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45.誤算2

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 ◇◆◇


「それ……本当の話ですか?」

 ヘルタ夫人から、ソフィアとエルウィンの現状を聞いたルイーゼは一抹の不安にかられた。

 ――聖女であるソフィアに対しての殺人未遂を、不問にされているのは……ソフィアがエルウィンを好きだからだ。エルウィンがソフィアに対してそんな態度を取り続けていたら、いくらソフィアでも思いが覚めてしまうんじゃ? ソフィアの執着がなくなれば、エルウィンの刑罰はより重いものに変更されてしまうんじゃ……?

「シュティーフェル邸ではどうなんでしょう?」
「さあ、そこまでは……」
「ですよね……」
 落胆を見せるルイーゼに、ヘルタ夫人が慌てて気を使ってきた。心配ご無用と言外に示しつつ、ルイーゼは胸中では焦っていた。

 ――なんでそんなことになってるの……?!



 領地へ戻るヘルタ夫人を見送りながら、ルイーゼはいてもたってもいられない妙な焦りを覚えていた。
 気になるけれど、もう隣で彼を見守ることはできない。今日、領地へ帰って行ったヘルタ夫人が次に来るのは来月になるだろう。今の自分にできること……本当はもう何もしないのが一番なんだろうけど……。
 教会が、エルウィンに対して、何かよからぬことを企んでいるかいないかくらいは、知っておきたい。問題が発覚したら……マルグリート様に協力を要請できないだろうか。「何かあれば連絡を」というマルグリートの言葉を、社交辞令と分かっていたが、敢えて気づかない振りをして頼んでしまおうかと思っていた。
 マルグリートの言葉は社交辞令などではなかったのだが。

 ――まず手始めに……マルグリート様が今どこにいるのか、明日、大聖堂に行って聞いてみよう! それと……できるなら、エルウィンの今の状況や教会の考えを知りたい。彼の身に危険が迫っていないことが確認できれば、少しは落ち着くこともできるし!







 ◇◆◇


 記憶を失ったエルウィンの中では、永らく使用人同然の扱いを受けてきたが、ソフィアの『運命の恋人』と認識され、急遽、貴族籍に入れられ彼女の婚約者にされた……と記憶が新たに構築されていた。

 エルウィンにとってソフィアは、その他大勢の一人に過ぎない。彼女が元平民ということは聞いているが、だからなんだ。そのような共通点で、心理的距離を埋められると思っている彼女が、理解できなかった。

 それでも、意味不明な状況を……ソフィアのことを自分なりに理解しようと、『番い』について調べるため、エルウィンは王都にある王立図書館へとやって来ていた。
 義兄、ボリソヴィチ・バッソから「王都へ行くなら、ソフィア・メーベルトには絶対に秘密にしておけ」と意味不明な助言をもらった。
 エルウィンの記憶の中で、この義兄と親しく会話を交わした記憶はない。久方ぶりに聞いたはずの声は、なぜか耳に馴染み、悪意の欠片も感じられなかった。まるで普段から他愛のない会話を楽しんでいたかのように。

 シュティーフェル領から王都までは、通常であれば馬車で一週間だが、高速で馬車を走らせ、車中泊を繰り返し三日で王都の町屋敷に辿り着くことができた。王都へ到着したのは夜半過ぎだったため、当日は町屋敷に泊まり、王立図書館へは翌日朝から向かった。
 エルウィンの記憶では、自分は普段から貴族のように着飾ったりしたことは一度もない。それなのに、上等な生地で縫われた厚い服の着心地に、全く違和感を覚えなかった。


 一日がかりで『番い』について調べを続けたが、王立図書館ではエルウィンが求める答えを得ることはできなかった。退館手続きに、思いの外、手間取ったため周囲はすでに暗くなり始めている。
 当初の予定では、午前中に王立図書館を、午後に大聖堂の図書室を、それぞれ利用させてもらう予定だったが……オフシーズンの今は日が陰るのも早い。王都の夜道を歩くのは得策ではないだろうと判断し、大聖堂へ向かいかけていた足を止めた。

 大聖堂へ続く大通りを歩いていると、細い横道から一人の少女が出て来たのに気づいた。平民と思しき装いの、赤いくせっ毛が印象的な少女だった。
 こちらには一切気づいていないようで、肩を落としながら静かに歩いて行く。

 ――何か、気を落とすようなことでもあったのだろうか。
 そこまで考えて、名前すら知らない少女に対し、随分とおかしなこだわりを抱いたものだと自嘲する。

 婚約者である少女に対してすら、興味を抱くことができていないというのに。そのことに、罪悪感を抱いていないと言ったら嘘になる。見知らぬ少女に対し気を配るよりも、権力者に一方的に定められたとはいえ、自分には婚約者がいるのだから……そちらをもっと考えるべきなのだろう。
 今までそんなこと、考えたこともなかったのに、唐突にそんな感情に嘖まれる。

「どうかされましたか?」
 少女に気を取られていたその背に、声がかけられた。

 振り返ると、目の前には白い修道服に白いベールで顔を隠した修道女がいた。声から二十代前半だろうかと思われるが、ベールで顔を隠す修道女などには心当たりはない――エルウィンは。
「いえ……」
 見知らぬ修道女に、見知らぬ少女の何を話せばいいというのか。なんでもないと言外に示すと、軽く頭を下げてその場を去った。
 見知らぬ少女のことなど忘れたかのようなふりをして。
 振り返ることなく去っていくエルウィンの背中に、修道女――マルグリート・ビアホフが視線を投げかけていることなど、気付く由もなく。


 エルウィンの頭の中にあるのは、未練にも似た思いだった。 
 自分は、あの見知らぬ少女に声をかけたかったのだろうか。彼女の横顔が、脳裏にこびりついて離れない。
 こちらに気付く様子もなく、背を向けて立ち去っていく姿が、ひどい焦燥を胸中に呼び起こさせる。そんなものは気のせいだと、少なくとも、貴族として扱われ始めている自分が、婚約者以外の女性に気を取られるとは、愚の骨頂。恥さらしな真似だ。

 気のせいだと、頭の中から消し去ろうと強く強く意識する。
 そんなことに集中していたら、何時の間にか完全に日は落ち、周囲は暗くなっていた。町屋敷へ戻りかけ、彼女が戻っていった方向も貴族街の一画だと思いだす。
 ――平民の彼女が一体何の用だったのだろう?





 ◇◆◇

 今、シュティーフェルの町屋敷にいるのは、エルウィン一人だ。
 エルウィンは使用人を使役することに慣れていない。今回も、エルウィンが断らなければ、使用人がついて来るはずだった。不在の間も、町屋敷の手入れをしているものはいたが、エルウィンの到着予定に合わせて呼び戻すことはしなかった。

 ――オフシーズンの貴族街がこれほどまでに、賑わいがあるとは思わなかったな。
 使用人の姿もチラホラ見えるが、貴族の数も多い。これほど多くの美しく着飾ったご令嬢が目の前を通り過ぎるというのに、自分は全然それが気にならない。
 昨日、一瞬見かけただけの少女が、あれほど気になったというのに……。

 
 昨日果たせなかった目的を果たすため、大聖堂へ向かい、受付に備え付けられている椅子に腰かけ、図書室への入場手続きを待っていると――大荷物を持って歩いている一人のメイドが目に入った。
 目が向いたのは、赤い癖っ毛が印象だったからか、この場にそぐわない大荷物を抱えていたからか。
 パンパンに膨れ上がった麻袋二つ。彼女の様子からして中身はそう重くはないのだろう。

 ――昨日の……少女か? 昨日は修道服を着ていなかったが、修道女だったのか……いや、あの姿はどこかの貴族の下働きだ。貴族の遣いで、教会へ来たのだろうか。よく見ると貴族のご令嬢のような品の良さがある……ような気がする。

 見知らぬ少女をいつまでもしげしげと見ているのは無作法、と彼女を意識から追い出す。
「エルウィン・シュティーフェル様ですね」
 修道士と思しき男性が、椅子に腰かけていたエルウィンの前に立った。
「聖女様の夫君ふくんと存じ上げてはおりますが、規則ですので案内人を付けさせていただきます。何卒なにとぞ、ご容赦下さりますよう」
 恭しく頭を下げられることに、この短期間でよく慣れたものだと思う。案内人とやらは、少し待ってから現れた。

 司祭に命じられたらしい修道女が連れて現れたのは、見覚えのある女性だった。白い修道服に白いベールの修道女は、昨日、あの道で出会った女性。

「貴女は昨日の……」
「またお会いしましたね。マルグリート・ビアホフと申します」
 彼女は穏やかな微笑みを浮かべ、軽く腰を折った。
 とても慈愛に満ちた表情に見える。エルウィンが名乗ろうとすると、マルグリートは挨拶は不要と応じた。

「エルウィン様は、『番い持ち』について調べているとか」
 図書室へ向かう道すがら、マルグリートはそんなことを口にした。受付に来場目的は伝えてある。彼女がそれを知っていたとしても、なんら不思議はない。
「『番い』について調べる『番い持ち』の方は多くはありません。いないと言っても差し支えないレベルかもしれませんね」
「『番い持ち』となった者がいないからではないでしょうか」
 エルウィンは事ここへ至っても、まだ、龍神に関する奇跡の一切を信じてはいなかった。
 奇跡を目の当たりにした記憶はある。人智を超越した『神の奇跡』が、人々を惹き付けるのも理解できる。だから、周囲がエルウィンとソフィアを『運命の恋人』だと思い込みいるのだろう。
 だとしたら、そこに、愛だの何だのは必要ない。

「『神の奇跡』などなくとも、人は生きていられるだろうに」
「ですが、あれば人は欲しくなるものでしょう」
 エルウィンもそれは分かっている。

「実は私も、かつては聖女と呼ばれていたんですよ?」
「そう……なのですか?」
 驚くエルウィンに、マルグリートはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。その笑みに、見覚えがあるような気がしたが、思い出せない。
「龍神に愛されていたのは、夫だったようですけど」
 彼女の言葉にエルウィンは驚いたが、その動揺を表に出すことはなかった。
「私は今のエルウィン様と同じような立場でした。ですが……なぜでしょうね。疑問を抱く暇もありませんでした」
 エルウィンは言葉を挟まずに、マルグリートの言葉を待った。
「周りから向けられる、崇拝の視線に……酔っていたのかもしれません」
「崇拝……ですか。分かるような気がします」
 エルウィンの同意に、マルグリートは小さく笑って。
「夫の死後……私に奇跡は訪れませんでした。聖女としての能力も失い、今は家族もなく……今はしがない修道女です」

 前・聖女についてエルウィンが知っていることは少ない。
 退役後の話など聞いたこともない。目の前の彼女は、悲しみというよりも、怒りや憎しみに近い感情を内に秘めているように、エルウィンには見えた。





  
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