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第二部
3.真の聖女をカタる者
しおりを挟む一瞬、自分が叩かれたのかと思った。しかし、自分の頬に痛みはない。
メアリーは一体何が起こったのか理解しようと、臣下の礼をとるために下げていた視線を上げた。
「サミュエル様?!」
驚きの声を上げたのはベリンダだ。しがみついていたレイモンドから身体を放し、慌ててサミュエルを振り返る。叩いた当の本人であるレイモンドも、サミュエルを茫然とした面持ちで見ていた。
赤くなったサミュエルの頬にベリンダが手を伸ばすと、サミュエルは反射的に後退るが、後ろにいたメアリーにぶつかり彼は動きを止めた。
ベリンダの意識には頬を打たれたサミュエルに対する同情しかなく、そのまま赤くなった彼の頬に自らの手を添えた。
「な、なぜ邪魔をしたサミュエル!」
我に返ったレイモンドがそう叫びながら、サミュエルの頬をさするベリンダを引き剥がし、自らの腕に抱き直した。ベリンダは、レイモンドの独占欲を感じ取り頬を染める。
「婦女子に手を上げたとなると、レイモンド殿下の名誉に傷がつくかと」
サミュエルは胸に手をあてて、腰を落とし頭を下げながらそう言った。簡略的な動作ではあるが、臣下の礼としてはかなり正式なものに近い。
レイモンドは彼のその態度に気をよくしたのか笑顔で、
「聖女であるベリンダを傷つけたその女を罰したところで、私の名誉が穢されるようなことはないよ。むしろ、見過ごすほうが悪だと思わない? 私よりも君のほうがそれは身にしみて理解していると思っていたけど?」と言う。
レイモンドのその言葉に、サミュエルは笑顔で答える。
「……そうですね。彼女が使役する聖獣がいなければ、今のオレはなかったでしょう。さすがは真の聖女様ですね」
ベリンダに笑顔を向けて。
「そ、そんなこと……このアミュレットのお陰ですわ」
レイモンドの腕の中でサミュエルからの優しい笑顔を向けられ、ベリンダは頬を染め戸惑いがちに笑みを返した。己の髪についている髪留めに、そっと触れながら。
ベリンダのその動きに興味を引かれたのか、サミュエルが問いかける。
「その髪留めは、どうされたのですか?」
「これはレイ様からいただいたものですわ。これのお陰で、聖獣を使役することができるのですわ」
ベリンダの答えに、サミュエルの意識がレイモンドに移る。
うっとりとした顔つきで腕の中のベリンダを見つめていたレイモンドへ、
「レイモンド殿下が?」と問いかける。
質問を受け、一瞬、レイモンドはサミュエルへ視線を向けるが、「ああ。これはね――」とすぐにベリンダを振り返った。
レイモンドは彼女が髪留めで止めている髪に愛おしげに口づけながら、
「オストワルト公が懇意にしている商人から買ったんだよ。売り文句は『聖獣が眠っているかのように美しい宝石』だったんだけど、まさか本当に眠っていたとはね」と言った。
「眠っていた聖獣を呼び起こしたのは、彼女の清らかで美しい心だと思わない? そんな彼女をおいて聖女なんてものは存在しないと君も思うよね?」
恋に溺れた顔をしてベリンダの髪を慈しみながら、レイモンドはサミュエルに圧をかける。
それを受けサミュエルは、「ええ、その通りですね」と返した。
「……じゃあ、オレは彼女を連れて帰るので」
話が終わったころ、サミュエルはようやくメアリーを振り返った。
そのサミュエルの動きに我に返ったのはメアリーだけではなかった。レイモンドとベリンダは、一瞬、完全にメアリーの存在を忘れていたらしい。
サミュエルは固まる一同に構うことなく、メアリーの肩を抱いてこの場を後にしようとしていた。
しかし、そんな二人の背中に、「――待て!」とレイモンドが鋭い声を投げかけた。サミュエルは無表情に近い顔で、メアリーは青い顔で振り返る。
「メアリー・グリフィス、君は退学だよ」
淡々とした口調、冷たい眼差しでレイモンドはそう告げた。
メアリーはいっそう顔を青くして、「冗談……ですわよね?」とレイモンドに問いかける。冗談であってほしい、と心の底から祈りながら。
「……心優しいベリンダが許したとしても、聖なる乙女を貶めた行いを見過ごすことはできないよ。この国の安全のためにも、ねえ?」
祈りを込めるメアリーの目の前で、レイモンドは冷静に断罪の言葉を口にする。
「ベリンダには実績があるんだよ。彼女の言うとおりにしてきたからこそ、この国にはいっそうの繁栄がもたらされているじゃない!」
レイモンドはメアリーへ叱責の言葉を投げ続ける。メアリーの祈りは神に届かない。
レイモンドの明らかな怒りを感じ取り、メアリーの顔は青を通り越して白くなっていく。サミュエルはレイモンドとメアリーからわずかに視線をそらし、メアリーがいる方向を振り返り、一言。
「……メアリー、君はもう家に帰れ」
「サミュエル様!」
自分に必死に助けを求める婚約者の目を、サミュエルは見なかった。関係を絶とうとしているかのように自分に背を向けるサミュエルを、メアリーは必死に振り返らせようと腕を引っ張るがサミュエルは微動だにしなかった。
「当然だな。サミュエル、君も彼女のような不遜な女性が婚約者とは可哀想に」
レイモンドは心底同情しているかのように、サミュエルへそう告げる。
「サミュエル様、気にお気になさらないでください。わたくしは大丈夫ですわ」
レイモンドの腕に抱かれながら慈愛に満ちた面持ちで、ベリンダはサミュエルだけをみてそう言った。
サミュエルの腕に絶望的な面持ちで縋るメアリーのことなど、気に止めることもなく――――。
◇
「――ねえ、聞きまして? メアリー・グリフィス公爵令嬢が退学になったようですわ」
「聞いておりますわ。王太子殿下のご不興を買ったとか」
「例のオジョウサマともめたらしいですわ」
「わたくし、あの場におりましたけれど……おかわいそうでしたわ」
「王太子殿下も……なりふり構わなくなってきたようですわね」
学院内にメアリー・グリフィスの退学と事の次第が知れ渡ったのは、レイモンドの退学宣言から一週間ほど経ってからのことだった。
レイモンドを取り巻く部下という名の友人生徒が、積極的にその手の話を広めていたせいもあり、徹底的に彼女を貶める噂となって知れ渡った。
しかしその全ては、状況を冷静に見ている生徒らの目には、無理往生を通そうとしているようにしか見えなかった。
レイモンドの分別のない行動に、多くの生徒たちは失望しはじめていた。
彼について、貴族連中は「レイオニング王国から愛人を連れて戻ってから、おかしくなってしまった」と見ている。そしてベリンダ・オストワルトを「毒婦」と評していた。
そんな彼らの元に、君主より新たな命が下った。
「我が家も主命を奉じたよ。例のオジョウサマを聖女として崇めろってさ」
「わたくしの家もですわ。確かに彼女は聖獣を使役しているようですけれど……」
「主命であれば従うのみだ」
「そうですわね……彼女自身に忠誠を誓う必要はないでしょう」
「ははっ! その通りだ。例のオジョウサマが使役してるのが聖獣だろうが悪魔だろうが、戦力になるのであれば問題ないだろ」
「ならばまず、不穏分子を一掃していただきたいわ!」
「そうだな……属国の分際で解放運動が正義とは、笑わせてくれる」
「殿下も例のオジョウサマも、活動の大義名分にされてんだぜ? 笑えねぇよ」
「……困った王子様だよ、ホント」
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