もう二度と、愛さない

蜜迦

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殿下の宮で④

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 「だが、実際そなたを守れなかっただろう」

 確かにあの時は、殿下が駆け付けてくれなかったら、私の貞操は失われていただろう。
 しかし、修道院で護衛が本来の任務を遂行できなかったのは、私が彼らの行動を制限したせいだ。
 
 「今後は同じ事が起きぬよう努めます」

 なぜ殿下が私の身の安全をそこまで気にするのか不思議だが、おそらく正義感の強さがそうさせるのだろう。
 
 「……そなたは見ていて危なっかしい」

 殿下は少し気まずそうに目を逸らす。
 “危なっかしい”だなんて、そんな事言われたのは初めてだ。

 「私をそんな風におっしゃるのは殿下だけです」

 確かにここ数ヶ月、予期せぬ出来事に見舞われ過ぎたせいで無様な姿を晒してしまったが、これまでの私はエルベ侯爵家の名に恥じることのないよう、細心の注意を払って行動してきた。

 「ならば、私の前では自分らしくいられるという事なのだろう。私も実際そなたと過ごしてみて、これまで抱いていた印象と本人はまるで違うことがわかったからな」

 思い返せば二度目の人生悔いのないようにと、少々あけすけに物を言いすぎた。

 「よかったではありませんか。婚約者候補其の一の正体がわかって。これで殿下がお相手を間違う確率が少し減りましたわ」

 自虐気味な言葉を返す私に、殿下は逸らしていた視線を戻し、柔らかく微笑んだ。
 (なんて綺麗な笑顔)
 不意打ちのようなそれに、心臓をぎゅうっと握られたような感覚におちいる。

 「ああ、よかったと思っている。おかげで肚が決まった」

 「それはどういう──」

 「殿下、そろそろお時間にございます」

 やや遠慮がちに、アベル様が割って入った。
 殿下は立ち上がり、側に置いてあった上着を颯爽と羽織ると、私に向かって手を差し伸べた。
 
 「行こう」

 殿下のエスコートで会場へ?
 戸惑う私に殿下はほんの少し首を傾げた。
 まるで、何か問題でもあるのか?とでも言いたげな表情。
 (大丈夫かしら……)
 恐る恐る手を重ね、殿下とともに部屋を出ると、きた時と同じように侍女たちが深々と頭を下げ、私たちを見送った。
 
 「……さすが殿下の宮に勤めるだけあって、皆よく教育されておりますね」

 「今日はそなたがくるゆえ、あらかじめ粗相がないようにとアベルを通じて伝えておいたからな」

 きっと、来客がある時はいつも注意喚起をしているのだろう。
 部屋の内装といい、意外と繊細な人なのだ。
 行きは緊張から景色を愛でる余裕もなかったが、落ちついて見ると、育て方の難しい品種の花々が、そこかしこに植えられている。
 咲き誇る大輪の花々は、まるでそれぞれの美しさを競っているようだ。

 「リリティス。そなたの好きな花は何だ?」

 “リリティス”
 名前を呼ぶ声音が優しい。
 些細な事なのに、いちいち動揺してしまう自分が嫌になる。

 「こちらに咲く花々はとても美しいと思います。けれど私が一番好きなのは、もっと控え目な……小さいけれど一生懸命で、私たちの生活に寄り添い助けてくれるような草花で……」

 殿下はこんなつまらない答えに興味なんてないだろう。
 『そうか』と、流されて終わりだと思っていた。

 「そうか」

 ほら、やっぱり──

 「生薬になるような花が好きなのか。そなたらしいな」

 「え……?」

 「草花を愛でつつも、有事の際の薬の確保なども考えているのだろう?なるほど、しっかりしている」

 しっかりしている?
 『変わってる』じゃなくて?
 
 「あいにく私はそういった事に明るくない。だから今度話を聞かせてくれ。ここにも取り入れよう」

 私がここを訪れる事はこの先ないだろう。
 殿下の真意がわからず、何と返事をしたら良いのかわからなかった。

 「そ、そういえば、アデール様のお屋敷に咲く薔薇は皇宮にしかない品種なのですよね。どちらにあるのですか?」

 「ああ、それなら父上たちの宮の方に咲いている。こっちだ」

 殿下は私の手を引いて、ここへ来る途中に通った分岐路のもう一方へ向かった。

 「ほら、あれだろう」

 「まあ!」

 アプリコットにミルキーピンク、深紅に純白……房咲きの豪奢な薔薇が、まるで皇帝陛下の宮殿を取り囲むように植えられていた。

 「すごい……」

 湿度を帯びた、むせ返るような華やかな香りが辺り一面に漂っている。
 ポワレ公爵邸の薔薇も見事だが、比べ物にならない素晴らしさだ。
 
 「美しいとは思うが、満開の時期は香りが強すぎてな」

 薔薇に魅せられ、殿下の声も聞き流してしまう。
 まるで別世界にきたかのようだった。
 薔薇の陰から今にも妖精が飛び出してきそう。
 (この薔薇……)
 数ある薔薇の中でもひときわ目立つ深紅の薔薇に目を奪われた。
 殿下の瞳と同じ深い紅。
 誇り高いその姿はまるで──

 「……殿下のようですね」

 思わず呟き、どんな香りがするのか気になって、幾重にも重なる花弁に誘われるように顔を寄せた。
 
 「リリティス……」

 殿下の声が聞こえるのと同時に、腕を引かれた。


 

 

 

 
 
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