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22.お詫び

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 呆然とした顔をしたアルトゥールは、見ものだった。

 邸へもどった、ルシェールは紅茶を傾けながら、あのアルトゥールの顔を思い出して、声を出して笑ってしまった。

「旦那様」

「なんだ」

「……皇太子殿下からの使いが、いらしておりますが……」

 執事の顔は、苦々しい。

 それもそうだろう。ルシェールが帰宅してから、四刻。

 その間に、皇太子宮からの使いが、十度も来ている。

「そろそろ、なにか、返信されませんと……」

「ああ、私は傷心のあまり寝込んでいるとでも伝えておいてくれ」

「旦那様、傷心のご様子には見えませんが」

「……そういうことにして貰った方がいい。少し、自分が何をなさろうしているのか、考えた方が良い。」

 命令は、いくらでも放つ事が出来るだろう。

 だが、それを、『わたくし』の為に使ってはならない。それは、臣としては伝えなければならない。

 皇族の無聊を慰めるのに、性的に仕えることはあるだろう。だが、そこに『強要』があっては成らない。ある程度、その奉仕を志しているものが行うものだ。

 そして、戦時であればいざ知らず、平時に発せられるものではない。

「……皇太子殿下からの手紙も……、このように……」

 この四刻の間、手紙を書き続けているのではないかとおもう、書簡の量だった。

「読み切れない」

「それは、たしかに……」

「……どうせ、使いが口上を告げているのだろう? ならば、書簡など要らぬだろう」

 使者は、どういう用向き出来たか、伝える。その上で、返事をその場で受け取ることもある。

「口上はなんと?」

「……大公を傷つけたので、お詫びがしたい、の一点張りでございました」

「ふうん。なら、四日は放っておいてくれ」

「そんなにですか」

「ああ、私も、小童こわっぱに軽んじられる訳にはいかないのだよ、これは、すでに、私と、殿下の矜恃を掛けたやりとりになっている。であれば、私は、折れるわけには行かない」

「はあ、畏まりました。とりあえず、四日は、このまま、押し返します」

「ああ、頼んだ。済まないね」

 ルシェールが命じたとおり、そこからは、皇太子宮から使いが来ても、ルシェールの所まで報せはこなかった。

 軽んじられたのは事実だ。別に、ああいうことで傷ついたということは無いが、アルトゥールには、効いただろう。

 軽んじられた。傷ついた。そう、口にしたときのアルトゥールの顔は、何度思い出しても、愉快な気分にさせた。

 そして、このやりとりは、多くの貴族が知ることになったらしい。

 皇城の中庭という、衆人環視の場所で行ったのだから、当然のことだ。

 内容までは分からなかっただろうが、噂はこう広がったらしい。



『皇太子に何かを言われ、ロイストゥヒ大公が皇城から退城させられた』

『ロイストゥヒ大公は蟄居させられているらしい』

『皇太子が、暴力をふるったという話しも出ている』



 この、おしゃべりな貴族達の噂が、どう転がっていくのか、ルシェールにも解らない。今まで、何かを『した』ほうの噂を立てられることはあったが、『された』側で噂が立つのは初めての事だった。

 口淫で奉仕させられ、その精を飲まされたり、こうした形で噂をされたり、アルトゥールは、ルシェールに今までにない体験をさせるようだった。

 それが好ましければ良いが、ルシェールにとっては、そう好ましいものではなかった。

(望んだ形ではなかったが……あの皇太子を陥落させ堕とすなら、なんでも良いような気もするが)

 あまり気が進まない。

 ルシェールにとって、誰かに奉仕するというのが、あまりに遠い行動だからだ。

 今まで、ルシェールを抱きたいと申し出てきた者は、割と多かった。だが、その誰にもルシェールは身を許さなかった。そこまでする事に、利がなかったからだ。

(利があれば……)

 その先の行動を、選択するだろうか。ルシェールは少し考えたが、よく解らなかった。





 アルトゥールからの書簡と花束による攻撃は、まる十日続いた。

 執事が花束をルシェールの寝室に運んでくるもので、のんびりと寝台の中で本を読んで過ごしていたルシェールだったが、気が付けば部屋が花で埋め尽くされる事態になった。

「『薔薇園にお連れするつもりでしたのに、ご一緒出来ませんでしたから、あなたの部屋を薔薇園にしてみました』……か」

 添えられたカードを見やって、ルシェールは執事を睨み付ける。

「……花など捨てればよかったものの」

「申し訳ございません。こういう作戦とは思いませんでしたので……」

「作戦」と小さく呟いて、ルシェールは不愉快さに顔が歪むのを感じていた。これが『作戦』なのだとしたら、まんまと、アルトゥールの策に嵌まったことになる。それは不愉快だ。

「……なにをやっても、あちらの思うつぼのような気がするな。……殿下はなんと?」

「ところが、なにも」

「なにも?」

「ええ、ただただ、毎日、贈り物のみ。あとは、先ほど旦那様がご覧になったカードだけで……」

「ふうん……」

 何か意図がありそうで、それに踊らされそうな気もする。それは不愉快だが……。

「まあいい、こちらも一言だけ返すことにする。なにせ、部屋の薔薇が溢れそうだ」

 息苦しいほどの甘い芳香に満たされた寝室を見やりながら、ルシェールはそう呟いた。


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