誰の、他のだれでもなくあなたと永遠を。

七瀬京

文字の大きさ
上 下
11 / 51

10.黒白の舞踏

しおりを挟む


 皇后の、怪訝そうな視線には、アルトゥールも気が付いたらしい。

「……皇后陛下と、何か、ありましたか?」

「いいえ……殆ど、お話しをしたこともありませんが……」と言ってから、ルシェールは微苦笑した。「大切なご令息が、私のように評判の悪いものの毒牙にかかったのではないかと懸念しておられるのでは?」

「毒牙、ですか」

 くすっ、とアルトゥールは笑う。「『帝国の甘美なる闇』ロイストゥヒ大公・ルシェール殿下。……あなたの毒牙にならば、掛かってみたいものです」

 このやりとりを―――皆が固唾を飲んで見ている。

 ルシェールは、小さく吹き出してみせた。

「お戯れを。……私のようなものを連れていると……皇后陛下だけではなく、お可愛らしい婚約者が、心配なさりますよ」

 アルトゥールは、口をつぐんだ。

 すでに、『皇太子妃』として内定しているのはセトレクト侯爵令嬢・マルレーネ。

 蜂蜜色の髪に、明るい空色の瞳を持つ、清楚な令嬢であった。

「セトレクト侯爵が、殿下の後見になりましょう。ふさわしい、ご令嬢と存じます」

 アルトゥールは、しかし、返事をしなかった。

「……婚約はしましたが、お互い、大した面識はありません」

「私も、妻とは対して面識もないまま結婚しました。そう言うものでしょう。けれど、長い年月を共に過ごして、私と、妻は、互いに良き理解者であると、思っております」

 そのことばには、嘘はなかった。

 子供は一人だけ居た。が、死産であった。生きていれば、皇太子と同い年だっただろう。そうなれば、皇太子の側近には、ルシェールの息子が付くはずだっただろう。それは、夢見たが、消えた未来だ。

 以後、ルシェールは実子を望まなかった。それからは、妻・レジーナと、二人で過ごしている。

 互いに恋人や愛人を持ち、ロイストゥヒ大公家の為に、力を合わせて来たはずではあった。無論、その、むなしさを二人で噛みしめているからこそ、あの時、レジーナとルシェールは賭をしたのだ。

「大公夫人は……、我が国の社交界の花、と謳われる方と聞いております。ぜひ、私の婚約者を紹介させてください」

「それは構いませんが……」

 アルトゥールがなにを考えて居るのか解らず、ルシェールは、戸惑う。

 この、目の前の青年は、すこし、奇妙だ。

 後ろ盾が欲しいというのは理解する。ルシェールを敵に回したくないというのも解る。だが、本当の望みがどこにあるのか、よく解らない。

 そのことに、ルシェールは、漠然とした不安を抱いた。

 今まで、ルシェールに近付いてきたものたちは、皆、一様に、ルシェールからの愛情を求めた。ルシェールと身体を重ね、情愛の交歓を持つことを望んできたが、今ひとつ、そのあたりが解らない。

「ルシェール」

 アルトゥールに呼びかけられ、ルシェールは、はっと、我に返った。

「失礼致しました、殿下……」

「そのような堅苦しい呼び方ではなく、アルトゥールと呼んで欲しいと伝えたはずですよ」

 アルトゥールが、蕩けそうなほど柔らかな微笑みを浮かべている。

「こういった場所では、臣下として、礼節を保ちたいと……っ」

 言葉を遮るように、アルトゥールがルシェールの手を取って、ぐいっと引っ張った。

「っ……っ殿下っ!」

「アルトゥールと。……さあ、踊りましょう。私が踊らなければ、舞踏会は始まらないようですよ」

 強引に、アルトゥールが手を引いて、フロアの真ん中へ出て行く。

 皇后からの視線は気になったが、やがて、緩やかな管弦楽が奏でられる。

「殿下……」

「あなたなら、女性のほうを踊ることも出来るでしょう? 私のほうが、いくらか背が高いので、その方が踊りやすいはずです」

 勝手に決めると、アルトゥールが肩に手を回す。

 致し方なくルシェールもアルトゥールの肩に手を回した。身体が、密着する。

 白と黒の衣装を身に纏った、ルシェールとアルトゥールの姿に、周りからため息が漏れた。

 緩やかで華やかな円舞曲。

 密着していても、特別な感慨を抱かなかったルシェールではあるが、アルトゥールの方は熱っぽい眼差しをして居る。それを間近に受けて、少しいたたまれなくなって、視線を逸らす。

「……こういうときは、目を見て踊るものでしょう、ルシェール」

「男女であれば、そうなるでしょうが……殿下とは、少し、顔が近すぎます」

 女性と踊るよりも、顔が近い。身長の都合でそうだろう。

「……ああ、そうですね。唇が、触れてしまいそうです」

 アルトゥールが、笑む。

「からかっておいでですか、殿下」

 また、視線を外すと、耳元に、「いいえ」と囁かれる。

 このやりとりが衆人に晒されていると思うと、嫌な気持ちになった。自分が仕掛けるならともかく、ルシェールは、アルトゥールの思い通りに動かされていることが、不愉快だった。

「あそこに居る方は、解りますか? 真っ赤な顔をして、憤慨なさっている方です」

 ちらり、とアルトゥールの視線の方を見やれば、そこに居たのは、ナディイラ子爵フィリアリスだった。

「彼は、ナディイラ子爵フィリアリスです。先日、父君が身罷って、当主になられたばかり……殿下とは、同い年になりますから、一度お話しをなさってみるとよろしいかと」

「ふふ……あなたの、『恋人』でした? あの方」

 実に愉快そうに、アルトゥールが問う。

「恋人、ではないでしょう。ただ、彼には、少しの間、色々と指導はしましたよ」

「閨ごとまで?」

「ええ……。どうやって、男を悦ばせるか……、そういうことを」

「彼は、あなたに特別な好意を持っていそうですけれどもね……。私の事を、視線だけで殺す勢いですよ」

 アルトゥールが声を殺してクックッと笑いながら、ルシェールの耳に、キスをする。

「殿下」

 窘めるようにルシェールが言うが、アルトゥールは気にもしていないようだった。

 おそらく、ナディイラ子爵フィリアリスに、見せつけるために、キスをしたのだ。

(なぜ……?)

 理由を、ルシェールは、深く、知りたくなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る

112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。 ★本編で出てこない世界観  男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。

六日の菖蒲

あこ
BL
突然一方的に別れを告げられた紫はその後、理由を目の当たりにする。 落ち込んで行く紫を見ていた萌葱は、図らずも自分と向き合う事になった。 ▷ 王道?全寮制学園ものっぽい学園が舞台です。 ▷ 同室の紫と萌葱を中心にその脇でアンチ王道な展開ですが、アンチの影は薄め(のはず) ▷ 身代わりにされてた受けが幸せになるまで、が目標。 ▷ 見た目不良な萌葱は不良ではありません。見た目だけ。そして世話焼き(紫限定)です。 ▷ 紫はのほほん健気な普通顔です。でも雰囲気補正でちょっと可愛く見えます。 ▷ 章や作品タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではいただいたリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

王子の恋

うりぼう
BL
幼い頃の初恋。 そんな初恋の人に、今日オレは嫁ぐ。 しかし相手には心に決めた人がいて…… ※擦れ違い ※両片想い ※エセ王国 ※エセファンタジー ※細かいツッコミはなしで

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

処理中です...