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第一部

6.そして…『女神・生誕祝賀の儀』

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 積もった雪が完全に溶け、地面から小さな芽が顔を出し、沢山の生き物たちの息吹があふれる――春がやってきた。




 女神・生誕祝賀の儀の前日まで、ティオ・ファーバーは化け物退治にかり出されていた。慣れたこととは言え、今回ばかりは勝手が違う。何しろ、儀式に必要な祭具を運ぶ係に任命されたのだから。

 話があったのは一月ほど前。
 どこの国であっても、女神関連の儀式を仕切っているのは教会であり、今回の話はエミール・ヴェルナー・バイアーをと通して、教会から打診があったものだ。

 教会がティオに今回の話を持ってきたのは、ティオの持つ力の一端でも教会の人間が受け継ぐことができれば……といった下心あってのこと。祭具の中に特殊な術を埋め込む等して色々と画策していたりもする。過去、ティオの力を奪おうとありとあらゆる刺客を教会は送り込んでは、全て返り討ちにあっていたが。

 当初、面倒だからと聞く耳を持たなかったティオだったが、エミールが追加報酬を出すと言うと即うなずいた。

 エミールは、ティオに対し罪悪感を抱いていた。
 国のために民のために、日夜化け物と戦い続けている彼女に何もしてやれないことに。本来であれば国を挙げて『聖女』として称賛し、今よりもっといい待遇で迎えるべきだと思うのに。

 この国には、聖女として認められるにはの貴族でなければならない――という法律が存在する。いくら王太子と言えども法を犯すことは出来ない。
 聖女として認められれば、もっと多くの称賛を皆から得て、もっと沢山の報奨を与えることもできるというのに。
 現状、ティオに与えることができる報奨金など、たかが知れている。ベリンダ・オストワルトのドレス一枚にも満たない金額だ。ベリンダには何度もそれを説明している。それなのに……彼女がティオに対して国庫がどうの、税金がどうのと言う度に、どうしようもない失望が胸を占める。

 ベリンダ・オストワルトに対して、何度、同じ説明をしただろう?
 その度に、彼女はさめざめと泣き伏し、周囲の人間に己の不幸をアピールするのだ。彼女と比べて、自分がどれほど恵まれているのかなど、考えようともせずに。

 ベリンダのそんな様子を見て、周りの子息令嬢もティオを叱責するようになった。討伐のために授業に出ることができなければ「何しに学園に来ているのか」と、補習を教官に頼めば「男をたらし込んでいる」と。
 しかし、そんな言葉を受けてもティオは、
「イケメン無罪!」
「ドレス可愛いし、ゲヘヘな目の保養もさせてもらったから許す!」
 と言って、笑うのだ。

 その様子を思い出し、エミールは今度こそ、深い深い溜め息をついた。

「何、溜め息ついてンですか、殿下! リハーサルしますよ! ぶっつけ本番なんて、私絶対無理ですからね! こんな重いのを、こので持たないといけないんだから、早く!!!」
 儀式の直前まで、ティオ・ファーバーはエミール・ヴェルナー・バイアー及び仲間達と、祭具を運ぶリハーサルを行っていた。

 その華奢な腕で、たった一人、妖怪と渡りあっているなど、誰が信じられるだろうか――重い祭具を持ち小刻みに震える彼女の腕を見て、エミールの胸にやりきれない思いが込み上げてきた……。



 ◇


 大きな両開きのドアから玉座までは、ドアの幅より若干広いくらいの、赤いビロード地の絨毯が敷かれていた。最奥には玉座と両隣に椅子が一つずつ。
 片側の壁際にはサイドボードが設置され、その上には高そうな調度品の数々が、反対側の壁際には、凜々しい彫刻が並べられている。
 高い壁にはステンドグラスが、天井には大きなフレスコ画が描かれている。

 そんな謁見の間、玉座の前には、本日に限り仮設の祭壇が設けられていた。


 儀式開始直前、謁見の間には既に多くの来賓が集まっていた。
 玉座に近い順に位の高い者が並ぶという漠然とした暗黙の了解はあるものの、正式に立ち位置が決まっているわけではない。赤い絨毯の上に乗らないよう気をつけながら、来賓達は各々好きな位置に落ち着いていた。

 主催者である王家は玉座に近い位置におり、エミール・ヴェルナー・バイアーもまたそこにいた。その隣には、婚約者であるベリンダ・オストワルトもいる。
 ベリンダも最初はまだ大人しくしていたのだ。儀式が始まり、大扉の向こうからティオ・ファーバーが祭具を持って現れるまでは。


「どっ……どういうことですの、殿下!?」
 その一言はまだ小声で、儀式の進行を妨げるものではなかった。
 それでも、王家は元より来賓方にまで届いてしまっていたらしく、数名が何事かと振り返る。エミールはその視線に気付き、迂闊なベリンダの言動に舌打ちをしたくなった。だが、表面上はいつもと変わらず平静とした仮面を貼り付ける。
「少し静かにしてくれないか、この場にいる君が無為に騒げば周囲に混乱を招く」
「それは間違っております!!」

 エミールの制止も聞かず、ベリンダは大きな叫び声を上げてエミールと……祭具を持って扉の前で立ち尽くしているティオ・ファーバーを糾弾し始めたのだ。

 ヒートアップするベリンダをたしなめるエミールだが、最終的にベリンダは――、
「そうやって、あの子ばかりをかばうのは結構ですが、今はとても大事な儀式の最中なのですわよ?! 平民のあの子にあのような大役を任せるなど不敬ですわ! 殿下がしっかりして下さらないから、いいように利用されるのですわ!」
 と言って、泣きわめく始末だ。

「……静かにしてくれ」
「いいえ! わたくしは黙りませんわ! 国外から多くの来賓を招いているこの場で、殿下のちょうを受けているだけのあの子を呼ぶだなんて……いくらとは言え、今日は女神の生誕――」
「いい加減にしろ! 君は王家に属する者としてここにいる自覚がないのか?!」

 彼女は言ってはならないことを言ったのだ。
 この場で、王家に属する者としてそこに立っているベリンダの口から漏れることは、絶対に許されない言葉を。

「わたくしより……あの子を選ぶということですのね……」
「待て、今はそのようなことは――」
「いいえ、いいえ! 今、殿下はおっしゃいましたわ! わたくしは王家に属する者として相応しくないと……!」

 ベリンダはその瞳に大粒の波を浮かべながら、エミールから逃げるように赤い絨毯の上に歩み出た。彼女に多くの視線が集まる。そうなるように全てが配置されているのだから当然だ。
 だというのに、己が視線を集めていると気付くと混乱したように顔を手で覆い、その場に立ち尽くしてしまった。まるで子供のように。
 一刻も早くこちらへ来させようと説得を試みるエミールだが、彼女はその言葉をことごとくねじ曲げて受け取った。


 そして最終的に――、

「……わたくしとの婚約をしたいと、そういうことですわね? エミール殿下。わたくしは、殿下のため、この国のために苦言を呈していたのですわ。ご理解頂けないとは、とても残念ですわ」
 と、言ったのだ。



「もうお止め下さい、兄上」
 抱きしめ合うベリンダ・オストワルトとレイモンド・マクラウドの前に、一人の少年が歩み出た。
 ブリクサ・グラーフ、今年で十五になるエミール・ヴェルナー・バイアーの弟であり、この国の第二王子だ。濃い藍色の髪と瞳。見目麗しい部類に入るのだろうが、エミールほどではない。美貌で言えばレイモンド・マクラウドも、エミールには遠く及ばないが。

 ブリクサ・グラーフは、両親である両陛下から過剰なまでに愛されて育った。
 エミール同様、彼も帝王学を学んだが、エミールほどの成績を修めることはできなかった。エミールが失敗すれば、両陛下は一歩間違えれば死んでしまうのではないかと思えるほどの叱責を加える。けれど、同じ失敗をブリクサがしても、両陛下は慰め、むしろ褒めたたえた。なんと責任感が強い子供なのだろうか! と。

 そんなことを繰り返せば、出来の悪いブリクサ・グラーフが勘違いをするのも当然のことだろう。


「全くもって恥ずかしい。貴方の様な兄を持った事を、心の底から残念に思いますよ」
「お前は何を……!」
 芝居がかった言動で愉悦に浸るブリクサとは反対に、エミールは焦っていた。
 来賓が多く集まるこの場でこの見世物は一体なんだ。諸外国から蔑まれ貶められ、今後まともな条約など結べなくなる。少し考えれば分かることだ。現に、来賓から向けられるさげすむような視線に、エミールは頭が痛くなる。

 大国出身のレイモンド・マクラウドが、そのような視線を意に介さないのは理解できる。かの国には信頼と実績がある。けれど、このレイオニング王国にはそれがない。


「いい加減にしろ!」
 この状況に耐えきれなくなったのか、そう怒鳴り声を上げたのはレイオニング王国・国王であるエミールの父だ。隣では母が怒りに顔を真っ赤にして、エミールを見ている。
 その瞬間、エミールはこの二人に対して……何度目かの落胆を覚えた。

「これは何というザマだ! エミール・ヴェルナー、この場を台無しにした責任、貴様はどうとるつもりなのだ!」
「陛下……」
 激昂する憐れな父に、エミールはかけるべき言葉が見つからない。
 もうこの場を取り繕うことは不可能だ。レイオニング王国は他国から計り知れないほどの不審を買ってしまった。

「陛下、これ以上、娘が愚弄されているのは見るに堪えません!」
 混乱に拍車をかけるかのように、人垣の中からベリンダの父、オストワルト公爵が歩み出て、娘の不遇と己の怒りを訴え始める。

「エミール・ヴェルナー殿下は、平民の女子生徒へ国庫を貢ぎ、学園の授業に出ることもなく外遊に勤しみ、公務を放棄したと娘から訴えがありました! 陛下……これはどういうことなのです? 我がオストワルト公爵家を敵に回しても構わないと……そういうことですかな?」
「お父様、落ち着いて下さいませ!」
 ベリンダが慌ててオストワルト公をなだめる。ベリンダは、父が本気で怒れば国が滅ぶと思っているのだ。かなり本気で。オストワルト公自身も。
 彼等は、この期に及んでこの国の怪異を解決しているのは、自分達が用意した私設兵だと思っている。何度もエミールから状況報告を受けているというのに、彼等は親子で聞く耳を持たない。
 それも仕方の無いことなのかもしれない。エミールの両親――両陛下ですら、彼の話を聞き流しているのだから。



 一方、ティオ・ファーバーはもう疲れたので、祭具をサイドボードに置き、茶番が終わるのを待つことにしていた。出入り口付近にいるのは、ティオの活躍をよく知る衛兵達だ。貴族の小競り合いが明後日な方向へ進んでいることを、彼等は分かっていた。
 ティオもエミールも、責められるような事は何一つしていないことも、彼等は分かっていた。




「皆の者、愚息が本当に申し訳ない……!」
 一連の騒動の収束を図るべく、陛下が頭を下げるのを、来賓の面々は白々しい目で見ていた。

「エミール・ヴェルナー・バイアー! 貴様は本日をもって全ての権限を剥奪する! 貴様はもう王族ではない! 己の罪を悔い、命ある限り後悔しながら生きていくがいい!」
 再びこうべを上げると、国王は凜としたよく通る声で、そう言い切った。弟のブリクサ・グラーフが満足げにうなづき、ベリンダ・オストワルトとレイモンド・マクラウドを振り返る。
 『正義の勝利』に酔いしれる彼等を、エミールは呆れる間もなく正気に戻そうと必死に縋るが――。
「お待ち下さい、父上っ!」
「諄いぞ! 貴様はもう我が息子ではない。この場では許しもなく口を開くことすら許されぬ存在なのだ。身の程を知れ!」
「……っ!!!」
 あまりの悔しさに握りしめた拳から血が滲む。

「エミール・ヴェルナー・バイアーには公金横領、学園の私物化、貴族への脅迫その他と、かなりの罪状がありますね。本当は処刑にしてもよいくらいですが、市井への追放で差し上げましょう」
 そう口にしたのは、国王でも王妃でもない。オストワルト公だ。
 なぜここで、たかが公爵がそんなことを口にするのか? この場にいる他国の来賓は怪訝そうな視線を一同へ向ける。だが、向けられた当人達はその視線の意味を正確に感じとることはできなかった。残念なことに。
「まあ、我が愚息に対してお優しいご沙汰を……」
「すまぬな、オストワルト公」
 王妃と王は、周囲の全てを置き去りにしてエミールの断罪劇を進めていく。



 この頭のおかしいやり取りに、来賓がこれ以上は付き合いきれないと考え始めた瞬間――ガラガラという金属音が大きく響き渡った。招待客の中には「今度は何だ」と疲れた様子も見えるが――ドアの前に佇み、投げました! と言わんばかりの動きをしているティオ・ファーバーに、皆が視線を向ける。
 彼女の足下数メートル先に、絨毯の上に放り投げられたと思われる祭具が散らばっていた。


「私は一体何時間、愚者の茶番劇を見せられなきゃならないわけ?」

 ティオ・ファーバーは静かに、しかし大きな声で国王へと問いかける。その顔に笑みすら浮かべて。
「ぶ、無礼な……貴様も同罪だ! この儂の許しもなく口を開くこと許さ――」
 国王が言葉を続けるより先に、ティオ・ファーバーは国王の目前へと迫っていた。
 一秒前まで、五十メートルは離れていた場所にいたはずの少女が――。

「あのさ、そういう話はとだけしてくれる? 私が自分のケツさえ自分でふけない老害とお喋りしたがってるように見える? いい加減疲れたから、こっちに切り替えていい?」

 ティオ・ファーバーは怒りと呆れを通り越し、悟りを開きそうな顔で一味に向かいそう言った。同時に、その身体と放り投げた祭具に白い光を纏わせ、宙に浮きながら。それは、エミールや衛兵にとってはいつもの光景だったのだが――。

「なっ! なんだ貴様! 卑しい平民の分際で! 衛兵、衛兵ッ!」
「きゃあっ! 様!」
は私の後ろに隠れていて!」
 ベリンダとレイモンドはお互いを愛称で呼びかけながら、抱き合い肩をふるわせていた。

 その様を見て、エミールはもう落胆以外の感情を持つことができなかった。それは、遠路はるばる海を越えてやって来た面々も同じだった。来賓には分かっていた。ティオ・ファーバーがその身に纏っている光が、聖なる光であることが――。



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