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ふんわりしたものに包まれているような心地だった。かすかに揺れている。波の上にいるような感じでもあった。重力がゆっくりと上下している。そして、暖かかった。なにやら騒がしい気もしたが、私とはまるで遠い世界で起きていることのようでもあって、現実感に乏しい。私は、ただ、妙な心地よさだけを味わっていた。そう、心地よい。無条件に、すべてを委ねていることが出来るような、不思議な心地よさだった。ふわふわとした感じだ。不意に、私は目を開けて、目の前に、人の顔があるのに気がついて、思わずのけぞろうとした。
「わっ!」
彼、の声がした。良く見れば、間近にある顔は、彼の顔だ。一体、どういうことなのか、私は状況を掴もうと試みるがうまく頭が働かない。
「よかった、きがついたか」
彼は、安堵して私をじっとみつめていた。私はその瞬間、姫君のように抱きかかえられて居ることを知った。顔が、熱くなった。火の玉でも飲み込んだのではないかとおもうほど、顔が熱い。
「お、下ろしてくださ……」
私は彼に下ろすように願ったが、彼は私の要求を聞き入れなかった。
「ご自分が、どういう状況だったか、把握してますか?」
彼の声は、固かった。怒っているように見える。ことさら丁寧な口調だった。私は「いいえ」とだけ返事して、彼の様子を探る。
「急に、倒れたんですよ。マーレヤに聞いたら、昨日もおとといも、一昨昨日も、殆ど寝てないっていうはなしですよ、あんた」
マーレヤ。誰だろう、という顔を多分私はしていたのだと思う。彼は、呆れた顔をしてから、「毎日あんたの側に付き従って、あんたの為に身を粉にして働いてる側近の名前くらい、ちゃんと覚えてたらどうなんですか。あんたは、それで用が事足りるのかも知れないけど、機械じゃないんだから」と苛立ったように言う。
事足りれば良いのではないか?
彼が憤る理由は、よく解らない。我々は、それぞれを役割として認識していて、その職責をつつがなく果たしていく。それで良いだろう。彼は、急に立ち止まった。
「あのさ。あんた、俺のことも、一度も名前で呼んだことはないよ」
一度はある。彼の名前の、音を確かめるために呼んだ。いや、口に出して、みただけだ。たしかに、彼の言うとおり、彼を呼んだわけではない。
「なぜ、名前を呼ぶ必要が?」
「この世界の文化でも、普通は、知り合いを名前で呼ぶだろう。あんたが、俺や、マーレヤを親しく思っていないっていうのだけは、しっかり伝わったけどな!」
彼は、足早に歩き出す。振り落とされそうになって、思わず彼にしがみつく。彼は、第一印象通り、貧相な体つきをしているが、思ったほど、痩せているわけではないようだった。筋肉はしっかりついている。それに私を抱き上げたままでびくともせずに歩いているのだから、力も強いのだろう。彼に抱かれて運ばれているのは、酷く恥ずかしい。だが、下ろせと行っても、彼は、そうしない。このまま、部屋まで戻る間に、何人にこれを目撃されるだろうか。
「……あなたの、名誉に関わる」
私は小さく呟く。聞こえないかと思ったが、しっかり聞こえていたようだった。
「俺が、あんたと、関係してるって?」
彼の口調は、まだ、怒っているようだった。
「そういう類いの」
「あんたは、俺が何に怒っているか、解ってないだろ?」
「それは、私が体調の管理をしていないからでは?」
しかしそれは私の問題で、彼の問題ではない。なぜ、彼が怒るのか、やはり私にはよく解らないことだった。
部屋まで運ばれ、そのまま、寝台に横たえられ、彼はすぐに私から離れた。
「待って下さい!」
私はとっさに呼び止めていたが、何を言いたいのか、よく解らない。こういうことは、初めてのことだった。彼は、冷えた眼差しで私を見ている。夕食のあと、本の内容を語っていた……あの、キラキラした明るい眼差しは、彼のどこにも存在しなかった。
「……まずは、ここまで運んで下さったことへのお礼を」
「それは別に良い」
「……では、教えて欲しい」
私は、懇願するような気持ちだった。「なぜ、あなたは、私が侮辱されていることに、憤っていたのか……」
理由がわからなかった。だから、知りたかった。彼が、苛立っている理由も知りたかった。私には、解らないことばかりだった。彼は、しばらく私を見ていた。凍てついた冬の夜空。或いは、漆黒の暗闇。彼の眼差しは酷く冷たくて、私は、それに晒されているのが、辛くなってくる。指先が、少し、震えていたのは何故だろう。私にさえ解らない、心の動きに私は戸惑う。けれど、彼は、私の戸惑いの答えを、多分―――知っているような気がした。
「あんたさ」
彼は、ぞんざいな口調で言って、あたまをガシガシと掻いた。粗野な態度だった。そして、私から、視線を外してから告げる。
「あんた、もうちょっと、ちゃんと、自分を大事にしたら? 俺は、答えるのは簡単だけど、あんたは、きっと理解しない」
「理解出来るように、順序立てて教えて下されば良いのに」
彼は、なぜ、そんな意地悪なことを言うのか。そして、自分を大事にするという言葉についても、理解しがたかった。私は、自分を、ぞんざいに扱ったことはないはずだった。彼と会話をしていると、沢山の『なぜ』という疑問が湧き上がる。それは、彼が異世界から来た人物だからだろうか。解らないことばかりが、胸の中を渦巻いて、私は、落ち着かない。
「……まあ、まずは、寝ろ。あと、マーレヤが心配してるから。ちょっとくらいねぎらってやったら? あんたはそれを『当然』とおもうけど、世の中、あんたが思ってるほど『当然』のことなんかないんだよ」
彼は、私に手を伸ばした。とっさに、身を固くしてしまった私に、彼は微苦笑する。「殴らないって」私が、良く知る、彼の表情に、心から安堵した。彼の手が、私の頭を撫でる。大きな手だった。
「……淡い金色……っていうのかな。俺と正反対の髪色だ。朝日の端っこの方の色に似てる。でもな、朝日だって、当たり前にあるわけじゃないんだよ」
彼は、そう笑ってから「とりあえず、あんたは寝ろ」と私に命じて、去って行く。私は、彼の言葉を反芻しながら、それより、頭に期せずして訪れた、優しくて温かい感触を思い出しながら、眠りについた。
「わっ!」
彼、の声がした。良く見れば、間近にある顔は、彼の顔だ。一体、どういうことなのか、私は状況を掴もうと試みるがうまく頭が働かない。
「よかった、きがついたか」
彼は、安堵して私をじっとみつめていた。私はその瞬間、姫君のように抱きかかえられて居ることを知った。顔が、熱くなった。火の玉でも飲み込んだのではないかとおもうほど、顔が熱い。
「お、下ろしてくださ……」
私は彼に下ろすように願ったが、彼は私の要求を聞き入れなかった。
「ご自分が、どういう状況だったか、把握してますか?」
彼の声は、固かった。怒っているように見える。ことさら丁寧な口調だった。私は「いいえ」とだけ返事して、彼の様子を探る。
「急に、倒れたんですよ。マーレヤに聞いたら、昨日もおとといも、一昨昨日も、殆ど寝てないっていうはなしですよ、あんた」
マーレヤ。誰だろう、という顔を多分私はしていたのだと思う。彼は、呆れた顔をしてから、「毎日あんたの側に付き従って、あんたの為に身を粉にして働いてる側近の名前くらい、ちゃんと覚えてたらどうなんですか。あんたは、それで用が事足りるのかも知れないけど、機械じゃないんだから」と苛立ったように言う。
事足りれば良いのではないか?
彼が憤る理由は、よく解らない。我々は、それぞれを役割として認識していて、その職責をつつがなく果たしていく。それで良いだろう。彼は、急に立ち止まった。
「あのさ。あんた、俺のことも、一度も名前で呼んだことはないよ」
一度はある。彼の名前の、音を確かめるために呼んだ。いや、口に出して、みただけだ。たしかに、彼の言うとおり、彼を呼んだわけではない。
「なぜ、名前を呼ぶ必要が?」
「この世界の文化でも、普通は、知り合いを名前で呼ぶだろう。あんたが、俺や、マーレヤを親しく思っていないっていうのだけは、しっかり伝わったけどな!」
彼は、足早に歩き出す。振り落とされそうになって、思わず彼にしがみつく。彼は、第一印象通り、貧相な体つきをしているが、思ったほど、痩せているわけではないようだった。筋肉はしっかりついている。それに私を抱き上げたままでびくともせずに歩いているのだから、力も強いのだろう。彼に抱かれて運ばれているのは、酷く恥ずかしい。だが、下ろせと行っても、彼は、そうしない。このまま、部屋まで戻る間に、何人にこれを目撃されるだろうか。
「……あなたの、名誉に関わる」
私は小さく呟く。聞こえないかと思ったが、しっかり聞こえていたようだった。
「俺が、あんたと、関係してるって?」
彼の口調は、まだ、怒っているようだった。
「そういう類いの」
「あんたは、俺が何に怒っているか、解ってないだろ?」
「それは、私が体調の管理をしていないからでは?」
しかしそれは私の問題で、彼の問題ではない。なぜ、彼が怒るのか、やはり私にはよく解らないことだった。
部屋まで運ばれ、そのまま、寝台に横たえられ、彼はすぐに私から離れた。
「待って下さい!」
私はとっさに呼び止めていたが、何を言いたいのか、よく解らない。こういうことは、初めてのことだった。彼は、冷えた眼差しで私を見ている。夕食のあと、本の内容を語っていた……あの、キラキラした明るい眼差しは、彼のどこにも存在しなかった。
「……まずは、ここまで運んで下さったことへのお礼を」
「それは別に良い」
「……では、教えて欲しい」
私は、懇願するような気持ちだった。「なぜ、あなたは、私が侮辱されていることに、憤っていたのか……」
理由がわからなかった。だから、知りたかった。彼が、苛立っている理由も知りたかった。私には、解らないことばかりだった。彼は、しばらく私を見ていた。凍てついた冬の夜空。或いは、漆黒の暗闇。彼の眼差しは酷く冷たくて、私は、それに晒されているのが、辛くなってくる。指先が、少し、震えていたのは何故だろう。私にさえ解らない、心の動きに私は戸惑う。けれど、彼は、私の戸惑いの答えを、多分―――知っているような気がした。
「あんたさ」
彼は、ぞんざいな口調で言って、あたまをガシガシと掻いた。粗野な態度だった。そして、私から、視線を外してから告げる。
「あんた、もうちょっと、ちゃんと、自分を大事にしたら? 俺は、答えるのは簡単だけど、あんたは、きっと理解しない」
「理解出来るように、順序立てて教えて下されば良いのに」
彼は、なぜ、そんな意地悪なことを言うのか。そして、自分を大事にするという言葉についても、理解しがたかった。私は、自分を、ぞんざいに扱ったことはないはずだった。彼と会話をしていると、沢山の『なぜ』という疑問が湧き上がる。それは、彼が異世界から来た人物だからだろうか。解らないことばかりが、胸の中を渦巻いて、私は、落ち着かない。
「……まあ、まずは、寝ろ。あと、マーレヤが心配してるから。ちょっとくらいねぎらってやったら? あんたはそれを『当然』とおもうけど、世の中、あんたが思ってるほど『当然』のことなんかないんだよ」
彼は、私に手を伸ばした。とっさに、身を固くしてしまった私に、彼は微苦笑する。「殴らないって」私が、良く知る、彼の表情に、心から安堵した。彼の手が、私の頭を撫でる。大きな手だった。
「……淡い金色……っていうのかな。俺と正反対の髪色だ。朝日の端っこの方の色に似てる。でもな、朝日だって、当たり前にあるわけじゃないんだよ」
彼は、そう笑ってから「とりあえず、あんたは寝ろ」と私に命じて、去って行く。私は、彼の言葉を反芻しながら、それより、頭に期せずして訪れた、優しくて温かい感触を思い出しながら、眠りについた。
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