若月骨董店若旦那の事件簿~水晶盤の宵~

七瀬京

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「若月さんは、あれを、ご覧になったのでしょう?」

 出し抜けに、京香が言った。あれ。もちろん『鬼の剥製』ことであろう。ほんの少しだけ逡巡していた春宵だったが、

「ええ。拝見いたしました」

「若月さんは、如何思われまして?」

 これも、答えに窮した春宵だったが、無難に、一言だけ呟いた。

「鬼、ですね」

 うすく。春宵は笑みを刻んでいた。京香も、うすく笑みを浮かべている。

「そう。あれは鬼ですわ」

「あの鬼の剥製が、こちらに来たのは、いつ頃ですか?」

「わたくしが、この家に嫁いで来る、丁度一年くらい前のことですわ。半年かもしれません。もしかしたら、三月前かも。……それが、如何なさいまして?」

「いえ。興味があります。……僕も、一応、のんびりはしていますけど、骨董屋の二代目なので。本職は、ピアノ弾きなんですけれどね」

 くすくす、と京香は笑った。芝居めいた所作だった。白い顔に、深紅の口紅だけが異様なほど、あでやかに映る。

「ほかに、なにか聞いておきたいことでもありまして? 骨董の二代目さん」

「ええ。あります。……あの、剥製は、どこから手に入れたんです? あれほどのものならば、それ相応の……神社やそこらに奉られていても、おかしくはない、と思います。たとえば、良くテレビジョンの俗悪な鑑定番組などでも、河童の木乃伊や人魚の木乃伊を御神体に祭る神社や仏閣が出て来たりしますが」

 くすくす、となおも京香は笑いつづけた。

「若月さんは、本当に、好奇心の旺盛な御方ね……。それならば、素敵な場所に、ご案内しますわ」と言って京香はチラリと、春宵の足元を見た。「その靴は、滑りやすいかしら?」と出し抜けに問う京香の言葉に、「いいえ、そんなに滑りもしませんが」と春宵は答えた。訝しく思いながら。

「いらせらせませ」

 京香は、春宵の手を取った。思わず春宵はその手を払いのける。ぞっとするほど、冷たい手だ。

「―――あ、失礼。……僕は、他人の体温が嫌いなもので」

「そう。……それはようございました」

 京香は、すたすたと、歩いていく。洋館と日本家屋を繋ぐ、回廊を抜け、その先に続く庭園の、さらに奥まですたすたと。それにしても、馬鹿に広い屋敷だ。

「こちらの離れですの。ここには……わたくしが時折、お茶やお花をするときに使います。そのためと……毎朝、下に行くために、使うんですのよ」言いながら京香は、紙燭に火を灯した。仄かな明かりが、春宵と京香を照らす。そして、京香は離れの奥に進んだ。行き止まりであったが、京香はそっと、船箪笥の傍らにある掛け物の裏に入っていった。「忍者屋敷のようですね」

「そうかしら? そうかもしれませんわね。橿原の家では、昔から、ここから、逃げ出すための秘密の通路として、この離れを護っていたと言うことも言い伝えられていますから」

「ここから、逃げ出す?」

「そう。橿原は……敵を作りやすいのですわ。海のものは、先祖代々、誇りを持って漁に出るものばかり。それを、電動の……網を巻き取る機械を導入したことによって、橿原はここらあたりの、海のものにはかなわないほどの、漁獲高を誇るようになりました。……このあたりは、古い家が多いでしょう? 橿原は、憎まれて当然です。やくざまがいの事までしていると、言いますから」

 ははは、と春宵は笑った。しっとりとした、潮の空気が鼻を突く。海の匂い。濃密な、腐臭。それを純粋な水で何百倍にも引き伸ばしたら、こんなふうな匂いになるかもしれない。海。海が近づいている。

「海、近づいているようですね」

 と、春宵は呟いた、妙に声が反響している。春宵は、なかなか良い音響だ。自然の作り出した造形だろう。多分、高台の上に建つ橿原の屋敷から、海の……浜辺のほうへ、降りているのだろう。ちょっとした洞穴のような部分を、降りているのだ。

「……もうすぐ、そこにつきますわ」

 引いては寄せる波の音が、洞穴の中を響かせる。

「若月さん、もう、階段が終わりますわ。お気をつけて」との京香の忠告通り、程なく階段が終わり、最下層にたどり着いた。潮が満ちてきている。恐らくは、地元の漁師でも、こんな場所は知らないに違いない。人の出入りがあるところではなかった。上からでは見えないだろうし、入り口らしい入り口が見当たらない。満ち潮で、入り口が隠れているのかもしれない。

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