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08.衣装と迎え

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 夜会の刻限になり、そろそろ会場へ向かうおうと、億劫ながら腰を上げたルシェールだったが、

「旦那様、皇太子殿下のご来訪でございます」

 という慌てた執事の声に、心底驚いた。

「お通ししてくれ」

 と命じたものの、わざわざ、迎えに来るとは思わなかっただけに、不意を突かれた気分になった。

 扉が開き、皇太子が入ってくる。

 いつもとは違う、薔薇と菫の香のする、香水の薫りがふんわりと漂ってきた。

「あっ……」

 思わずルシェールが声を上げてしまったのは、皇太子が、ルシェールの贈った衣装を身に纏っていたからだった。

「お迎えに上がりました」

 皇太子は、恭しく一礼をする。

「そのようなことは、臣下にはなさいませぬよう」

 窘めるが、皇太子は、小さく笑っただけだった。なんとなく、不愉快な、腹の底がざらつくような気分になりながら、ルシェールは言う。

「その衣装……」

 お召しになるとは思いませんでした、と言おうとしたのを、皇太子に笑顔で遮られる。

「似合うでしょう? ……あなたと、色違いの揃いと聞きましたから、絶対に、この衣装を身に纏わねばと思いました」

「お側に仕える方々は、反対なさいましたでしょうに」

「そうですね……あなたに服従する意味があるのだとかなんだとか」

「それを分かっていて、なぜ……」

 困惑しつつ、ルシェールは問う。訝しんで、眉を寄せるルシェールの顔を、皇太子は、じっと見た。

「あなたのそういう表情を拝見出来れば、この衣装を身に纏った甲斐もあるというものです」

「お戯れが過ぎます」

「では、この、あなたの戯れに乗りましょう。……これで、私も、あなたにご指導を賜る、美童の一人と言うことになりますかね」

 くすくす、と皇太子は笑う。存外、あけすけに言葉を使うものだと思いつつ、その意味を知っていて、なぜ、この衣装を身に纏うのか、と考えた時。ルシェールは賭けを思い出す。

 この皇太子を、堕として、この国を破滅へ向かわせる……。

 そういう賭であったはずだった。

「……皇太子殿下……いえ、アルトゥール様」

 ルシェールの囁くような声に、アルトゥールが、視線を返す。

「私の、美童になりたいと?」

「……出来ることならば、あなたと、もっと親密な関係になりたいものです」

 美童とは言わなかった。

 なんとなく、ルシェールは、愉快な気持ちになった。

「親密な、ね……」

「ええ。……私は、あなたの力が必要です。そして、私は……あなた自身にも、興味があります。国中の美しい少年達を集めて、閨を共にして居るという、魅惑の男色家……」

「あなたも、閨に入りたいと?」

 くすくすと、ルシェールは笑う。「私が相手をするのは、年端もいかないものたちばかり。それも、れっきとした、制度としての教育ですよ。……そして、それは上位のものから、下位のものへ行われる。つまり、こういう教育を、あなたにすることは、私には出来ないのです」

「あなたと少年達の閨では、どのようなことを……?」

「それは、殿下。あなたも、房事の教師から、教わっていることですよ。閨に於いて、奉仕をするということを教えるのです。……こういったことが、まだ、必要になることがございますから」

 少年達に教えるのは、つまらないことばかりだと、ルシェールは思っている。

 この国では、男性が少年を囲うことが、当然の権利として行われている。少年達も、そこで、繋がりを持つのだから、どちらにも利はあるのだった。

 だが、少年に、一方的な奉仕の術を教えても、それはそれでつまらないことばかりだった。

「……私の立場でも、どなたかに奉仕をすると言うことはありませんので……、退屈なものですよ。他の男たちのための、奉仕の術を教え込んでいるようなものですから」

 ハッとしたように目を見開いて、それから、アルトゥールは視線を泳がせた。

「あなたと関係を結んだものの中で、恋人になったものはいるのだろうか?」

「恋人……であれば、私には一人もおりませんよ」

 今まで、恋人と呼べるような存在は、居なかった。

 求められれば、少年達に様々なことを教えはするが、そう言うことは、すべて、心の繋がりを伴わないものだ。愛や恋という言葉とは、縁遠い。

「……一人も……」

「口に出せば、むなしいばかりの言葉ではありますが……、一人も。少なくとも、私の方は」

「んっ?」

 アルトゥールが、怪訝そうな顔をした。

「相手の方は、そうではないこともあります。……つきまとわれることもありましたし、様々なことを迫ってくる方もいました」

「そういう方は、どうしたのですか……?」

「どうにも。ただ、煩わしいだけです」

 つめたく言い捨てるルシェールの言葉を聞いて、アルトゥールが、眉を寄せた。





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