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参
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しおりを挟む「ええ。これしかありませんもの。この家に嫁いで来てから、わたくしは、ずっと……ずっと、この服を着ているのです」
京香は言って目を伏せた。晒された白いうなじに、紅葉が落ちた。血の様であった。
「ご主人様のことを、タクシーの運転手から聞きました。……顔が、酷く焼けていらしたとか」と、春宵は聞きづらそうに聞いた。
「ええ。主人の顔の半分は、もぅ、酷いものでしたわ。皮膚が、つるんとしていますのよ。顔には、産毛すら生えませんし……触っても感触がないとかで」
「済みませんでした……」
「よろしくてよ。別に、聞かれて困るようなことではありませんから……」
京香は、ふふふ、と笑った。少女のようなあどけない微笑だった。
「……もう一つ。あなたは……なぜ、そんなご主人と、結婚なさったのですか?」
京香は、髪を留める、深紅の珊瑚のかんざしを引き抜いた。黒漆の、絹糸のような髪の毛が、うねりながら宙を舞う。風が、戦ぎ。髪を舞わせる。漆黒の翼羽ばたかせる、鴉のように、それよりももっと、艶やかに。銀粉をまぶしたように。真珠を鏤めたように輝く。
「わたくし」と京香は歌うように呟いた。
「わたくし、主人の傍に居たかったんです。ずっと。主人の傍に居るだけ。それを望んでおりました。それで……たぶん、幸せだったんです。……ねぇ、若月さん。一人で、自分の殻の中だけで生きられれば、どれだけ良かったでしょうね。どうして、一人で、生きていくことはないのかしら。……何にも知らないで、何にも見ることなく、ただこの生を居きるだけだったなら……だれも、瑕つくことなどなかったでしょうにね」
確かに、そうですねとつぶやいてから、春宵は空を見上げた。瑕い天を、求めるように。
「それでも、誰かに触れるから、自分を知ることが出来るんですよ。あなたとこうして出会ったのも、こうして出会うのも、これで最後かもしれませんしね。……出会い、触れ合い。僕達は自分が、ただの生命体であることを知るんですから」春宵は、そっと髪を掻き上げた。京香と共に、橿原家の奥津城にたどり着き、春宵は、夥しい数の、塚をみて瞠目していた。
「凄い数ですね」
「わたくしが嫁ぐ前が、凄かったんですの。その頃には、もう家に入っておりましたけれども……一月に、三回も空の棺を見送ったことがございますわ。本当に、信じられないようなことでした。……行方不明になった方。遠い海で水死した方。焼死された方。……口さがない方は、わたくしが、殺したのだといいましたわ。この橿原の財産が目当てだとかで」と、京香はふふふ、と笑った。「わたくし、興味なんてなかったのに。財産になんて」
「そうですね、あなたは、そんなものには興味はないようですね」
呟きながら春宵は、塚に向かって手を合わせた。このあたりでは、火葬が義務付けられていない。古い家では、このようにして、土葬にしてしまうこともあるのだ。
「……高浜さんから、例の剥製をお預かりしたのは、三日ほど前です。もうそろそろ、僕は、鑑定結果を出さなくてはならない。父は―――多分、鑑定の結果を出したがらない。僕も、多分」
「けれど……」
と京香は春宵を見た。うねる黒髪が、京香の顔の青白さを際立たせているようだった。「けれど、若月さんは、たぶん、鑑定の結果を出していらっしゃるのでしょう? だから、この家までいらした……のだと思っておりましたわ」
「僕が、答えを出しているのならば、アレが一体、なんなのか、と言うことだけですよ。ただ、僕はアレが、一体どう言うものなのかを、分からなければならないんです。ついでに言うと、本当に下世話な事ながら、僕はアレを、通貨換算しなくてはならない」
春宵は大仰にため息をついて見せた。そんな春宵の姿に、京香はほんの少しだけ、小首を傾げるようにして、聞いた。
「おいくらでしたら、買えますか?」
「何十億円積まれても、買えるものではないでしょう。それは、あなたのほうがわかっているはずです。そして、僕には、分からないことがある。なぜ、アレが造られたのか、と言うこと。そして、アレは……かつて、なんと言う名前で呼ばれていた存在か」
京香は満足そうに頷いた。春宵は、そんな京香を見つめている。
「あなたと同じですわ。本当に、佳い品というのは、自分の手元において置きたくなってしまうんですの。けれど―――それ以上に、それに惚れこんでしまったら、あなたならどうするかしら」
「僕なら――多分、どんなことがあっても、自分の手から、手放しはしないと思いますよ」
「わたくしは、本当に、本当に大切ならば、それから……遠ざかることを望みますわ。遠ざかって、遠ざかってしまえば、それ以上望むことも、壊してしまうことも、傷つけてしまうこともありませんでしょうから」
京香は、さびしく微笑んだ。春宵は、その表情を、京香らしくないと思った。
「京香さん」
「ねぇ、若月さん。あなたは、私が好き?」
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