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第一部
12.救国の廃太子
しおりを挟む「わーっ! またティオが怪しいショタ拾ってきたーっ!!!」
「また人外か?! 子供? 嘘だ! ティオがまっとうなショタとお近づきになれるはずがない!!!」
「神様助けてーっ!!!」
「喧嘩売らないと気が済まないのっ?!」
例によって例の如く、白龍に乗って孤児院前の広場へ現れたティオに、広場の面子は騒然としながらも適切な対応を取っていた。
ティオに代わり、エミールがロビンを横抱きにして、孤児院へと運び込む。ティオの故郷であるベルク村には医師がいないので、途中で拾った町医者を連れて。
「院長! ティオがまた怪しい怪我人拾ってきた!」
「あらあら、今度は誰かしら?」
一足早く院長ウーテへ連絡を入れたのは、広場で遊んでいた村の子供達だ。彼等は遅れてやってきたエミールに空きベッドの場所を教え、慣れた様子でロビンの介助を手伝った。
「申し訳ありません、院長。事前に相談もなく……。山を散策中に遭難者を救助したのですが、どうやら幼年の子供のようで、意識もなかったため連れてきてしまいました」
「大丈夫よ、いつものことだもの。先生もすみません」
「いやいや、こちらも協力を頼むことがある。持ちつ持たれつだよ」
申し訳なさそうに頭を下げるエミールに、ウーテはいつものように穏やかな微笑みで答える。町医者も同じように、慣れていると笑った。
町医者により、ロビンはエミールが予想していた通り、低体温症と診断された。重篤な状態は紙一重で回避されていたようで、「体表面を暖めつつ、暖かい空気を肺へ送り込み様子を見る」という治療方法に決まった。
体表面を暖める器具や、暖かい空気を肺へ送り続ける器具は、町にも村にもない。そのため、ティオが委細不明の術を使って行うことになった。
ベルク村から見て、山を越えた先にはファイエル領が広がっている。少年は恐らくそこに暮らす者だろうと、エミールは当たりを付けていた。
自分が運び込まれたときもあのような感じだったのだろうかと、ベッドで眠るロビンを見て、少し前のことだというのに懐かしさを覚えてしまう。
容体が安定したのか、苦しげな表情はなく、穏やかな寝息を立ててロビンは眠っている。ロビンの周囲には、ティオの術によって温かい霧のようなものが発生し続け、町医者が指示した通りの治療効果がもたらされていた。
現在、ティオとラウラは子供達と共にお昼の準備の真っ最中。ウーテとエミールはロビンの看病という役割分担になっていた。看病と言ってもすることなどない。だからこれは、エミールに休んでいて欲しいというティオの気遣いだ。
それに甘えるのもどうなのかと思っていたのだが、ウーテが何やら話がありそうだったこともあり、ティオの気遣いに甘えることにした。
「赤ん坊のあの子が、この孤児院に運び込まれてきたのも、こんな風に天気の良い日だったんですよ。赤子のティオを見つけたのは、教会騎士団の方々でした」
「騎士団が? なぜ――」
「あの子は、魔獣の襲撃を受けて全滅した村の唯一の生き残りなんです。当時はまだ珍しかったんですよ? 魔獣が人里まで降りてきて、事件を起こすなんて。騎士団の方々は討伐のため、その村を訪れたようですが、結局、手遅れだったようで。その魔獣の亡骸の上で、あの子はハイハイをして遊んでいたそうです」
「それは……」
――ティオは想像以上の特異性を身に秘めているようだ……。
ウーテの言葉に、エミールはどんな言葉を返せば良いのか分からない。そんなエミールに気づきながらも、彼女は先を続けた。
「力の片鱗は、すぐに現れました。村の大人達も怖がってしまって……ずいぶんと長い間、あの子は孤児院の端っこに座って、誰とも関わろうとはしなかったんです」
「あのティオが?!」
驚くエミールを見て、ウーテはまるで悪戯が成功した子供のように茶目っ気のある笑みを浮かべた。
「ええ。意外でしょう? 今のあの子からは想像もつかない」
「……貴女方が、愛情を注いでくださったからでしょう」
この孤児院に限らず、この村には優しい空気が満ちているとエミールは感じていた。突然現れた厄介者でしかない自分を、何の疑問もなく受け入れ、時には手助けさえしてくれる。当然のことのように。
ここへ訪れるまで、エミールは辺境の地に「ベルク」という村があることすら知らなかった。自分が赤ん坊の頃とはいえ、そんな昔から、村を滅ぼしてしまうほどの魔獣が暴れていたとは。
「そうだと、嬉しいのですけど。あの子のわがままに、振り回されていませんか?」
「そんなことはありません。俺の方こそ……彼女のそういった感情につけ込んでいるようで、申し訳ないです。――ああ、そう言えば、彼女に戦闘術を教えたのは教会の人間だと聞いたことがあるのですが」
「ええ。確かに、はじめは教会が引き取ってあの子を『戦闘員』へ育てようとしていたのだけれど、あっという間に追い抜かれてしまったようでね?」
――追い抜かれた?
「あのそれは――」
「……ぅうッ……」
ウーテが気になることを言ったすぐ後、エミールが聞き返そうとした、ちょうどその時。ベッドで静かに眠っていたロビンが、小さくうめき声を上げ、目を覚ました。
昼食の準備中だったティオとラウラも寝室へ合流し、医療班として戦場経験を持つラウラが、ロビンの体調を確認する。弱ってはいるが命に別状はないようだ。
「自分の名前は言えるかしら?」
ロビンのそばにいたラウラが、そのまま彼に優しく問いかけると、
「ロビン……ビラーベック……」
かすれた、声変わりのしていない高い声が返ってきた。
「おっとうとおっかぁを助け……て……ッ!」
しばし焦点の合わない目で、天井を見ていたロビンだったが、はっとしたように起き上がろうとして、力無くベッドへ倒れ込む。再度、起き上がろうとするロビンに、ラウラは慌てて手を差し伸べた。
気づけば、ティオがロビンを取り巻く一連の動きを、やや離れた場所から見ていることにエミールは気づいた。その瞳に、哀しみが宿っている。自分には分からない何かを感じているのかと思うと、一人でそんな目をさせていることに無力感を覚える。
「アンタの故郷は?」
腕を組み、慎重に言葉を選びながらティオはロビンに問いかける。
「フテラン? ……ああ、あそこなら知ってるわ! 酔っ払いが多くて毎回ボコボコにしてきた村ね! で、助けてってどういうこと?」
「あ……む、村に……っ!!!」
病み上がりのロビンは、たどたどしい口調で何があったのかを説明した。途中、何度か休憩を挟みながら。
要約すると、彼は山の麓の小さな村に住んでいる、農耕と狩猟で生計を立てる開拓民の子供らしい。彼の父親はその日、夜になっても戻って来なかった。そのため、集落の男達が捜索に出たのだが、大型の獣に襲われて逃げ帰ってきた。獣にあとをつけられたのか、その夜、ロビンの家は襲撃を受けた。彼は恐ろしさから家を飛び出し、森の中へと逃げ込み――現在に至る、ということらしい。
「助けて!」
ロビンは何度なだめてもベッドから出て、外へ飛び出そうとする。寝室を出たところで、ここから村へ戻ることは不可能だ。
ウーテとラウラはどうしたものかとその場で考え込んでしまったのに対し、エミールとティオは即決したらしい。
「白龍でぶっ飛ばすけど、エミール、覚悟はいい?」
「ああ」
迷いのない口調でティオが発した質問に、同じく迷いなくエミールが答える。二人のそんな様子に、ウーテは笑い、ラウラは顔面蒼白だ。
「よし! じゃあ、決まり! ロビン、アンタ動ける?」
「うんッ!!!」
十歳の回復力が凄いのか、ティオの術が凄いのか。はたまた、ロビンの気力によるものか……つい先程まで上半身を起こすことすらできなかったというのに、彼は二人を引っ張り走り出しそうな程に元気を取り戻していた。
「院長! この子の故郷に行って来ます!」
「病み上がりの子供に無茶をさせないようにお願いしますね」
「はい、分かりました」
ウーテがエミールにティオとロビンのことを頼むと言い、不満顔のティオそっちのけで、話はまとまったと思われたが――、
「私も行きます!」
といい、ラウラが慌てて一行に加わった。
◇
ファイエル伯ボニファーツ・ファイエルは、魔獣による再度の襲撃に備え、一週間弱、村に滞在していた。しかしその間、魔獣の襲撃は無かった。
領内で魔物の脅威にさらされているのは、この村だけではない。そのような非常時に、領主であるボニファーツが長期間屋敷を留守にしていれば、不測の事態に対処できなくなる恐れがある。
そのような事情もあり、領主一行は村を後にすることにした。村民が不安を覚えていることは分かっていたため、若干名の兵を残して。苦渋の選択だった。
山間にあるこの村から田園邸宅へ帰るには、桟橋を渡る必要がある。
絶望の兆候が見え始めたのは、一行がその桟橋へ向かっている最中のこと。
「りょ、領主様、大変ですっ!」
先遣隊の一人が慌てた様子で戻ってくるのを見て、ボニファーツはそれも想定の範囲内の出来事だと、自身を落ち着かせる。部下にその場で待機するよう命じ、自身は先遣隊と合流するべく先を急いだ。
「あれを……!」
先を進んでいたはずの先遣隊が、中途半端な位置で進軍を止め、草むらに身を隠している。先遣隊と合流するまで、自分達も目立たないよう草むらの中を歩いてきた。
――なんということだ……。
視界の先、桟橋の向こうに、大量の魔物が待ち構えているのが見えた。種族も体格も特徴もバラバラの沢山の魔物達。だが、どれも獰猛な牙と鋭い鉤爪を持っている。その数は、十や二十では足りない。中には翼を持つものまでいる。
――あえてそこに座し、待っているのか。獲物が恐怖に打ち震え、この桟橋を渡るのを! そうして食い殺すのが目的だと言うのか……!
この桟橋は村民も普通に使用する。桟橋の向こうには村だってある。
恐怖と焦燥のあまり、脳が詳細を把握することを拒絶している。数が数えられない。魔獣の詳細を視界に収めているはずなのに、種別も大きさも分からない。
――兵を無駄死にさせるわけにはいかない……。
「退却だ。魔獣を刺激しないよう、殺気を放つな。このまま村へ戻るぞ」
「領主様? お忘れ物ですか?」
戻ったボニファーツらを出迎えたのは、村長のそんな暢気な言葉だった。ボニファーツはゆっくりと村の様子を見渡す。数日前、あれだけのことがあったというのに、村民は誰も穏やかな顔をして、いつもの日常を謳歌している。
――暢気な村長、村民達。彼等に逃れようのない恐怖を伝えるのは忍びない。我々には、もう先はない。それならばせめて、可能な限り、心安らかに……。
領主もすでに平静ではなかった。
異常事態を村民へ伝えることもせずに、そのまま襲撃を迎えれば、想像以上の混乱と苦痛がもたらされる。それは最もしてはならないことだ。平時であれば、すぐに気づいたであろう当然の結果に、彼は気づかなかった。
エミール・ヴェルナー・バイアーの廃嫡からずっと続いている王家の暴挙のせいで、激しく精神をすり減らしていた。暗く鬱屈し、張り詰めたままだった緊張感に対し、超弩級の絶望が襲いかかった。
精神医学分野が発達していたら、彼には何らかの病名がつけられたかもしれない。そうすれば、少なくとも、彼に更なる過酷な職務を割り振ろうなどとは、誰も思わなかっただろう。部下も、彼の判断に疑念を持ち、それを口にできたかもしれない。
だが、そんなものはなかった。誰も彼もが、領主である彼にすがるしかなかった。そして領主も、それを当然と考え、己の不安や恐怖を誰かに伝えることは義務の放棄だとすら考えていた。
それゆえ――――、
「ああ、そうなんだ、すまないな」
八方塞がりの中、彼は静かに地獄へと歩き始めた。自覚すら、ないままに。
ボニファーツ・ファイエルの精神状態を疑問視している者が、いないわけではなかった。それは、今この村の中で最も魔獣の脅威を肌で感じていた者達――この村へ救援を求めてやってきた三人の男達だ。
彼等には、村長の好意で客室が用意されていた。しかし、自分達が今まで過ごしていた茅葺き屋根の家との違いに、居心地の悪さを感じていたところへ、領主までやっかいになるということで、納屋で一晩を明かすことを選んでいた。
「……逃げてきたんでねが」
口を開いたのはリーダー格の、息子を亡くした男だ。彼は一刻も早く集落に戻り、息子をきちんとした形で弔ってやりたいと考えていた。それまでは、心が騒ぎ落ち着いて眠ることさえできない。そんなリーダーの言葉に、一番年若い男が疑問を投げかける。
「何言っとぉ?」
「あいつらの顔見たら分かりゃあ。あれは恐怖に慄いとる目ぇだ」
「恐怖って……魔獣は領主様の兵達らがやっつけてたでねが!」
「ほんにそう思っとンか?」
リーダーの言葉に、年若い男は返す言葉がない。
「あげな銃や棒っきれで倒せりゃあ! 壊れた家、たまあとしかなかったそうでねが! 化けモンの血でもあったか? おれぁ見てねぇ!」
「だども、どうすりゃぁ」
「…………ベルクのティオならどうだ?」
「ティオ・ファーバーか?! んだども、乱暴モンでねが! けんかっ早くてすぐに殴りよるし、そげなヤツ――」
リーダーの口から出てきた名前に、年若い二名の男達は戸惑いを見せた。
彼女の戦闘能力の高さ、魔獣討伐の腕前は彼等も認めるところだ。しかし、彼等にとって、彼女は魔獣を倒したついでに、ふらっと現れては荒くれ者共と喧嘩を始める、たちの悪い狼藉者だ。しかも、最近では真偽不明だが王の不興を買ったとも聞く。あくまで彼等にとっては、信憑性の乏しい噂レベルの話なのだが。
「だども! 領主様の兵隊様、なンもできなかったでねが!」
「…………行くにしても、だれが行くだ?」
「ベルクの村は山の向こうだ。間に合うんか?」
◇
再び案内された村長邸の客室。領主ボニファーツは、何をするでも無くただ座っていた。目前に迫っている危機への対策を立てることもできずに、ただ、時を過ごしていた。
今後の指示を仰ぐため部屋を訪れた彼の部下は、彼のそんな様子を認めなかった。部下にとってのボニファーツ・ファイエルは、迷いなく間違うことなく自分達を導く、大義滅親とした理想の領主なのだから。そうでなければ、困るのだから。
「うわあああぁ!」
耳をつんざく悲鳴に、ボニファーツは弾かれたように椅子から立ち上がり、何も考えず、反射的に部下を引き連れて現場へ駆けつける。
村の入り口に、数名の男達が腰を抜かしたように座り込んでいる。彼等の格好を見る限り、いつものように仕事へ行こうとしていたのだろう。酪農か、狩りか、行商か。
そんな彼等の視線の先を追ってみれば――――――――――いる。
村の入り口にまで、魔獣の群れは迫っていた。
「領主様! 別の出入り口にもいます!」
周囲を探っていた部下から報告が上がる。この村には東西南北にそれぞれ大きな通路があり、それぞれが村の主な出入り口となっていた。それぞれの出入り口の確認をさせると、取り囲まれているのが分かった。
「どうしたらいいだ……俺たちはもうおわりだ!」
村民の悲痛な声が、ボニファーツの耳に届く。
――何を考えていたんだ、自分は。何も言わなければこうなることは分かりきっていたことじゃないか! 何の対策も取らずに責務を放棄して、自らの憐憫に溺れた。これでは、あいつらと同じではないか!
しかし、策がない。力がない。武器がない。数がない。この絶体絶命の局面を覆すための何もかもがない。悲嘆に暮れる村民らに、ボニファーツはかける言葉が見つからない。
「ひぃいいいっ!!!」
何一つ解決策が浮かばない中、村民の悲鳴と同時に銃声が鳴り響く。その銃声が、自身の兵によるものか、猟師らのものなのかも分からない。ボニファーツの目の前の魔獣達に動きはない。
部下に急かされ、ボニファーツは襲撃現場へ急行する。部下への指示は、『避難誘導』だ。しかし、村を包囲され脆弱な木造建築しかないこの村で、避難先となる籠城可能な建物などない。指示を受けた私設兵の間に混乱が広がっていく。
部下の戸惑いの声など耳に入らないボニファーツは、一人の村民へ襲いかからんとする魔獣に狙いを定めた。――しかし、槍も銃も効果がない! 刃物は弾かれ、弾丸はすり抜ける。彼の攻撃には何の意味もない。
「うわああああっ!!!」
体中の血液が凍り付いてしまいそうなほどの絶望を孕んだ、村民の絶叫が響き渡る。ここで誰かを死なせてしまえば、緊張の糸が切れて、兵達も村民も総崩れになってしまうだろう。
――何かしなければ。何か、何か…………………………誰かッ!!!
頭上高くから飛びかかり、その鉤爪で村民を突き刺――――そうとした瞬間、更に高所から飛び降りてくる人影があった!
その人影は、白銀の長い剣を真っ直ぐに振り下ろし、まるで紙を切るように、敵の体を真っ二つにした。低い咆哮と共に、魔獣の姿は霧のように霧散し、後には小さな鳥のような何かが残る。
しかし、その動きはまだ終わらない。切っ先の軌道は止まることなく弧を描き続ける。その動きに見惚れている内に気づけば、敵は一掃されていた。
粗末な生成りのボロを纏っていても分かるほどに、気品に満ちあふれた立ち居振る舞い。光の加減によって金にも水色にも見える髪。
「――――――エミール殿下?!」
ボニファーツは目の前に現れた人物を、信じられないと言わんばかりに目を見開いて凝視してしまう。
そんな視線を受けエミールは、苦笑してみせると。
「話は後だ、ここを一掃するぞ」
「…………はいッ!」
ボニファーツ・ファイエルは、もう、迷ってはいなかった。
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