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47.誤算4
しおりを挟むバラのようによい香りのする、赤い髪。
深く温かい琥珀のような大きく潤んだ瞳。
血色のよい薄紅色のほほ……その全てに、どうしようもないほどに惹き付けられる。
◇◆◇
エルウィンは、大聖堂で一日粘り、図書室以外も調べたが、目的を果たすことはできなかった。重要参考人である、前・聖女のマルグリートと話をしても、望む答えは得られなかった。
――結局のところ誰も、龍神のことなど分からないということか。番いの起源くらいは分かるかと思ったが、それも曖昧なままだ。
分かったこともある。
そんな曖昧なものに振り回されているのは、この国だけではないということ。日々活用されている魔法でさえ、その理論は完全に解明されているわけではない。国を治めるためにも、神秘は神秘のまま、そっとしておいたほうがいいと考える者もいる。
用事を済ませた今、これ以上、王都に止まる理由はない。
今となっては、ボリソヴィチ・バッソの指示に従い、ソフィア・メーベルトに今回の件を内密にしているのに対し、罪悪感さえ覚え始めている。なぜ素直にボリソヴィチ・バッソの忠言に従ったのか、改めて考えると自分でも分からない。
だが、無理に急いで帰る必要もないだろうと、思ってしまう自分もいる。婚約者が隣にいない今の状態に、安心している自分を否定できない。
町屋敷へ戻ったら、領地へ戻る算段をつけなければならない……そう考えると、自然と重くなる足を引きずりながら、エルウィンは町屋敷へ戻った。
その途中――見覚えのあるメイドを見かけた。
長距離を走ってきたのか、息を切らしただならぬ様子でいる……赤いくせっ毛が印象的なあの少女。走るのも辛そうなのに、また走り出した。彼女が向かった方向は、メーベルト伯の町屋敷がある方角だ。
――自分はその家と無関係とは言えない。
それが大義名分なのか、本心なのか、自分でも分からないまま、視界の端を駆け抜けていった少女の後を追う。
そして、彼女が人目を避けてメーベルト邸の門をよじ登ろうとしているのを見つけると、『不審者』と判断する。そして――帯刀していた剣を、不審者の首元に突きつける。
「貴様何者だ、こんなところで何をしている」
◇
鈍く光る切っ先を突きつけられながら、疑いの眼差しを向けられ、ルイーゼの背に緊張が走る。
「わ、私は……その、お屋敷のお掃除に!」
「門をよじ登ってか?」
「……」
エルウィンはひとまず剣を収め、ルイーゼを見定めるような鋭い視線を送ってくる。その動きに合わせ、ルイーゼも門から降りて、エルウィンの前に無防備に立ち尽くす。
――まずい……エルウィンがものすごく疑っている……!
今にも憲兵に吹き出しそうな顔をしているエルウィンを前に、ルイーゼは焦った。突き出されたところで、自分の身元がはっきりしているし、投獄されることはない。しかし、あの母親に付け入る隙を与えることになりはしないか。全くもって迂闊だった。でも自分も急いでいるのだ! こんな所で押し問答をしている間に、婦女暴行魔にと捕まってしまっては、死んでも死にきれない!!
「あの、私は本当に不審者ではないので、お構いなく!」
「逃がすか!」
この場から逃げようと身を翻したルイーゼの手を、エルウィンが素早く捕まえる。
「逃げようとしているな? 後ろ暗いところでもあるのか?」
「ありませんっ!」
――……自分でも分かるほど説得力がない……。
ルイーゼは逃げようとしていないと言いながら、エルウィンの腕から自分の腕を引き離そうと暴れる。さほど力を込められている様子もないのに、エルウィンの手はびくともしない。
どういう力の加え方をしているのかわからないが、思い出せばエルウィンは、度々このような技能を自分に見せつけてきていた。
――いたずらをする自分を逃さないと言うか……何と言うか……。
色々あったけど、思い出は誰も楽しかったという感情に結びついている。
――懐かしいけど……色々思うことはあるけど……今はそれよりも早く逃げないと! エルウィンを、他国の高位貴族とのもめ事に巻き込むわけにはいかない。そのまま騎士団に引き渡されたりしたらどうなるか……!
「まあ、どうされたのですか?」
膠着状態の二人の背中に、聞き覚えのある女性から声が掛けられる。振り返らずとも声の主は分かる。
「マルグリート様? どうしてここに……」
振り返ると同時に呼びかけたのはルイーゼだ。その手は未だにしっかりと、エルウィンに拘束されたままになっている。
「ええ、式典の進行ルートの安全性を確認しようと思っていたのですが……これは、どういう状況かしら?」
さすがのマルグリートにも状況が読めないようで、引きつった笑みを浮かべている。
――安全性の確認? わざわざ彼女が? ……昼間精霊の話を彼女から聞いたから、どうしてもそちらと結びつけてしまいそうになるけど……関係ないのかな――って、今はそれどころじゃない! あの人達のことは、エルウィンには知られないように、マルグリート様に話を持って行きたかったけど……もたもたしていたら、あいつらが来てしまう!
「マルグリート様、あいつらがコルテス邸に来たんです。ひとまず、メーベルト邸に避難しようと思ってたんですけど……」
「それなら大聖堂へ……いえ、今はダメね」
ルイーゼは小声でマルグリートに打ち明ける。対するマルグリートも小声で応じる。あの人達のことを、エルウィンの耳に入れたくないのは、彼を巻き込みたくないからだ。
この距離では、無駄な抵抗のような気がしないけれども。
――今のエルウィンは、私のことを覚えてないから……大丈夫かな?
記憶があった頃のエルウィンは、ルイーゼのために相当無理をしてきた。無理を通してでも守ろうとして、こんなことになってしまった。
「……何か事情があるのか?」
――やっぱりダメだった!!!
どうしようかとエルウィンを仰ぎ見ると、口にした本人も自分の発言に戸惑っている様子を見せている。
彼のそんな表情を、ルイーゼは見たことがある。
まだ彼が完全に心を開いてくれていなかった頃、否定しきれない彼のお人好しが表面に現れた時によくそんな顔をしていた。
ルイーゼを不審者としてマークしているのも、事実だろう。けれど、心配しているのもまた事実だ。
「私は大丈夫なので、この手を離してくれると大変ありがたいのですが……。市井の宿屋にでも泊まるので――」
エルウィンはルイーゼを凝視したまま、まだ何かを考えているようだ。ルイーゼの胸中に焦りが生まれる。ほんの少しの懐かしさや、それ以外の、宜しくない感情を打ち消してしまうほどの焦りだ。
「保護を必要としている彼女を、教会が保護できないと言うのであれば、私が彼女を保護しましょう」
「それはダメです!」
焦りを含んだルイーゼの叫びに、エルウィンが警戒を顕わにルイーゼを見下ろす。
「メーベルト家の関係者であるならば、君をここへ捨て置くことはできない」
エルウィンのルイーゼを見る目に、かつての色はない。赤の他人どころか不審者を見る目で、警戒も露わに対峙している。
そんな状態でも自分を保護してくれるという。これがルイーゼでなく、赤の他人だったとしても……彼は同じ対応をとるのだろうか……?
「お待ち下さい、エルウィン様」
否を唱えたのはマルグリートだ。
「彼女の身元はマルグリート様の保証があるというのなら、問題はないでしょう」
「彼女をシュティーフェルの屋敷へ連れて行かれるおつもりですか?」
これにはマルグリートも慌てた様子を見せる。彼女が慌てている本当の理由を、エルウィンは知らない。だから曲解したのか。
「シュティーフェルの屋敷は、平民にとって居心地がいいと言える場所ではありません。私が昔使っていた別邸がありますから、そこで彼女を預かります」
「別邸……?」
王都にそんなものがあるだなんて、ルイーゼは初耳だ。
「……分かりました」
マルグリートが了承の意を示し、マルグリートとエルウィンの間で話がまとまってしまった。
――私の意思……。今のエルウィンは聞きそうにないし、マルグリート様にこれ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかない……仕方ないか。
「来い」
エルウィンは無表情にルイーゼを一瞥し、先を歩き出す。
マルグリートは冷たく見える態度に心配になってルイーゼに視線をおくるが、当の本人であるルイーゼはどこか懐かしけな様子を見せて、エルウィンを追いかけていく。
ルイーゼには分かっていた。
一見すると無表情のように見えるが、確実にこちらを心配している。こちらに全然気を配っていないように見えて、きちんと付いてきているか、怪我をしていないか、怖がっていないか……そんなことを感じ取ろうと全神経を集中している。
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ヘルタ夫人からもたらされた情報では、まるで人が変わってしまったかのようだったけれど、根本的なところは変わっていない。
ルイーゼには、そう思えた。
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