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しおりを挟む神殿に戻るやスティラに怒鳴られ、酷く怒られた。が、これは私だけではなくシンも一緒だったので、少し笑ってしまう。
「あなた方は! 私どもの苦労も知らず……どれだけ心配したかっ!!!!」
このまま心労で倒れたり、若はげで悩まされるようになればお二人を恨みますからね、などとネチネチと攻撃されるのには閉口したが、私は、この雰囲気が、嫌ではなかった。
「テシィラ国が宣戦布告したと聞いてので戻って参りました」
「今少しお早くお戻りくださればようございました。テシィラ国の国王に会う前に、私になにか言ってくだされば、もっとよろしゅうございました」
「ともかく、あの国王は、ラドゥルガの出身だそうです。そして、恋仲だった神官を殺されたのを恨みに思っているとか」
その神官が、私に似ていた―――というのは伏せておくことにする。いろいろと、面倒なことになりそうだからだ。
「あの男は、聖遺物を使うつもりだぞ」
シンが、確信めいた声で言う。
「そうなのでしょうね。ならば、それを使わせないようにするまでです」
聖遺物を使い、この神殿の神官たちの命を使って、この地を灰燼に帰す。そうしたとき、あの男の復讐は成るのだろうが、その、無意味な行動の為に、私の神官たちの命など、使わせるつもりはなかった。
「どう、するつもりだ、大神官」
レリュが口を挟んでくる。
「……先ほど、私は、少々引っかかる記載を見つけたのです。ですので、この件については、シンにお伺いしましょう。シン―――あなたは、六百年前の異世界の民、クロノの手記をすべて翻訳しましたね?」
「えっ? あ……はい、しましたけれども?」
「では、問います。ソレル殿というクロノの恋人は、すべての魔力と引き換えに、神託を得たと書き記していました。あなたも、すべての魔力と引き換えに、何かを行いましたね?」
シンの目が、見開かれる。すべての魔力を失い、この世界で不便な生活をしてでも、シンが、得たかったことがある。
「……それは、言うことは出来ないんだ。それも『契約』だから。でも、その為に、苦労はしたけど…… 後悔はしていない」
「では、子細は伺いませんが……。あなたは、その方法を知っていますね?」
「方法……?」
「ええ。あなたも、神と契約をしたのであれば、その方法を私に教えなさい。私は、それで、すべての聖遺物を無効にする。この世から、すべて消し去ります」
言い切った私の顔を見て、シンの顔色が一気に青ざめていく。
「な、なんで……駄目だよ、そんなことは」
「なぜです。私は、そもそも聖遺物などなければ、……あの、神の悪意に満ちた聖遺物などなければ、テシィラ国の国王のような不幸は起こらなかったはずだし、あなたのように、不意打ちで異世界の民を呼び寄せるようなことなかったはずです。今回、聖遺物が使われれば、また、霊峰に変事が起きるでしょう。そして、また、異世界の民が召喚される。同じことが繰り返されるのですよ」
シンは、頭を横に振った。
「俺の時は……、もう、どうしようも無い状態だった。だから、その方法は、偶然だったと思う……。だけど、ソレル殿が生きて、クロノを元の世界に戻したのだったら……」
「方法はあるはずです」
「……だとしたら、血です」
「血?」
「子細は省きます。ただ、その時、俺は、瀕死というくらい、血を流しました……そして、誰でも良いから、何でも良いから、助けてくれと、祈りました。そうしたら、あの『神』というのと、会話が出来ました。そこで交渉したんです。すべての、力を使い果たしても、俺は、ルセルジュを守りたかった。その為だったら、何でもする」
私に。シンが命をかけてまで尽くす価値はあるのだろうか。
「私の為に、命を掛けるなど、言わないでください」
「それを言うなら、あんただって、軽々しく、命とか、体とかを掛けてるだろう」
私とシンの視線がかち合う。しばらくにらみ合っていたけれど、間にスティラが入って「おふたりとも軽率が過ぎますので、今後は、つと、自重いただきたい。一体、私たちが、どれほど心配したことか」と文句を言ってきたので、一旦、ひっこめることにした。
「私が、命をかける云々というお話はともかく……全魔力を掛けて、願いが叶うのでしたらそれが手っ取り早いでしょう」
「けれど、大神官様……」
スティラが渋い顔になった。
「魔力を持たない私は、大神官ではいられませんので、もちろん、その折は、職を退きますよ。そののちは、あなたが神殿を守りなさい。スティラ」
「嫌です。そのようなことをさせるのでしたら、私の魔力を持って行っていただきます。私では、不足だというならば、他に、希望者を募りますが、あなたが、魔力を失うというのは、私には、耐え難いことなのです」
スティラが床にへたりこんで、私の足元に崩れる。私は、そのスティラの傍らにしゃがんだ。
「私は、なぜ、この時期に、大神官に選ばれたか、わからなかったのですが……今、私が、大神官でなければならない理由が、わかったような気がします。私以外、こんな無茶なことを考える人はいないでしょう。だから、私がやるべきなのです」
「御身を犠牲にせずとも」
スティラが、涙目で私を見る。片眼鏡の怜悧さは、失われて、子供のような表情だった。すがりつくような。
「犠牲、ではないでしょう。私は、死ぬつもりはありませんし」
「本当ですか?」
「ええ。私が持っているものなど、そう多くありません。ですから、魔力を差し出してしまっても、私はかまわないのです」
「……私は、あなた以外の方に、お仕えしたくありませんが」
小さくつぶやくスティラの声を聞いて、思わず笑ってしまう。私を、慕ってくれているのは有難いが、そろそろ大神官とは、やがて、魔力がつきて、神殿を去るものなのだ。私の代だけが、異常だっただけで。そして、もう、次代の大神官は、神殿の奥深いところで修行の日々を過ごしているはずだった。幼いころの私のように。だが、私その幼い子供は、解放してやりたかった。神殿の犠牲になるような存在は、もう、居なくて良い。
「いずれ、私は、ここを去りますから。どうせならば、役に立ってから去った方が良いでしょう」
かすれた声で「いやです」と小さく聞こえてきた。確かに……いつまでもここにいて、ここで、穏やかな日々を過ごすことが出来れば良かっただろう。ここで、大神官として過ごした五年。いや、シンがここに来てから、ここで過ごした時間は、様々なことがあったが、それでも、これまでの人生で一番幸せな時間だった。
「神殿を去って、どうなさいますか」
「さあ。代々の大神官も、そうしてきたのでしょう? ならば、私も、そうするだけです」
代々の大神官たちは、どこでどうやって、余生を過ごしてきたのだろう。
大神官は、次代の大神官が選出されたときに、次の大神官になる赤子が連れられる。私の先代は二十五年以上も、この神殿で大神官をやった方はずで、もはや壮年であられたと思う。それを思えば、まだ、二十代で神殿を出て暮らし始めることができる私は、恵まれている。
「それに、俺もいるし」
シンは、私と一緒に神殿を出てくれるらしい。もちろん、私も、シンを手放すつもりは毛頭なかったので、シンの意思を確認する手間が省けたのはよかった。
「私も、シン様と大神官様にお供したいです」
スティラの泣き言をきいて、私は思わず笑ってしまった。
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