44 / 82
第一部
44話 【ジャン】その3
しおりを挟む「……怪我……は?」
「え? 俺……ですか? はい、大丈夫です。貴女から頂いたものが、沢山ありますから」
「そう……なら、よかった」
モニカ嬢が、小さく柔らかく微笑み告げたその言葉に呼応するかのように、辺りに立ち籠めていた瘴気は瞬時にかき消え、その場にいたはずの悪魔のような異形の何かは、光り輝きながら消失……したように見えた。
確証を得るため、精霊が見えるお三方へと視線を送ると、随分と疲弊しているのに気付いた。
「……き、肝が冷えた…………」
兄上のそんな顔を見たのは生まれて初めてだ。恐らくこれが最初で最後となるだろう。しかし安堵の表情も見て取れることから、危機は去ったと判断していいだろう。
教皇様は青い顔をされ、気丈に仁王立ちしているようにも見えるが、あれは腰が抜けて動けなくなっているのだろう。
国王陛下は近衛兵に支えられ、辛うじて立っているようだし、殿下も同じようだ。
「……無駄、でしたね」
モニカ嬢がふいにお三方を見やり、感情のこもらない声でそう呟いた。あまりの感情のなさに、一瞬背筋が凍ったが――。
「教会並びに王族の皆様、精霊も悪霊も悪魔も化け物も痴れ者も何一つご自分で管理できないと仰るのであれば、二度と低俗な条件を突きつけて賢しらな交渉に及ぼうとしないでいただけますか? 大変、不愉快ですので」
気付けばいつものように冷静な口調で、モニカ嬢は通常だったら、どこの誰に言っているんだと、責めを負いそうな発言を! やはりまだどこか異常が?!
「モニカ嬢?! あの、まだ具合が悪いのですか??」
「いえ大丈夫です、申し訳ありません。……ジャン様の声を聞いて、頭が冷えました。またしてもご迷惑を――」
「モニカ・リシュタンジェル!」
――枢機卿?! 彼は教皇を支えながら、内心の恐怖を物語るように引き気味の腰つきで、モニカ嬢へ縋り付こうとしているが……。
「御互いに愚かなことをしましたね。やはり、私は聖女ではないようです」
「いや、そのようなことはない! その証拠に、貴女は戻って来たであろう!
御互いに行き違いがあっただけのこと! 目くじらを立てるようなことではあるまい!」
「もう付き合いきれません、行きましょう、ジャン様」
「は??」
これは……モニカ嬢は冷静でいるように見えて、かなりご立腹のご様子。追いすがる枢機卿の声を完全無視だ。
こっちの腰が引けてくるが、彼女は止まらない。
その怒りのまま、俺の手をつかみ衆人環視の的であることも気にせず、出口へ迷うこと無く歩いて行く。
「ま、待ってくれ!」
追いすがって来たのは、殿下ではなく国王陛下だ。ある意味、殿下よりも厄介ではあるが。
「考え直して欲しい! 望みの物はなんでもやろう! あの者達の首が欲しいというのなら、全員一族郎党皆殺しにして……ああもちろん、その者は別だ!
二度とお主に不遜な態度はとらせぬ故、どうか――」
「誰がそんなことを頼みましたか? 望みましたか?
……この国の王であるという多大なる権力を有しておきながら、臣下一人御することができなかった。そんな人間に、精霊の力を行使させるなど恐ろしくてできません。責任とれませんから。
その必要性については、たった今、証明されました。それが分からない訳ではありませんよね?」
聞いているこちらが青くなりそうな台詞を、冷静かつ無表情に国王陛下に向かい放つ。色めき立つ近衛兵から、彼女を守るため体勢を整えようとしたが、モニカ嬢に制された。
「その必要はありません。彼等はあれ以上、動くことはできません」
……それはどういう意味ですか?
「近日中に、ミントが聖女に関する一切の記憶を消去する妙薬を完成させることでしょう。この世ならざる神秘の力を迎える前に、臣下の粛清くらいはご自分でなさいませ。行きましょう、ジャン様」
「えっ?!」
不穏な言葉の数々の後、いきなりこちらに話が戻ってきて困惑する。国王陛下、フレデリック殿下、教皇様といった権威の権化の縋る視線が突き刺さる!
「ま、待っ――」
誰が引き留めているのか分からないが……。
「……死にたいのなら、追いかけてきても構いませんよ?
私は構いません。私は聖女では…………ありませんから」
モニカ嬢の言葉に、言葉を重ねる者はもういなかった――――。
◇◆◇ ◇◆◇
王都にあるコーベルの別邸にモニカ嬢を連れ込んでしまった……。言い訳をさせてもらえば、モニカ嬢の希望だ。王都には彼女の長兄の屋敷があるが、折り合いが悪く頼れないらしい。
屋敷の使用人が、突然帰宅した俺たちに目を白黒させていたが、何かを感じ取ってくれたらしい。モニカ嬢には「聡い使用人で羨ましい」とお褒めの言葉を頂いた。
「一度キレたらすっきりしました。それにしても……怒ると話を呑むくせに、冷静な話し合いだと突っぱねる人って何なんでしょうね? できるのなら初めからすべきですし、間違ってることは相手が何したって、聞いてはいけないと思いませんか?!」
モニカ嬢は先程からずっとご立腹です。
ですが、いつになく真っ直ぐに俺を見て、甘えるように感情をぶつけてくるその様子がとても……愛らしい。
諦めないといけないと思っていた矢先に、無理だと気付いて………………今は、手の届く距離に彼女がいる。
「心配しなくても大丈夫ですよ、ジャン様のことは、私が守りますから!」
彼女の目には、俺は守らなければならない子供のように見えているのだろうか?
「イヤですよ。守らせて下さい。
俺は………………………………貴女が、好きなんですから」
モニカ嬢は、少し驚いた顔をして、その後、困ったような慌てたような顔をしている。
原因は俺の言葉か……無意識のうちに、彼女の手に触れてしまったことか。
「いいんですか?」
「え?」
「……ジャン様のその感情が同情だとしても、私のわがままゆえのものだとしても……貴方のその言葉に私は呪いをかけますよ? 未来永劫、貴方を絶対に離しませんよ?
……本当に後悔はしませんか?」
彼女はそう言って、彼女の方こそ強く縋るようにこの手を握り返してきた。彼女が怯えるわがまま――俺と一緒にいたいと、強く願い俺の意識を変えている可能性がある――を、嬉しいと思ってはいけないだろうか。
「それはない」と何度言っても、心の底から納得してはくれないようなので、これは長い年月をかけて伝えていく必要がありそうだ。
そちらの思い込みの方が、俺への同情なのではないかとか、幼少期からの刷り込みなのではないかとか、感じる不安は無いわけじゃない。
けど、彼女が俺を好きだと言ってくれるから、それを信じることにした。
そして俺は、この想いを相手に伝え続ける。
それだけを、心に刻むことにした……………………。
21
お気に入りに追加
2,752
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

強制力がなくなった世界に残されたものは
りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った
令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達
世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか
その世界を狂わせたものは

成人したのであなたから卒業させていただきます。
ぽんぽこ狸
恋愛
フィオナはデビュタント用に仕立てた可愛いドレスを婚約者であるメルヴィンに見せた。
すると彼は、とても怒った顔をしてフィオナのドレスを引き裂いた。
メルヴィンは自由に仕立てていいとは言ったが、それは流行にのっとった範囲でなのだから、こんなドレスは着させられないという事を言う。
しかしフィオナから見れば若い令嬢たちは皆愛らしい色合いのドレスに身を包んでいるし、彼の言葉に正当性を感じない。
それでも子供なのだから言う事を聞けと年上の彼に言われてしまうとこれ以上文句も言えない、そんな鬱屈とした気持ちを抱えていた。
そんな中、ある日、王宮でのお茶会で変わり者の王子に出会い、その素直な言葉に、フィオナの価値観はがらりと変わっていくのだった。
変わり者の王子と大人になりたい主人公のお話です。

【コミカライズ決定】婚約破棄され辺境伯との婚姻を命じられましたが、私の初恋の人はその義父です
灰銀猫
恋愛
両親と妹にはいない者として扱われながらも、王子の婚約者の肩書のお陰で何とか暮らしていたアレクシア。
顔だけの婚約者を実妹に奪われ、顔も性格も醜いと噂の辺境伯との結婚を命じられる。
辺境に追いやられ、婚約者からは白い結婚を打診されるも、婚約も結婚もこりごりと思っていたアレクシアには好都合で、しかも婚約者の義父は初恋の相手だった。
王都にいた時よりも好待遇で意外にも快適な日々を送る事に…でも、厄介事は向こうからやってきて…
婚約破棄物を書いてみたくなったので、書いてみました。
ありがちな内容ですが、よろしくお願いします。
設定は緩いしご都合主義です。難しく考えずにお読みいただけると嬉しいです。
他サイトでも掲載しています。
コミカライズ決定しました。申し訳ございませんが配信開始後は削除いたします。

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)
蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。
聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。
愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。
いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。
ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。
それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。
心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

私は聖女(ヒロイン)のおまけ
音無砂月
ファンタジー
ある日突然、異世界に召喚された二人の少女
100年前、異世界に召喚された聖女の手によって魔王を封印し、アルガシュカル国の危機は救われたが100年経った今、再び魔王の封印が解かれかけている。その為に呼ばれた二人の少女
しかし、聖女は一人。聖女と同じ色彩を持つヒナコ・ハヤカワを聖女候補として考えるアルガシュカルだが念のため、ミズキ・カナエも聖女として扱う。内気で何も自分で決められないヒナコを支えながらミズキは何とか元の世界に帰れないか方法を探す。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる