永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京

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「……意外なほど弱いモンだな、土方君は」

 語尾上がりの割に、抑揚が平板な水戸弁は、田舎くさい。そのうえ、本当にどこの田舎の出身だか知らないが、声が大きい。酒を飲んで気が大きくなっているのか、普段より大声になるのが、酔いが回り始めた頭に響く。

「かといって、酔って愉快な気分になるわけでもないらしい。つまらない男だ」と吐き捨てるように言う巨躯が苛立たしくなるところだが、頭がぼんやりとして、反論も出来なかった。将軍上洛の護衛という名目で、江戸の浪士達が集められた。

 このとき、募集に際しては三つの条件が付けられた。一つは、攘夷決行。一つは浪士組参加者は大赦され、これまで犯した罪が許される。残りの一つが、文武に秀でたものを徴用するということだった。犯罪を犯したものでも、農民でも、良いという急誂えの編隊であった。このような、無茶な募集であった為、江戸中から腕に覚えのあるものたちが集まってきた。中山道は、大体十日掛かって江戸から京に着く。つまり、浪士組という、血気盛んな武者達が、徒党を組んで十日も旅をしなければならないのだった。

 集まった浪人達は総勢二百三十五名。これを二十組に分け、さらに、その中で組頭を作ってからの江戸出立だった。近藤率いる『試衛館道場』組は、三組に入った。組頭は、芹沢鴨だった。しかし、当の近藤は六組に入り、池田徳太郎と宿割り担当となった。

 ところが、隊士達一行が本庄宿に達した時、芹沢の宿割りが抜けてしまった。完全に、近藤の落ち度だった。江戸時代は、身分による待遇の差というものが厳密に存在している。それは、急誂えの浪士隊の中にさえ存在する。

 各組頭は、平隊士に対する上役である。この時代、上役と下役が同宿するという事はあり得ない事だった。各宿場町には、大名家や高家旗本などが泊まる本陣、それより格の下がる脇本陣など、宿は決められており、『幕府公儀』の浪士隊の組頭は、この『脇本陣』に宿泊する予定であったが、芹沢の手配を、すっかり忘れてしまったと言う事だった。

 芹沢鴨は、水戸出身の天狗党と言われていた。実際には、天狗党の前身である玉造組に参加していたという。部下を三人斬り殺した罪で、入牢させられたことのある人物だった。江戸の道場で必死にヤットウ稽古をしてきた浪士達からは、当然、一目置かれていた。德川の時代に入って二百五十年近く。生涯の中で一度でも人を斬る経験をする武士など、殆どいなくなったと言って良い時代だった。

 その芹沢は、近藤の無礼に対して、当然激怒した。大松明を路上に掲げて、大騒ぎをして見せたという。

 芹沢の様な横暴な人物の傍らにいることは、土方達にとっては苦痛ではあったが、上洛を前に、組のみんなで酒でも酌み交わして景気を付けようなどという芹沢の提案に、土方達も乗らざるを得なかった。三番組のメンバーは、芹沢鴨・山南敬助・土方歳三・沖田林太郎・沖田総司・永倉新八・藤堂平助・斉藤一・原田左之助・井上源三郎・平山五郎・野口健次・平間重助・佐藤房次郎・中村大吉だった。近藤率いる『試衛館』道場組と、芹沢の仲間達の合併した形と為った。他に、芹沢の連れてきた仲間には、新見錦などがいるが、これは別の組の組頭になっている。

 芹沢の傍らで、土方は杯をちろちろと舐めていた。どう頑張っても、この杯一杯が飲み干せない。じいっと杯を見つめていると、傍らの芹沢が、大声で笑い始めた。

「そんなものも飲めんとは」

「苦手なのですよ」と言って、土方は杯を置いた。芹沢は、その杯を取って、一気に飲み干してしまう。「この通り、こんなものなど、一瞬で消える」と言う芹沢の様子を土方はじっと観察した。酒を過ごさないように仕向けなければ、他の組から何をいわれるかわかったものではない。何かを言われるだけなら良いが、目付役の板倉伊賀守の耳に届き、京で一働きする前に処分などと言うことになったら溜まったものではない。

 これでこの芹沢、話し好きである。勿論、ここに集う浪士達の殆どが、大言壮語して故郷を捨ててきたもの達ばかりなので、みな、話好きだ。ここに集った殆どのものは、次男三男などで、嫡男は居なかっただろう。そうすると、自然に、家の中では肩身の狭い思いをする。家の中で、話をすることなど許されなかったに違いない。今まで溜め込んでいた鬱憤があるからこそ、大きな事を口にして、大声でわめき散らすのだろう。

 芹沢も、武家の三男坊だ。上二人の兄は水戸藩に出仕が為ったが、芹沢自身は藩職に就いていたわけではないようだった。実家は割に裕福な家だったと言う事らしかったが、婿養子に出され、一時期は『下村嗣司』を名乗っていたという。

 芹沢に酒を飲ませないようにするには、話をさせ続けるしかない。正直なところ、土方自身は、攘夷だの何だのと言う思想は薄かった。郷里を捨てるための大義名分が整えば何でも良かった。戦国時代でもあるまいに、剣一本で身を立てることが出来るかもしれないと思ったら、目の前が急に開けた気がした。芹沢の話は、いちいち、攘夷だのなんだのと、子難しくて頭が痛くなるが、酒で暴れられるよりは良いだろうと、適当に相槌を打つことにしていた。

「土方君は、いくつになるんだ。生まれはどこだ? 道場は、近藤の所だと聞いたが」

 芹沢は酔っているのか、やや絡み気味に聞いてきた。芹沢という男は、他人に興味があるとは思えないような人間だと思った居たので土方は意外だと思いながら答えた。

生国しようこくは武州です。武州の石田村というのが私の出身でして、ご存じの通り、百姓の倅です。兄弟は十人はいましたか。齢は、今年で二十九になります」

「二十九か。では、妻子は郷里に置いてきたのか?」

「妻など娶っていませんので、身軽なものですよ」と土方は苦笑した。田舎百姓の末弟など、惨めなものだ。いや、この時代、武家に於いても、百姓に於いても、商人に於いても、嫡子以外の子供などは、みな『替え』だ。惨めなものである。嫡男だけが家を継ぐ。そのほかのものは、嫡男のおかげ、と家の中では小さくなっているしかない。

 近藤や芹沢のように、運良く婿養子に出られれば、次男三男でも道は開けるが、それも限られている。そうなると、そのほかの可能性は、嫡男が次々と死んでいくしかない。

 まれに、このような事例は歴史の中にも現れる。古くは、藤原道長。この道長は、貴族の三男坊であり、上二人の兄は才気あふれて出世頭の呼び声も高かった。道長が藤原氏の氏長者になり位人臣を極めるなど、考えられないことだったが、運命は道長に味方したと言って良い。上二人の兄は、次々と疫病に倒れたのである。それからが、道長の栄誉栄華の始まりであった。そのほかには、紀州藩の末弟だった德川吉宗。これも、紀州藩主である兄たちが病死し、ついには德川宗家の後継に選ばれ、将軍にまで上った。文久三年近辺では、『桜田門外の変』で暗殺された、大老の井伊直弼もそうである。井伊大老もまた、彦根藩主の息子ではあったが、側室腹の上、十四男という身分であり、まず、藩主に上ると言うことなど考えられないような人物であった。

 土方の微苦笑の意味は、芹沢にもよく解ったらしい。

「俺も郷里に兄二人だ」と芹沢は言った。「俺は水戸だ。郷里には、一応、妻子も居るが……暫く文も出していない。水戸を出てからは、武芸修行よ。神道無念流で免許皆伝だ。道場では師範代を務めておった」

「存じています」と土方は受けたが、別段自分のことは語らなかった。神道無念流の免許皆伝まで行った男の前で、天然理心流の目録などと言えるはずもない。

「土方君は、近藤の道場に入るまで、何をしていた? 田舎で百姓か?」

 悪気はない言葉なのだろうが、土方は、その芹沢の言葉に苛立たしいものを感じた。

(百姓百姓と馬鹿にして、その百姓と肩を並べて浪士組にいるのだから、今は、同じ立場だろうが)と思うが、さすがに、それは口には出さない。ここで、余計なもめ事を引き起こすこともない。

 人間おかしなもので、自分から『自虐』を言うのは笑い飛ばせるところだが、人から言われると、が立つ。自虐は、自己防衛だが、他人からの悪気無い言葉は、そのままプライドを刺激する攻撃である。土方歳三は、人並み以上に、プライドが高かった。だが、誇り高い男の生き方としての『プライド』ではない。子供っぽい、見栄っ張りの、プライドだ。

「……私は」と土方は腹立たしい気持ちを堪えながら、語り始めた。「お話ししたように、田舎の生まれ、十番目の子供でしたので、家の中では厄介者だったのだと思いますよ。父は、私が生まれる前に死んだと言うことですし、長兄は目が不自由だったため、二番目の兄が家を継ぎました。地元では、少しは知られた家でしたが、みそっかすだったものですからね、江戸の呉服屋に奉公に出されたり、実家で作っている散薬を売り歩いたり、とまあ、そんな感じですよ」

「呉服屋に奉公……で、逃げ出してきたのか?」と芹沢は意外そうな顔で土方を見た。

「いえね、追い出されたんですよ」と土方は呟く。

「追い出されたとは、また、穏やかではないな。なにか、店の金でもか」

 ははは、と笑う芹沢の失敬な横っ面を殴りつけたくなったが、おそらく、酔いどれの芹沢にも敵うまい、と土方は素直に思った。戦場に出たことはないが、喧嘩ならば数をこなしてきた土方である。手を出して良い相手と、そうでない相手の区別くらいはつくというものだ。

「店の金なんか、ちょろまかしませんよ。これでも、それなりに働いていたんですがね。女関係で、いろいろありまして………主人から追い出されたと言う顛末です」

「女」と芹沢は、ガハハと笑い出した。愉快らしいが、土方の方は、まるで不愉快だ。芹沢は、自慢の鉄扇を持って、手を叩いている。三百匁の重さというから、現在で言うと一キロ少しというところの重さの鉄扇を芹沢は常に携行していた。『進思尽忠』の文字が書かれた鉄扇だった。

「なるほど、土方君も、中々隅に置けんなぁ。まあ、確かに、もう少し、すれば、いい男だ」と笑う。もう少ししっかりすれば、とはどういう意味だろうか、と訝っていた土方に、芹沢は、にやり、と笑う。

「土方君は、なんとも、自信なさげに見えるねぇ。シャッキリすりゃあ、千両役者に化けるかも知らんがな」と芹沢は無遠慮に笑う。思わぬ芹沢の人物評に、土方は背筋に冷や汗が伝うような、嫌な感覚を味わっていた。今まで、地元では悪ガキとして悪評高かったし、奉公先でも、どこに行っても、仕事も色事も、それなりにきたので、『自信なさげに見える』などと言われたのは、初めてのことだった。けれど、不意に、(いや……待てよ)と思った。(……道場の周作先生も、似たようなことを言って、免許皆伝は下さらなかった)

 道場で師範代まで務めた男となると、立ち居振る舞いや太刀筋で多くのことを読み取るのだろう。二人の師範代が指摘したとおり、土方には、今ひとつ自信がない。みそっかすで生まれてきてから、奉公に出されたり、薬の行商をしたりしている間に、土方は、自分の居場所がどこにあるのかと言うことについて、考えるようになった。

 生家の土方家には、居場所がないように思えたので、もっぱら姉・の夫である佐藤彦五郎の所に入り浸っていたが、それでも、ここが居場所かと言う場所ではない気がした。姉の婚家であるから当たり前だ。

 居場所のなさが、自信のなさに結びつく。それが、一挙一動に出ているのだろう、と土方は考えた。大酒飲みで、酒癖も悪いこの芹沢を、土方はすこし、見直した。

 芹沢は、自分の杯を傾けながら「自信がないから、土方君は、慎重だ。周りをよく見ている冷静さがある」と妙に土方を褒めた。こういう呑まれ方をするような男だったろうかと土方は慎重に、芹沢の様子をうかがっていると、土方はある違和感に気がついた。

(右の小指の先が、少し、

 すこし、聞いてみようか、と土方は思い、芹沢に声を掛けた。

「少々、右の小指が短いように思いますが、どこぞの戦か何かで失ったものなのですか?」

 戦となれば、指の一本や二本など、失うものも居る。命を取られず、戦場をくぐり抜けた先で、立っていることが出来れば、それが何よりだ。刀同士の戦いでも、鉄砲玉が飛び交う戦場でも、同じである。土方は、どこかの戦いで指を失ったのだと考えたのだ。

「ほう」と芹沢は笑った。にやり、と笑った。ゾッとするような嫌な笑い方だった。

「この指を、あまり聞くものは居ない。みな、大抵、事情を知っているようだからな」

 芹沢は、くすり、と笑った。失った指先を、左手の平で撫でながら、芹沢は言った。

「……俺は、三人殺している。些細なことで、三人斬り殺した。今となっては、理由も、よく解らない……まぁ、それでな、牢に入っていたことがある。さすがに、このまま首斬りになるよりは、自ら死んだ方がマシだと思ってな。飯には手を出さず、座禅を組み続けた。もうそろそろ、死ぬだろうという頃に、まだ、正気が残っているうちに辞世でも書いてやろうかと思ってな。ところが、獄中だ。紙は何とかあったが、墨も筆もない。それで、こう、引き千切ってな」と芹沢は小指を噛んで食いちぎるような動作をした。思わず、土方は身震いした。尋常な男ではない、と土方は思った。「……それで、辞世をかいたのさ」

「……その、辞世は……どんな和歌うたなんですか」と土方は聞いた。声の端が震えているようで、嫌になったが、それでも、聞いた。

「辞世なんかに興味があるのか」と芹沢は聞き返した。土方は、ゆっくりと頷いた。

「下手の横好きで、俳句を少々やっていますので」

 ふうん、と芹沢は呟いた。「つくづく、不思議な男だな」と芹沢はしみじみと呟く。「自信がなさそうな割には、それなりの腕だろうというのは解る。周りをよく見てるいる態度で、大体解る。自然に、物音や人の言葉に反応しているからな。それで、商人の見習いをやっていたとか、行商をやっていたという割には、愛想もない。さぞかし、売れなかったろう……とも思うが、いや、おそらく、な。土方君は、黙っていた方が、いい男に見える。それで、俳句もやるか。ますますもって、妙な男だ。……おい、お前の作った俳句とやらを見せてみろ」

「断ります」とにべもなく土方は断った。「今し方言いましたように、下手の横好きです。お見せできるようなものではありません」

 きっぱりと言い切った土方は、てこでも動かなさそうな雰囲気で、芹沢も、それ以上は踏み込まなかった。

「俺の辞世の方は教えてやろう。……その代わり土方君も、辞世でも出来たら、見せてくれ。俺が、獄中で書いたのは『雪霜に色よく花の魁けて 散りても後に匂ふ梅が香』というもんだ。まあ、気に入っている」

 土方は、芹沢の『辞世』を、一度反芻した。

(ああ、美しいな)と土方は思った。ここで言う梅の花は、武士そのものであり、芹沢そのものだ。潔く咲いて潔く散る桜に武士道を見るものは多いが、土方は、梅にこそ武士が香り立つと感じていた。だからこそ、自身の句集には『梅の花 咲ける日だけに 咲いて散る』という俳句がある。ただ一度咲ける場所さえあれば、あとは散っても構わないのである。その、誇り高く美しい生き方を、望み、憧れた。

 芹沢は『どうだ?』というように、口端を上げて笑った。

「美しい辞世です」と土方は素直に口にした。世辞でないことは、芹沢には伝わったらしく、「そうか、美しいか」とまんざらでもないような顔で言った。

(それにしても)と土方は思った。(このような見事な辞世を、自らの血文字でしたためて、断食座禅して果てようとしたのだから、この男は、ただ者ではない)

 浪士組に応募し、何の因果か同じ組の組長となったからには、多生の縁はあるのだろう。だとしたら、この男には、この美しい辞世に相応しい死に方をして欲しいものだ、と土方は思った。

 まさか、この夜から、丁度半年後に、土方自身の手で、芹沢を暗殺する日が来ようとは、この時、浪士組二百三十数名、誰一人思っていなかったに違いない。
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