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第一部
5話
しおりを挟むジャン様による『アベル・プランケット卿、殴り飛ばし事件』から一週間が経過しました。現在謹慎中のジャン様は今、私の自室に我が物顔で居座っております。サークレットは反応しないけれど、叩き出してもよいのかしら? と思っていた時のことでした。
接客メイドの一人が、慌てた様子で聖女様の急襲を告げに来たのです――。
◇◆◇ ◇◆◇
「謹慎中に外出なんてしちゃダメだよ!」
開口一番ごもっともな意見を仰る聖女様。それは良いのですが、そういう台詞はこの屋敷を出て、二人きりで節度ある距離を保って仰っていただきたかったです。
聖女様は逃げ腰なジャン様の腕に無理矢理縋り付き、潤んだ瞳で彼を見上げながら、彼を叱責しています。叱責です。ええ、アレは謹慎中に我が邸に来たジャン様を叱りつけているのです。
……決して、己の取り巻きを誑し込み直しに、人の屋敷まではるばるやって来たわけではないはずです。
聖女様が、ジャン様を連れて退出して下されば私にとっては万々歳です。ですからおかしく揉める前に二人そろって出ていて欲しい、というのが私の願いだったのですが……。
「自分がしていることが、褒められた行為でないということは分かっています。ですが――」
「ううん! 貴方の気持ちは分かってるの。私のせいだよね、皆が私を大事に思ってくれている気持ちをちゃんと返せていなかったから――」
「は?」
聖女様とジャン様のやり取りが、若干かみ合っておられないような気がするのですが……私には関係ありませんね!
「わたしね、ちゃんとジャンのこと、特別大事に思ってるよ?!」
「貴女は何を仰っているのですか?」
「いいの! わたし分かってるから!」
言いながら、聖女様は感極まったようにジャン様へ抱き縋ります。なぜ、私は自室で二人の陳腐なやり取りを、鑑賞しなければならないのでしょう。
ジャン様もしかして、人の部屋でデレデレしてます?
……何だかストレスが溜まってきました。
「ジャンの辛い思いに気付かなくてごめんね?
モニカに相談なんかしてないで、わたしに言ってくれればいいのに!
……それにモニカも! ジャンがわたしのことでこんなに苦しんでるって分かってたなら、ちゃんとわたしに言ってくれなくちゃ!」
「は?」
――と、思わず先程のジャン様と同じ返答をしてしまいました。「ジャン様は苦しんでいらしたのですか?」と、視線を送ってみれば「身に覚えがない」と、言わんばかりの反応をされました。
「聖女様が何を仰っているのか分かりかねますが、ジャン様に会いに来られたのですか?」
「そうよ! 当たり前じゃない! わたしのことで傷ついてるジャンを放っておくなんてこと、聖女であるわたしにはできないよ!!」
――そうですか……。その理屈は今ひとつ理解できないのですが、ジャン様の意向は無視ということで宜しいでしょうか?
まあいいですよ? お互いに公爵家の子息令嬢なのですから、子爵家の小娘が出る幕はないでしょう。
「ジャン様……態々聖女様が御身を案じられているのですから、彼女の愛情を受け入れて差し上げたらいかがですか?」
「ええっ?! そんな愛情だなんてっ! はずかしいよっ!!」
……嬉しそうですね、聖女様……。
「ガーヌ嬢、自分は彼女に用があって――」
「もういいのよジャン! わたしが来てあげたんだから、もうあの子に話す必要なんか何もないわ!」
この場で、今一番権力を持っている聖女様が望むことが正義なのですから、ジャン様も諦めて彼女の生き様を受け入れて欲しいのですが……もの言いたげにこちらを見られても迷惑で――。
「いだだだだだだ!!!」
「モニカ嬢?!」
サークレットがまた異常動作を起こしました!
慣れた感覚になりつつあるとは申しましても、痛いことに変わりはないのでその対処に追われ、他人から見た己についての危惧を完全に失念していました。
「大丈夫ですか?!」
「え、ええ……最近よく起こる突発性頭痛なので、お気になさらず……」
一体今度は何の思考が引き金になったのかしら?
ジャン様は痛みに蹲った私の背中に手を触れながら、心配そうに問いかけてきました。だから、背中の傷を気取られるような真似は控えて下さいと申し上げているのに――と、ジャン様を見上げれば彼の肩越しに、般若の如き面の聖女様がいらっしゃいます。
「ねえ、モニカ? ジャンが優しいからって、迷惑をかけすぎていると思うわ。
具合が悪いのも嘘でしょ? 嘘をついたらいけないのよ! ジャンから離れて! モニカって最低!」
――率直なご意見ありがとうございます。流石は聖女様です。病人の疑いありな相手に淀みない罵詈雑言とは、恐れ入りました。
「おやめ下さい、ガーヌ嬢!」
そう言えば、ジャン様は他の方々と違い聖女様を愛称で呼んだりはしませんね。コーベル嬢と表だって敵対姿勢を取っているため、聖女様にご執心なその他の方々と同じだと思っていたのですが。
「ジャン……どうして分からないの?!」
我が邸で悲劇のヒロイン劇を始められても困るのですが? 聖女様は、瞳を潤ませてジャン様を見つめています。
「ジャンは間違ってる! その子の我が儘のせいでジャンが辛い思いをするの……わたし耐えられない! ジャンが分からないのなら、わたしが皆に言ってその子を懲らしめてもらう!!」
「止めて下さい!
……そんなことを言って彼女を傷つける貴女は……姉君そっくりだ!!!」
両名とも、発言には気をつけて頂けませんか?
ジャン様の言葉を受けて、聖女様が凍り付いてしまわれました。その顔にはありありと怒りが浮かんでいますが、ご本人は気付いてはいないのでしょう。
――ああ、こちらも気付いたらサークレットが正常に戻っていますね。
「お二人とも、ご迷惑をおかけ致しまして申し訳ございません。
体調が優れませんので、失礼させて頂きたいのですが……」
「好きにすれば良いでしょう! 貴女なんか必要ないんだから!」
――聖女様、ここは私の私室なのですが?
「……分かり……ました」
ジャン様は渋々と言った様子ではありますが、ご納得いただけたようです。
ジャン様が帰ると決めると、聖女様は私のことなど気にも止めずに、彼の後を追いかけていきました。帰り際に何かを叫んでいたようですが、ちょっと覚えておりません。
……それにしても、サークレットは何に反応したのでしょう? ジャン様を帰してはいけないのかとも思いましたが、最終的にはお二人仲良く追い払ってしまったわけですし……何がいけなかったのかしら?
◇◆◇ ◇◆◇
我が邸で、聖女様とジャン様が小競り合いを繰り広げてから、一週間が経過しました。取り巻き連中からの風当たりが、徐々に強くなってきております。
――決まって、ジャン様がいらっしゃらない時に。
「お前は何故リューを裏切り、あの悪女へ媚び諂うのだ! 人として恥ずかしくないのか!」
と、人気のない校舎裏で私を叱責されているのは、現宰相の御子息であるテオーデリヒ・カルツ侯爵子息、御年十六。紺色の艶やかな髪を短く切りそろえていらっしゃいますが……その前髪、邪魔にはならないのでしょうか?
「恐れながら、何を仰っているのか分かりかねます」
「何だと! 貴様……オレを馬鹿にしているのか!!」
彼の纏う空気が瞬時に、常軌を逸した穢れに満ちたものへと変化しました。
……これは、まずいのではないでしょうか? と思った時のことです。
『ダメだよ!!!』
怒鳴り声と共に虚空にマクマが現れ、テオーデリヒ卿を吹っ飛ばしました!
十数メートル向こうに、仰向けで気絶しているらしく地面に背中を付けて微動だにしないテオーデリヒ卿の姿が見えます。
――これは……暴行罪で私が捕まってしまう案件なのではありませんか?!
「ま…………マクマ!!! アンタ何してくれてンのよ?!」
『なんで、ボクが怒られるのぉ?!』
「誰をぶっ飛ばしたのか分かってるの?!」
『え? 知らないよ』
曇りない純粋な眼でそう言われました……。
マクマを説得するより、証拠隠滅のためにテオーデリヒ卿を、神聖魔術で灰も残さないほどに焼き尽くしてしまった方が早いような気さえしてきました。
さて、どうしたものかと考えていると――。
「…………大精霊?!」
人気のない校舎裏に、音も無く――――――――フレデリック殿下が現れました。
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