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21.駆け引き
しおりを挟む皇太子ともあろう方から、思わぬ舌打ちが聞こえてきて、ルシェールは笑ってしまった。
「お命じになれば良い。ただし、それが何を呼ぶか、しっかりとご自覚なさってから」
ルシェールは嫣然と笑みながら、す、とアルトゥールに手を伸ばした。
顎の下を白い繊手で、そっとくすぐる。
アルトゥールが、少し身じろぎした。
「ルシェール」
「……あなたにとって、私は、父親ほど年齢の離れた存在でしょう。もっと、若くて見目の良いものはいくらでも居るはずですよ。そして、あなたが、伝家の宝刀を抜いて従わせるには―――私の立場が、邪魔になりますね」
ロイストゥヒ大公は皇室の守り神である砂獅の守り人である。
皇室に近く、現在は放棄しているが、意思さえ示せば、皇位に手が届く。
そういう相手を、単純な『命令』で支配させることは、アルトゥールの立場を、脆くさせるだろう。
「あなたを手に入れたい」
アルトゥールはルシェールの手を捕らえた。
「手に入れる」
くっ、とルシェールが笑う。「おかしな事を仰せになるものです……」
「ええ、あなたを、手に入れたい。……あなたには、家も細君もおありでしょう。けれど、それらのすべてを、私の為にすべて擲ってほしい」
それは、必死に愛を乞うようにも聞こえて、ルシェールは眉を顰める。
「それは出来ない相談ですね」
「ああ。けれど―――俺は、そうして欲しい。あなたのすべてが欲しい」
捕らえた手を、ぐいと引かれて、そして、ぎゅっと抱きしめられた。
「アルトゥール」
放しなさい、と言おうとしたのを、唇で塞がれた。
奪うような、強引な口づけだった。
「っ……っ!」
「……ああ、あなたの唇は……、とても、とても、甘い……。まるで、あなたの、二つ名のようだ」
アルトゥールは、うっとりとした顔をしていう。
ルシェールの二つ名。『帝国の甘美なる闇』。
「……このような場所で」
薔薇園へ向かうため、皇城の中庭を歩いている所だった。二人の姿を見ているものも多かった。
ルシェールは怒りに満ちた目で、アルトゥールを睨み付ける。碧眼が、鮮やかな怒りの彩を帯びたとき、アルトゥールが一層、うっとりとした表情を浮かべた。
「その眼差し……、本当に、美しい……。あなたの、向きだしの感情が私に向いていると思えば、それだけで、胸が高鳴ります」
「っ!?」
「昨日、あなたに奉仕させ、俺は気が付いたんですよ」
「えっ?」
アルトゥールが、ルシェールを抱きしめながら、耳元に囁く。
「あなたを手に入れたいという、欲望に、です……けれどあなたは、こうなることを、ある程度は、予想していたのではありませんか?」
もう一度、アルトゥールが口づけをしてくるのを、ルシェールは彼の厚い胸板を押し返して、逃れた。
「……お戯れを、仰せになるのをお止めください」
思わず、ルシェールは、唇に手をやった。さっきの口づけの感触が残っている。
「ルシェール」
「……まさか、あなたが、私に奉仕を要求するなど、考えもしませんでしたよ」
それは、紛れもない真実だった。
「そうなのですか?」
「ええ、そうです。……まさか、息子ほど年の離れた方に、戯れに奉仕をしてみろなどと言われるとは思いませんでした……ええ、あなたは、私に、戯れで、そんなことを仰ったのです。矜恃を傷つけられたというより―――」
一度、ルシェールは言を切って、視線を外して、俯いて見せた。
「―――傷つきました。あなたとは、年齢を超えて、友誼を結ぶことが出来るのではないかと思っていましたが、私の、勘違いだったようです」
勿論、本気ではなかったが、アルトゥールは、呆然としているので、ある程度、信じたのだろう。
「ルシェール……」
「評判の悪い、大公として―――あなたに侮られていたとは思いも寄らないことでした」
「ちがうっ! あなたを、侮ったわけではないのだっ!」
「侮ったのでなければ、一体、なんだったのでしょう」
「それは……」
アルトゥールは口ごもった。
ルシェールは、悲しげに目を伏せて「身から出た錆でしょうが……一度、親しくなれると思った方から、ああいう要求をされたのは、悲しくございました」と静かに告げる。
アルトゥールの顔色が、紙のように悪くなっていく。
「ルシェール……どうか、勘違いを、なさらないで欲しい……、あなたを、手に入れたいが……そうだ、あなたを手に入れたいばかりに……、俺は……」
アルトゥールが何か言おうとしたとき、ルシェールは「仰らないで」とだけ告げ、「本日は御前を失礼します」と告げ、優雅に一礼をするとアルトゥールを残して、歩き出す。
その、後ろ姿を、アルトゥールは追うことはなかった。
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