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 あれから、夕食に関しては一緒に取ることにするということで、私と彼の間で合意に達した。彼はそれほど心配する必要はないといったが、私のほうは、そうは思わない。それで、一日に起きたことを「報告」してもらうということになったのだった。彼は、

「面倒ではないですか?」と私を慮って言った。正直なところ、面倒ではあったが、また、あのような侮辱的なことをされるよりはいくらか良い。私も腹が立たなくて済むならばその方が良いに決まっている。

 私の一日は、夜明け前からはじまり、特別な来客でもない限り、毎日同じことを繰り返す、平安にみちたものだった。何百年も、代々のものたちはこうして生きてきたのだし、私もそうして過ごしている。彼と食事をとるのも、その一貫になるだけだ。

 彼の毎日については、食事の際に確認をしている。まず、朝起きだして、奉職する。そののちに朝食、それが済めば、礼拝をしてから、図書館へ向かう。昼食がある日は、一度食堂へ戻り、また、図書館へ向かう。夕刻に、私と一緒に夕食とる。沐浴をはさむ日もあるだろうが、そののちの行動は、わからないが部屋に戻って静かにしているのだろう。部屋は、一室を与えた。元々上位のものたちと同じ居館にしたが、不安もあったので私の居館に一室を与えた。

「今日は、魔力に関する本を読みました。この世の中には、当然のように魔力が存在しているというのが、興味深かったです。魔力が高い方は、魔力を眼で見ることが出来るということが書かれていましたが、本当ですか?」

 彼の黒曜石のような瞳が、きらきらと瞬いている。二十代も半ばを過ぎているはずだが、彼は妙に幼い。

「見えます。私には……光の帯のような形に見えます。私の指先、今、薄い紫色の光の帯が出ています」

 彼は私の指先まで眼を近づけた。近づいて見えるものでもないだろうが、彼は真剣だった。しばらくそうして見ていたが、「やっぱり見えない」と沈んだ声で告げた。

「そうですか」

「魔力、を上げる方法とかはありますか? もしご存じなら、教えてください」

「上げる方法はありますが、あなたは、魔力がないのでしょう? ならば、効果がないと思います」

 駄々をこねられたら面倒だと思っていると、意外にもあっさりと彼は引いた。

「そっか。ゼロに何を掛けてもゼロはゼロか」

 彼は納得したようだったが、私は、彼の言葉が理解できない。「ゼロとは?」私が問うと、彼は「えっ」と声を上げた。

「この国の数字を教えてくれませんか?」

 急に、数字の話になったので、意味がわからなかったが、とりあえず、一から順に書いていく。空中に、魔法で文字を書いたものは、彼も見ることができるようだった。

「そっか。やっぱり、ゼロがないんだ」独り言ちてから、彼は少し考え込んで、「ゼロというのは、何もないということです」と告げる。何もない。つまり無ということか、と思っていると、彼は少し説明を始める。

「本が十冊入っている箱が、二つあったら、十かける二で二十冊あるということです」

「それくらいは、私でもわかる」

 馬鹿にされているのだろうかと、少々不愉快な気持になったが、彼は真剣だったので、しばらく説明を聞くことにした。

「それで、今度は、本が入っている箱に、一冊も本が入っていないものが二つあったとき、本は何冊になるかというと、一冊もないということになります。つまり、この一冊もない状態がゼロです。俺がさっきいったのは、もし、俺の魔力が五くらいあって、魔力を上げる方法を試したとき、二倍になるということならば、俺の魔力は、十になりますが、俺の魔力が何もない、ゼロの状態なら、二倍にしてもゼロということです。何もないということです」

 何もない、という状態を示すための言葉。いや、何もないということが「ある」ということを示す言葉なのだと理解した時、私は、足元から震えが上がってくるのを感じていた。彼と私たちとは概念が違う。本当に、彼が異世界からたどり着いた人なのだと、実感した瞬間だった。そして、このような説明をすらすらと行うのだから、やはり、彼は、元居た世界では高い身分だったのだろう。

「魔法が使えたら、良いなと思ったんだけど。せめて灯くらい」

 彼の手持ちの魔石は貴重なものだ。だが、その貴重な魔石を持っても、深夜に彼が読書をすることはできないだろう。図書館は、彼に反応して明かりを付けるように変更したが、それを、彼の部屋まで導入することは難しかった。

「まあ、魔石があるから、大分マシ。これだけでもありがたい」

 彼は自分に言い聞かせるように言う。

「ここに来てから、大分、暗闇にも慣れたから、前よりは、暗闇もしんどくはないし」

 たまに、彼はぽつり、と前の世界のことを呟く。ただ、この世界とあからさまに比べて、どちらがどうだというようなことはなかった。前の世界、という言葉に、少し胸がざわつく。なぜ、ざわつくのか、よく解らない。

「そういえば、前の異世界から来た人の記録があったから、読み始めたよ」

「えっ?」

 私は耳を疑った。六百年前に書かれた、異世界の民の記録があるとは聞いていたが、私達はすでにその言葉を失っていて、読むことは出来ないし、図書館の中でそれを特定することも出来なかった。

「あなたは、それを見つけたのですか?」

「えっ? ああ、うん。多分。………ちゃんと、そう読めた」

「なんと……」

 その記録を読むことが出来れば、私は、彼が異世界から来た理由を知ることが出来ると思ったし、そして、彼が果たすべき役目を、知ることが出来る。思わず、前のめりになって、彼に「私に、その言葉を教えて欲しい」と言うと、彼は困った顔をした。

「あー……読めるんだけど、文法とかは解らない。だから、実は、ここの言葉は、読めるし掛けるんだけど、俺は母国語を使ってる感覚なんだ。そして、その感覚で読んでるだけ」

「ならば……、その本を翻訳したものを書き記してください、少しずつでも書いて頂ければ助かります」

 胸が高鳴った。世界の誰も読むことが出来なくなっていた記録を、読むことが出来る。今までになく、私は興奮していたのだろう。彼が、くすっと笑った。

「なんだ、あんた、今まで、お人形みたいに無表情だったのに、結構、表情あるんだ」

 あんた、と粗雑に呼ばれるのは初めてだった。だけど、不思議なことに、さほど、嫌ではなかった。


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