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第一部

プロローグ

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「……わたくしとの婚約をしたいと、そういうことですわね? エミール殿下。わたくしは、殿下のため、この国のために苦言を呈していたのですわ。ご理解頂けないとは、わたくし、とても悲しいですわ」

 レイオニング王国の王太子である『エミール・ヴェルナー・バイアー』は、その言葉を聞いて頭を抱えたくなった。
 彼の恐ろしく整った端正な面立ちは、極小さな感情の乱れでさえ相手に大きな威圧となって襲いかかる。エミールはそれを熟知していたし、己のそのような相貌を疎んじてもいた。だから、必死に表情を出さないよう努めた。

「…………っ!」
 脳裏に思わず罵詈雑言ばりぞうごんが駆け巡るが、拳を握りそれに耐える。緩くかぶりを振れば、光の加減によっては金にも水色にも見える、一房に束ねられた美しい髪が揺れた。




 今、二人がいるのは王城内、謁見の間。
 そして、ここにいるのは二人だけではない。

 国内外から多くの来賓が集まり、『女神・生誕祝賀の儀』の始まりを、今か今かと待ち構えていたのだ。しかし今や、その全員が、好奇心も顕わに騒ぎの中心にいる二人へと視線を向けている。

 レイオニング王国は、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこするこの世界で、偉大なる女神の守護を最も強く受けていると一目置かれている緑豊かな小国だ。

 幽霊や妖怪、そして悪魔と言った異形いぎょうの者達に抵抗する力を、多くの人々は持ち合わせていない。奴等がもたらす災厄に対処できるのは、数少ない特殊な魔力を持つ選ばれた者達だけ。それゆえ、奴等は常に国家の繁栄を阻む人類の敵だった。
 現在、レイオニング王国で目立った被害が出ていないのは、女神の加護によるものだと広く信じられている。同時に、女神の加護を強くするのは人々の信仰心だとも。それは、世界共通の認識だった。

 そんな、女神を最もたたえる大事な儀式を台無しにしてまで、、しなければならない話なのかと、エミール・ヴェルナー・バイアーは目の前の少女に対してひどく落胆を覚えた。『わたくしは悲しんでいます』と全身で、必要以上にアピールすることに余念のないその姿にも。王族としての教育の賜か、エミールの表情は感情に乱されることはなく常に平静を装ってはいたけれども。

 彼女の名は、ベリンダ・オストワルト。
 オストワルト公爵の長女であり、エミールとは同い年の婚約者だ。腰まで伸びた月の光のように美しい銀の髪、アメジストのようにミステリアスにきらめく瞳。
 今年で十七になる彼女は、少々毒々しいまでに美しく成長を遂げていた。彼女は幼少の頃から勤勉で、未来の王妃となるべく、誰よりも務めを果たそうと努力してきたことも、エミールは分かっていた。
 ただ、少しだけ――ベリンダは視野が狭かった。

「待てベリンダ、今そのような話を――」
「――聞き捨てなりませんね、エミール殿下」

 人垣をかき分けるように、我こそが救世主だと言わんばかりの芝居がかった様子で現れたのは、見目麗しい青年――レイモンド・マクラウド。
 現在、親善活動の一環で王立学園へと通っている、大国・ルファイリアス帝国の人間であり、正統な王位継承者だ。
 そんな彼が、ベリンダをかばうように立ちはだかり、大仰な台詞を並べ立て始める。

「このような場で、王太子ともあろうお方が、一方的で独善的な意見のみを採り上げ、彼女を断罪しようと言うのであれば、私は黙ってはいられない!」
 レイモンド・マクラウドは騎士が何かの宣誓を行うかのように、高らかに叫んだ。
 彼は決して自身では認めないだろうが、己に酔いに酔いまくった恍惚こうこつとした表情で。
「ねえ、君はこの国の王太子でありながら、責務も果たさずに己の享楽に耽りたいが為だけに彼女を貶めたいだけではないの? 礼儀も知らないそこの小娘のために!」
 ドヤ顔でレイモンド・マクラウドが指を指して糾弾対象へ加えようとしたのは、はるか後方、謁見の間の扉付近にいる、黒髪黒目の少女だった。
「レイモンド様……わたくし…………うぅっ!」
 そうして涙ぐみ始めるベリンダ・オストワルトを、あろうことかレイモンド・マクラウドは力強く抱きしめたのだ。
 婚約者であるエミール・ヴェルナーの目の前で。



 黒髪黒目の愛らしい少女――ティオ・ファーバーははとが豆鉄砲を食ったような顔で見ていた――のも一瞬だった。


 ――なんの茶番だ、ゴルぁああああっ!!!

 少女は怒り心頭だ!
 何しろ彼女の華奢な腕には、儀式で使用予定の重たい重たい銀製品が抱えられていたのだから。




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