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第一部

30.大事な関係

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 ◇◇◇


「――俺は、君を愛してる」

 城が襲撃を受けたあの日、エミールは重症で、なのにそんなことおくびにも出さずに、ひたすらに民の不安を、ティオの不安を解消することだけを考えていた。
 無理を通してまで。

 彼はそう言うなり痛みと疲労のせいか、ふたたび眠りについてしまった。つながったままの手が、自分を傲慢にさせるような気がした。
 明け方になるまで、ティオはエミールと手を放すことができなかった。気持ちの問題だ。第三者がこの場に入ってこようとするまで、ギリギリまで、ティオは迷っていた。

 ――そばにいたい。だって、そばにいて欲しいと言われた。愛していると言われた。でも……。

 ティオには分かっていた。ティオがエミールの隣にいることができたのは、彼が責任ある立場から追われたからだと。だれもがエミールを王として迎えようとしている今、自分は確実に足手まといになる。
 人にはそれぞれ役割というものがあるのだろう。国の頂点に立つための教育を受け、そのために日々努力してきたエミールの隣に、ここまで好きに生きてきた自分が立つなんてことは、認められなかった――――自分が、一番。

 だから、第三者――やがて宰相となるギルベルト・エッフェンベルクが部屋に入ってくる直前に、窓から外に出て、待ち合わせていたかのように現れた白龍に乗り、白み始めた空へと飛び立ち、王都を後にした。


 ◇◇◇


 ティオが村へ戻ってきたのは、今から半月ほど前のことだ。この村にエミール即位の報せが届いたのは、その一週間後。実際の戴冠式が行われた時期と、ティオの帰郷はほぼ同時期だった。それを気にするなという方が無理だろう。
 ティオならば、魂を売った悪魔をでも、エミールのそばにいると思っていた。ティオのエミールへの執着を村民は見てきた。あの傍若無人なティオが身を引くなんて、とても考えられない。
 なにか余程のことでもあったのか? と村民が心配を通り越して恐怖したのは当然の流れだろう。

 ティオはいつも通りに振る舞っていた。落ち込んでいる様子などかけらも見せなかった。けれど、それでも、いつもとどこかが違った。


「ティオ、本当に大丈夫?」
 中庭で沢山の洗濯物を干しているティオのもとへ、ウーテが心配そうな顔をしながら様子を見にやって来た。
「大丈夫だってば院長! 長旅でへばるティオさまじゃないのよ!」
 ティオはエミールとのあれやこれやを『長旅』の一言で片付けて、気にするなと言わんばかりに胸をはり、笑顔で洗濯を続ける。
 ウーテだけではなかった。村民は結局、ティオにかけるべき言葉を見つけられずにいた。

 ――うーん、私もまだまだだな。心配させるような態度はとっていないつもりなんだけど……エミールに執着してたのは、自覚あるしなぁ。周りがこんなに心配するほど、私ってば執着してたのかな?

 心配して様子を見にきていただけのウーテを「大丈夫だ」と追い返し、ティオはふたたび自分の仕事にとりかかった。ぬれた洗濯物をさおにかけていると、ふと、ティオの耳に小さく喜びにわく村民の歓声が聞こえてきた。
 視線をそちらに向けてみれば、多くの村民が楽しげにしている様子が見える。

 ――平和だなぁ。この平和があるのも、エミールが頑張ったからなんだろうなぁ。結局、邪魔にならないように、遠くから応援するのが一番いいって、自分で分かっちゃうんだから、イヤになる。一瞬とはいえ、夢を見ることができちゃったもんだから、ちょっと、へばってるだけ。さあ! 一平民の私には、クヨクヨしている暇なんてないはずよ! ちゃちゃっと仕事を片付けて……子供たちにお勉強を教えるか!

 洗濯物を全て干し終え空になった洗濯かごを抱え、孤児院へ戻ろうと頭では考えているのに身体がひどく重い。動き出す最初の一歩が、ひどく面倒だった。

 ――私との生活は、本来ならあってはならない事態だった。あの婚約者のお嬢様が浮気してなければ……エミールが私を見ることなんて、なかった。だって、私は、彼女が、ずっと――――。

 ティオは自分の未練を払いのけるように頭をふると、気合いを入れて孤児院への一歩を踏み出した。

 こんな未練はいずれなくなると、自分に言い聞かせて――――。







 ◇


 最近、村の中央広場に、週に一度、朝市が行われるようになった。
 木箱を積み上げて作られた即席の店に、自分の店の品物を並べる。会場の設営には商人だけでなく、子供たちも携わっていた。大抵は駄賃が目当てらしいが。

 これは、エミールが物流改善政策の一つとして、提案したものだった。ベルク村は山脈に囲まれた辺境の村だ。侵略の危険性は低いが、物資が不足しがちになる村でもある。
 エミールとしては、毎朝毎朝、遠くの山まで肉やら野菜やらを調達しに行くティオの負担を減らしたかったなのだが。

「やっぱり王の器ってやつだったんだね。朝市まで作っちまうし、とのも調整しちまうし……すごいお人だよ」
 女将おかみは、ここにはいないエミールを思い出しながら、惜しみない称賛を送る。
 彼女が言うとのとは、基本的に領地をまたぐたびに、商品に課される税のことだ。山脈に阻まれ、交通の便が悪いこんな場所へやってくる行商は少ない。そんな中やってきたとしても、高騰しきった品など貧しいベルク村の人間には買えない。

 そして、ますます行商の足が遠のき、ティオに負荷がかかるという悪循環だったのだ。彼は自分が持てる力の全てを使って、ティオを大事にしていたし、ティオもまた、そんな彼を慕っていた。


「エミール殿下が王様になってくれて、安心したのはあるんだけどね。だったら、この国終わってただろうしねぇ」
 女将が当時のことを思い出しながら、「おお怖い!」と震えてみせる。

「そうね。それはそれで喜ばしいことだけど……」
 彼女のそんな対応にウーテも同意を見せていると、
「おれ、ティオはどんな手を使っても王都に残ると思ってたぞ!」
「オレもオレも!」
 いつの間にやって来たのか、孤児院から五、六人の子供たちがウーテのもとへとやってきていた。

 村の中央に市場ができてからは、子供たちに買い出しを頼むようにもなった。今日は子供たちにおつかいを頼んではいなかったのだが。
 衣料品を安く手に入れられるようになり、村民の衣料品に対する意識も変わった。すり切れてボロボロになった一張羅いっちょうらを、仕立て直して一生使っていくこともない。今は新しい布で安く仕立て直すことが容易になった。


「ティオが戻ってきたのって、やっぱりわたしたちのせい?」
 孤児院くらしの小さな少女が、落ちこんでいるようにウーテのスカートを弱い力でつまみうつむき、涙ぐみながら、
「わたしたちが心配だから、戻ってきたの?」と口にする。

 そんな少女の問いかけに、ウーテは穏やかに微笑み、「そんなことはないわよ」と言って、少女の頭をなでた。

 少年たちはティオが戻ってきたことを純粋に歓迎し元気いっぱいだが、少しだけな少女たちは、ティオの心に思いをはせる。
 元気なく下がる眉に、悲しげににじむ瞳。ウーテは少女たちをあやすが、効果はなかった。

「一時的に戻って来てるだけだと思ってたんだけどねぇ」
 脈絡なく女将が言ったその言葉に、ウーテは引っかかりを覚えた。なぜそう思うのかと聞けば、「知らないのかい?」と返される。

「クロッツィング王国に視察に行くってうわさを聞いたもんだからね、てっきりその用意のために戻ってきたのかと思ってたよ」
「それは……いつの話なのでしょう?」
 知らず、ウーテの声が震える。
「先週、聞いた話さ。王都から来た行商いただろ? あいつからさ」
 ウーテはその行商の顔を、ぼんやりとしか覚えていない。その話の信ぴょう性を探っていると、ふいに、遠くに集団がいるのが見えた。

 堅牢かつ豪華な装備に、洗練された無駄のない動きで隊列を乱すことなく進んでいく銀のよろいに身を固めた兵士たち。そんな隊列の中央に一際目立つ馬車があった。レイオニング王国の国章とを掲げる馬車が。

「って……おいおい、ってまさか……!」
 誰とはなしに、そんな言葉が口をつく。朝市の場が色めき立つ。学のない村民でも王家の紋章くらいは誰でも知ってる。
 あれは、王家の馬車だ。

 朝市に集まった多くの村民が視線を送る中、隊列が止まる。遠目には何が起こっているのか詳細は分からない。だれかれ構わず、近くにいる者同士で問いを投げ合う。
「どうなってるんだ?」「止まった?」「ねえ、あの馬車って」「いや、でもまさか」
 王家の馬車の扉が開き、そこから一人の青年が降りる。村民からは遠く小さくしか見えない上に、見慣れない白く輝く豪華な装いは、遠目にはまるで人外の何かが降り立ったようにさえ見えていた。

 その青年が共もつけずに近づいてくるのを、村民は固唾を呑んで見守っていたが、やがて――。

「エミール?!」
「ばか! エミールだ! 不敬な真似すんじゃねぇ!」
 思わず以前の調子で呼んでしまった婦人を、男性が慌てた様子で止める。そんな光景がそこかしこで繰り広げられている間に、エミール・ヴェルナー・バイアーは村民たちのすぐ目の前まで近づいてきていた。

「皆さん、お久しぶりです。挨拶もなしに礼を欠くような真似をしてすみませんでした」

 エミールの言葉に、全員言葉にならない声をあげて騒ぐ。ある者は腰をぬかし、ある者はひざまずき、ある者は泣き出し――という、ちょっとした混乱がもたらされていた。




 ◇


 その頃、ティオは孤児院でウーテと子供たちが朝市で食料を仕入れてくるのを待っていた。
「院長……お腹空いた……」誰もいないキッチンのテーブルに突っ伏して。
 常日頃狭いと思っていたキッチンだが、子供たちがいないとそれなりに広く見えるものだ。かまど周り以外は全て木造製の孤児院は、そこにいるだけでティオに安らぎを与えてくれた。――否、与えてくれて

 ――自分でもしっかりしないといけないって、思ってるんだけどな。よしっ!

 心の中で気合いを入れ、立ち上がろうとテーブルに手をついた時、玄関からノック音が聞こえてきた。玄関とキッチンは廊下をはさんでいるとはいえ、離れてはいない。
 買い物班が帰ってきたのかと、ティオは深く考えずに玄関の扉を開けた。


「……え、エミール?!」
「ああ、ひさしぶりだな」
 現れたエミールに、ティオは激しく動揺している。そんなティオを目の前に、エミールは穏やかな笑みを見せた。
 ――久し振りのエミールだ……。



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