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ありがとうが聞きたい

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 ちょうど、今日は一番の大仕事、風呂場の仕上げと洗面所を片付けるつもりで来たので、慧は無心で掃除を続けていた。
 掃除は良い。
 やった事が目に見える。手を抜いた所も、こだわってやった所も、すべて結果がはっきりと出る。

 ただ、無心でやっていたハズなのに、ふと気づけば先ほどの事が思い返されて、慧は溜息を吐いた。

 昔、domに遊び半分でコマンドを入れられたのが、半ばトラウマになっている。その時は何とか拒否したが、つまらないや面白くないなど良くない言葉を投げられたのも大きいだろう。
 コマンドそれ自体を断ったり拒否するのは、subの多大な負担になる、というのをあの人達はわかっていない。受け入れるのが快楽なんだろ、ぐらいの認識なのだ。
 それが、慧は嫌だった。自分は、自分というものを手放したくない。そうしなくて良いと言ってくれるdomが理想なのだが、domはdomで言う事を聞かないsubにストレスを感じるらしい。
 とどのつまり、subに向いてない性格、というどうしようもない事実を突きつけられているので、慧は色んな事を諦めているのだった。




 そうこうしているうちに、龍士郎は全く意味がわからないが、龍士郎の部屋はちゃんと慧の思いに応えて綺麗になって行った。洗面所も風呂場も終わり、後は、風呂場にカビが生えにくくなる薬剤を塗布し、時間を置けば完璧だ。
 風呂場の掃除が終わる頃には、先ほどの事も忘れて、達成感に満ちていた。
 風呂場を閉め切り、換気扇を回す。一応、人体にそこまで有害ではないが、すぐに水に濡れると薬効が落ちる。だから、龍士郎に風呂に入るなら時間を置いて欲しいと言わないといけないのだが、気が、重かった。



 重い気分を引きずりつつ、掃除道具を片付け、キッチンに向かう。

 リビングには、龍士郎が居た。
 昨日と同じようにダイニングテーブルにノートPCを置き、眼鏡をかけて何やらにらめっこをしている。昨日眼鏡姿を好ましいと思ってしまった為、今日も昨日と変わらないイケメンに、気後れする。先ほどのあの何かを言いかけたのを、気にしてしまうのも嫌だった。

 集中しているようだし、また風呂場の事は後で言おう。そう、これは雇用主の為で、自分が言うのが気まずいからではない。
 と、自分の中だけで言い訳をし、慧は無言でキッチンに移動し始めた。
 ただ、キッチンに移動するには、龍士郎の目の前を横切らなければならない。
 ちょっとだけ身構えながら、龍士郎の目の前、ダイニングテーブルの反対側を横切ろうとした時。

「あっ。掃除、終わったんだ。ありがとう。君が掃除してくれた所、全部綺麗になってるよ。流石、プロだね」

 ハッと龍士郎がノートpcから目線を上げ、慧を見てニコッと微笑んだ。慧としては、仕事をしただけだ。

「ありがとうございます」

 そう、素っ気なく答えてシステムキッチンにすっと引っ込んだ。

 声は、震えなかっただろうか。顔は、ニヤケてないだろうか。心臓の鼓動は、聞こえなかっただろうか。
 慧は、冷蔵庫の中身を確認している態で、ドキドキする鼓動を落ち着かせようとしていた。
 仕事ぶりを、褒められた事はある。丁寧に、綺麗になるようにしている自負もある。
 だけど、何故だか、龍士郎に褒められるのは、とても嬉しい事のように感じられた。今までの比ではないぐらいに。
 これは、なんだ。
 domとsubの関係だから起こったものなのか、全く関係ないのかすら、わからない。
 自分の中の戸惑いを押し殺しながら、慧は、今日の献立を作り始めた。
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