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7.運命のはじまり2

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 エルウィンのパーソナルスペースは、基本的に広い。

 それなのに――ソフィアが至近距離にいたというのに、エルウィンは全く不快に感じなかった。まるで、ずっと昔から、が戻ってきたかのような懐かしささえ覚えていた。

 だが、その異常性を認識すると、すぐに彼女を引き離そうとして、我に返る。彼女は平民から貴族に上がったばかり。距離感がはかれない可能性もある。
 ここで、自分が彼女を退けたりしたら、彼女はメーベルト伯から虐げられるかもしれない。……自分がそうだったように。

 どうするか――と、エルウィンはルイーゼへと視線を送り、ぎょっとした。当然だが、ルイーゼが般若はんにゃのような顔で自分達を見ていたのだから!

 ◇

 ――それ近づきすぎ!!! ああっ、でもソフィアは泣いてるし、今、怒ったりしたら……泣きやまないかも……どうしよう?! どうしたら……!

 ソフィアの行動に、ルイーゼは激しく「待った」をかけたかった。
 けれど、泣いているソフィアにそれをした場合、事態がどう転ぶかが読めない。ゆえに、動けない。ギリギリと歯を食いしばり、自分の感情を殺すしかない。

 エルウィンは、反射的にソフィアを引き離した! 直後に焦った様子で周囲の状況を確認する。
「エルウィン?」
「あ、ああ……悪い、大丈夫だ」
 青い顔をしているエルウィンに気づき、ルイーゼが呼びかける。エルウィンはソフィアから離れ、ルイーゼに触れようとして周囲の視線に気づきその手を引っ込めた。

「彼女は具合が悪いようだ。部屋へ戻るように言った方がいい」
「わたしは大丈夫です!」
 エルウィンの提案にソフィアが反発を見せる。側に控えている二人のメイドが、困ったようにエルウィンとルイーゼに視線を送る。誰の指示に従うべきか迷っているのは、ルイーゼにも分かった。

「ソフィアを部屋に連れて行って」
「お姉様!」
「体調不良でいきなり倒れてケガをしたら、どうするつもり? そのケガにエルウィンを巻き込みたいの?」
「……っ! お姉様……分かりました」
 ソフィアは泣きそうな顔をしつつも了承した。
「じゃあお願い」
「畏まりました」
 ルイーゼの合図でメイドの一人がソフィアを部屋へと連れて行くために、ソフィアの体を支えながらルイーゼ達に背を向けて歩き出した。

「エルウィン様は、よろしいのですか?」
「何がですか?」残ったメイドの問いかけに、エルウィンが戸惑いの声を上げる。その言葉に、問いかけた当の本人も自分の言葉に驚いているような顔をして――。
「申し訳ありませんでした」と頭を下げてこの場を去った。

 ◇

 ソフィアの部屋はルイーゼの部屋の隣だ。いつものようにルイージの部屋に籠もってしまうと、ソフィアが強襲してくるかもしれない……ルイーゼは先程のソフィアの様子を思い出し、一抹の不安を抱いていた。
 ゆえに、二人は当初の予定通り応接室に向かった。

 何をどう聞いたのか――父親が、怒りの表情で応接室を訪れたのは、給仕メイドが茶菓子を持って応接室に来たのと同時だった。

 客人であるエルウィンの前だというのに、
「妹の面倒すら満足に見れんのか! エルウィン君! 君はなぜ、ここにいるんだ!」
 と、ルイーゼとエルウィンを怒鳴りつけた! エルウィンにたしなめられ、当人ルイーゼに鉄拳制裁をくらい、メーベルト伯はようやく我に返った。

 ソフィアご乱心の一件が体調不良と合わせて使用人からメーベルト伯ディーター・メーベルトの耳に入ったらしい。

「市井から引き取ってきたばかりの娘が、急に体調不良で倒れたと聞き、動揺する気持ちは分かりますが、少しは落ち着いてください」
「す、すまん……なぜだか無性に……」

 父親は心の底から反省しているような顔をルイーゼに見せる。エルウィンに対しての発言については、この場にいる全員が聞かなかったことにした。

『なぜ、ソフィアの元に行かないのか』

 父の意図を無意識下でそう読み取ったルイーゼだが、気づかない振りをする。追求したら負けだ。


 父親とメイドを追い出して、ルイーゼはため息をついた。通常だったらメイドを追い出したりはしない。何しろ給仕係だ。だが今は……。

 ――過保護にも程があるというか……。お父様の様子には違和感を憶えるわ。いち領主として心配になるほどよ! 男性には、あの手の顔は私が思っている以上に、影響力があるのかも? こんなことであの子これから先、大丈夫なのかしら?


「君の妹については、義兄から聞いていたんだ」
「えっ?!」

 頃合いを見計らい、エルウィンが口にしたその言葉に、ルイーゼは驚きの声を上げる。彼は、彼女が驚くのは想定の範囲内だったのか、軽く苦笑するだけで大して困っているようには見えない。

 ――ああ、あの子に気を使ったの? ボリソヴィチ・バッソが平民に対して、ひどく差別意識を持っているのは知ってる。初めて会った頃のエルウィンは……彼が自覚している以上に、消えそうな儚い雰囲気があった。

「まさか、私がソフィアを虐めてるとでも思ったの?!」
 ――心外だ!
「君に対してはその心配はしていないよ。でも、君の家族の事は……そこまで知らないから。実際は予想とは正反対で驚いたけど……」
 そう言って、エルウィンはつとめて穏やかな顔で、ルイーゼの髪を弄びながら微笑んでいる。

 ――あれ? でもエルウィンはちょっとストレスを感じているみたい?

 エルウィンに自覚はないようだけれど、彼はストレスがたまるとルイーゼの髪を弄びたがる。不安に陥った時の代償行為がこれなのだとしたら、それはそれでちょっと照れる。

 そんなことを考えていたら、ふいにルイーゼの視界に影が差した。
 なんだろう? と思いルイーゼが見上げると――エルウィンが身をかがめながら、ルイーゼの額に軽くキスをする。

 ルイーゼはこの瞬間が好きだった。ほのかに感じる彼の体温や香水、シャイなところがある彼は、なかなかその腕にルイーゼを抱かない。
 初対面の時のように、非常事態に陥ったりでもしない限り。

 エルウィンは、ちゃんと自分のことを大事に思ってくれている。
 いざという時は、ちゃんと守ろうと動いてくれる。


 ――うん。だから、もう、気にしない。ソフィアは、そう……きっと、本当に具合が悪かったのよ。



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