「……俺は、この京言葉って言うのが、なよなよしていて、なんだか、はぐらかされているようで好きではなかったんだが、君菊の声を聞いているうちに、京言葉も悪く無いと思うようになってきた」

 土方の言葉通り、君菊は、何とも言えない柔らかな声音だった。媚びているのでもなく、ツンと澄ましているのでもなく、何となく、言葉の端々に、暖かみを感じることが出来る声音で、それが、耳にも、荒れた心にも、何とも甘く響く。それが溜まらなくなって、囲ったのだろう、と島田は思った。

 土方の精神は、それほど、強靱ではない。頑なで、てこでも曲がらないような強さはあるが、しなやかさはない。それでは、いずれ、ポキリと折れる。

 餅は真っ白で、中に餡が入っている。なんとも美味い。島田が餅に夢中になっている間、土方と君菊は、様々な遣り取りをしている。芸妓の君菊を島田は知らないが、君菊は鳴物や笛が得意だったらしく、土方は興味津々に君菊に習っている。

「あら、土方はん。その龍笛、どうしましたん? うちの差し上げたものと違います」

 龍笛持参で来たのだが、藪蛇だったらしい。何人かこういう女が居て、間違って、その女から貰った龍笛を持ってきてしまったようだ。マメなようで、若干いる。

「いや……すまん」と素直に謝ると、ころころと君菊は笑う。

「構いまへん。つぎは、間違わんといて下さい……今日は、笛のお稽古は止めましょう」

 笛まで持参した土方は、少々がっかりしたようだが、「じゃあ、和歌うたで」と持ち直した。

「お和歌……土方はん、お好きどすな」

 島田も、土方が俳句を作っているというのは、知っている。新撰組の局内でも有名な話だが、土方の俳句を見たことがある者は、殆ど居ない。沖田けは一度、句集を見たことがあると言っていたが、島田が土方に頼み込んでも、土方は頑として見せてはくれなかった。

(和歌もつくられるのだろうか)と島田は思った。

 俳句よりも、和歌の方が古めかしくて高尚な感じがする。だが、なんとなく(辞世なら、和歌かもしれないな)と思ったからには、やはり、後に残るものへの見栄もあるので、和歌の勉強もしておいた方が良いような気には、なってきた。

「……敷島の道は、新町の若鶴太夫か、島原の花君太夫にお聞きにならはるのが一番どす。お二人は、さすがに当代切っての名太夫。お和歌うたもさらさらと……」

「さらさらと、和歌を作ってはくれるけれどね、教えてはくれないのだよ」

「まぁ、土方はん。うちをお和歌やお囃子の先生と思うてはりますの?」

 くすくすと笑う君菊の前で、土方は頬を赤らめた。島田を誘ってここに来る時は、女の君菊ではなく、師匠の君菊に会いに来ているようだった。

「憎らしいお人やなぁ……それでも、憎めへんお人や………」
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