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第一部
21.排斥の王
しおりを挟むこの世界で、最高権力を有しているのは教会だ。
女神の奇跡である魔術が実在しているこの世界で、それは当然のこと。
それに加え、世才に長けた行いで大きな財力や武力を手に入れ、今の地位を確固たるものにしていた。
当然のように、医療と魔術の分野の研究開発は、教会が独占している。
この国にある医療施設は、教会が建設したものだし、処方される薬は教会から卸されたものだ。
しかも、教会で洗礼を受けなければ、人は魔術を行使することができない――と、されている。
……例外など、本来は、ない。
そんな世界で教会に破門されること自体が――――大罪なのだ。
誰も彼もが、彼等の『神罰』に巻き込まれることを恐れ、蔑み虐げるようになるだろう。相手が王族であったとしても、もはや、関係ない。
いや、王族であったのなら尚のこと。そのままにしておけば、他国へ攻め込む口実を与える。正義の名の下に、神の敵を討ちに来る。
しかし、実は『神罰』など教会は定義していない。人々の不満と不安から生まれた、ただの噂だ。けれど教会はその噂を消し去ることができなかった。教会は自らの権威を守るため、信徒の期待を叶えることも裏切ることもできない。
ゆえに、抵抗するならば、教会も神の敵を討つために、大軍を差し向けるだろう。
神の敵を討つために蜂起した誰かがいる以上、教会が悪と定めた『人間』を討たなければならない。
世界の秩序を守るために。
つまるところ、破門された王族に生き残る術などない。
『人間』を辞める――――犬畜生として生きのびる以外には。
「お許し下さい、お許し下さい!」
だからこそ、国王だった男は、必死に赦しを請う。
聖職者の一声で、この場には静寂が満ちていた。そんな中で、国王の謝罪の言葉はとてもよく響いた。今の自分が、他人の目にどんな姿で映っているのかなど、気にも止めない。誰の記憶や記録に残ろうとも構わない。
地べたに額をこすりつけ、それでも足りぬと言うように、何度も何度も慈悲を請う。
「父上、お止め下さい、お止め下さい!」
ブリクサはこの後に及んで、事の深刻さが分かっていない。
国王は焦っていた。何とかして教皇の決断を覆したい。さもなくば、自らの身には想像を絶する破滅が待ち受けている。
何も知らずに、阿呆のように騒ぐブリクサ・グラーフを見て、この時初めて、失敗したと思った。こんな育て方しかできなかったことを、心の底から後悔した。
ブリクサを甘やかす内に、本当にそのままでいいと思うようになってしまった。
そんな時に、ブリクサを――自らの子育てを肯定してくれた、オストワルト公の言葉にすがった。ただの甘言でしかなかったのだと、今更気づいたところでもう遅い。
最悪、国王はこの愚息を売って、自分だけでも助かろうかと考えた。今まで必死に押さえつけていたブリクサ・グラーフの頭から、その手を放す。
そんな浅慮を、教皇の代弁者が見過ごすはずも無いが。
「だまれだまれだまれ! なんなんだお前ら!」
父親から解放され、自由になったブリクサは再び頭を上げ、怒鳴る。憎々しげに、聖職者らを睨みつけながら。
「ボクをだれだと――」思っているのか、と言おうとして言葉が止まる。
ブリクサのこめかみに、鈍く鋭い痛みが走る。
それが投石によるものだと、すぐには気づくことができなかった。二度目、三度目の投石で、ようやく自分が標的にされているのだと気づいた。
石を投げたのは、一般市民だ。己が虐げてきた、市民達だ。
「破門された王族なんか……人間じゃない……」一人が口にする。
「そうだ……これはただの害虫」
「虫は……潰したっていいんだ」
潰そう、引き千切ろう、ひねり上げよう――そんな言葉が、呪いのように感染し、その場を埋め尽くす。
暴動に発展しそうな気配を感じ取り、エミールは声を上げる。
「みな、抑えて欲しい」
「殿下?!」
エミールの言葉に、民は一瞬、エミールがブリクサ親子への憐憫を見せたのかと思った。国王やブリクサも、そう思った。
しかし――。
「ここで暴動が起こると、教会の方々にご迷惑をかける。今は、堪えてくれ」
エミールの口から、至極冷静にそう言葉が紡がれた。
そうだったのかと、民衆の間に「納得した」という雰囲気が漂う。
国王はもちろん、ブリクサ・グラーフも、もう言葉が出なかった。民の悪意が、ひしひしと身体の芯までしみていく。
エミールは、ブリクサにも父である元・国王にも、言葉をかけることはなかった。
なくなってしまったのだ。二人にかけるべき言葉が。
戻れないところまで行き着いてしまった肉親に、かけるべき言葉も、かけたい言葉も、エミールにはなかった。
「ああっ! もう全部終わってる?!」
例によって例の如く、この場の空気を全く読まない素っ頓狂な声が、この場に響いた。
聖職者の一声で静まりかえっていたこの場に、ティオ・ファーバーの脳天気な声はよく響いた。しかし、ティオはいたって真面目だ。エミールの雄姿を見るために、常識的な移動速度で、頑張ってやってきたのだ!
ティオの目の前には、聖職者の前に絶望に打ちひしがれている王とブリクサ。
大歓声に包まれている処刑場。エミールの周囲には多くの人が集まっている。好意的な雰囲気で。つまり、見所は全部終わってしまったらしい!!!
――ああっ! また終わってる!! エミールの活躍を、またしても見逃してしまった!!! 頑張ったのに……今度こそ、今度こそ見たかったのに……!
と、かなり本気でショックを受け、打ちひしがれていた。自覚していた以上に、ティオはエミールの雄姿を見たかったらしい。
――あんなトコにバリケードさえなければ……と、背中に暗黒の翼を背負いかけたティオだったが。
「ティオ!」
エミールに声をかけられ、瞬時に天使に変貌した! 彼は人混みをかき分けて、ティオの下へ向かう。
「そっちも、うまくいったようだな」
「そりゃもう当然よ、私だもの!」
向けられた優しい笑みに、ティオは喜び安堵した。胸を張ってふんぞり返る。
しかし――実は、ティオは一抹の不安を抱いていた。
聖職者らしき者達の前で、うな垂れる国王とブリクサ・グラーフを認めたときに。けれど、目の前のエミールの表情に、憂いはない。彼の中に、迷いも憐憫もないことを悟り、ティオは自らの不安を捨てた。
エミールが強くあろうとしているのだ。自分はそんな彼を、どこまでも応援したい! それが、ティオの願いだから。
そうしてエミールとの再会を喜んでいたティオの耳に、いつもの軽口が届く。
「あーっ! 誰かと思えばティオ・ファーバー!!」
「ああ、あの空気読まない子?」
「黙っていれば可愛いらしいよ?」
「でも黙ってないじゃん」
「そうなのよねー」
「つまり可愛くない、と……」
「……エミール、こいつらぶっ飛ばしていい?」
「押さえてくれ」
怒れるティオをなだめるために、慣れた様子で彼女の頭に触れる。
ティオは「しょうがないなぁ」と不平不満を口にする振りをしながらも、ご機嫌だ。周囲の人々が驚いた顔で二人を振り返る。そのことに、エミールは気づくがティオは気づかない。
それでも、エミールはその手をどけようとは思えなかった。
ティオをなだめるためと言い訳をしながら、自分が癒やされたくて触れているのかもしれない。エミールには、分からなかった。
王都の臣民が、二人のこのような様子を見るのは、初めてのことだった。
化け物退治でティオが走り回っているのは、何度も見てきた。でもその時も、エミールとティオはずっと適切な距離を保っていた。
エミールが廃嫡された理由として挙げられていた平民が、まさかティオのことだとは、思ってもいなかった。そのくらい、エミールの礼節を重んじた対応は完璧だった。
そこで、一つの疑念が民衆の間に生まれることになる。
――では、ベリンダ・オストワルト公爵令嬢が言っていた、「王族にあるまじき、浮ついた恋愛感情と公務の放棄」とは、一体なんだったのか。
ティオが、民衆相手に漫才を繰り広げていたかたわらでは、別の再会劇が繰り広げられていた。旧・スラム街――現・学園地区――を脱出した面々と、第二連隊の面々の再会劇。
そこには、貴賤の区別などない。彼等は全員が、「第二連隊を救う!」という目的のために、市街地を爆走してきたのだ。ティオに続けと言わんばかりに。
「隊長さん! 大丈夫か?!」
「無事でよかった。怪我はないか?」
抱き合い、涙ながらに無事を喜び合う。
つい先程まで、お互いが死地にいたのだ。第二連隊も学園地区へ閉じ込められていた民達も。感慨もひとしおだったのだろう。
「ああ、大丈夫だ、ありがとう。ご心配をおかけし、申し訳ありません」
第二連隊長が代表し、集まってきた脱出民へ声を返す。
「いやいや、感謝も謝罪も、こちらがすべきことなのだろう」
隊長に頭を下げられた、とある貴族は頭を下げ返している。
それはとても友好的なやり取りだった。
第二連隊、そしてエミール・ヴェルナー・バイアーを中心として、この場には、大きな人の渦ができていた。
そんな友好的なやり取りを目の前で見せつけられて、焦りを抱く者達がいた。
ブリクサ・グラーフや元・国王の取り巻きだった貴族達だ。彼等は、遠巻きにその光景を見ていた。
自分達が、この渦の外側にはじき出されていることに、憤りを覚える。
これではまるで、高貴なる選ばれし身分である自分達が、疎外されているようではないか! ――と。
この期に及んで、そんなことを考えていたのだ。
彼等にとって、それは散々繰り返されてきた権力闘争の一部に過ぎなかったから。それに多くの民が巻き込まれ、非業の死を遂げていたのだとしても。
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