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4.招いたからにはおもてなし

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「またあなたですか」

「ご迷惑?」

 数日後の夜。魔王城を出てしばらく歩くと、コーバスは明らかに彼を待ち伏せしていたフェーリスを見つけた。魔王城常駐の魔族のほとんどは、転移の術で直接自分の邸宅と行き来する。だが、コーバスがそうではないことを彼女は知っていたのだろう。

「迷惑ですね。まさか魔王城の外で待ち伏せをしているなんて、これっぽっちも思っていませんでした」

 深く溜息をつき、そのままさっさと歩き続けるコーバス。フェーリスは彼の尻尾の先を踏みそうになって慌てて避けると、彼の早足に必死についていこうとする。

「あら……さすがに傷ついちゃうわ。ねえ、先生、話のひとつも聞いてくれないの? 早すぎるわ」

「……これは失礼しました。わたしに用事があるとは思っていなかったので」

 酷い男だ、とフェーリスは思う。待ち伏せをしている、と自分で口にしていたくせに、そんな事実がなかったように振舞われるとは。だが、ここまでの対応をされれば逆に落としてみたくなるものだ。

「ねえ、いいでしょ。一回だけ。一回。興味があるのよ。あれよ。先生が言ってる、探求心って言うやつ」

「まったく、困った方ですね。一回だけでいいなんて信じると思いますか? 先日は、わたしに教え込むとかなんとかおっしゃっていましたが、それは一回で出来ることなんですかね?」

 なんだかんだ言ってもコーバスは歩く速度を緩めてフェーリスに気を遣った。それに気づいてフェーリスは嬉しそうに笑う。道行く魔族が「珍しい組み合わせだ」「サキュバスがコーバス先生に何を教えてもらおうとしているんだ」などと驚いているが、誰もフェーリスがコーバスを狙っている、とは思わないようだ。サキュバスは比較的若い男の精が好き、という定説のせいだろう。

「一回で出来ないって言ったら、何度も付き合ってくれるのかしら」

「さあ。そもそもその一回を付き合うとも言っていませんよ」

「意地悪ね。ねえ、このままお家に帰るんでしょう? ご飯は?」

「家で食べます」

「自分で料理するの?」

「します」

「あら」

 それは意外だ、とフェーリスは目を丸くした。これはよろしくない。使用人すら雇っていないのか。もしかしたら結婚なんてしようものなら、今の好き放題の生活は出来ず、逆に料理をしろなどと言われるのではないか……と警戒したのだ。サキュバスたちは精とは別に食事を楽しむが、毎日必要というわけではない。だから、彼女はあまり料理に関心がない。毎日必要で摂取している者たちの方がより美味しいものを作るはずだ、と考えるのはおかしいことではない。

「使用人に暇を出したんです。当分魔王妃の教育係になるので、あまりわたしの行動や仕事の様子を知る者を増やしたくないと思いまして」

「そういうこと? いくらなんでも、高位魔族で魔王妃の教育係にすらなっている人が使用人の1人も……って、え? じゃ、帰宅したらあなた1人なの?」

「そうですよ」

「お掃除は?」

「自分でやっています。わたしの家は、そう大きくないですし」

「へえ……」

 だが、本当に1人ならば好都合は好都合だ。それに、彼の暮らしぶりを品定めしたい、とフェーリスは思う。

「お家にお邪魔しちゃ駄目かしら。手料理を振舞って下さらない?」

「駄目に決まっているでしょう」

「つれないのね」

「むしろ、どうして招待されると思っているんですか? わたしとあなたは会話を少ししたことがあるだけの間柄。それだけですよ」

 普通の感覚ならば、誰もがコーバスの意見を支持するだろう。だが、まったくフェーリスは気にしないようで、あっさりと反論をした。

「馬鹿ね、サキュバスは会話すらしたことがない男を抱くのよ?」

 その言葉には、さすがのコーバスも降参した。たまらず小さく笑ってしまう。

「なるほど。そう思えば、あなたにとってわたしとあなたは、あなたが普段抱いている男との関係よりも深いと?」

「そうとも言えるんじゃない?」

「はは……いいでしょう。仕方がないな。その代わり、条件が一つありますよ。それを飲んでくれれば、ご招待して差し上げましょう」

「なあに」

「サキュバスの歴史と生態について、わたしの話をきちんと聞いてくださるならば」

「ええ~……」

 素直に嫌そうな声を出すフェーリス。素で出た声なのか、甘えて許してもらいたい、といった様子はそこにはない。コーバスは「これは譲れませんよ」と諭すような声音で言い、一切妥協をしなかった。



 コーバスの邸宅は「そう大きくない」と彼は言ったものの、それなりに立派な建物だった。だが、彼自身が生活で使っている範囲は狭いようで、なるほどそれならば掃除も1人で出来るだろう、自分だったらやらないけど、とフェーリスは納得した。

「食事の前に先生の部屋が見たいんだけど」

「図々しい人ですね」

 そう言いつつ、コーバスは「どうせ荷物を置いて来ますし、どうぞついてきてください」とそれを許した。一応客間はあるんですけどね、と添えながら。

「……ええ……?」

 部屋に入るとフェーリスは戸惑いの声をあげる。何もない。何もなくて驚く。

 高位魔族の邸宅のほとんどは、当主やそれなりの立場の魔族は自室を持ち、その自室と寝室が繋がっていて、室内にある扉で行き来が出来る作りになっている。が、コーバスの部屋はそれすらない。大きなベッド――尻尾と腕のおかげで寝る時にかさばるのだ――と、テーブルと椅子が3脚という中途半端な数。それから小さなチェスト。クローゼット。それだけだ。調度品の質は悪くないが、どれもこれもシンプルなものばかり。

「普段は書斎に籠っていますし、ここには大したものはありませんよ」

「なーんだ。つまんないの……ねぇ、座り心地のいいソファぐらい置いたら?」

 自分が狙っている男が自室の居心地の良さを特に気にもしていないと知って、少しばかりフェーリスはがっかりする。

「申し訳ないですね。書斎にはありますよ」

「書斎なのに?」

「はい」

 そうか、ある意味ここは彼にとって寝室で、自室は書斎なのだろう。そして、寝室だから着替えをするためのクローゼットがある。その程度なのかと理解した。でもまあ、何もないならそれはそれで悪くはない。なんといってもベッドがもうここにあるし、床も広いし。窓はあってもカーテンは閉まっているし、おあつらえ向きでは……と、早々に「そのこと」を考えるフェーリス。

「茶のひとつぐらいは出しましょうか」

「そんなものいらないわ。それより……」

 忍ばせていた結界石をそっと起動させるフェーリス。魔力が一定以上ある魔族ならば気づくかもしれないが、コーバスの魔力はそう高くない。結界石から半径10メートルほどの区域で魔力を使っても他者に検知出来なくなる。正直な話、少しばかり高い買い物だった。フェーリス自身も結界を張れるが、彼女のそれは「彼女が作り出した」と知られてしまう結界だ。サキュバスが城下町で結界を張ったとバレれば、制限されている魅了を使って悪さをしているとすぐにバレる。だから、術式を刻み込んで、起動すれば誰もが同じように使える使い捨ての魔石を購入した。

「勝手なことしちゃっていい? 後できっとものすごく怒られるんでしょうけど」

「今でも怒りますよ」

「え?」

「人の家の中で、勝手に結界を張らないでいただきたいのですが……」

「!」

 コーバスは肩を竦めて見せる。腕が4本あってもちゃんと肩を竦める動作が出来るのか、なんて思うフェーリス。

「驚いた。先生、魔力そんなにないわよね……?」

 悪びれず言えば、コーバスもまるで何も問題がないように返事をする。

「あまりないですね」

「なのにわかるの?」

「わかりますよ。自分が魔力を持っていなくても、魔力が流れ出した波動を感じます」

「ええ? そんなの、魔力が少ない魔族から聞いたことないわ」

「そうですか。まあ、結界を張られたことはわかりますが、魔力はないので破ることは出来ません。これ、解除は出来るんですか」

「二、三刻程度しかもたないわ。だって、別にそこまで必要ないでしょ?」

 魅了をするのに、そんなに時間は必要ない。してしまえば、あとはこちらのものだ。そういう意味だ。フェーリスは「バレたらもうやっちゃうしかないわね」と、妖艶な微笑みをコーバスに向ける。

「どうしてそうまでしてわたしとしたいのか、まったく理解は出来ませんが」

「わたし、結婚してサキュバスの城から出たいのよね」

「ほう。サキュバスの中では比較的珍しい人ですね。ということは、当主を継ぎたくないのですか」

「そうなの。で、それには相手が必要じゃない?」

「え、まさか、そこでわたしを選んだと? 話を聞いたら余計理解出来なくなったな……」

「そうねぇ。理解出来なくても、勝手にあなたを抱くつもりだったけど……」

 そう言いながら、フェーリスは魅了の術をコーバスに向けて行使した。彼は眼鏡をかけていたがまっすぐフェーリスを見ていたし、距離も近い。サキュバスが放つ魅了の術は距離が近ければより効きやすいし、目を合わせれば効果があがる。そして、フェーリス自身、それを放った時の自分は、平時よりも何割か増しで美しく、官能的に相手の目に映ることも知っている。

「でも、そうね、あなたに『抱いてください』って言われるのは悪くないわね。懇願されたら抱いてあげてもいいわよ」

 そう言ってフェーリスはまったく彼女好みではない椅子に座って足を組む。はらりとドレスの裾がはだけ、美しい足がむき出しになる。わざとゆっくりそれを組み替えて、魅了がかかった相手を煽れば効きが更に早くなる。普通の人間ならば、もうその場に跪く頃だろうが、魔力が少なくともコーバスは魔族だ。もう少し必要かもしれない、と念のためにもう一度魅了を行った。

「懇願するような男がお好みなのですか」

「本当はそんな男はうんざりだけど、先生に懇願されるのは悪くないわ」

「そうですか。でも、残念ながら懇願するのはあなたの方だと思うんですよね」

 コーバスは小さく微笑む。だが、眼鏡の奥の目はまったく笑っていなかった。

(この男……魅了が全然効いてない……? 魅了除けの装身具はつけてないはずなのに……)

 コーバスを睨みながら、忌々しそうに舌打ちを一つ。

「どういうことよ……先生、なんで全然効いてないの……? あっ!?」

 それに、懇願するのはこちらの方だなんて。嫌な予感がする。フェーリスは立ち上がろうとしたが、その瞬間コーバスの長く太い尻尾が彼女の胴体と椅子にぐるりと巻き付いた。フェーリスはばたばたと暴れたが、まったく彼の尻尾はびくともしない。

「何するのよ! ほどきなさいよ!」

「ちょっと、いい子にしていてくださいね。ああ、これです、これ」

 コーバスは椅子の横にあるチェストから何かを取り出して、今日一番の嬉しそうな声をあげた。手にしているものは、彼が没収した強い媚薬瓶だ。

「ま、って……それ……なんで先生が?」

「ちゃんとわたしの話を聞いてくださいね。これをリーエン様が使ったらどうなるか、あなたはご存知なかったんですよね?」

「え? わたしたちの魅了の術を応用した媚薬なんでしょ……? それは知ってるわ。長時間発情させることも知ってるし、感度もあがるからセックスがいつもより気持ちよくなるって……それぐらい知ってるわよ。だって、用意された液体にわたしたちが術をかけて、原液って言われるものを作るんだもの」

「その、長時間がどれほどなのか、それに人間の体が耐えられるのかご存知ないということが嘆かわしい。あなたがリーエン様にお送りした5本セットのうちの2本は強すぎます。ですから、没収いたしました」

「そうなの? なんだ……喜ばれると思ったのに……」

 本当にがっかりしたような声音。そのフェーリスの言葉は嘘ではない。それはコーバスも理解している。彼女は美しい上に能力もあってサキュバスの次期当主候補に選ばれているが、妙に素直なところがある。妖艶な雰囲気を持っているのに、時々少女と話しているのではないかと思うほど無垢な表情を見せるのは、偏った環境で偏った思考で生きて来た者特有のものだとコーバスは思う。それは、会話の端々から既に彼に伝わっているし、別段忌避するようなものではない。彼女は、きっと色んな事が出来るのだろうが、色んな事を知らないのだ。

 だが、そんな次期当主候補が、自分たちの能力を使って作ったものが流通しているのに、その効果を把握していないのはよろしくない、とコーバスは本気で思っている。

「やはりご存知なかったのですね。折角ですから、あなたにこれを使ってもらおうかと思いまして」

「……は?」

「なので、家にお招きしました。ご丁寧に結界まで張ってくださったので、当分あなたがここにいることは誰も察知出来ないでしょうし、ごゆっくりしていってください」

「え、え……」

 コーバスは瓶の蓋を開けると、無造作に中の液体を半分ほど口に含んだ。フェーリスは青ざめる。いくらよくわかっていない彼女でも、香水として使っても効果を発揮するようなものならば、飲む量は多くなくて良いとわかる。それこそ、飲み物にほんの数滴混ぜて飲むことが推奨されている、ということも。

「!」

 口に媚薬を含んで話せなくなったコーバスは、4本の腕でフェーリスの鼻をつまみ、口を開けさせ、頭を押さえる。まったく紳士的ではない。サキュバスの能力は魅了だけではなく、フェーリスは強力な攻撃魔法も習得している。だが、彼女は魔法には短縮形であっても詠唱が必要だ。それを許さないまま、コーバスは彼女に口移しで媚薬飲ませた。

 やがて、コーバスにやっと口を解放されたフェーリスは口を歪める。

「あんまり美味しくないわね……ちょっと、一瞬焦ったけど、サキュバスの媚薬がサキュバスに効くわけがないでしょ……それより、あんなに口に含んで、どうなるかわかってるの? ねえ、先生の方がとんでもないことが起きちゃうんじゃない?」

「安心しなさい。成分を調べるために製造者に問い合わせをかけて、サキュバスにも効果が出るように調整したものと交換してもらいましたから。ああ、瓶は同じものですけどね。良かったです。製造者がわたしのつてがある相手で」

 しゅる、と尻尾を床に落とし、フェーリスの体も解放をするコーバス。

「は……? それって……」

「おかげで、魅了対策もその時にしていただきましてね……あなたには、リーエン様がどうなってしまうところだったのかを、知ってもらわなければいけませんから」

「……んああああ!?」

 次の瞬間、突然体の内側が熱くなってフェーリスは叫んだ。何もされていないのに、全身にびりびりと電流が流れるような感覚が広がっていく。大きく斜め前に跳ねて、彼女は情けなくも椅子から転げ落ちた。
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