上 下
11 / 13
第一章 宴のあと

10.鏡

しおりを挟む


 管絃は、宜陽殿ぎようでんの西のひさしにて行われるとのことだった。関白のたまわっている直廬じきろの反対側、ということになる。

 日が傾いてすっかりあたりが暗くなったが、御所内は、松明たいまつを灯した衛士えじたちが庭を巡回しているのが見える。彼は寝ずの番で、警護に当たっているのだった。御所とはいえ、盗みに入る不埒なものたちもいるので、帝のお住まい近くのこのあたりは、特に、衛士の数も多いようだった。

 途中で何人もの女房や舎人とねりたちとすれ違う。

 三位以上の公卿の子息は、二十一歳になると舎人として出仕することになる。他には、五位以上のものの子息達の中で、容姿と能力に優れたものたちが舎人として働く。雑用のような事をこなしている方々も、実家に戻れば公卿の家の子息や姫君ということになるので、主上のおわす近くのこのあたりでは、振る舞いも洗練されている。

 そんな中、関白のお供とは言え、公卿たちと管絃かんげんに参加するというのが、信じられない。しかも、主上まで出御しゅつごされるというのだから、緊張して、訳が分からなくなってくる。指先が、冷たくなっていくような感じがしていた。

「おや、緊張しているのかい」

 楽しそうに関白が聞く。

「当たり前です……こんなところで、廊下を歩いているだけでも頭がおかしくなりそうですから」

「これからは、お前もここに来ることが多くなるだろうから、慣れなさい」

 慣れろ、と言われても限度があるだろう、と真雪は思う。

 摂関家の長子として産まれてきた関白であれば、こんな場所は、それこそ、わらわの頃から来ているだろうが、真雪は、こういう機会でもなければ、一生、来ることが叶わない場所だ。

「おや、不服そうだ」

「だって、殿下は……、幼い時分より、こういう所に出入りしていらしたでしょうけれど」

「まあ……そうだな。皇太后様がまだ、中宮であらせられたころに、童殿上わらわでんじょうしていたから、大分、幼い頃からここに出入りしていたものだよ。鏡を持ち出して、当時の典侍ないしのすけにそれはもう酷く怒られて、丸三日、塗籠ぬりごめに閉じ込められたこともあったよ」

 子供らしくて可愛らしいではないか、と思った真雪だったが、関白の言う『鏡』の正体に気付いてしまった。

「で、殿下……もしや、殿下が持ち出した鏡とは……内侍所ないしどころの……」

 声がうわずってしまうが、仕方がないだろう。

 内侍所にある鏡といえば、『三種の神器』の一つ、『八咫鏡やたのかがみ』であろう。それを、持ち出そうとする、わんぱくぶりには今真雪が聞いても血の気が引く。

「そうなのだ。私も、何も知らぬ年端もいかぬ子供だったが……さすがに、鬼の剣幕で怒られて、それで大いに反省した。安達ヶ原に出る鬼女のような形相で怒られたのだぞ」

「仕方がないと思います……」

「そうか?」

 まるで無自覚な関白を見て、真雪は、これはさぞ、近辺の方は頭が痛くなったことだろうと思う。だが、相手は、イタズラ好きのわんぱく小僧であっても、中宮とは血のつながりがあり、また、関白の息子ということで、何も文句は言えなかったに違いない。典侍が激怒したというのだから、それほどのことなのだ。

「鏡は、特別に大切なものでしょうから……、鏡がおわすところが、賢所かしこどころとなって、高御座たかみくらにおわす為には、鏡こそが重視されるのでしょうから」

 そこまで言って、不意に真雪は思った。

 もし、不届き者が鏡を奪うようなことがあれば……。

 それが、愛宕あたごの方に渡れば、あちらが皇位の正統を主張するということになるかもしれない。

「……関白殿下」

「ん?」

「……念のため、衛士えじの数を増やされた方がよろしかろうかと……」

「それは、問題なかろう。それに、あまり多く衛士が居ても、鬱陶しいだろうし」

「けれど、内裏まで賊が入るということではありませんか……もし、鏡が奪われでもしたら大変です」

「まあ、鏡を直接奪うような、気の短いことはなさるまい。愛宕の方も、その辺りのことは、心得ておいでだと思うよ」

 暢気な事ではないか、と真雪は少し歯がゆい心地になった。

 今、鏡は内侍所にある。つまり、そこで寝泊まりするのは、内侍ないしと呼ばれる女官たちだ。女性しかいない建屋である。それを思えば、不安になる。

「愛宕の方も、ご自身の評判というのがあるから、滅多なことはなさらないよ……でなければ、力尽くで高御座に上った、血なまぐさくて乱暴な方ということになろうからね」

 ならば、なぜ、愛宕の方の愛妾が子を産むというときに、わざわざ大きな宴をするなどと考えて居るのだろうか。

 愛宕の方が、もし高御座に上る意思がなかったとしたら、主上が、わざわざ誰の味方であるか確かめさせるような真似をしているうちに、愛宕の方も、行動に出ざるを得なくなるのではないだろうか。

 ―――ああそうか。

 やっと、真雪は納得出来た。もし、愛宕の方が、たち上がって高御座を目指したら、その瞬間に、主上は愛宕の方を、朝敵として討つつもりなのだ。そうやって、やっと、主上という方は、枕を高くして眠ることが出来るのだろう。関白も、その気持ちに近いのかもしれない。どちらにしても、身分の高い方達は、真雪の考えも及ばないようなことを思案しながら生きているということだけは、垣間見ることが出来た。

 そして、その道が苦渋に満ちたものであるならば、真雪は、少しでも、関白の側で、彼を支えたいという思いでいた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

鬼ごっこ

ハタセ
BL
年下からのイジメにより精神が摩耗していく年上平凡受けと そんな平凡を歪んだ愛情で追いかける年下攻めのお話です。

ひとりぼっちの180日

あこ
BL
付き合いだしたのは高校の時。 何かと不便な場所にあった、全寮制男子高校時代だ。 篠原茜は、その学園の想像を遥かに超えた風習に驚いたものの、順調な滑り出しで学園生活を始めた。 二年目からは学園生活を楽しみ始め、その矢先、田村ツトムから猛アピールを受け始める。 いつの間にか絆されて、二年次夏休みを前に二人は付き合い始めた。 ▷ よくある?王道全寮制男子校を卒業したキャラクターばっかり。 ▷ 綺麗系な受けは学園時代保健室の天使なんて言われてた。 ▷ 攻めはスポーツマン。 ▶︎ タグがネタバレ状態かもしれません。 ▶︎ 作品や章タイトルの頭に『★』があるものは、個人サイトでリクエストしていただいたものです。こちらではリクエスト内容やお礼などの後書きを省略させていただいています。

火傷の跡と見えない孤独

リコ井
BL
顔に火傷の跡があるユナは人目を避けて、山奥でひとり暮らしていた。ある日、崖下で遭難者のヤナギを見つける。ヤナギは怪我のショックで一時的に目が見なくなっていた。ユナはヤナギを献身的に看病するが、二人の距離が近づくにつれ、もしヤナギが目が見えるようになり顔の火傷の跡を忌み嫌われたらどうしようとユナは怯えていた。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

友人とその恋人の浮気現場に遭遇した話

蜂蜜
BL
主人公は浮気される受の『友人』です。 終始彼の視点で話が進みます。 浮気攻×健気受(ただし、何回浮気されても好きだから離れられないと言う種類の『健気』では ありません)→受の友人である主人公総受になります。 ※誰とも関係はほぼ進展しません。 ※pixivにて公開している物と同内容です。

高嶺の花宮君

しづ未
BL
幼馴染のイケメンが昔から自分に構ってくる話。

だから愛した

佐治尚実
BL
大学生の礼嗣は恋人の由比に嫉妬させようと、せっせと飲み会に顔を出す毎日を送っている。浮気ではなく社交と言いつくろい、今日も一杯の酒で時間を潰す。帰り道に、礼嗣と隣り合わせた女性が声をかけてきて……。 ※がっつり女性が出てきます。 浮気性の攻めが飲み会で隣り合わせた女性に説教されて受けの元に戻る話です。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

君が好き過ぎてレイプした

眠りん
BL
 ぼくは大柄で力は強いけれど、かなりの小心者です。好きな人に告白なんて絶対出来ません。  放課後の教室で……ぼくの好きな湊也君が一人、席に座って眠っていました。  これはチャンスです。  目隠しをして、体を押え付ければ小柄な湊也君は抵抗出来ません。  どうせ恋人同士になんてなれません。  この先の長い人生、君の隣にいられないのなら、たった一度少しの時間でいい。君とセックスがしたいのです。  それで君への恋心は忘れます。  でも、翌日湊也君がぼくを呼び出しました。犯人がぼくだとバレてしまったのでしょうか?  不安に思いましたが、そんな事はありませんでした。 「犯人が誰か分からないんだ。ねぇ、柚月。しばらく俺と一緒にいて。俺の事守ってよ」  ぼくはガタイが良いだけで弱い人間です。小心者だし、人を守るなんて出来ません。  その時、湊也君が衝撃発言をしました。 「柚月の事……本当はずっと好きだったから」  なんと告白されたのです。  ぼくと湊也君は両思いだったのです。  このままレイプ事件の事はなかった事にしたいと思います。 ※誤字脱字があったらすみません

処理中です...