若月骨董店若旦那の事件簿~水晶盤の宵~

七瀬京

文字の大きさ
上 下
12 / 16

5

しおりを挟む


「ええ。これしかありませんもの。この家に嫁いで来てから、わたくしは、ずっと……ずっと、この服を着ているのです」

 京香は言って目を伏せた。晒された白いうなじに、紅葉が落ちた。血の様であった。

「ご主人様のことを、タクシーの運転手から聞きました。……顔が、酷く焼けていらしたとか」と、春宵は聞きづらそうに聞いた。

「ええ。主人の顔の半分は、もぅ、酷いものでしたわ。皮膚が、つるんとしていますのよ。顔には、産毛すら生えませんし……触っても感触がないとかで」

「済みませんでした……」

「よろしくてよ。別に、聞かれて困るようなことではありませんから……」

 京香は、ふふふ、と笑った。少女のようなあどけない微笑だった。

「……もう一つ。あなたは……なぜ、そんなご主人と、結婚なさったのですか?」

 京香は、髪を留める、深紅の珊瑚のかんざしを引き抜いた。黒漆の、絹糸のような髪の毛が、うねりながら宙を舞う。風が、戦ぎ。髪を舞わせる。漆黒の翼羽ばたかせる、鴉のように、それよりももっと、艶やかに。銀粉をまぶしたように。真珠を鏤めたように輝く。

「わたくし」と京香は歌うように呟いた。

「わたくし、主人の傍に居たかったんです。ずっと。主人の傍に居るだけ。それを望んでおりました。それで……たぶん、幸せだったんです。……ねぇ、若月さん。一人で、自分の殻の中だけで生きられれば、どれだけ良かったでしょうね。どうして、一人で、生きていくことはないのかしら。……何にも知らないで、何にも見ることなく、ただこの生を居きるだけだったなら……だれも、きずつくことなどなかったでしょうにね」

 確かに、そうですねとつぶやいてから、春宵は空を見上げた。とおい天を、求めるように。

「それでも、誰かに触れるから、自分を知ることが出来るんですよ。あなたとこうして出会ったのも、こうして出会うのも、これで最後かもしれませんしね。……出会い、触れ合い。僕達は自分が、ただの生命体であることを知るんですから」春宵は、そっと髪を掻き上げた。京香と共に、橿原家の奥津城おくつきにたどり着き、春宵は、夥しい数の、塚をみて瞠目していた。

「凄い数ですね」

「わたくしが嫁ぐ前が、凄かったんですの。その頃には、もう家に入っておりましたけれども……一月に、三回も空の棺を見送ったことがございますわ。本当に、信じられないようなことでした。……行方不明になった方。遠い海で水死した方。焼死された方。……口さがない方は、わたくしが、殺したのだといいましたわ。この橿原の財産が目当てだとかで」と、京香はふふふ、と笑った。「わたくし、興味なんてなかったのに。財産になんて」

「そうですね、あなたは、そんなものには興味はないようですね」

 呟きながら春宵は、塚に向かって手を合わせた。このあたりでは、火葬が義務付けられていない。古い家では、このようにして、土葬にしてしまうこともあるのだ。

「……高浜さんから、例の剥製をお預かりしたのは、三日ほど前です。もうそろそろ、僕は、鑑定結果を出さなくてはならない。父は―――多分、鑑定の結果を出したがらない。僕も、多分」

「けれど……」

 と京香は春宵を見た。うねる黒髪が、京香の顔の青白さを際立たせているようだった。「けれど、若月さんは、たぶん、鑑定の結果を出していらっしゃるのでしょう? だから、この家までいらした……のだと思っておりましたわ」

「僕が、答えを出しているのならば、アレが一体、なんなのか、と言うことだけですよ。ただ、僕はアレが、一体どう言うものなのかを、分からなければならないんです。ついでに言うと、本当に下世話な事ながら、僕はアレを、通貨換算しなくてはならない」

 春宵は大仰にため息をついて見せた。そんな春宵の姿に、京香はほんの少しだけ、小首を傾げるようにして、聞いた。

「おいくらでしたら、買えますか?」

「何十億円積まれても、買えるものではないでしょう。それは、あなたのほうがわかっているはずです。そして、僕には、分からないことがある。なぜ、アレが造られたのか、と言うこと。そして、アレは……かつて、なんと言う名前で呼ばれていた存在か」

 京香は満足そうに頷いた。春宵は、そんな京香を見つめている。

「あなたと同じですわ。本当に、佳い品というのは、自分の手元において置きたくなってしまうんですの。けれど―――それ以上に、それに惚れこんでしまったら、あなたならどうするかしら」

「僕なら――多分、どんなことがあっても、自分の手から、手放しはしないと思いますよ」

「わたくしは、本当に、本当に大切ならば、それから……遠ざかることを望みますわ。遠ざかって、遠ざかってしまえば、それ以上望むことも、壊してしまうことも、傷つけてしまうこともありませんでしょうから」

 京香は、さびしく微笑んだ。春宵は、その表情を、京香らしくないと思った。

「京香さん」

「ねぇ、若月さん。あなたは、私が好き?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

Energy vampire

紫苑
ミステリー
*️⃣この話は実話を元にしたフィクションです。 エナジーヴァンパイアとは 人のエネルギーを吸い取り、周囲を疲弊させる人の事。本人は無自覚であることも多い。 登場人物 舞花 35歳 詩人 (クリエーターネームは 琴羽あるいは、Kotoha) LANDY 22歳  作曲家募集のハッシュタグから応募してきた作曲家の1人 Tatsuya 25歳 琴羽と正式な音楽パートナーである作曲家 沙也加 人気のオラクルヒーラー 主に霊感霊視タロットを得意とする。ヒーラーネームはプリンセスさあや 舞花の高校時代からの友人 サファイア 音楽歴は10年以上のベテランの作曲家。ニューハーフ。 【あらすじ】 アマチュアの詩人 舞花 不思議な縁で音楽系YouTuberの世界に足を踏み入れる。 彼女は何人かの作曲家と知り合うことになるが、そのうちの一人が決して関わってはならない男だと後になって知ることになる…そう…彼はエナジーヴァンパイアだったのだ…

残響の家

takehiro_music
ミステリー
「見える」力を持つ大学生・水瀬悠斗は、消えない過去の影を抱えていた。ある日、友人たちと共に訪れた廃墟「忘れられた館」が、彼の運命を揺り動かす。 そこは、かつて一家全員が失踪したという、忌まわしい過去を持つ場所。館内に足を踏み入れた悠斗たちは、時を超えた残響に導かれ、隠された真実に近づいていく。 壁の染み、床の軋み、風の囁き… 館は、過去の記憶を語りかける。失踪した家族、秘密の儀式、そして、悠斗の能力に隠された秘密とは? 友人との絆、そして、内なる声に導かれ、悠斗は「忘れられた館」に隠された真実と対峙する。それは、過去を解き放ち、未来を切り開くための、魂の試練となる。 インクの染みのように心に刻まれた過去、そして、微かに聞こえる未来への希望。古びた館を舞台に、時を超えたミステリーが、今、幕を開ける。

転生したら55歳の中年オバさんでした

綾羽 ミカ
ファンタジー
目が覚めた瞬間、全身に感じる違和感。 いや、これは違和感というよりも、現実の重み……? 「ん?……腕が……太い?」

港までの道程

紫 李鳥
ミステリー
港町にある、〈玄三庵〉という蕎麦屋に、峰子という女が働いていた。峰子は、毎日同じ絣の着物を着ていたが、そのことを恥じるでもなく、いつも明るく客をもてなしていた。

伏線回収の夏

影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。某大学の芸術学部でクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。かつての同級生の不審死。消えた犯人。屋敷のアトリエにナイフで刻まれた無数のXの傷。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の六人は、大学時代にこの屋敷で共に芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。グループの中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。 《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》

警視庁鑑識員・竹山誠吉事件簿「凶器消失」

桜坂詠恋
ミステリー
警視庁、ベテラン鑑識員・竹山誠吉は休暇を取り、妻の須美子と小京都・金沢へ夫婦水入らずの旅行へと出かけていた。 茶屋街を散策し、ドラマでよく見る街並みを楽しんでいた時、竹山の目の前を数台のパトカーが。 もはや条件反射でパトカーを追った竹山は、うっかり事件に首を突っ込み、足先までずっぽりとはまってしまう。竹山を待っていた驚きの事件とは。 単体でも楽しめる、「不動の焔・番外ミステリー」

ハイパー・バラッド

ルム
ミステリー
 レーズンパンを一口食べて、自分が愛だと思っていた感情が恋だと気づいてしまった男が語る、少女との給食を舞台にした触れ合いから始まる出来事の独白です。  愛したくて守りたかった少女との、間違った恋のかたちを楽しんでいただけたら幸いです。

暴れん坊小町

クライングフリーマン
ミステリー
京大卒で「斎王さま」に選ばれるほど容姿端麗。「警視」の肩書きを持つ魅力ある女性警察官には、妙なあだ名があった。それは。「暴れん坊小町」。

処理中です...