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しおりを挟むマーレヤには「お早いお戻りでしたが、シン様とお過ごしにならずによろしいのですか」などとからかわれ、スティラには「のちほど執務室の方に参ります」とつめたく宣告され、私は、面目ない気持ちでいたが、溜まっていた分の仕事は片付けなければならない。スティラが来るのは夕刻ということだったので、それまでの間、執務に集中することにした。
ふとした瞬間に、シンの、熱い肌や、なまめかしいささやきを思い出すが、できるだけ、表に出さないようにしていたつもりでも、マーレヤには、解っているかも知れない。そして、回廊を行くとき、すれ違う神官たちが、皆、私の方を意味ありげな目で見てくるのには、閉口した。噂を、真実にしてしまったのは、軽率だったのか……と思いつつ、私と、シンだけの話であれば、私達には、昨夜が必要だった。
「皆、心配していたんですよ」
マーレヤが、独り言のように呟く。
「心配……? ああ、済みませんでしたね。今朝の件は……まさか、私も、早朝の勤めの時間を過ごすとは思っていなかったのです」
「いいえ、そうじゃなくて」とマーレヤは言ってから、私ににこり、と微笑む。「みんな、大神官様が、シン様に恋しているのは知っていましたから、だから、大神官様の恋が成就したのが、嬉しいんです」
「えっ……、な、なんですって……?」
聞き違いであって欲しい。私の背中に、冷たい汗が伝う。なに、を言っているのか。
「大神官様は、すごく、わかりやすくシン様のことばかり気にしておいででしたので、それならば、大神官様がシン様と恋仲になって、幸せになれば良いのに……と、皆、そう思っていましたが」
こともなげに、マーレヤは言う。私は、穴があったら入りたい気分だった。私は、自分が、シンへ、恋心を抱いているのに気がついたのも最近のことだった。シンと言い、マーレヤたちと言い、なぜか、私以上に私のことを知っているのか。
「いつから……」
「シン様と、一緒に夕食をお取りになったり、一緒に本の話をしたり、お酒を召し上がっていたり……と言うのを始められたあたりでは、もう、大神官様はシン様のことを特別にお好きなのだと、皆思っていたと思います」
「そ、そうですか……」
「最初、副神官長様が、大神官様の恋の成就を祝って祝宴でも盛大に開催しようとしていたのを、皆でお止めしたんですよ」
片眼鏡の、怜悧な印象のスティラが、そんなことをするとは思えないが、何故か、シンとマーレヤの語るスティラの人物像は、異様に一致している。私が知らないだけで、スティラは、こういう人物なのだろうか。
「祝宴を止めて貰えて助かりました」
「本当は、私達も、祝宴はやりたかったんですよ! お祝いしたい気持ちもありますし……中々、神殿にいると、豪華な食事などは食べることが出来ないものですので……」
そんなことを言われてしまうと、私も、祝宴を開くように言いたくなるが、ぐっと堪えた。確かに、神殿では、一年の恵みを感謝する祭りと、春の種まきの祭りの二回だけしか、神官たちがごちそうにありつくことはない。食べ物を禁止されているわけではないが、平素の食事は、慎ましいものである。私のような高位の神官は、他の者より良い食事が出されているのだろうが、下級の神官たちは、そうではないだろう。
「……なにか、配慮しましょう」
「えっ?」
「……私の私財から、何かを振る舞うという形で、機会を考えましょう。勿論、私がに恋人が出来た記念などではありませんが!」
「それならそれで皆ありがたく、ごちそうを頂戴すると思います」
それは、私が、御免蒙りたい。恋人が出来たという理由で、私財で酒食を用意したら、浮かれているとしか思えないではないか。
「このあたりは、スティラに相談しますが、……何か期待をしたものがいるようならば……、少しでも報いましょう。私は、本日の朝の勤めを放り出してしまったわけですから、その、代償として酒食を振る舞う……というのであれば、良いでしょう」
「きっと、もっと、シン様と親密な夜を過ごして下さるよう、神官たちから、嘆願が参りますよ」
マーレヤに、からかわれているとは解っていたが、顔が熱くなるのは、止められなかった。
「からかわないで下さい」
「申し訳ありません。ただ、以前の大神官様でしたら、絶対に考えられないような、柔らかな表情をしていらっしゃいますし、今は、本当に、輝くように美しいです。きっと、恋をされているからでしょうね」
そういえば、あの男―――テシィラ国の国王も、今の私を美しい、と言ったのを思い出した。あの男は、一体、何を考えているのか。スティラには、そのことを確認しなければならない。
シンのことを考えて、甘く浮き足立っていた気持ちが、一気に、現実に引き戻される。つめたくて、血なまぐさい、そして、鋼鉄のようにつめたく、重い。異世界の民の弔いなどと、厚顔無恥なことを言って私とシンを誘い出そうとする男の、真意が解らない。ただ、近い将来、対峙する必要がある、と言うことだけは、私も理解している。
これが、私の現実なのだ。
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