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第一部
41話
しおりを挟む「愚息ジャンさえあの偽物につけ込まれていなければ、娘アントワーヌもここまで心を病むこともなかったでしょう! それはご理解頂きたい! 可哀想な娘なのです! 王太子殿下に相応しい人間であろうと、幼い頃より寝る間も惜しみ、王妃教育に励んで参りました! 誰よりも王太子殿下の隣に相応しい娘です!!」
コーベル公の悲痛な叫びが、謁見の間に響き渡りました。
――待って下さい。何を仰っているのですか? 百歩譲って、この騒ぎは全て私に責任があり、コーベル嬢に非は無く殿下の婚約者に相応しいと仰るのなら、それはそれで構いませんよ?
それだけならば――――。
「ふむ……確かに、コーベル公が言うことも一理ある、か――」
……陛下? 本気で仰っているのですか?
「い、いやっしかし――」
陛下が秒で手の平を返すより早く、貴族の間におかしな空気が流れ始めました。
コーベル公の意見に、賛成を示すような空気が。……穢れは発生していません。けれど、穢れを発生させずとも、倫理に悖る考えをする人間など腐るほどいることを、私は知っています。
穢れを発生させている人間の方がまだ、可愛げがあります。
コーベル公が一度は捕まり情勢が変わったとは言え、その伝を惜しんでいる人間は一定数いるでしょう。この場に少なからずいたとして、そしてその方々が起死回生を狙い、コーベル公に乗ったとしても不思議ではありません。
だって彼等には、先のパレードで平民がどれほど傷つこうと、これからどれほど傷つこうと、一切興味がないのですから。
「衛兵! 我が愚息――ジャンを捕らえろ!」
コーベル公の言葉に「否」を挟もうとされた国王陛下ですが、一部の衛兵がまるでその声を待ち構えていたかのように、周到にこの場に現れました。
国王陛下の命を待たずに出張ってくる衛兵……これは、現在進行形で政治的駆け引きというものが、行われている可能性が出てきました。
先程から、後手後手に回っている国王陛下の様子が気になってはいましたが、コーベル公の伝を当てにしていたのは、陛下も同じなのでしょうか。
……それも仕方のない話かもしれません。
アジェ辺境伯子息とコゼック伯爵子息を留学中の身とは言え、他国からいきなり呼び寄せることができるような方は、そうそうおられないでしょうから。
「そうだそうだ! 貴族の恥さらし者め!」
――その声に続き、無責任な日和見主義のお歴々が、一斉にジャン様を叱責し始めました!
「捕らえろ!」
「引きずり出せ!!」
「聖剣を取り上げろ!」
「聖女様まで騙すつもりか! なんと恐ろしい!!!」
「おいお前達! お前達もさっさとこいつを取り押さえんか!」
貴族の一人が、平民議員の皆様へ呼びかけ始めました。貴族はともかく、平民議員の皆様なら余計なしがらみなどないから――――と考えていた私は、甘かったようです。貴族議会と国民議会は、場合によっては対立することすらあるような関係でしたから、よもやこのような――!
貴族議員に焚きつけられたらしい平民議員の一人が、ジャン様につかみかかりますが……ブローチの作用で自滅しました。
余程強引に痛めつけようとしていたのでしょうか? 彼は、己がジャン様に向けた力と同じだけの力を受け、床に転がりました。打ち所が悪く、己が手にしていたナイフでどこかを負傷したようですが、知りません。
ウェルス卿が犯人を取り押さえようと動きました。
ブローチが有る限り、ジャン様はひとまず安全………………え?
「ジャン様、ダメですっ!」
――――ブローチを外しては……っ!!!
私には分かりません、ジャン様はなぜそんなことができるのか。
本来議決権を持たないジャン様のことなど、何も知らないはずの平民議員が、あれほどまでに殺気立って襲いかかってきた理由を、私が知らないから?
当然のようにその指示を行った貴族議員の人となりを、私は何も知らないから?
……知っていたとして、私が彼と同じ行動を取ることができたとは……到底思えませんが。
ジャン様はブローチを外し、己を傷つけようと遅いかかり返り討ちにされた愚か者の治療に当たり始めました。それを慈悲ではなく隙と見た連中が、彼を捕らえにかかります。それを阻もうとしたウェルス卿が、なぜか近衛兵に取り押さえられ喧噪から引き離されていきます。
ジャン様が訳の分からない暴力的な集団にもみくちゃにされ、謁見の間から連れ出されようとしています! 酷い扱いです!
――腕をそんな方向に曲げたら折れます!! 皆本当に……何をしているの?
「――コロロ!!!」
『ダメだモニカ!!』
「邪魔しないでマクマ! あいつら殺――」
『ダメだってば!!!』
「モニカ嬢!」
陛下が私の腕を掴み、マクマが目の前に立ちはだかり私の行く手を阻みます!
「彼等には彼等なりの都合がある! あの者はそれを分かっているから、立場の弱い平民議員を傷つけることに躊躇いがあるのだろう! あれは彼の意志だ!」
――ジャン様の……意志? でも、だって……そんなの、相手に伝わってない。
相手は彼の善意に漬け込んでいることすら気付かずに彼を蹂躙する。自分達が守られていることにすら気付かずに。
「お前達! 静かにしろ!!!」
殿下が皆を止めようと叫ぶのは、ジャン様から遠く離れ近衛兵に守られた安全な場所から。近衛は、ジャン様を守ろうとしていたウェルス卿を、彼から引き離して……。
ジャン様はあのパレードの際、貴族より優先して平民を守った唯一の貴族なのに。
……………………なんでそういうことするの?
――意味が、なかった。
――これは全く、意味がなかった………………!
『もーっ!!! 信じられない! だから人間は大っキライなのよっ!!!』
『ミント! ……パック?! コロロ!!!』
怒り心頭の<いにしえの精霊達>を、マクマが焦り宥めようとしているのが、どこか遠くに聞こえます。いつものように、サークレットが頭を締め付けてくるのですが……いつもと違い鈍い痛みが続くだけ……これは本当に締め付け……?
『モニカっ! ダメだよ、ダメだめ落ち着いて! それ以上考えちゃだめだ、だめだってば! モニカ――!』
――――――――――――――――――――――――ヒ、ド、イ。
ひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどいひどい……
醜い穢い賤しい狡い心無い愚かしい小賢しい…………憎い。
頭を潰されるかと言うほどきつく締め上げてきたサークレットから、解放されると同時に……私の意識は、闇に堕ちた。
――こんな世界、ずっとずっと……消えればいいと思ってた……
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