誰の、他のだれでもなくあなたと永遠を。

七瀬京

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02.帝国の甘美なる闇

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 黒漆の髪に、紫色の瞳。壁の花と化していた皇太子がわざわざ足を向けたとあっては、ルシェールも礼をとる必要があった。

「これは、砂獅の加護を受けし方、誠にご機嫌麗しゅうございます」

 椅子からたちあがり、一礼をする。そのしぐさは、舞のように優美であった。傍らのレジーナも、立ち上がって腰を落とし、優美な礼をする。

「あ、いや……、楽にしてほしい。あなたとは、面識がそれほどなかったので、ぜひ、少々お話をしたくて」

 いくらか頬を染めながら、皇太子はしどろもどろにいう。

 この、初心な態度も、この国の皇太子にはふさわしからぬものだ、とルシェールは腹の中で彼を断ずる。皇帝の座は、覚悟なきものが座るものではない。心にもないことを口にする時であっても、本心からの言葉に聞こえるように、常によどみなく、朗々と言葉を発するべきであると、ルシェールはかんがえる。そして、それは大方の貴族の共通した意見になることだろう。

「お話、ですか?」

 ルシェールは、美しい眉を顰める。「このわたくしに、殿下を喜ばせるようなお話など出来ようもありませんが」

「ご謙遜を。あなたには出来ぬことなど何一つないと、そう、皆が申しております」

「『皆』」

 ふ、とルシェールが笑う。皇太子が息をのむのがわかった。

「殿下が仰せの皆、とはどなたの事でありましょうや。……名家の生まれである以外、取り立てて功績もないわたくしでありますのに」

「いや、あちこちで、あなたの、……噂を耳にするのだ」

 慌てながら、皇太子は言う。おどおどとした仕草。しどろもどろになる姿は、みっともないことこの上ない。

「わたくしに関する噂話など、ろくなものではないでしょう。取り立てて、殿下に関心を持っていただくことはありませんよ。それとも、わたくしの素行の悪さがお気に触りますか?」

 くすくすと、ルシェールは笑う。

『帝国の甘美なる闇』と謳われるルシェールは、噂が多い。

 暗躍し自らの享楽の為に富を増やし、目もくらむような御殿に住まい、そこでは若くて美しい少年を何人も愛人として囲い、侍らせているというような淫蕩なものだ。

「それこそ、噂なのでは?」

「いいえ? たくさんの少年を愛でているのは事実ですよ?」

 にこりと笑ってみせると、皇太子は顔を真っ赤にして驚いていた。

「け、けれど、あの、あなたは、その、細君が……」

「これにも恋人はおりますし。貴族は、たいてい、伴侶のほかに恋人を持つものです。そして……殿下はご存じありますまいが……、きちんとした貴族階級の男子として、恥ずかしくない礼儀作法を身に付ける為に、高位の貴族の所で手ほどきを受けることは、古くからの伝統なのです」

 これは、嘘ではなかった。

 そしてこうして結ばれた相手とは、特別な絆が生まれるとされ、その義を裏切ることが許されないというものでもある。そういう意味で、ルシェールの許には、たくさんの貴族の子息が預けられることになるというものだった。

「そ、れは、聞いたことはあるが」

「ですから、潔癖な殿下が、わたくしのような者に近づくのは、ご側近も良く思われないでしょう」

「その……あなたに、そういう伝統的な、教育を望みはしないが……、もしよければ、私に、力を貸してはいただけないだろうか?」

 おどおどとしたまなざしだった。それを、心の中で見下しながら、ルシェールは困ったような顔をしてみせた。

「浅学菲才の身なれば、殿下のお力になれることなど、何一つございません」

「ならば、話相手……でも良いのだ。あなたは、謙遜するが、あなたのふるまい次第で、私の立場も変わる。ならばあなたを、味方に付けたい」

 やけにきっぱりと、皇太子は申し出ていた。真剣なまなざしが、ルシェールを射る。

 いつの間にか、円舞曲は終わっていた。

 しん、と静まり返った大広間で、皆、固唾を飲んで、皇太子とルシェールのやり取りを見守っている。

 ここで、ルシェールが皇太子の申し出を蹴れば、皇太子は早晩、廃されることになるだろう。そうなったときに、巻き起こるのは、皇位継承権をめぐる争いになる。

(ふむ、なるほど)

 これならば『国が滅ぶ』為の道筋が現れたことになるのだろうが、それではあまりにも、簡単すぎる。つまらない。退屈しのぎにもならない。

 ならばどうやって、国を滅ぼそうかと思ったとき、ふいに、愉快な考えが脳裏をよぎった。この、つまらなくて面白くもない男を、篭絡して、堕としてしまえばいい。ルシェールなしには息もできぬほど、完全に篭絡させたあとで、捨てれば良い。面白い結果になるだろう。

(まあ、私はその時、殺されるかもしれないが……)

 それならば、それでも面白いと思っていた。帝国の守護者たるロイストゥヒ大公家の当主は、自死を選ぶことはできない。何度首の血管を切っても、自ら死ぬことはできなかった。それほど強い守護の力が働いているのだ。いっそ、誰かに、この退屈な生を終わりにしてもらうのも、良いかもしれないと思っていた。

「わたくしのような者でよければ、殿下に喜んでお仕えいたします」

 膝をついて礼を取ると、皇太子が、ホッとしたように吐息するのがわかった。
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