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しおりを挟む自分の感情を、私は持て余している。
私が、スマホの画面を見て、泣いたあの日を境に、シンは、空を見上げなくなった。そして、そのスマホは、私の手の中にある。
『俺は、もう満足したから、あんたに上げるよ。自分のお墓まで見られたから、未練は無いんだ。あんたは、もうちょっと、向こうの世界のこととか知りたかったら、見てみたら良いと思う』
時折、異世界の写真を、私は眺める。高度に発達した文明。清潔な街並み。戦を捨て、生きること自体を楽しむ明るい生活。世界中の人々とつながり、その人たちに会いに行くことが出来るという環境……手の中のスマホがなければ、信じがたいような世界だった。
シンは、私を、まだ『あんた』と気楽に呼ぶが、『大神官様』とは呼ばなくなった。『ルセルジュ』と名を呼んでくれるようになった。シンが、私の名を呼ぶたび、私の胸は、不思議な感動で満たされる。
六百年前の異世界人について、シンはすこしだけ、調べたらしい。元号が気になったと言っていた。調べたところ六百年前の異世界人『クロノ』の剣に書かれていたのは『和勝』という元号だった。我々の世界では、年月を示す数字は大陸で統一されている。神殿が大陸の守護として定められた年を起点の一年としているので、そこからずっと加算されているだけだ。現在は千二十五年。シンが調べたところ、『和勝』というのは公に作られた元号ではなく、一部の土地で使われたものであったらしい。そして、それは、西暦という暦法で、千百九十年のことであるという。シンがこちらへ来たのが二千二十二年ということだったから、八百年も離れている。やはり、あちらとこちらでは、時間の進み方が違うようだが、その進み方は均一ではないようだった。
八百年前のシンの国は、貴族たちの統治から騎士たちの統治へ、急速に変化していく時代であったらしい。クロノという騎士の名前を、シンは発見できなかったというが、不慮の事故や戦で死ぬ『名もなき』ものとして片付けられる存在であったのだろうと、シンはいう。
そして、シンは、六百年前の記録を、翻訳しなくなった。その代わり、別の書物を翻訳してくれるのは助かるが、少し、気がかりではあった。あるいは、もはや、戻る方法はないと悟って、読むことをやめたか。シンの真意を怖くて聞くことは出来なかったが、私は、少しずつ、解読を試みるようになった。シンが訳してくれたものと、六百年前の記録を比較していけば、多少、単語や文法を把握することが出来る。似た系統の言語についての知識があったことも、良かったのだろう。
空を見上げなくなったシンは、その代わり、私のところへ顔を出すようになった。私が根を詰めて仕事をしていると、ふいに現れて、少し休憩でも、と言って、話をして去っていく。私にとっては、うれしい時間となったが、なぜ、そうしてくれるのか、よくわからない。ただ、私を気づかっているというのだけは、わかった。
あの時、彼女を慈しむ視線を見て、涙があふれて止まらなくなった私の、理由を、シンはきっと気づいているだろう。それで、気を使ってくれているのだ。私の、幼い嫉妬や、自覚したばかりの恋情にも。
私の、懊悩はともかく、厄介な書簡が国王から届いた。必ず、私が開封するようにという念を押した親書で、その上、正式な使いを立ててきたのだった。書簡を手に取ると、あの男が全身に纏っている香が、鼻を刺激した。
親書の内容は、こうだった。
『不慮の事故の為に亡くなった異世界からの客人について、正式に弔いたいので大神官にその儀式を執り行ってほしい。是非、もう一人の異世界からの客人であるシンタロウにも列席を賜りたい』
私は、今まで、ほとんどこの神殿を出たことはない。それは、大陸中のものが知るだろう。だが、国王は、私に出てこいという。弔いというのは、断りにくい内容であった。特に、異世界からの客人は神殿が召喚する。なのに、不慮の事故で三人もの異世界の民を失わせたというのは、神殿の落ち度だ。たとえ、間にあの男の妨害が入っていたとしても、神殿に非があると思うのが世間だ。そして。
私は内容が内容だったため、シンを自室に呼び出して、説明をした。
「シンタロ、と書かれています。あなたの存在は、ある程度把握されていると思います」
私は、書簡をシンに見せる。あの男は、シンがいかなる経緯をたどり、今、ここで庇護されているのか、知っているということだ。内通者……がいるのだろう。
「行かないとならないのか?」
「あの男が、大々的に、弔いの為の儀式などを行えば……そこに、私がいなければ、神殿の名は地に落ちるでしょうね」
「けど、また……」
シンの心配はわかった。私が、また、シンの為に、身を差し出すようなことをしないか、心配しているのだろう。そう思えば、シンと私と、二人揃ってあの男のところへ行くのは、得策ではないような気がする。かといって、ここへシンを残したとして、攻め入れられれば、状況はもっと悪くなりそうだった。シンを人質に取られた場合。私は何をしてでも、彼を取り戻すための行動をとるだろう。
「あの男の目的がわからない以上、近寄りたくはないのですが」
「信頼できる人に、相談したらどうかな」
「現時点で、私は、あなた以外に信頼できる人がいないのです。なぜなら、あなたの名前を知っているわけですし。あなたの素性も知っています。ならば、ここにあの男と内通しているものがいると、判断できますよ」
そして割と、私に近い存在だろう。裏切りに遭うのは、痛くもないが、シンを巻き込むことは許しがたい。内通者がいるならば、私は、その人物を何としてでも突き止めなければならなかった。
「ちょっとまてって。俺の素性っていうなら、働いてた店は知ってるだろうし」
店。私は、出来るだけ避けていた言葉に直面した。胸の鼓動がが早くなる。息苦しい。
「それに、俺が異世界の人間だって気づいた神官がいるだろ。そいつは?」
彼を、買った、神官。気が遠くなるような嫌な気分を味わう。だが、今は、そんなことを、悠長に気にしている場合ではない。事実として、ここに、シンを連れてきたものがいる。その者は、今、どうしているのか、私は気にしたこともなかった。
「名前や、顔はわかりますか?」
「名前は、わからない。顔は、うろ覚えだ。……ここに入るときに、いろいろと調査された。だから、記録は残ってるんじゃないか?」
「調査。……それは、誰が?」
「ああ、副神官長だよ。かなり、根掘り葉掘り聞かれた」
その根掘り葉掘りの記録が残っているというのならば、見なければならない。私は、そう思いつつ、シンの顔を見る。書簡をうけとってから、ずっと動揺していた私に比べて、シンは、平然としていた。そう、装っているのかもしれないが……。
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