12 / 16
参
5
しおりを挟む「ええ。これしかありませんもの。この家に嫁いで来てから、わたくしは、ずっと……ずっと、この服を着ているのです」
京香は言って目を伏せた。晒された白いうなじに、紅葉が落ちた。血の様であった。
「ご主人様のことを、タクシーの運転手から聞きました。……顔が、酷く焼けていらしたとか」と、春宵は聞きづらそうに聞いた。
「ええ。主人の顔の半分は、もぅ、酷いものでしたわ。皮膚が、つるんとしていますのよ。顔には、産毛すら生えませんし……触っても感触がないとかで」
「済みませんでした……」
「よろしくてよ。別に、聞かれて困るようなことではありませんから……」
京香は、ふふふ、と笑った。少女のようなあどけない微笑だった。
「……もう一つ。あなたは……なぜ、そんなご主人と、結婚なさったのですか?」
京香は、髪を留める、深紅の珊瑚のかんざしを引き抜いた。黒漆の、絹糸のような髪の毛が、うねりながら宙を舞う。風が、戦ぎ。髪を舞わせる。漆黒の翼羽ばたかせる、鴉のように、それよりももっと、艶やかに。銀粉をまぶしたように。真珠を鏤めたように輝く。
「わたくし」と京香は歌うように呟いた。
「わたくし、主人の傍に居たかったんです。ずっと。主人の傍に居るだけ。それを望んでおりました。それで……たぶん、幸せだったんです。……ねぇ、若月さん。一人で、自分の殻の中だけで生きられれば、どれだけ良かったでしょうね。どうして、一人で、生きていくことはないのかしら。……何にも知らないで、何にも見ることなく、ただこの生を居きるだけだったなら……だれも、瑕つくことなどなかったでしょうにね」
確かに、そうですねとつぶやいてから、春宵は空を見上げた。瑕い天を、求めるように。
「それでも、誰かに触れるから、自分を知ることが出来るんですよ。あなたとこうして出会ったのも、こうして出会うのも、これで最後かもしれませんしね。……出会い、触れ合い。僕達は自分が、ただの生命体であることを知るんですから」春宵は、そっと髪を掻き上げた。京香と共に、橿原家の奥津城にたどり着き、春宵は、夥しい数の、塚をみて瞠目していた。
「凄い数ですね」
「わたくしが嫁ぐ前が、凄かったんですの。その頃には、もう家に入っておりましたけれども……一月に、三回も空の棺を見送ったことがございますわ。本当に、信じられないようなことでした。……行方不明になった方。遠い海で水死した方。焼死された方。……口さがない方は、わたくしが、殺したのだといいましたわ。この橿原の財産が目当てだとかで」と、京香はふふふ、と笑った。「わたくし、興味なんてなかったのに。財産になんて」
「そうですね、あなたは、そんなものには興味はないようですね」
呟きながら春宵は、塚に向かって手を合わせた。このあたりでは、火葬が義務付けられていない。古い家では、このようにして、土葬にしてしまうこともあるのだ。
「……高浜さんから、例の剥製をお預かりしたのは、三日ほど前です。もうそろそろ、僕は、鑑定結果を出さなくてはならない。父は―――多分、鑑定の結果を出したがらない。僕も、多分」
「けれど……」
と京香は春宵を見た。うねる黒髪が、京香の顔の青白さを際立たせているようだった。「けれど、若月さんは、たぶん、鑑定の結果を出していらっしゃるのでしょう? だから、この家までいらした……のだと思っておりましたわ」
「僕が、答えを出しているのならば、アレが一体、なんなのか、と言うことだけですよ。ただ、僕はアレが、一体どう言うものなのかを、分からなければならないんです。ついでに言うと、本当に下世話な事ながら、僕はアレを、通貨換算しなくてはならない」
春宵は大仰にため息をついて見せた。そんな春宵の姿に、京香はほんの少しだけ、小首を傾げるようにして、聞いた。
「おいくらでしたら、買えますか?」
「何十億円積まれても、買えるものではないでしょう。それは、あなたのほうがわかっているはずです。そして、僕には、分からないことがある。なぜ、アレが造られたのか、と言うこと。そして、アレは……かつて、なんと言う名前で呼ばれていた存在か」
京香は満足そうに頷いた。春宵は、そんな京香を見つめている。
「あなたと同じですわ。本当に、佳い品というのは、自分の手元において置きたくなってしまうんですの。けれど―――それ以上に、それに惚れこんでしまったら、あなたならどうするかしら」
「僕なら――多分、どんなことがあっても、自分の手から、手放しはしないと思いますよ」
「わたくしは、本当に、本当に大切ならば、それから……遠ざかることを望みますわ。遠ざかって、遠ざかってしまえば、それ以上望むことも、壊してしまうことも、傷つけてしまうこともありませんでしょうから」
京香は、さびしく微笑んだ。春宵は、その表情を、京香らしくないと思った。
「京香さん」
「ねぇ、若月さん。あなたは、私が好き?」
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
紙の本のカバーをめくりたい話
みぅら
ミステリー
紙の本のカバーをめくろうとしたら、見ず知らずの人に「その本、カバーをめくらない方がいいですよ」と制止されて、モヤモヤしながら本を読む話。
男性向けでも女性向けでもありません。
カテゴリにその他がなかったのでミステリーにしていますが、全然ミステリーではありません。
マクデブルクの半球
ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。
高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。
電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう───
「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」
自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。
旧校舎のフーディーニ
澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】
時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。
困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。
けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。
奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。
「タネも仕掛けもございます」
★毎週月水金の12時くらいに更新予定
※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。
※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる