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しおりを挟む内通者。
いやな響きだ。しかし、事実だけ見れば、その言葉がふさわしいのだろう。
「シン様の、正式なお名前を知るものは限られます。まずは、その人物を洗い出しましょう」
自分の組織の中を、洗い出す、という言葉の響きに、胸が悪くなる。しかし、現実問題として、誰かが、情報を漏らさなければ、あの男がシンの名前を知るはずがない。
「あとは、あちらへ行かずに済む方法を考えましょうか」
「そう……ですね」と答えつつ、気分は晴れない。先ほどまでの幸福感が、一瞬で暗雲に覆い隠されてしまったようだ。
「逆に、こっちに来てもらえばいいんじゃないですか?」
私の鬱々とした気分を打ち払うように、シンが、こともなくいう。
「万が一のことになれば、ここが火の海になりますよ? 三十年前も、大変だったと老人から聞いたことがあります。そうなれば、大神官様の御身を守ることは難しいでしょう。もちろん、シン様も……」
スティラは渋る。そこで口を開いたのはシンだった。
「けれど、向こうに行くのは、おそらく危険だとおもいますよ。わざわざ、敵中に出向いてやる必要もないかと。異世界の民が本当は四人だったから、そのうちの一人のお披露目と、亡くなった三人の弔いを兼ねて神殿主催でやるとかは出来ないんですか?」
「三人の弔いに関しては、あちらの、発案ですが」
スティラが渋い声を出す。私も、シンの言葉には少し、驚く。
「企画乗っ取りって、結構、サラリーマンではありましたよ。あちらには、三人を庇護してもらったので……とかで参加してもらえばいいじゃないですか。あとは、世界中に、速報出したり」
あっけらかんと、シンはいう。世界を巻き込んで、あの男を牽制しろということだ。シンの意図を悟ったらしく、スティラの片眼鏡が、キラリと輝く。
「その辺の交渉はお任せください。シン様のご提案通り、この方法が、一番手っ取り早い気がします。あの男も、他国の目があるところで、なにか出来るとは思えませんし、名案かと存じます。それにしても、シン様は、恐ろしい世界でお暮しだったのですね」
シンは、スティラの言葉を聞いて、照れたように「いや」と笑う。他人を出し抜いてまで仕事をする、というのは、シンの世界で良くある話だったのだろう。
「それでも、俺の国は、命を取られるようなことは、ほとんどなかったよ……たまに、過労で死ぬ人とかはいたけど」
「過労で?」
「そうそう、朝から朝まで働き続けて、それである日突然、死ぬっていうことがあってね。だから、お二人とも無理は厳禁。まずは、寝て、ちゃんと休まないと、何もできない。それに頭も働かなくなるから」
シンの言葉には、妙な重みがある。私と、スティラは「わかりました」と答える。声が重なったので、思わず笑ってしまった。
スティラは、すぐさま自分の配下のものたちを集め、すぐさま、式典の準備にとりかかった。あの国王には、なんと『異世界の民の弔いは、私たちも考えていたことだったので驚きました』と返答するつもりだという。これも、シンからの入れ知恵らしく、スティラは『大神官様をお守りするのであれば、このようにしたたかなものでなければなりません』と、シンを大いに気にいってくれたのは、思わぬ結果だろうか。
ともあれ、シンの身辺はにわかに騒がしくなった。式典の為に、あちこちに呼ばれて、忙しそうに立ち働いている。私と、夕食を共にすることが出来ない日も、たまにあって、それが、私には不満だが、シンが動いているのは私の為なのだと、言い聞かせている。
一人で、夕食を取るのはいつものことだったはずなのに、シンと一緒に夕食を取るようになってから、私は、あの時間を心から大切にしていたので、いま、一人で食べる食事は、なんとも味気ない。
いつの間にか、私は贅沢に慣れていたのだ。シンがいることを、当たり前のことだと思っているし、側にいてくれることも、当たり前のことだと思っている。傲慢なこと、この上ない。それでも、毎日、機会を見つけてはわたしのところを訪ねてくれるのだから、それで我慢をしなければならない。
私は、私の出来ることに集中する。その為、三十年前の大神官が残した手記を、探し出して、読み始めた。当初、あの男は、それほど戦に乗り気でなかったような口ぶりで掛かれていた。けれど、ある交渉の時から、人が変わったように、苛烈になったということだった。しかし、肝心の、その交渉の前後は、この手記の書き手の意思か……頁が、乱雑に破り取られていた。ほんの少し、残った紙には地名が見える。
『ラドゥルガ』
それはテシィラと神殿の境界に位置する、小さな村の名前だったと記憶している。そこに、何か秘密があるような気がして、私は、図書館の司書にここ数十年の神殿の記録を出してもらうことにした。
「猊下、ラドゥルガという村は、今はございません。現在の地図では失われています」
司書が地図を広げて指さす。今は、森になっているようだった。今は、無い。けれど私はこの土地の名前を聞いたことがある。だから、地名だと理解できた。なぜだろうと思ったが、司書はすぐに答えをくれた。
「三十年前に、滅びました」
「では、戦で?」
「そう、ですね。戦で、なくなったようです」
司書の言い方が、言い聞かせるような響きを持っていたので、少し、引っ掛かる。
「なにかご存じのことがあるのですか?」
「前の司書長から聞いた話ですが」と前置きをして司書は続ける。「この土地は、神殿が、焼き払ったと、聞きました。村人もろとも、と聞いています」
村人もろとも! しかも、我々が焼き払ったというのか。私は、かつて、だれから、この村の名前を聞いたのか。
「なぜ?」
声が、かすれた。
「わかりません。ただ……それが元で、テシィラの態度は激変した、ということは歴史が証明しています。なにかがあったとして、ここは焼けてしまったので、なにも、残っていないのです」
目撃者、当事者、なにか、手掛かりはないだろうか。私の前で、司書は静かに首を横に振った。なにも、証拠になるようなものは残っていない。残っていないということだ。神殿には、それを実行したものがいるはずだと思ったが、それも、消されているのだろう。なぜ、そんなおぞましいことが起きたのか。当時の大神官は、一体、なにをしていたのか。手が、緊張で、汗ばんでいる。念のため、私は、五十年前の地図を出してもらうことにした。やはり、そこには、ラドゥルガの地名が残っている。そこに、小さな印があるのに気が付いた。金泥で描かれた、小さな丸い点。それは通常、聖遺物があることを示すものだった。つまり、ここには、聖遺物があったということだろう。神殿にも、なじみ深い場所であるはずだった。
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