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43.運命は選択された3
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執事から聞いてサンルームから湖畔へ続くウッドデッキへ向かったルイーゼの目の前では……信じられない光景が繰り広げられていた。
エルウィンが右手で背中から煌めく何かを取り出した時、それが凶器だとは気づかなかった。
少し前まで……愛し合う二人が抱き合っている光景にさえ見えていたくらいだ。
――私は一体何を見てきたの?! こんなことをさせてしまうほど、エルウィンが追い詰められていたなんて……!
「エルウィン!!!」
呼びかけるが、エルウィンが手を緩める気配はない。
――私の声、聞こえてない?!
彼の元へ駆け寄るとするが、おさまっていた心臓の痛みが再発し、踏み出した一歩が止まる。
ソフィアが自分に悪感情を向けているのかと思ったが、ソフィアの目には、エルウィンしか写っていないように見える。
――心臓がつぶれるわけじゃない。大丈夫、今はこのまま進める……!
「何してるの、エルウィン!」
「来るなっ!」
エルウィンの声に、ルイーゼは瞬間、足を止める。
しかし、すぐにまた歩みを進めた。少し離れた位置からも、『神の奇跡』を持っているはずのソフィアの傷が治っていないのが分かった。光は傷口に集まっているようだが、なぜか傷口に触れると消えていく。
エルウィンの手がソフィアから離れると同時に、ソフィアの体がその場から崩れ落ちた。そのまま池に蹴り落とそうとするエルウィンの腕を引っ張るために掴むと――その腕に血がついていることに気づいた。
ルイーゼに腕を掴まれて、エルウィンが動きを止める。今、初めてその存在に気づいたように振り返る。
「……ごめん、こんな方法しか、俺には選べなかった」
エルウィンが低く呟く。
「何言ってるの?! エルウィン、早くソフィアの手当を――」
「――うわああっ!」
サンルームから悲鳴が聞こえてきた!
極度の緊張の中にいたルイーゼとエルウィンが、咄嗟に振り返る。
悲鳴が執事の声で、彼はこの光景を見て恐怖に叫び声をあげ――直ぐに踵を返してこの場から逃走した! それが何を意味するのか、ルイーゼには分からない。冷静な思考ができるような状態じゃなかった。分かっていれば追いかけただろう。
引き止めることができたか否かについては、別として。
何も分からなくても、執事を見失ったことに、ルイーゼはひどく動揺した。
「待って……!」
今更状況の悪さに気づき、ルイーゼが執事を追いかけようとするが、その手をエルウィンが掴んだ。血に濡れていない方の手で。
「……追わなくて、いい」
「え? あの、でも……」
「……もう、いいんだ」
エルウィンはルイーゼと目を合わせようとしない。視線を落とし、どこを見ているのか、分からないような目で虚空を見ていた。
ルイーゼには分からない。なぜ、こんな状況になっても、エルウィンは穏やかな……安心しているような顔をするのか。
ルイーゼが手をこまねいていると、遠くから蹄と人々の声が聞こえてきた。遠くにいる彼らが、何を言ってるのか分からないけれど、ここが目的地らしいことは分かった。
辛うじて聞き取れた単語の中に、「聖女」「番い」の単語が聞こえたから。教会の騎士団だろうか。
ルイーゼから視線を逸らしていたエルウィンが、不意に、ルイーゼを真っ直ぐに見つめ。
「……ここまで、君を連れてきたのは、俺のわがままだったから」
「何言ってるの?!」
「……俺が、君を、幸せにしたかった」
数分後、執事が連れてきた教会騎士団が、別荘に到着したらしく、沢山の殺気立った足音が聞こえてきた。
過酷な訓練を受けた、機敏な動きを見せる騎士団に、ルイーゼはなすすべがない。あっという間にエルウィンから引き離され、後方に追いやられる。騎士団としては、凶悪犯から保護したつもりなのだが。
「エルウィン・シュティーフェル! 貴様を、聖女殺害未遂の容疑により――」
一人の騎士が高らかに罪状を読み上げたその時、ソフィアを開放していたシスターから驚きの声が上がる。
「団長! せ、聖女様が……!」
「なん……だ?!」
シスターの声に、足下に倒れていたソフィアへと視線を向ければ、その体が柔らかな光に包まれているのが見えた。この場の皆が、固唾をのんで事の成り行きを見守っている中、ソフィアはゆっくりと目を開き、上半身を起こした。まるで奇跡の復活を果たしたかのように、神々しささえ感じる。
起き上がったばかりのソフィアの目に、騎士団に取り囲まれているエルウィンの姿が映る。
「待って! 誤解……誤解なの!」
ふらつく体を無理に起こし、血だらけのドレスを引きずりながら、騎士団とエルウィンの間に立ちはだかる。必死の面持ちは、それだけを見ていればとても健気で純粋なものに見えただろう。
「待って! 彼を……愛してるの! わたしがいいって言ってるのよ! お願いだから彼を捕まえないで! わたしの婚約者よ!」
ソフィアはエルウィンにしがみつきながら、涙ながらにそう訴える。騎士団は動くことができない。それは、ソフィアがあまりにも一生懸命頼むからか、それとも、聖女としての特別な力が働いているのか……。
ルイーゼの目には、騎士団の面々も困惑しているように見えた。捕縛しなければならない相手を前にしているのに、それが憚られる。ソフィアの望みは純愛で、聞き届けることが正義。彼女の望みに反することが……悪。
それは今、必死の説得を続けるソフィアを見て、ルイーゼが感じたこと。同じ違和感を、騎士団の面々も抱いているような気がしてならなかった。
エルウィンを守ろうとするソフィアを見て、ルイーゼは分かってしまった。
自分とエルウィンが結ばれるには、ソフィアが死ぬしかない。
けれど、ソフィアを殺せば、ただでは済まない。今、エルウィンが首の皮一枚繋がっているのは、彼がソフィアの思い人だからだ。
彼は、自分が処刑されるまで、何度でもソフィアを殺そうとするだろう。
確かめなければ良かった。あんなに好きだなんて、言わなければ良かった。
どうにもならないのであれば、何もしないで最初から諦めていた方が、エルウィンの幸福だったのに。
――私には……できることがない。
◇◆◇
ソフィアの懇願に負け、騎士団長とシスター一人を残し、それ以外の団員は街へ戻っていった。ルイーゼはあれから、エルウィンと話をすることができていない。ソフィアが団長に「ルイーゼが元凶だ」と告げているからだ。
団長はソフィアの進言で、ルイーゼに取り調べを行おうとはしなかったが、エルウィンと話をする許可は出さなかった。
団長の中で、エルウィンを捕まえるべき罪人と捉えているからか、ルイーゼを元凶だと思っているからか……ルイーゼには分からない。
ソフィアが完全復活するまで、ルイーゼの体調は問題なかったのだが、ソフィアの体調が完全に戻ると、ルイーゼは再び体調不良に見舞われることになった。
体調不良に陥ったルイーゼをシスターは心配していたが、彼女の役割は次期聖女と目されているソフィアの看護と保護。ルイーゼの手当てをすることは許されなかった。
――翌日、昼。
そのような状況下、客室で一人安静にしていたルイーゼの元に、ソフィアが現れた。ドアを開けて入ってくる際、廊下にシスターを待たせているのが見えたが、室内に入ってきたのはソフィア一人だ。
ルイーゼはソフィアを黙って見据えたまま、自分から口を開こうとはしなかった。
だからと言って、彼女の言葉を待っているわけではないけれど。
「……お姉様が結婚してしまえば、エルウィン様もきっと分かるわ! 今はただの気の迷いなんだって!」
しばらくの沈黙の後、ソフィアの口から放たれた言葉がそれだ。
「エルウィン様のお姉様への想いは、勘違いだよ……エルウィン様は、わたしに優しかったもん! 愛しそうにわたしを見てくれたもん!」
子供が駄々をこねるように、ソフィアは自分の理論をルイーゼにぶつける。
「お姉様のせいよ! お姉様がエルウィン様を苦しめてるのよ! わたしじゃない……わたしのせいじゃないっ!!!」
この流れで、「自分のせいじゃない」なんて言葉が出てくること自体、自分のせいだとわかっているんじゃないか。――そう言ってやりたいが、ソフィアと言い合いができるほど、体調は芳しくない。
こんな状態になっても、ソフィアは泣くばかりで建設的な意見を言えない。言う気がないのだろう。龍神という後ろ盾を得た彼女は、諦める必要なんてないから。彼女には我が儘を言う権利があると、世間が、世界が、それを認めているのだと信じて疑ってない。
誰一人、龍神の真の意志を確認した者などいないというのに。
「このままだとエルウィン様が罰せられてしまうわ! お姉様のせいよ! お姉様が不用意に誘惑するから……どうしたら、どうしたらいいの?」
さめざめと泣くソフィア。まるで、彼女は悲劇のヒロインだ。
ただでさえ体調不良なのに、これ以上、ソフィアの妄言に付き合わされていたら倒れてしまう。廊下で待機しているシスターにソフィアを引き取ってもらおうと、ソフィアを無視して扉を開けると――そこには、予想外の人物、マルグリート・ビアホフがいた。
「……あっ! どうしてここに?」
思わず大きな声を出してしまいそうになり、慌てて小声で続けた。『元・聖女様』なんてこの場で叫んだらややこしいことになりそうだ。
「もしかして、ソフィアにお話ですか?」
マルグリートは元・聖女。次期・聖女であるソフィアに引き継ぎ連絡があったとしても不思議はない。
「いえ、今日はあなたにお話が……」
マルグリートはルイーゼに小声で打ち明けた。小声で話すということは、ソフィアには聞かれたくない話なのだろう。ルイーゼも、これ以上ソフィアと話すことなどない。
「分かりました。じゃあ……別の客室に」
別荘はより小さくとも、密談に使えそうな場所はいくらでもある。ルイーゼはマルグリートを、誰も使用していない客室に案内した。ルイーゼは、容疑者の関係者としてマークはされているが、被疑者としての扱いを受けているわけではないから、移動諸々について制限を受けてはいなかった。
「ルイーゼ様は特にお怪我などされていないようで、安心しました」
マルグリートは心底ホッとしているようだ。自分の話がどのように歪曲されて彼女に伝わったのか、ルイーゼは心配になってしまった。
「あれから日も経っていないのに……もう、情報が知れ渡っているのですか?」
どんな情報がどれだけ伝わっているのか……エルウィンの今後の生活が心配になってくる。
「ソフィア様は……相変わらずのようですね。エルウィン様は、失敗したのですね」
「……どういう、ことですか?」
マルグリートに言われるまでもなく、ルイーゼも理解していた。マルグリートが今日来たのは、世間話をするためではないことも。
「神の奇跡を持つ者を普通の武器で殺すことはできません。だから、殺せそうな武器を託したのですが……やはり、無理だったようです。お力になれず、申し訳ありません」
マルグリートは申し訳なさげな口調で、エルウィンに竜殺しの短剣を渡したことを、ルイーゼに白状した。土下座までしてしまいそうなほど、マルグリートは頭を下げる。
「力に、って……」
ルイーゼはあんまりの事実に言葉もない。確かに、エルウィンに横恋慕するソフィアの存在は、ルイーゼにとって好ましいものではない。だからといって、問答無用に「死んでしまえ」なんて思ったわけじゃない。
自分の体調不良に、ソフィアが無関係だとはさすがにルイーゼも思っていないが、彼女の嫉妬心ひとつで、自分の体がここまで蝕まれているのは間違いようもない事実だ。原理も何も分からないのに、それだけは本能的に理解できてしまう。
――私、自分の命をエルウィンに任せすぎていたのかな……。
「……でも、どうしてあなたがそんな武器を?」
「仕事柄、色々な方と知り合う機会も多かったので。……今のルイーゼ様方と同じように、龍神に苦しめられた方も多々おられました」
「……そう、なんですか?」
これは初めて聞いた話だ。『運命の恋人』自体が初めて目にしたくらいだから、当然だけど。
「マルグリート様……私、『運命の恋人』というものがよく分かりません。ソフィアの片思いに、周りが振り回されているだけのような気がして……」
「そう……ですね」
こんなことを元・聖女であるマルグリートに言ったところで、理解してもらえるかどうかは疑問だったが、ルイーゼの予想に反し、マルグリートは理解を示した。そのことに、ルイーゼは動揺する。
「数日中に、エルウィン様の処分が言い渡されることになるでしょう」
マルグリートの言い方に、ルイーゼはひっかかりを覚える。まるで、もう処分内容が決まっているようではないか。ソフィアがあれだけ騒いでいるのだから、極刑もありえない。ではなにか。
「処分って……ソフィアは望んでないのに……?」
「ソフィア様が望む罰であれば?」
「いくらなんでも、ソフィアがエルウィンに対して罰を望むなんてこと、あり得ません!」
ルイーゼは過去の記憶から、ソフィアが許容できそうな罪について考えを巡らせるが、思いつくものなどない。
「ありますよ。たった一つ、彼にとっては罰であり、彼女にとっては光明にさえなり得る罰が」
「そんなもの……あるんですか?」
しばしの沈黙の後、マルグリートは口を開いた。
「それは――……」
◇
言うべき事を告げると、マルグリートは別荘を後にした。
ルイーゼも共に帰るかと問いかけたが、ルイーゼの事情はまだ解決していないので、メーベルト邸に戻るわけにはいかなく、誘いは辞退。
マルグリートは、ルイーゼとエルウィンが幸福になれる結末を探していた。過去の文献をあらい、番いの効力を無効化する何かがないかと、必死になって探した。けれど、見つからなかった。
エルウィンに竜殺しの短剣を渡したことで、マルグリートも難しい立場にある。そんな彼女が今も普通に出歩くことができているのは、彼女が元・聖女――元・番い持ちであるからに他ならない。
番いとしての効力を失った後も、人々の間に根付いている思い込みの力は凄まじいものがある。
マルグリートは確信していた。
ソフィアが望む限り、エルウィンが罰せられるようなことはないだろう。だが、ルイーゼは分からない。過去、自分の番いが両親や自分が愛した者を葬ったことを覚えている。それを、教会は黙認していた。
彼が死ぬまで、それを『悪』だと認識することさえできなかった。
教会の連中が、竜殺しの短剣を持ち出した自分を罰することがないのは、彼等なりの罪悪感なのかもしれない。
エルウィン・シュティーフェルに対する処罰が正式に発表されたのは二週間後。
処分――『記憶消去』。エルウィン・シュティーフェルの記憶から、ルイーゼ・メーベルトに関する一切の記憶を消去する。
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