8 / 56
7.運命のはじまり2
しおりを挟むエルウィンのパーソナルスペースは、基本的に広い。
それなのに――ソフィアが至近距離にいたというのに、エルウィンは全く不快に感じなかった。まるで、ずっと昔から、そこにあるべき体温が戻ってきたかのような懐かしささえ覚えていた。
だが、その異常性を認識すると、すぐに彼女を引き離そうとして、我に返る。彼女は平民から貴族に上がったばかり。距離感がはかれない可能性もある。
ここで、自分が彼女を退けたりしたら、彼女はメーベルト伯から虐げられるかもしれない。……自分がそうだったように。
どうするか――と、エルウィンはルイーゼへと視線を送り、ぎょっとした。当然だが、ルイーゼが般若のような顔で自分達を見ていたのだから!
◇
――それ近づきすぎ!!! ああっ、でもソフィアは泣いてるし、今、怒ったりしたら……泣きやまないかも……どうしよう?! どうしたら……!
ソフィアの行動に、ルイーゼは激しく「待った」をかけたかった。
けれど、泣いているソフィアにそれをした場合、事態がどう転ぶかが読めない。ゆえに、動けない。ギリギリと歯を食いしばり、自分の感情を殺すしかない。
エルウィンは、反射的にソフィアを引き離した! 直後に焦った様子で周囲の状況を確認する。
「エルウィン?」
「あ、ああ……悪い、大丈夫だ」
青い顔をしているエルウィンに気づき、ルイーゼが呼びかける。エルウィンはソフィアから離れ、ルイーゼに触れようとして周囲の視線に気づきその手を引っ込めた。
「彼女は具合が悪いようだ。部屋へ戻るように言った方がいい」
「わたしは大丈夫です!」
エルウィンの提案にソフィアが反発を見せる。側に控えている二人のメイドが、困ったようにエルウィンとルイーゼに視線を送る。誰の指示に従うべきか迷っているのは、ルイーゼにも分かった。
「ソフィアを部屋に連れて行って」
「お姉様!」
「体調不良でいきなり倒れてケガをしたら、どうするつもり? そのケガにエルウィンを巻き込みたいの?」
「……っ! お姉様……分かりました」
ソフィアは泣きそうな顔をしつつも了承した。
「じゃあお願い」
「畏まりました」
ルイーゼの合図でメイドの一人がソフィアを部屋へと連れて行くために、ソフィアの体を支えながらルイーゼ達に背を向けて歩き出した。
「エルウィン様は、よろしいのですか?」
「何がですか?」残ったメイドの問いかけに、エルウィンが戸惑いの声を上げる。その言葉に、問いかけた当の本人も自分の言葉に驚いているような顔をして――。
「申し訳ありませんでした」と頭を下げてこの場を去った。
◇
ソフィアの部屋はルイーゼの部屋の隣だ。いつものようにルイージの部屋に籠もってしまうと、ソフィアが強襲してくるかもしれない……ルイーゼは先程のソフィアの様子を思い出し、一抹の不安を抱いていた。
ゆえに、二人は当初の予定通り応接室に向かった。
何をどう聞いたのか――父親が、怒りの表情で応接室を訪れたのは、給仕メイドが茶菓子を持って応接室に来たのと同時だった。
客人であるエルウィンの前だというのに、
「妹の面倒すら満足に見れんのか! エルウィン君! 君はなぜ、ここにいるんだ!」
と、ルイーゼとエルウィンを怒鳴りつけた! エルウィンに窘められ、当人に鉄拳制裁をくらい、メーベルト伯はようやく我に返った。
ソフィアご乱心の一件が体調不良と合わせて使用人からメーベルト伯ディーター・メーベルトの耳に入ったらしい。
「市井から引き取ってきたばかりの娘が、急に体調不良で倒れたと聞き、動揺する気持ちは分かりますが、少しは落ち着いてください」
「す、すまん……なぜだか無性に……」
父親は心の底から反省しているような顔をルイーゼに見せる。エルウィンに対しての発言については、この場にいる全員が聞かなかったことにした。
『なぜ、ソフィアの元に行かないのか』
父の意図を無意識下でそう読み取ったルイーゼだが、気づかない振りをする。追求したら負けだ。
父親とメイドを追い出して、ルイーゼはため息をついた。通常だったらメイドを追い出したりはしない。何しろ給仕係だ。だが今は……。
――過保護にも程があるというか……。お父様の様子には違和感を憶えるわ。いち領主として心配になるほどよ! 男性には、あの手の顔は私が思っている以上に、影響力があるのかも? こんなことであの子これから先、大丈夫なのかしら?
「君の妹については、義兄から聞いていたんだ」
「えっ?!」
頃合いを見計らい、エルウィンが口にしたその言葉に、ルイーゼは驚きの声を上げる。彼は、彼女が驚くのは想定の範囲内だったのか、軽く苦笑するだけで大して困っているようには見えない。
――ああ、だからあの子に気を使ったの? ボリソヴィチ・バッソが平民に対して、ひどく差別意識を持っているのは知ってる。初めて会った頃のエルウィンは……彼が自覚している以上に、消えそうな儚い雰囲気があった。
「まさか、私がソフィアを虐めてるとでも思ったの?!」
――心外だ!
「君に対してはその心配はしていないよ。でも、君の家族の事は……そこまで知らないから。実際は予想とは正反対で驚いたけど……」
そう言って、エルウィンはつとめて穏やかな顔で、ルイーゼの髪を弄びながら微笑んでいる。
――あれ? でもエルウィンはちょっとストレスを感じているみたい?
エルウィンに自覚はないようだけれど、彼はストレスがたまるとルイーゼの髪を弄びたがる。不安に陥った時の代償行為がこれなのだとしたら、それはそれでちょっと照れる。
そんなことを考えていたら、ふいにルイーゼの視界に影が差した。
なんだろう? と思いルイーゼが見上げると――エルウィンが身をかがめながら、ルイーゼの額に軽くキスをする。
ルイーゼはこの瞬間が好きだった。ほのかに感じる彼の体温や香水、シャイなところがある彼は、なかなかその腕にルイーゼを抱かない。
初対面の時のように、非常事態に陥ったりでもしない限り。
エルウィンは、ちゃんと自分のことを大事に思ってくれている。
いざという時は、ちゃんと守ろうと動いてくれる。
――うん。だから、もう、気にしない。ソフィアは、そう……きっと、本当に具合が悪かったのよ。
1
お気に入りに追加
1,514
あなたにおすすめの小説
【完結】私、四女なんですけど…?〜四女ってもう少しお気楽だと思ったのに〜
まりぃべる
恋愛
ルジェナ=カフリークは、上に三人の姉と、弟がいる十六歳の女の子。
ルジェナが小さな頃は、三人の姉に囲まれて好きな事を好きな時に好きなだけ学んでいた。
父ヘルベルト伯爵も母アレンカ伯爵夫人も、そんな好奇心旺盛なルジェナに甘く好きな事を好きなようにさせ、良く言えば自主性を尊重させていた。
それが、成長し、上の姉達が思わぬ結婚などで家から出て行くと、ルジェナはだんだんとこの家の行く末が心配となってくる。
両親は、貴族ではあるが貴族らしくなく領地で育てているブドウの事しか考えていないように見える為、ルジェナはこのカフリーク家の未来をどうにかしなければ、と思い立ち年頃の男女の交流会に出席する事を決める。
そして、そこで皆のルジェナを想う気持ちも相まって、無事に幸せを見つける。
そんなお話。
☆まりぃべるの世界観です。現実とは似ていても違う世界です。
☆現実世界と似たような名前、土地などありますが現実世界とは関係ありません。
☆現実世界でも使うような単語や言葉を使っていますが、現実世界とは違う場合もあります。
楽しんでいただけると幸いです。
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!
友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。
探さないでください。
そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。
政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。
しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。
それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。
よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。
泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。
もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。
全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。
そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。
旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。
バナナマヨネーズ
恋愛
とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。
しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。
最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。
わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。
旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。
当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。
とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。
それから十年。
なるほど、とうとうその時が来たのね。
大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。
一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。
全36話
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
忘れられた幼な妻は泣くことを止めました
帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。
そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。
もちろん返済する目処もない。
「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」
フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。
嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。
「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」
そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。
厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。
それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。
「お幸せですか?」
アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。
世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。
古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。
ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。
※小説家になろう様にも投稿させていただいております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる