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第一部

26.暴けない罠

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 城内で何があったのか――――話は数時間ほど前に遡る。

 ◇

 朝食を終えたエミールには、一息つく暇もなかった。
 昨日発覚した諸外国とのトラブル対応に追われていたのだ。書面の作成から事項の洗い出し、その間にもやってくる来訪者との会談……。
 戴冠式を行っていないエミールは、正式な王とは言えない。そんなエミールは、王のとしてこの場にいる。玉座に座ることなく、いち官吏かんりとして来賓を出迎えているのもそのためだ。


「やっとお目通りかない安心いたしました」
 目の前で恭しく膝をつき、頭を垂れる男――彼は、ルファイリアス帝国からの使者だと名乗った。
 年の頃は五十前後。貴族らしいゴテゴテとした装いではなかった。けれど、この謁見の間という空間での立ち居振る舞いから、それなりの地位にいる者かとエミールは推察しかけた。

 ――……だが、昨今の貴族にしては、立ち居振る舞いにがない。まるで間候かんこう(スパイ)のようだ。監視を……つけておくべきか?

 ルファイリアス帝国は、エミールのかつての婚約者、ベリンダ・オストワルトと懇意にしていたレイモンド・マクラウドの出身国。そして彼は、その国の王太子だった。
 思うことがないと言えば嘘になる。けれど何も言わず顔にも出さず、エミールは使者と対峙たいじする。相手もその件について言及するつもりはないらしい。
 彼女がルファイリアス帝国へ渡ったことを、エミールはブリクサ・グラーフから聞いていた。
 ――彼女については、今更なにをどうするつもりもない。自分とは関わりあいのない、どこか遠くで心穏やかに暮らしていれば、それでいい。


「わたくしの要件は、先日オストワルト公よりを頼まれた条約についてでございます」
「ああ、それについては後日、こちらから改めて話をさせてもらうことになるだろう」
「それは、後日改めて、殿されるという理解でよろしいでしょうか」
「…………断言は致しかねる」
「承知致しました」
 男があまりにも淡々としていたことに、エミールは疑念を抱いた。
 ――冷静だな。帝国にとってはかなり好条件な条約案だったはずだ。初めから不成立を狙っていたとでも言うのか? 何のために?
「では、確認したい事柄は完了致しましたので――」
 男が退出の挨拶をしようとしたまさにその時、遠くから複数の爆発音が聞こえてきた。

「何事だ!」
 何者かの襲撃を受けたことは明白。直ちに状況を把握するため、そばにいた近衛兵にエミールは指示をとばす。それは伝令へ伝えられ、他の兵らにも伝えられた。
「申し訳ないが、安全が確認できるまでここで待機していてくれ」
「承知しております」
 客人を安全な場所へ避難させるにも、状況を把握しなければ動きようがない。男もそれを理解していたのか、冷静にエミールの指示に従っていた。

 ――冷静すぎる、とエミールは一瞬いぶかしんだが最近親しくなった者たちのことを思い出し、本来はそういうものなのだろうと納得した。彼の周りにいた者たちが異常だったのだ。

 にわかに頭上に影がさした。謁見の間の天井は高い。天井近くにはステンドグラスがはめ込まれている部分がある。そこを、何か大きな影が通り過ぎた。
 ――白龍か?
 実際、それくらいの大きさだったし、そのような芸当ができるものはそうはいない。なにか緊急事態が起きていて、それに対処している可能性もある……と、エミールは考えを巡らせる。

 だが、違った。
 突如、ステンドグラスが割れ、破片が周囲へ飛び散る。下にいたエミールら一同はそれをもろに浴びるところだった。エミールが『魔術障壁』を展開していなければ。『魔術障壁』とは、魔術で作られた盾のようなもので、大きさや強度は術者の意思や魔力によって異なる。
 エミールは左手を開き高く掲げ、頭上に巨大な白い魔法陣を精製していた。それはそのまま障壁となり、この場の全てを破片から守っている。

 ステンドグラスを突き破り、この場へ舞い降りたのは――黒く獰猛どうもうな爪と牙、そして胴体よりも大きな翼のような何かを持つ巨大なトカゲのような魔獣だった。羽の骨格は枯れ枝のように生気がなく、皮は腐り落ちかけている。
 化け物は間髪入れずに、腐りかけた口を大きく開き、そこから凶悪なエネルギーが放出する! エミールが展開した障壁がそれを受け止めるが、灼熱しゃくねつに熱した巨大な鉛を受け止めたような熱量と衝撃が、術者であるエミールを襲う!

 ――『』が破壊された! を再構成、へ組み込み補強!

 魔獣障壁は――展開する障壁の性質を決め、その障壁に必要な元素を己の魔力で生み出し、設計図の通りに組み立てることで完成する。この一連の流れを、一般的に『魔術の構成』と言う。設計図は障壁の性質によって異なり、魔法陣として術者の前に現れる。

 化け物の攻撃で、障壁を構成していた元素が破壊された。修復しなければ、次の、攻撃で障壁は破壊されてしまう! エミールは冷静にかつ迅速に障壁を修復した。いや、しようとしたのだが――――。

 ――どういう……ことだ……アクセスできない……!!!

 障壁の設計図でもある魔法陣が、端から書き換えられていく。己の魔力で、己が組み立てた魔法陣が勝手に書き換えられている。破壊されガン化した元素が増殖し術式を破綻に導く。

 化け物からの更なる攻撃で、障壁は完全に破壊された! それでも来客と部下に怪我がなかったのは、エミールが破壊されかけた障壁を捨て、新しい障壁を作る決断を下したからだ。瞬間的にとは言え、同時に二つの魔術を行使するとなると、術者には膨大な負荷がかかる。最悪、負荷に耐えきれずに身体が元素に焼かれる危険性すらある。

「エミール殿下! お止めください! 障壁なら我々が!」
 部下がエミールの身を案じ叫ぶ。しかし、その傍らで別の兵にも異常は起きていた。先んじて障壁や攻撃のための魔術を構成していた者たちにも、エミールと同様の異変が起きていた。

「重装部隊の用意!」
 エミールは頭上の化け物から視線をそらさぬまま、部屋の出入り口にいる兵に命じる。命じられた兵は迅速にその命に従った。
 魔術が通用しないのであれば、この場にある装備だけでは心もとない。重装部隊でもあれに対処できるのか、エミールは不安を覚えていたが、それを表に出すことは許されなかった。
「退路を確保し、来客の避難を優先!」
 そう間をおかず到着した重装部隊に来客を預け、避難を指示している最中、敵からの第二波が一同を襲った。

 エミールが最後に張った障壁でも、完全に攻撃を受け止めることはできなかった。術を破壊されることによる衝撃と、化け物の攻撃による衝撃。

 その二つが合わさり、多大なるダメージとなってエミールを襲った。




 ◇


 しらせを受け、ティオは伝令の兵とともに白龍で城へと戻った。

 道中、何があったのかを聞き出すことも忘れない。城を襲った魔獣は、謁見の間に現れたものだけではなかった。突如、空に多くの魔獣が現れ、襲いかかってきたという。空からの敵に城壁など役に立たなかった。魔術はすべて乗っ取られ使用不可、かといって物理攻撃が通用する相手でもないという状況で、城内の兵は一方的に蹂躙じゅうりんされるしかない状況だったらしい。
 そんな状況下で、しかし、敵はなぜかそれ以上の攻撃を加えてくることはなかったという。伝令が逃げ出すのを見逃すくらいだ。エミールに対しては違ったようだが。

 城に到着すると、ティオは一目で異変に気づいた。

 ――城が暗い……というか? これ王都にいる間はよく見たな。確か、ラウラに聞いたら『呪詛』がどうとか……。連れてくればよかった! の皆様は……うーん、ほぼ呪詛にやられてるっぽいし……。

 空から見る限り、多くの傷ついた兵が地べたに転がっているのが見えるが、それには構わず、割れたステンドグラスから中へと入り込むと……すぐそこに、敵はまだいた。
「うわあああっ!」
 悲鳴を上げる伝令をなだめるのは時間のムダだと判断したティオは、白龍に伝令をつれてこの場から離れるよう頼み、自分は謁見の間に飛び降りた!
「あああっ! ファーバー嬢!」
 ティオを心配してさわぐ伝令だが、完全に腰がひけている様子ではなにもできることはなかった。


 一方、謁見の間に残ったティオは、問題の魔獣が自分に対してまったくといっていいほど意識を向けていないことが気になった。
 ――まあ、いいか! むずかしいことは賢い人がなんとかしてくれるでしょう!

 ティオはいつものように魔獣を退治するつもりで攻撃を行ったが、それは敵には通用しなかった。まるでスポンジに水が染み込むように、攻撃が吸収されていく。

 ――呪詛で生まれた化け物には『呪詛返し』しかないって、ラウラが言ってたな。術式覚えてないけど、ようするに、いいのよね?!

 いつものように、ティオは力を行使した。生まれたときから持っていた、自分にも他人にも説明できない得体の知れない力を。
 ティオが右のてのひらを化け物に向けると、化け物の周囲に白い小さな炎が円形にいくつも出現し、それはやがて化け物へ燃えうつり一つの巨大な炎になった。
 そう時間もかからず化け物の断末魔が周囲に響き、その姿はこの世から消えてなくなった。
 化け物がティオの出した炎で燃え尽きると、込められていた呪いが新たなり代を探すように謁見の間を飛び出した。トドメをさすためにそれを追いかけていたティオがたどり着いたのは、城と回廊でつながった礼拝堂だった。

 大きな銅製トビラの前には五、六人の重装兵が意識を失い横たわっている様子から、中には敵の親玉である魔獣がいる! とティオは思っていた。
 しかし、そんな彼女の予想に反し、中にいたのは一人の初老の男と彼を守るように立ちはだかる兵士らだった。ティオは知るよしもないが、彼はつい先ほどまでエミールと謁見の間にいた男だ。城内で最も安全だと思われるこの場所へ避難していた。
 ティオは彼ら一人一人のことなど記憶にないが、彼らはティオを知っていた。だから、すぐに警戒をとき、ふたたび初老の男のを案じはじめる。
 男はダメージを受けているのか、片膝をつき苦しげな息づかいを見せていた。

「大丈夫ですか?!」
 ティオは思わず男に向かいそう叫んだ。
「ファーバー嬢?!」
 それに反応を示したのは男よりも兵らの反応のほうが大きかった。そのため、男のちいさな動揺に違和感を覚える間もなかった。というか、正確にはそれどころではなくなったのだ。敵がティオを追いかけていたのか、この場を襲撃してきたのだから!

 礼拝堂のステンドグラスを破り、中へ飛び込んできたのは翼竜とゾンビを足して三をかけたような不気味な魔獣だった。腐りかけている肉と、腐りかけた木の枝のような骨。苔生こけむした岩のようなドクロ状態の頭が三つに、まとまりなくバラバラに動く八枚の翼。なにもかもが異様な、全長五メートルはありそうな化け物だった。

「ああもう、しつこいな! いったい何匹いるのよ、この!!!」
「えっ……」
 怒りにまかせてティオが叫んだセリフに、一同の顔がひきつる。いつものことだと、ティオは気にしなかったのだが――それが、いけなかった。

「待ってくれ――」
 はじめから体調不良だった男のつぶやきは、あまりにも小さく弱く、勢いづいたティオの耳には届かなかった。届かなかったのはティオにだけではない。周りの兵にすら、その制止の声は届かなかった。

 ティオはさっきと同じように、はじめは敵に通常攻撃を加えた。敵はびくともしない! 兵らの間に動揺が走る。そこで、ティオは謁見の間の時と同じようにべく、術を放った。すると――――、

「ぎゃあああっ!!!」

 予想していなかった方向から悲鳴があがる。声を上げたのはあの男だった。化け物を包んでいた炎と全く同じ白い炎が、男の身体を飲み込んでいた。何が起こったのか、分からなかったのは一瞬のことだ。色々と手順をすっ飛ばしていたが、ティオが行ったのが『呪詛返し』だ。それは、この場にいるだれもが分かっていることだった。燃えさかる男自身も。
「……え、どういうこと?! この人、だれ?!」
 驚きの声をあげながらも、ティオは目の前の敵をほふるまで手をゆるめることはなかった。
 化け物が聖なる白い炎で燃え尽きると同時に、男を包み込んでいた白い炎も消える。そして男は意識を失い、その場に倒れ込んだ。


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