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 西暦1868年の4月は、『慶応四年』であるが、この年の十月に改元があり、『明治元年』と為った。改元は、これまでの歴史では改元日から元号が変わるのが通例であったが、明治改元に際しては、改元するという異例の発布があった。本来ならば昭和のように切り替えは、日単位で行われるものである。例えば昭和六十四年は七日間しかないが、昭和六十四年一月七日までは『昭和』と言う元号が存在し、翌一月八日から『平成』となる。が、明治元年に限っては、一月一日に『遡って』改元するというのである。したがって後世に生きるものからすれば、『明治』だが、当時を生きたものは『慶応』と表記した期間が存在することになった。この異例が罷り通った理由はよく解らないが、明治時代に入ると、『近代化』の名の下に、様々な分野で改革が行われていくようになる。

 改元は、天皇の名の下に行われるものであり、古来、天災や瑞兆、大事件などが起こった際に、改元が行われてきた。改元は、元来天皇のみが行うことが出来る国事である。かつて不遜にも織田信長や豊臣秀吉などは、時の天皇に改元や暦法の改革を迫るという事があり、当時の天皇は、大変不快な思いをしたと言うことであった。德川幕府も天皇から改元の権限を奪ったが、天災や凶事の際の改元は、幕府主導で行われてきた。ところが、明治政府は、改元を『一元一世』と定めてしまったのである。明治天皇は代々の天皇が行ってきた国事行為の一つを失ったことになる。尊皇攘夷を掲げて政権を奪取したものたちとも思えぬ態度である。

 つまり、攘夷などという思想めいたものは、当時に於いて『大義名分』でしか無かったということである。無論、戦争には、『大義名分』が必要だった。德川という巨大な敵と戦うための『知恵』も必要だった。それが、帝を擁して錦旗を掲げ、『朝敵』を討つという、壮大な大義名分だったというわけである。

 さて、その慶応四年四月、江戸の町民達は、固唾を飲んで、幕府と朝廷の動向を見守っていたと言って良い。慶応四年に入ったばかりの一月、鳥羽伏見の戦いで幕府軍は敗北し、德川慶喜は大坂城を捨て、海路で江戸に逃げてしまった。慶応三年十月には『大政奉還の上表』を出していた德川慶喜は、もはや朝廷を押し頂く西軍に対抗することなど出来なかったのだ。その、幕府と朝廷側との交渉は、三月から秘密裏に行われており、江戸城は無血開城する方向で動いていたが、どこで何があるかは解らない。安定しない政情に、江戸の町民たちの間では、打ち壊しや辻斬りなども横行していたという。

 江戸の中心を離れた千駄ヶ谷は、平生は静かな場所であったが、どことなく落ち着かない空気が流れていた。近くにある大名家の下屋敷などが、武装しているせいもあり、空気がピリピリと緊張している。その、緊張した空気の中を、一人の男が悠然と歩いていた。

 断髪の洋装姿の男だった。整った顔だちは、役者のようだったが、目が異常だ。周囲を威圧するように、らんらんと輝いている。そのくせ、殺気立って居るわけではなく、ただ、深い闇が男の周りを取り巻いているような、一首不気味な静けさと、威圧感がある。サイズが合わない既製品を買ってきたのか、上着ジヤケツトが酷くぶかぶかに見えるが、鍛えられたと一目瞭然の無駄のない身のこなしのおかげで、やぼったくはない。

 男は、ある家に入っていった。植木屋を営む平五郎というものの家だった。男の突然の来訪に、平五郎家の内儀は驚いた様子だったが、「へぇ、沖田さまなら、離れで……」と男を家の離れへと案内した。離れと言っても、植木職人の家のことだ、納屋同然の場所である。案内された部屋には床が延べてあり、若い男が眠っていた。男が部屋をおとななったことにも気付かずに眠っていた。

「気配にゃ、敏感だったお前がね」と、小さく男がボヤくのにも気付かないで、ぐっすり眠っている……と思ったが、男には、若者が、もう首を動かすことさえ億劫だと言うことに気がついた。良く聞けば、もう、寝息ではない。喘鳴が混じったような、嫌な音だ。

 男は足音を忍ばせて若者の床の隣に座った。じっと、若者の顔を見つめる。異常なほど、頬が痩せこけて、顔色も悪い。まるで、死人のような……どんよりとした青白い色だった。眼窩もくぼんでいる。

(長くはないのだ)と男は悟った。若者の体調がおかしいのは、数年前から気付いていたが、それでも、ここまで酷いことになっているとは思っていなかった。起き上がることも出来なくなったのは、昨年の冬である。その頃、二人は京に居た。

(あれからまだ半年も経っていないというのに、俺たちは随分変わったもんだ)と男は思った。若者は、見る影もなくやつれていた。この若者は、剣術の天才だった。少なくとも、男はそう信じている。目の前に立ちふさがる何十何百の敵と戦うべきであり、……こんなところで、孤り、病と闘うような男ではなかったはずだ。そう思うと、男は、歯がゆいような悔しいような気持ちになった。男は、医師ではない。時折、こうして顔を見に来るのが精一杯で、他にしてやれることの一つも思いつかない。

「そんなに見ていられると穴が開きますよ、土方ひじかたさん」

 微かな声がした。明るい声色だが、苦しそうだ。無理に笑顔を浮かべようとしている。

「無理はするな」と、男―――土方歳三は、言った。

「無理じゃありませんよ」笑ってから、「何かあったんですか? 忙しい土方さんが、ここに来るなんて珍しい」と聞いてきた。

「……三日前……になるかな」土方は淡々と話を始めた。「近藤さんが、降伏したよ」

 元々多弁ではなかった男の言葉に、病床の若い男は、思わず身を起こした。

「土方さん。近藤さんが降伏したって、どういうわけです」

 声が震えているのは、病のせいではないだろう。土方は、「総司……横になっていろ」と若い男の肩を掴んで、ハッとした。剣術修行と任務で鍛えられた肩には、筋肉がしっかりと纏わり付いているはずだが、まるで半纏から綿を抜いたように、肉が抜けて骨と皮の感触しかしないことに気がついたからだった。痩せ衰えた総司……沖田総司の体を実感して、土方は(もう、剣は振るえまい)と思った。沖田総司の死を覚悟していたつもりの土方ではあったが、心のどこかで、全快を望む気持ちがあったのだろう。それに、土方自身の気持ちとして、『武士たるもの』は戦場に散るものであると言う気持ちも強くあった。

 かつて京洛に名を馳せた『新撰組』の金看板である沖田総司である。こんな、職人の離れ家で、ひっそりと死んでいくことを、土方の方が許せない気持ちで居た。

「最近ね」と不意に沖田が呟いた。近藤のことを聞きたい気持ちもあるだろうが、土方が最初に子細を話さなかったと言うことは、それ以上、話すつもりが無いと言うことだと、沖田は長年の付き合いでよく知っていた。だから、話を逸らした。

 この納屋には、あまり人は寄らない。労咳であるから、仕方がないが、それでも人恋しくなる。とくに、(もう、近藤さんがと知ったならなおさらだ)と沖田は思った。

(俺と近藤さん、どっちが長生きするのかなぁ)と思うと、妙におかしくなって、笑ってしまった。それを、土方が目敏く見て「どうした?」と聞いてくる。

「いえね。……最近、懐かしい顔を良く思い出すんですよ。不思議だな。永倉さん、斉藤さん、島田さん、山崎さん、原田さん、井上さん、尾形さん、山崎さん、吉村さん……ああ、近藤さんと土方さんのことも思い出しますよ。あとは……藤堂さん、山南さん、伊東さん、新見さん、芹沢さん……懐かしいな」

 土方の表情が、いささか曇った。藤堂以下は、自分たちが斬ってきた同士だ。思い出したくもない相手だ。今更、懐かしみたくもない。

「……私は、もうそろそろ、死ぬようですよ。こんなに、懐かしい顔を、思い出すんですからね。けど、なんだか、遠い遠い昔みたいに感じます。江戸を出て、京で浪士組をやって。ああ、あの頃が、一番楽しかった気がするなぁ」

 しみじみと呟く沖田に、「総司、しゃべり過ぎだ」と窘めるが、沖田は止まらない。これでは、本当に体に障るだろうと思う土方だが、沖田は、懸命に、土方に語りかける。何かを、土方に伝えようとしているのだろう。沖田には、そういう所があった。

「昨日はね」と沖田は笑った。「芹沢さんが夢の中に出てきましたよ。中秋の月を見ながら、一緒に杯を交わしましたよ。楽しそうでしたよ」

 芹沢……の名前に、土方は不機嫌な顔になった。芹沢……芹沢鴨という。元々、水戸出身の武家の子息で、水戸脱藩者だったらしい。それから、浪士隊では同士となり、浪士隊京残留組として、身を寄せ合った。その後、のちに『新撰組』となる壬生浪士組を組織したが、近藤・新見・芹沢の三局長体制といいつつも、筆頭局長である芹沢の勢力が強かったために、土方達『近藤派』は芹沢を暗殺した。文久三年(1863年)九月十六日の事だ。

(中秋の月といったら、じゃないか)と土方は何か、背筋が薄寒くなるような思いになった。月見酒を、芹沢と交わしたことなど、無かったはずだ。新撰組が、隊士総出で島原の角屋に集った事があったが、それは中秋の翌日の事であるから、九月十六日の事になる。すなわち―――芹沢鴨を殺した日だ。

「……お前と、芹沢さんの二人で月見をしていたのか?」

 何となく、気になった土方は沖田に聞いた。夢の話を聞くなど滑稽だとも思ったが、相手は病人であり、死期も近い。意識が混濁しても仕方がないし……いまさら、自分の斬った相手が夢枕に立つ気持ち悪さを、土方にも分けようと言うのだろうと、土方は思った。

 芹沢鴨暗殺の実行犯は、間違いなく、土方と沖田である。泥酔で愛妾と休んでいた芹沢に斬り付けたのは、間違いない。

「私と芹沢さんの二人ではなかったなぁ。たしか……近藤さんは居たよ。あとは、山南さんと……新見さんは居なかったなぁ。他にもいたかもしれないけど、土方さんは居なかった。それで……」と沖田は咳き込んだ。もう喋るな、と言いたい土方だったが、『土方さんは居なかった』というのが気に掛かった。夢の中とは言え、除け者にされたようで、気分が悪い。

「……そうそう、それで、芹沢さんが言ったんですよ。『土方君も来ればいいのに、そんなに俺は嫌われたか』って、まあ、酒が相当回っていたのかな。水戸弁がきつくて、全部聞き取れた訳じゃないけど……そんな意味でしょうね。芹沢さんは、酔っ払うと大暴れをするし、今回も、そうなんだと思ってたんですけどもね。『いまから、土方君を引っ張ってくるか』とか、いろいろ言ってましたから。でもね」と沖田は言を切った。

 土方は少し安堵していた。除け者ではなかった、と言う安堵だ。除け者にされるのは我慢が為らない。居場所を、奪われたような気分になるからだ。

「……芹沢さんは、賢い人だったんだなぁ」と沖田はしみじみと呟いて、土方を見た。額に汗が珠のように浮かんでいる。土方は、手巾を取りだして、沖田の額を拭ってやった。

「……あの人、急に、土方さんを引っ張ってくるのを止めたんですよ。『ああ、』って」

 土方は、あの頃……文久三年の自分を思い返してみた。江戸を出発したのが、文久三年の二月八日。京都に着いたのが、二十五日。そして、紆余曲折を経て、芹沢鴨暗殺が同じ年の九月十六日。京にたどり着いて、たったの半年。

「―――『俺の首を獲る準備で忙しいんだったな』ってさぁ。あの人、酔っ払いながらそんな事を言うんだ。相変わらず、酒癖の悪い男でね」

 土方は沖田を見た。相変わらず、苦しそうだ。その、苦しさを押して、沖田がこんなことを言い出す理由が、土方にはわからなかった。

 寝覚めが悪い夢ではある。夢の中の芹沢の言葉は間違っていない。文久三年の九月十五日の夜ならば、土方は忙しかった。何度も、芹沢暗殺の舞台になった、当時の壬生浪士組の屯所である八木邸の見取り図を眺めながら、芹沢襲撃の為の計画を練っていた。人の配置をどうするか、実行犯は誰になるか。少なくとも、『同士』である芹沢を暗殺するのである。土壇場で裏切られては為らないし、暗殺の顛末をべらべらと喋ってしまうようなものでも困る。信用のおけるものたちで固める。少数精鋭で行く。これは良かったが、芹沢は、剣の使い手だ。土方などが真っ向勝負を挑んだら、おそらく勝ち目など無かった。味方も、腕の立つものを揃えなければならなかった。暗殺実行の直前まで、土方は入念に段取りの確認を行っていた。だから、たしかに、『忙しかった』。

「笑えない冗談だな」と言い捨てるように呟いた土方をチラリと見て、沖田は目を閉じた。

「土方さんは、芹沢さんをどう思っていたんですか? 芹沢さんが言うように、嫌ってたんですか?」

 目を閉ざしたままで、沖田は聞いた。土方は、一瞬、動きを止めた。沖田の意図がわからないからだ。土方の戸惑いを察したのか、沖田は静かに言う。

「……土方さん。私は、今まで、ずっと、『正しい』と思っていました。芹沢さん、山南さん、伊東さん……みんな私たちの手で葬ってきました。それを、私は疑わなかった。けれど、今、あれは正しかったのか、と考えています。こうやって寝ていると、余計なことばっかり考えるんですよ。私たちは、正しかったんでしょうかね。でも、あの時、私たちには、考えることは許されていませんでしたよ。退けば切腹でしたからね」

 沖田は苦しそうに喘いだ。閉ざしていた目を、見開いて、土方を見た。腹の底まで、しっかり見届けようとするような、瞳だった。今生、これだけは聞いてから行かなければ、死んでも死にきれないという所なのか、沖田の表情には、今まで土方が見たこともないような必死さがあった。今は、近藤が投降して、その助命嘆願のために方々走り回っているから時間がない―――そう言って、この場を立ち去ることは出来た土方だったが、土方にも解っていた。沖田の寿命が尽きるのが早いのか、それとも、己の命がつきるのが早いのかは解らないが、どちらにせよ、これが、沖田と今生で逢う最後なのだ。

「正しかった」と土方は言い切った。「ああしなければ、ならなかった。会津様からのご命令があった。それだけではない。芹沢さんがいれば、隊は乱れただろう。芹沢さんの悪行には頭が痛かったし、あの頃、新撰組は一丸に纏まって行かなければならない時期だった。……芹沢さんがいたら、それは無理だった」

 淡々と告げた土方に「そうですよね」と沖田は安堵したような声を漏らした。「土方さんや、近藤さんの私怨だったんじゃないかとね……最近、そんなことを考えていたんで、安心しましたよ。土方さんは……、芹沢さんをどう思っていたんですか?」

「私怨などは無い。酒癖が悪くて辟易したが、酒と女さえなければ、剣の腕は確かだし、大勢から『先生』と言われるくらいには頭も良かったんだろう。実際、慕われていた様だったではないか」と言う土方に、沖田は微苦笑して咳き込んでから、「私は、土方さんがどう思っていたか、聞きたかったんです」と言う。

「お前の夢の中に出てきた芹沢さんが言うように、芹沢さんを憎んでいたようなことはない。……ただ、私は、近藤さんこそが、新撰組の局長に相応しいと考えていたし、新撰組を、より強固な組にしたかったから、芹沢さんには、どうしても、去って貰う必要があった。だから、芹沢さんに私怨はないが、お前が言うくらいだから、私は、随分芹沢さんに嫌な態度を取っていたんだろう」

 土方は珍しく苦笑した。沖田も「珍しい」と呟いて笑った。「土方さんが笑うの、久しぶりに見ましたよ。こりゃあ、何か大変なことでも起きるかもしれませんね」

 沖田の言葉に、土方の表情は幾らか曇った。大変なことは起きている。起きているのだ。近藤が投降した。かつての新撰組は、甲陽鎮撫隊と名前を変えていたのだが、永倉新八などを筆頭に、甲陽鎮撫隊から離脱していた。そして、その甲陽鎮撫隊も、近藤の投降の前に、武力解除の上で解散と言うことになっている。

 土方と近藤と沖田が心血を注いできた『新撰組』は、もうこの世のどこにも存在しない。甲陽鎮武隊でさえ、もう、消えてしまっている。勘の良い沖田だから、おおよその事情は察しているかもしれないが、沖田に、その経緯を説明出来なかった。死にゆく沖田に、最後まで余計な心配をさせたくない気持ちだった。

 ましてや、その筋書きを、土方が書いたのだと知ったら―――沖田は死にきれないだろう。

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