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しおりを挟む図書館へたどり着く。司書に「異世界から来た客人は」と問うと、「西の塔、地下三階におられます」とだけ返答が手短に帰ってくる。だが、私は聞き間違えたかと思って、もう一度「どこだと?」と聞き返した。西の塔、地下三階。ここは、稀覯書籍の閲覧室だった。ここにあるのは、今はもはや滅び去った言語で書かれた書籍たちばかり。私は、世界で現存する言葉の殆どを使うことが出来るが、その私をしても、ここの本を読むことは難しいだろう。
「客人は、西の塔、地下三階に居られます」
司書はしっかりと言った。私は、半信半疑ながら、西の塔、地下三階へ向かう。まさか、本当に読んでいるのか。いや、もしかして、ただ、逃げ込んでここで眠っているだけなのかもしれない。しかし逃げ込むのだとしたら、もう少し、快適な場所があるだろう。日も差さない地下に逃げて、一日を過ごしているだろうか。神官たちに、嫌なことをされて。
足音を顰めつつ、向かった地下三階の閲覧室は薄暗かった。なぜか彼は灯りを付けずに本を読んでいるようで、手元にある小さな灯取り用の魔石を用いているようだ。読書には不十分な光量である。子供でも灯りくらいはつけられるだろうに、不思議なことだと思いつつ、私はそっと灯りを付ける。彼は、その時初めて私の存在に気がついたらしく、顔を上げた。彼が読んでいたのは、百年ほど昔に滅びた、レノスという国で使われていた言葉だ。これならば、私でも解る。レノス国で出版された、恋愛を主題にした文学作品だった。
「大神官様、こちらに御用ですか? なにか御用があるようなら、お邪魔でしょうから部屋へ戻りますが」
彼は、どうやら私が自分の用事のために、ここへきたと思っているのだろう。腰が浮きかけたのが解ったので、手で制した。
「あなたがここで読書をしていると聞いたので、ここに来ただけです」
「わざわざ?」
彼は目を丸くして驚いてから、ぱっと笑った。その、脳天気な作り笑いを見て、私は幾分、ホッと胸をなで下ろした。
「客人が快適に過ごしているか、配慮をするのが、招いた側の当然の義務です。それで、なぜ、あなたは灯りも付けずに読書をされていたのですか?」
「ああ」と彼は呟いてから微苦笑した。「俺は、魔法を使えないので」
「魔法を使えない?」
そんなことがあるだろうか。だが、彼の困ったような表情を見る限り、嘘をついているようには見えなかった。
「この国では、灯りくらいならば、五歳の子供でも付けられますが」
「俺の世界では、魔法というのは概念がなくて、その代わり、ありとあらゆるものが機械で動いてました。だから、使い方を知らないし、前に、竜族のひとに魔法の使い方を教えて貰いましたが、先天的に魔力がないと言うことを言われました」
竜族のひと、ということばが、私の胸をざらつかせる。それは、彼の『客』の一人だろう。魔法について教えて貰う―――という程度には、親密な関係だったのだろう。ただ単に、客という関係ではなく。そして、竜族は、自尊心が高く、人に交わらないことでも有名だ。その竜族が、人の男娼を買ったというのも、珍しいことだろう。
「魔力がないとは、珍しいですが」
「そういうこともあると、その人は言っていました。だから、この魔石をくれたんです。これで、読書くらいの灯りは取れるので便利なんですよ」
そうですか、と言いつつ、彼が、その魔石を愛おしそうに撫でているのを、なんとなく見ていたくない気分になって、
「神殿内であれば、いつでも、あなたが触れれば灯りがつくようにしておきましょう」
と顔を背けてから言って、一度、目を閉じた。気分を、落ち着かせる。今は、優先しなければならないことがある。それは、彼が、不等な扱いを受けているという事実を明らかにするのと、それを、解消するということだ。だが、彼は、それを真っ正面から聞いたところで、答えないだろうと言うことは、察しがついた。もし、自身の窮状を訴えることが出来るのならば、もっと早くに私に相談していただろう。
「そんなことが出来るんですか?」
彼の黒い瞳がキラキラと輝く。彼の表情は、めまぐるしく変わる。疲れないのだろうか。しかし、こんなに表情が変わるのであれば、側で見ていても飽きることはないのかも知れない。だが、私の側に彼がいるはずでもない。妙なことを、私は考えたものだった。
「可能です。ただ、多少時間を貰う必要はありますが」
「凄いんですね。魔法って」
「ここは、魔法の研究も盛んに行われています。そのあたりの資料ならば、東の塔の地下五階にあるはずですから、後ほどご覧になっては?」
「じゃあ、この本を読み終わったら行ってみます」
彼は、読みかけの本を私に見せた。レノスの国の言葉で書かれた、書物だ。現在、この言葉を理解するのは、大陸に何人居るだろうか。そういう、珍しい言葉であることを、彼は、知っている様子はない。
「その言葉を、読むことが出来るのですか?」
「ええっ? はい。読めます」
「あなたの居た、異世界の言葉は、その本の言葉に近いのでしょうか?」
「あー……いや、多分、全然違うと思います。ただ、文字を見て、内容がわかるんです。でも、文法とかはまるで解らないんです。だから、それは、異世界の民がここで暮らしていくために、神様か何かがくれた知恵なんだと思います。だから、人間以外の言葉も解りましたよ。竜族のひととも、竜族の言葉で話しました」
「そう、ですか」
胸焼け、のような、嫌な感覚が、胃のあたりに広がる。熱を帯びた、モヤモヤとした痛みだ。痛みと言うよりは、苦みの方が近いかも知れない。私は、それを見ないようにして、彼に向き直る。
「あなたと少し話したいことがありますが、あいにく、私はそれほど潤沢に時間があるわけではありません。申し訳ないが、食事の時間を一緒に過ごしてもらえないでしょうか」
「食事、ですか」
「私は、私室で食事をとります。時間になったら、私の部屋まで足を運んでいただけると助かりますが」
「わかりました」
「では、図書館の司書に、私の部屋まで案内するように言いつけておきます」
私は軽く礼をして、彼の前を去ろうとしたが、「あ」と彼が声を上げたので、立ち止まって、振り返った。
「なにか?」
「あ、いえ、その……」と口ごもってから、彼は恥ずかしそうに顔を赤らめて、それから口を開いた。「お忙しいのに、わざわざ、ありがとうございます。髪が、凄く綺麗だと思って、驚いただけです」
「そう、ですか。なにも、他にないようでしたら……」
良いのですが、とは言いつつ、歯切れが悪い感じにはなった。
髪。毎日手入れはして居るので、それなりに見られたものだろう。淡い金色の髪。腰くらいまで長さがあるのにそのままにしてあるのは、大昔、誰だったかに懇願されたせいだ。髪を切らないで欲しいと、懇願されて、そのままにしてある。特にこだわりもない。彼の、闇を移したような髪の色とは正反対の彩だった。
ともかく図書館を出てから、私は、「客人は今日から、上位神官と共に食事を採るので支度をするように」と言いつけて、司書には、彼を私の部屋まで案内するように言いつけた。夕刻の鐘と共に夕食の時間が始まる。とんだ面倒ごとに時間を採られることになったが、彼が不等な扱いを受けていることに関しては、私が神殿の規律を統制していなかったせいもあるのだと思い直した。
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