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33.伯爵夫人としての顔3

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「……放して下さい!」
 シーオドアの手を振り払おうと、ルイーゼは己の手に力を入れるがびくともしない。

「お母上からお聞きになっていないのですか? 私は全てへ貴女を導くように仰せつかっております。確かに面倒な話だとは思いましたが……実際にあなたを見て悪くはない取り引きだと思いました」

 母の目論見を口に出され、ルイーゼは衝撃を受けた。頭に血が上って平静を欠いているとしても、ありえない! 実の娘に対して何てはかりごとをするのか――ルイーゼは母親に対して怒りを覚える。
 
 その怒りに我を忘れていたルイーゼを、シーオドアにのしかかるような体勢で押さえ込む。片手首を拘束された上に、ドレスの裾を膝で押さえつけられ身動きが取れない。
 何時の間にか身動きができない状態にされ、ルイーゼは本能的な嫌悪感が足下からせり上がってくる感覚に震えた。

 ――それもこれも、馬鹿みたいに大きなスカートのせいだわ! でも、お見合いの場に男装して現れるわけにもいかないし……!

「放して! 人を呼びますよ!」
「どうぞご自由に……私はあなたのお母上に、頼まれてここにいるのですよ?」

 ――人の良さそうな顔をして飛んだ狸だわ! と言うかお母様よ問題は! 何考えてるのよ、あの人!

「貴女も悪い気はしていないのでしょう? そのように、男を誘うような装いでこの場に現れたのですから」
「はあっ?!」

 シーオドアの不躾な物言いに、ルイーゼは切れた。絶対許さんと空いている方の手で拳を握りしめ、狼藉者の顎に標的を……絞ったところで、小さく廊下の喧噪が聞こえ――乱暴にドアが開かれる音がすると共に体に自由が戻った。

「――ルイーゼ!」
 狼藉者が退いた後、ルイーゼの視界に飛び込んできたのは――エルウィン・シュティーフェルだった。彼の浅い呼吸や上気した頬と着崩れた装いから、ルイーゼは彼が走ってこの場にやってきたことに気づく。
 それを肯定するように、続いての駆け足音が近づいてくる。

 彼から差し出された手を掴み、引き寄せられるまま、ルイーゼは彼に抱きついた。足下から這い上がってくる怖気おぞけを振り払うように。

 彼が今、なぜここにいるのか……そういったことを考えられるほど、ルイーゼは冷静ではいられなかった。自分ではこんな程度、大したことはないと思っているつもりだった。体の震えも武者震いだと思い込もうとした。

「悪い、遅くなった」

 自分の体を抱きしめているのがエルウィンだと思うだけで、ルイーゼは安堵して嬉しくなる。先程まで感じていた嫌悪感の全てを忘れることができる。頭を撫でる優しい手つきに、それと同じかそれ以上に優しい声が耳朶に触れる。

「貴様! 何者だ!」

 シーオドアの激昂した声が響く。背を向けてエルウィンの腕にいるルイーゼには見えていないが、シーオドアは床に尻餅をつき、赤黒く腫れた口元を拭いながら、エルウィンに向かい罵声を浴びせていた。

 エルウィンは室内に突入すると、何が起こっているのかを瞬時に理解し、ルイーゼにのし掛かるシーオドアの襟首を掴み彼女から引き離し、振り向いた顔面に肘で打ち付けて壁際の棚に叩きつけた。エルウィンに棚に叩きつけられたシーオドアは後頭部を棚に強く叩きつけていたため、数秒目眩を起こし反応が送れた。

 シーオドアの声を聞き無意識の内にルイーゼの体が強ばる。このままではエルウィンが責めを負ってしまう――そう危惧したルイーゼはシーオドアに向き直ろうとするが、エルウィンはそれを許さない。

 彼女を背に庇い直し、シーオドアに向き直る。

「ああ……そうか」エルウィンを見やるシーオドアの顔に、嘲りの笑みが浮かぶ。「お前が妾腹の下男か……伯爵に取り入った娼婦の息子!」
「なんですって?!」
「大丈夫だから、ルイーゼ」

 エルウィンの背中で怒りに燃えるルイーゼと異なり、エルウィンは冷静だった。

 直後――
「これは一体、何の騒ぎだ!」
 正当な家主、ジェヒュー・メーベルトがこの場に現れた。

 走って来たらしく、呼吸は浅く髪も服も少々乱れている。ルイーゼが周囲を確認すれば、あの時に姿を消した執事とメイドが不安そうな面持ちで側に佇んでいるのに気づいた。

 ――騒ぎがお兄様の耳に入ってしまったのかしら?

 ジェヒューの職務は、領主であるメーベルト伯の補佐だが、毎日毎日二十四時間働き続けているわけではない。業務は基本的に午前中で終わる。

「お兄様、どうしてここに……?」
「本邸を訪ねる事無く別邸に隣国の高位貴族が直行するなど、常識では考えられない……事態だからね」

 ジェヒューの言葉にシーオドアは棚に手を突きながら立ち上がる。憎しみを込めた視線を、ジェヒューとエルウィンに向けながら。ジェヒューはシーオドアの口元にケガを見つけ、一瞬、ルイーゼを疑うがエルウィンに視線を移し……納得したように目を伏せた。

 リアルすぎて血生臭ささえ感じる憎しみに満ちた顔、小刻みに震える拳。エルウィンのその様子と、珍しく怯えたようにエルウィンの背に隠れて客人に怯えた様子を見せるルイーゼを見れば……もう疑いようがない。

 しかも、ルイーゼが来ているのは明らかに彼女の趣味とは言い難い、露出の激しい……言ってしまえば趣味の悪いドレス。

「参ったね。母上は……どこかな?」
 ジェヒューの後から入ってきた執事とメイドを振り返り問いかける。問いかけられた二人は顔を伏せたまま答えることができない。

 彼らはメーベルト伯夫人が己の屋敷から連れてきた使用人達だ。たとえここがジェヒュー邸の敷地内だとしても、主人を売るような真似はできないよう教育されている。

「ジェヒュー、なぜお前がここにいるのです」
 少しも悪びれた様子もなく姿を現した実の母に、ジェヒューは怒鳴りつけたくなる衝動を抑えるのが精一杯だった。




  
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