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第一部
22.立つ鳥跡を『濁させません』
しおりを挟むひとときの騒々しさは過ぎ去った。
第二連隊には大した怪我もない。エミールの下へ集まった兵の士気も上々だ。後は、今後のことについて教会への報告も兼ねた弁明もしなければならない。
「貴殿の戴冠についての話も含め、落ち着ける場所で話をしたいのですが」
「ああ――」
教会第二位にして教皇の代弁者でもある男の申し出に、返事をしようとしていると。
「教皇の代弁者様とのお話し合いですかな? では、私も――」
一人の貴族が、聖職者とエミールとの会話に割って入った。当然のように。
彼はブリクサ・グラーフを担ぎ上げていた貴族の一人だ。
「私も陰ながら、エミール殿下をお待ち申し上げておりました――」
一人が始めると次々と、厚かましく寄ってくる。
今の今まで、彼等は王の破門騒ぎに巻き込まれぬよう、遠巻きにしているだけだった。あれだけ担ぎ上げておいて、いよいよとなったら知らんふり。そして、次の神輿に我先に手垢を付けて、意のままに操ろうと画策している。
ある意味、普通の行いなのだろう。彼等、貴族にとっては。うまい汁を吸うため、寄生先を探すということは。
しかも、先ほどまで宿り木にしていたブリクサ・グラーフと国王は失脚したばかりだ。彼等は醜い顔に虚ろな笑顔を貼り付け、エミールへ言い寄る。
今も、ティオを退かし、己が王太子殿下のそばへ寄ろうとしている始末だ。
しかし、彼等の努力はなぜかうまくいかない。まるで、見えない壁に阻まれているかのように、エミールに近づくことができない。
「このままでいい?」
ティオがエミールに問いかける。もちろん、話題は見えない壁についてだ。
「任せるよ」
「よーし!」
ティオが勢い勇んで何かをしようとした時、またしても邪魔が入った。
「お気を落ち着かせ下さい、エミール殿下。まさか、矮小な民如きに現を抜かし、高貴なる者達をないがしろにする気ではありますまいな?」
発言したのは、軍の総司令官だ。
まるで夜会のように飾り立てられた軍服を着て、老人はそこにいた。
彼もまた、ブリクサ・グラーフを担ぎ上げておきながら、逃げていたのだ。糾弾されるその直前まで、したり顔でブリクサの隣に――最前線にいたというのに。
「此度の試練を乗り越え、お戻りになりました殿下におかれましては――」
老人は長々と小難しい言葉を並べ、見え透いた世辞を言う。「自分は悪くない」「試練を乗り越えお戻りになられたエミール殿下は素晴らしい」と。
今のエミールにとって必要なのは、そんな言葉ではない。
国のために、騒乱を止めなければという強い意志だ。己が名にかけて、弱者を守らなければ、という崇高なプライドだ。そのいずれも、目の前の老人にあるようには見えなかった。
しかし、総司令官はエミールを子供と侮り、お為ごかしの言葉を重ね続けた。そんな彼に、エミールはただの一言も、返さない。
そのようなエミールの態度に、危惧を抱いたのは世話役の青年だった。
「も、もうしわけございません……っ!」
地面に額をこすりつけそうな勢いで、青年は謝罪を繰り出す。
それにも、エミールは顔色一つ変えない。その態度に、周囲の軍上層部の間に徐々に焦りの色が見え始めてきた。
国軍総司令官である彼とエミールは、面識がなかった。
国防について、二、三度問い合わせたことはあったのだが、老人は逃げ続けた。相手をするならばブリクサの方が楽だったからだ。
だから、その手の話をするのは、いつも副司令官だった。副司令官で事足りてしまったのだ。この調子では「今もそれは変わらないのだろう」とエミールは判断を下す。
青年が頭を下げたのは、今回の騒ぎを防ぐことができなかったことに対してだろう。旧・スラム区画へ魔獣を誘導し、一網打尽にする。始めから破綻していた計画だった。非道以前の問題だ。
一網打尽になど、できるはずがないのだから。あのまま作戦を続行していれば、早晩、魔獣により封は破られ、王都は壊滅状態となっていただろう。
そこで終わるとは思わない。王城も被害を受けるだろう。王家は終わり、国は完全に消滅していただろう。
最高責任者として、ブリクサを殴ってでも、この作戦は止めなければならなかったのだ。
――彼は気づいていたようだな。だが、それでも、止められなかった。
廃嫡された自分には、彼の立場も分かる。巨大な権力の前に、手も足も出なくなってしまうのも事実だ。
彼の言葉を聞き入れるべきか、エミールはしばし考える。
「エ、エミール殿下! 私は反対していたのです! こんなことは間違っていると!」
「わ、私もです殿下!」
「私は何もしておりません!!! 此度のことには、無関係です!」
「何だと貴様! 率先して民衆を追いやっていたのは、貴様の部隊ではないか!」
「森から魔獣を誘導したのは貴様らだろう!」
エミールが青年に対し、僅かにでも反応を見せたのを、貴族達は見逃さない。
すぐに、醜い暴露合戦が始まった。
「お聞き下さい、エミール殿下! 我々も仕方がなかったのです! 国王の命には逆らえませぬ」
「全く以てその通りでございます! 我々は致し方なかったのです!」
「やりたくなどなかった!」
気づけば、醜い暴露合戦に軍上層部の連中まで混ざり始めた。誰もが一様に恭しく頭を垂れ、誰もが一様に己の責任転嫁に必死だった。
「我々は王都を守ってまいりました!」
「今回の第二連隊の処分についても、自分は反対しておりました!」
「なんだと! お前が進言したんじゃないか!」
「デタラメを言うでない!」
「スラム街を犠牲にしようと言い出したのは、我々ではありません!」
「ブリクサ・グラーフが勝手に暴走したのです!」
思い思いの好き勝手な主張が、目の前で繰り広げられているのを、エミールは黙って見ていた。内心では呆れていたけれど、そんなことはおくびにも出さない。
――つい先程まで担ぎ上げていた相手を、もう罪人扱いか。
「正しきを見て、従わぬ者もいたではないか!」
討論メンバーに新顔が加わり、更に議論は白熱したものとなっていく。教会上層部のメンバーに、これ以上恥をさらすのはためらわれる。エミールが言葉を探していると。
「正しいのは我々だ! 平民に習い、高貴なる我らをないがしろにするほうが間違っている!」
「そうですとも、エミール殿下!」
「平民は卑しい民です! だまされてはなりません!」
などということを貴族が声高に叫ぶものだから、それまで口論に参加していなかった者達まで、激昂し叫び始める。
「なんだと?!」
「今まで王都を守ってきたのは誰だと思ってンだ!」
「第二連隊だぞ!」
「お前らが舞踏会だなんだって遊んでいられたのも、第二連隊が守ってくれていたからじゃないか!」
声を上げた平民は、封鎖された旧・スラム街――現・学園地区――からの脱出民だけではない。普通に王都に暮らしていた中流階級の者達まで参加し始めている。
「控えよ! 全く困ったものですな、平民というのは……」
「殿下、お側によると穢れがうつりますぞ!」
貴族も平民も、お互いがお互いに油を注ぎ、火を放ち合う。
――この場をどう治めるべきか……エミールは考える。
エミール、教会上層部、そしてティオの三人を中心に、論争の渦ができあがっている。一歩間違えれば暴動に発展する。
――ここで失敗すれば、俺も為政者の器ではない、と判断されるだろう。
国がこれだけ傾いている状態なのだ。単純に傀儡となった全ての貴族を粛清していては、他国に足下をすくわれかねない。それでは、教皇が国王を破門した意味がない。
適切な場所にお灸を据え、うまい具合に意思を刈り取り、権力と財力をコントロールできる状態にもっていきたい。これはかなりの難問だ。
――いや、難問だった。
「えーっと、つまり、巣の場所も街への誘導方法も、アンタら全員知ってるってわけね?」
混沌としたその場に、またしても、ティオの脳天気な声が響いた。
彼女の声と口調は、まるで計算し尽くされたもののように、民衆の関心を強く引いた。もちろん、彼女の残念な頭ではそんなことはできない。
「は? なんだ貴様は! 誰に向かって口を利いている!」
何も知らない貴族は、ティオの傍若無人な振る舞いに激昂し――。
「だから何だというのだ! 国王の命でやっただけのこと! 貴様等のようなゴミに責められるいわれはない! たかだか平民風情が口を慎め!」
心当たりのある軍人は、図星を指され激昂し――。
「なんだと!?」
そんな貴族と軍人の反応に、民衆が激昂する。
「うん、そうね。全く以てそんなことは、どうでもいいわ!」
「は?」
ティオの平然とした言葉と口調に、貴族も軍人も平民も固まる。彼等にはティオの考えていることが、まるで分からない。しかし、何かしらの強い意志だけは感じる。
――貴族と軍人は、嫌な予感を覚えた!
今、この場でティオの考えをなんとなく把握してしまったのは、彼女のことをよく知る者達のみ。彼等は貴族と軍人の未来に、少しだけ、同情した。
「いや~話が早くて助かるわ! 私ってば知識がアレだから、何がどうなってあんな離れた学園区画が襲撃されてるのか、意味が分からなかったし、巣の場所も分からなかったのよ。だから、アンタらちょっと来なさい」
軍上層部や一部の貴族が、ティオ達平民を侮り貶めるためだけにした発言。
しかし、現状、手がかりの無かったティオにとっては渡りに船。
しかも、学園地区へ降り立った際に、結構な破壊活動をしてしまっている。ここでお貴族様に諸々を補填してもらおうじゃないか! ――と、ティオは瞬時に考えを巡らせた。
ティオは躊躇無く、貴族や軍人の襟首をつかむ。
いつの間にか、その拳は白く聖なる光を帯びていた。つかまれた相手が、「貴様、何をする!」と怒りをあらわにするも、お構いなし。
襟首をつかみ上げ、虚空へ放り投げる――そんな、『誰にでもできる簡単軽作業』を行い始めた!
「なにごとだあぁぁぁ――」
「賤民があぁぁ――」
「無礼なあぁぁぁ――」
「私を誰だとおもぉぉぉ――」
「不敬だあぁぁぁ――」
「愚民の分際でえぇぇぇ――」
彼等が放り投げられた先――大空には、白龍が待機している。
本来は森で魔獣の『巣』を見張っているはずの彼が、なぜここにいるのか。一言で言えば、ティオの躾の賜だ!
ティオが虚空へ放り投げた人々を、牙やら鉤爪やらで死なないように受け止めている。さながらキャッチボールを楽しんでいるかのように。
あらかたを白龍に詰め込むと、ティオは地面へ降りてきた白龍にまたがった。
「学園区画と『巣』の後始末は任せてねっ!」
ティオは良い笑顔をエミールに向けてそう言うと、空へ急上昇した!
言葉にならない悲鳴が響いたけれど、地上にいる人間には距離的な問題で、すぐに聞こえなくなった。
教会上層部は、エリート集団だ。
白龍が本来どのような存在であるのか、よく知っている。そんな白龍に対する少女の暴挙に、言葉がない。しかし、彼等は平静を装う。エリート集団なのだから。
そんな教会上層部の面々に、エミールが良い笑顔を向けて言った。
「面倒な客もいなくなったな。魔獣の巣についても、問題はなさそうだ。さあ、城で詳しい話をつめさせていただこう」
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