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第一部

27.乙女は後悔の中にいる

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 倒れた男はそのまま息を引き取った。
 男には、呪術と魔獣になんらかの関係があったであろうことは分かるのに、証拠がない。それがなにを意味するのか、賢人は理解していた。
 ティオは男の正体を知らなかった。しかし、動揺した兵士の――「あの男はルファイリアス帝国の使者ですよね?!」の一言で、ティオは己の失態を悟った。

 今後のことを心配したティオだが、
「なにを気に病むことがあるというのです。ファーバー嬢がいなければ、この城はおちていたでしょ。それは、エミール殿下も望むところではありません。むろん、我々も。ですから、今は殿下のことだけをお考えください」――という兵の言葉に従うしかなかった。それしかできることがなかったから。

 ――私、なにをした? ? もっと他にやりようがあったんじゃ? そうんじゃ……?

 漠然とした不安が胸にこみあげてくるが、それでもティオは止まらなかった。
 教えられるまま、現在、重傷を負ったエミールがいるへと向かう。エミールのことが心配だったのも、本当だったから。





 ◇


 エミールが目を覚ましたとき、周囲は完全に暗くなっていた。日が傾いてから、部下が申しわけ程度にともしたと思われる明かりだけが、遠くに淡く揺らめいている。
 窓から差し込む幻想的な月の光を遮るものはなにもない。そして、自分の枕元で眠る月明かりに照らされた、一人の少女……。

 ――二度目、だな。
 この光景には見覚えがあった。
 今も、そしてあの時も――目の前の少女に、エミールは温かい感情を覚える。

 あの時はどうしていただろうか、と思いながら、そっと眠る少女の髪に手を触れると、それに誘われたように少女は目を覚ました。目を覚ましてすぐには周囲の状況を把握できていなかったようだが、やがて意識がはっきりとしてくると。
「怪我、大丈夫?!」
 と、エミールにしがみつかんばかりの勢いで問いかけた。
「ああ。身体に問題はない。城の治癒師は随分と優秀な人材が残っていたらしい」
 エミールはティオがもうしばらくまどろむかと思っていたので、切りかえの早さに思わず笑みがこぼれた。そんなエミールを見て、ティオは一瞬ほほを染めるがすぐに、どこかひかえめに居住まいを正した。

「ティオ?」
 彼女らしくない、とエミールは思った。いつでも元気すぎるくらいに元気で、分かりすぎるくらいにその感情をこちらに伝えてきていたというのに。今の彼女は、感情を意図的に隠そうとしているかのようだ。
「なにかあったのか?」
「……ごめんなさい、私、エミールのをしたかも……」
「邪魔? そうだ、あの化け物は――」
「それはもう、大丈夫。大丈夫なんだけど……ごめん」

 ティオのひどく落ち込んでいる様子を見て、エミールの心に焦りが生まれる。しかし、エミールがこれ以上突っ込んでこないよう、ティオは次の話題を口にした。
「被害状況は……えっと、えらい人から手紙を預かってるんだけど」
 ティオは一人の兵士から預かっていた書類をエミールに見せた。

 彼女がこの手紙を渡されたのは、ここへやってきてしばらくしてからのことだった。ティオにこれを渡したのは、ギルベルト・エッフェンベルク、今年で五十六になる初老の男だ。倒れたエミールの代わりに現場の指揮をとっていた、責任感が強く優秀な男だった。
 彼は、エミールの意識がもどっていたら直接報告するつもりだったのだが、しばらく意識が戻らなかったため、報告書をティオに託し、ふたたび任務にもどった。

 ティオから書類を受け取ると、エミールはそれに目を通した。書類には被害状況などについて、事細かに記載されている。被害は最小限にすんでいるようだが、エミールが気にかけていたについての記述がない。
 記入者に確認しようと身体を起こしかけ、全身に激痛が走った。

「――ッ!」エミールが苦悶の表情を浮かべる。
 ティオは真っ青な顔で、「まだ動いたらダメだよ! 全身、すごい傷なんだから!!!」と叫び、エミールをベッドに軽くおさえこむ。

 エミールが受けた傷は、彼が思っている以上に深かった。彼の治療にあたったのは、国内でもっとも優秀だと思われている術者だった。それでも、身体に幾ばくかのダメージは残った。

 身体を満足に動かすことさえできないまま、エミールはゆっくりと周囲の様子に耳を澄ませた。先ほどまでのような騒がしさはない。書類にある通り、危機は去ったのだろう。今は事後処理に奔走しているといったところか、とエミールはあたりをついた。なにしろ、ティオが自分のそばにいるのだ。

 ――ティオは優先順位を間違えることはない。と違って。

「ほんとに、ティオには情けないところばかり見られているな」
 エミールは肩の力をぬき、大人しくベッドに横たわりながらそうつぶやく。なつかしさを覚えて、思わず口をついて出てしまった言葉だった。
「そうかな?」
 ティオにはそんな自覚はない。しかし、エミールは始まりからしてダメだったと思っている。自分たちの力では敵わない敵を倒すために力を貸して欲しい――それが自分たちの関係の始まりだった。学園にいた一年、申し訳なくて仕方がなかった。都を追われてからは、無力さを痛感する日々だった。

 ――それでも今日まで絶望し、後悔することなく生きてこられたのは、彼女がいたからだ。いてほしい。これからも、自分の隣には彼女にいてほしい。

 そう思っているのに、彼女の表情は晴れない。先ほどからずっと、なにかに心を痛めているかのように塞ぎ込んでいる。

 そんなティオの様子は、エミールの胸中に不安を呼び起こした。彼女がなにかを激しく後悔していることが分かる。それはおそらく、自分に関係すること。
 彼女がそれを苦に、自分から離れてしまうのではないかと、そんな不安を覚えた。それはいやだった。
 ――、失うのはイヤだ。

「なにか、あったのか?」
「え?」
 重傷を負っているエミールが、自分を心配するようなことを口にするのだから、ティオは驚き戸惑った。その戸惑いはエミールにも伝わる。彼はティオの制止を振り切り、ゆっくりと上半身を起こすとティオの手を力なくとった。
 彼女を逃がさないように。
「エミール?」
「なにかあるのなら言ってくれ。俺は君を失いたくない。だから、話してほしい……俺では、君を支えるには足りないか?」
「そんなこと――」
 ティオは悩んでいた。エミールの言葉にあまえることが正しいことなのか、この手をとって本当にいいのか。
「……私、エミールを――」いつか窮地に、陥れるかもしれない、と口に出すことができなかった。エミールが先に続けた言葉に、ティオが激しく動揺したからだ。
「なにがあったとしても、これだけは忘れないでくれ」
「え?」
「――俺は、君を愛してる」








 ◇◇◇


 ――号外


『十七代目・レイオニング王国、エミール・ヴェルナー・バイアー王即位!』


 そのニュースが国内外を駆け巡ったのは、先の王がエミール・ヴェルナー・バイアーが王都へ戻ってから一月後のことだった。

 一面には大きく、教皇から冠を受ける若き王のイラストが描かれていた。
 知らせが届いたのは国内だけではない。諸外国とも、民間レベルでの交流がないわけではない。多種多様な言語で、エミールの即位は各国にも広く伝えられた。

 戴冠式が行われたのは、聖地ヴァロンにあるサンヌヴィエン大聖堂。百年も前に作られたとは思えないほどに、繊細にして荘厳そうごん。天高く伸びる細い尖塔や、大きな窓が特徴的な建築様式を採用している白を基調とした重厚な建物だった。

 この大聖堂は、各国歴代の王たちが戴冠式を行った場でもあり、公会議の会場でもある。また、真偽は不明だが、黙示録で『裁きの時に復活する』と言われている大精霊が眠っているとも言われている。

 エミールは無事に大聖堂で教皇からの戴冠を受け、近隣諸国に即位を示した。

 この戴冠式には、国内貴族のみならず、近隣諸国からも多くの王侯貴族が足を運んでいた。多くの人々から戴冠を祝われるエミールの様子は、新聞の号外で広く知らされた。教皇の手から聖なる冠がかぶせられた際、使が現れただの、が場を包んだだの、少なからずうわさに背ビレ尾ヒレがついたものではあったが。

 大聖堂には全ての大司教、司教、司祭が集められていたし、外には聖堂を囲むように、多くの民衆が詰めかけていた。


 ――だがそこに、ティオ・ファーバーの姿はなかった。


 ◇◇◇


 
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