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花畑(1)
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窓の外に広がっていたのは、美しい白い花畑だった。馬車は徐々にゆっくりと速度を落とし、やがて止まった。
御者がボックスの扉を開けてくれて、まずはヴィルマーが降りる。そして、ミリアへと手を差し伸べた。
「ありがとうございます」
そう言って、彼の手に自分の手を重ね、ミリアも馬車から降りた。ヴィルマーは「10分ほど、待っていてくれ」と御者に言って、そのままミリアの手を掴んだまま、花畑の中に入っていく。
最初ミリアは「靴が汚れてしまう」と思ったが、ヴィルマーはそこまで気が付かないようだった。が、それを悪いと彼女は思わない。むしろ、それぐらいが彼らしいと思う。
(いつも相手に気を使っている方だと、わかっていますし)
だから、これぐらいはいい。そう思いつつ、自分で「彼のことをわかっている、と思うのはおこがましいことではないか」と一瞬だけ恥じる。
咲いている花は、ミリアの膝下ぐらいまで伸びている、少しだけ背が高い花だった。葉っぱも立派で、大きく、茎もしっかりと伸びて花弁の大きさに負けていない。生き生きとしたその花を見て、ミリアはかすかに感嘆の息を漏らした。
「これは……」
「グライリヒ子爵の領地には、いくつか有名な花畑があってな。それらと比べれば、ここは小さい。が、小さいがゆえに、穴場だ」
ミリアはそっと彼の手に掴まれていた自分の手を引く。彼はその手を追わず、力を抜いて彼女の手を逃がす。
「本当は、夕暮れ時に見せたかったが少しだけ時間が早かったな」
「夕暮れ時」
「一斉に、オレンジのようなピンクのような色に花弁が染まる。どういう仕組みかわからないが、この花は水のように、空のように、茜色を映すんだ」
「まあ。こんな花、初めて知りました」
「このあたりにしか咲かないのさ。これが少しだけ離れたサーレック辺境伯領では、不思議とどこにも咲いていない。だから、俺もこちらの領地に来るたびに、この花を見に来るんだ。ま、なんとなく、なんだけどな」
ミリアは、花畑の中に立って、風にそよぐ白い花をぼうっと見ていた。美しい。もうそれ以外の言葉が出ない。騎士団長になって、いくつかの土地に遠征をした。その土地その土地で美しいものを見て来た気はしていた。だが、世界は広い。いくらでもまだ見ぬ光景があって、そしていくらでも感動が出来るものだ。そう思うと、胸の奥がなんだかじんわりと熱くなる。
(まだ……多くの景色を見たいものだわ……王城に戻らずに……)
いいや、王城付近にだって、見たことがない光景はきっとたくさんあるに違いない。だが、政略結婚で嫁ぐ先で、こんな光景を見られるのだろうか、と思う。
(駄目ね。昨日から……リリアナのせいね。これまで、全然考えてもいなかったけれど)
だが、考えていない方がおかしいと言われればおかしいのだ。
「謝ろうと思って」
「……え?」
突然、ヴィルマーから声をかけられて、ミリアは驚きの表情を見せた。
「ヤーナックでさ……この前、揉めていただろう。そこに、俺が勝手に分け入ってさ……挙句に、もうちょっと頼ってくれだなんて、そんな、恥ずかしいことを君に言ってしまった」
「それの、何が……?」
「あれは、我慢が出来なかったのは俺個人のせいだ。まるで、君やヘルマを守るかのように前に出たが、結局は自分が、父親のことを言われて我慢が出来なくなっただけのことで……だってのに、頼ってくれだなんて、なんて恥ずかしいことを言ったのかと思ってさ……後から、反省をしたんだ、これでも」
「それは……いえ、そんなことはわかっていましたよ」
が、ヴィルマーはミリアの言葉を聞いていないようで、話を続ける。
「だけど」
「だけど?」
「その……頼ってくれ、という気持ちは、嘘じゃない。君に、ちょっとぐらい甘えてもらったって、まったく問題はないんだ……俺が、言いたいのは、それだけだ」
「……」
ミリアは彼の言葉に返事をすぐに返すことが出来なかった。はい、わかりました。ありがとうございます。そういえば済むはずなのに、うまく言葉が出てこない。
だが、ヴィルマーはミリアの返事を待っている。何かを彼女が返す必要があるのだろう。肯定だろうが否定だろうが、何かの反応を。
ミリアは葛藤をしながら言葉を必死に探した。
「あの……」
「うん」
「わたしは……誰かを頼ることが、あまり得意ではありません」
口に出して、初めてわかる。それは、聞いた相手を不快にする可能性がある言葉だ。だが、伝えなければいけない、とミリアは思う。
「ずっと、そうでした。きっと、これからもそうなのだと思うんです」
「そうか」
「でも……」
ミリアはそこで口ごもる。少しの空白の時間を待って、ヴィルマーは促すように「うん」と、軽い相槌を打った。
「あなたには、ずっと、甘えていたと思っています」
御者がボックスの扉を開けてくれて、まずはヴィルマーが降りる。そして、ミリアへと手を差し伸べた。
「ありがとうございます」
そう言って、彼の手に自分の手を重ね、ミリアも馬車から降りた。ヴィルマーは「10分ほど、待っていてくれ」と御者に言って、そのままミリアの手を掴んだまま、花畑の中に入っていく。
最初ミリアは「靴が汚れてしまう」と思ったが、ヴィルマーはそこまで気が付かないようだった。が、それを悪いと彼女は思わない。むしろ、それぐらいが彼らしいと思う。
(いつも相手に気を使っている方だと、わかっていますし)
だから、これぐらいはいい。そう思いつつ、自分で「彼のことをわかっている、と思うのはおこがましいことではないか」と一瞬だけ恥じる。
咲いている花は、ミリアの膝下ぐらいまで伸びている、少しだけ背が高い花だった。葉っぱも立派で、大きく、茎もしっかりと伸びて花弁の大きさに負けていない。生き生きとしたその花を見て、ミリアはかすかに感嘆の息を漏らした。
「これは……」
「グライリヒ子爵の領地には、いくつか有名な花畑があってな。それらと比べれば、ここは小さい。が、小さいがゆえに、穴場だ」
ミリアはそっと彼の手に掴まれていた自分の手を引く。彼はその手を追わず、力を抜いて彼女の手を逃がす。
「本当は、夕暮れ時に見せたかったが少しだけ時間が早かったな」
「夕暮れ時」
「一斉に、オレンジのようなピンクのような色に花弁が染まる。どういう仕組みかわからないが、この花は水のように、空のように、茜色を映すんだ」
「まあ。こんな花、初めて知りました」
「このあたりにしか咲かないのさ。これが少しだけ離れたサーレック辺境伯領では、不思議とどこにも咲いていない。だから、俺もこちらの領地に来るたびに、この花を見に来るんだ。ま、なんとなく、なんだけどな」
ミリアは、花畑の中に立って、風にそよぐ白い花をぼうっと見ていた。美しい。もうそれ以外の言葉が出ない。騎士団長になって、いくつかの土地に遠征をした。その土地その土地で美しいものを見て来た気はしていた。だが、世界は広い。いくらでもまだ見ぬ光景があって、そしていくらでも感動が出来るものだ。そう思うと、胸の奥がなんだかじんわりと熱くなる。
(まだ……多くの景色を見たいものだわ……王城に戻らずに……)
いいや、王城付近にだって、見たことがない光景はきっとたくさんあるに違いない。だが、政略結婚で嫁ぐ先で、こんな光景を見られるのだろうか、と思う。
(駄目ね。昨日から……リリアナのせいね。これまで、全然考えてもいなかったけれど)
だが、考えていない方がおかしいと言われればおかしいのだ。
「謝ろうと思って」
「……え?」
突然、ヴィルマーから声をかけられて、ミリアは驚きの表情を見せた。
「ヤーナックでさ……この前、揉めていただろう。そこに、俺が勝手に分け入ってさ……挙句に、もうちょっと頼ってくれだなんて、そんな、恥ずかしいことを君に言ってしまった」
「それの、何が……?」
「あれは、我慢が出来なかったのは俺個人のせいだ。まるで、君やヘルマを守るかのように前に出たが、結局は自分が、父親のことを言われて我慢が出来なくなっただけのことで……だってのに、頼ってくれだなんて、なんて恥ずかしいことを言ったのかと思ってさ……後から、反省をしたんだ、これでも」
「それは……いえ、そんなことはわかっていましたよ」
が、ヴィルマーはミリアの言葉を聞いていないようで、話を続ける。
「だけど」
「だけど?」
「その……頼ってくれ、という気持ちは、嘘じゃない。君に、ちょっとぐらい甘えてもらったって、まったく問題はないんだ……俺が、言いたいのは、それだけだ」
「……」
ミリアは彼の言葉に返事をすぐに返すことが出来なかった。はい、わかりました。ありがとうございます。そういえば済むはずなのに、うまく言葉が出てこない。
だが、ヴィルマーはミリアの返事を待っている。何かを彼女が返す必要があるのだろう。肯定だろうが否定だろうが、何かの反応を。
ミリアは葛藤をしながら言葉を必死に探した。
「あの……」
「うん」
「わたしは……誰かを頼ることが、あまり得意ではありません」
口に出して、初めてわかる。それは、聞いた相手を不快にする可能性がある言葉だ。だが、伝えなければいけない、とミリアは思う。
「ずっと、そうでした。きっと、これからもそうなのだと思うんです」
「そうか」
「でも……」
ミリアはそこで口ごもる。少しの空白の時間を待って、ヴィルマーは促すように「うん」と、軽い相槌を打った。
「あなたには、ずっと、甘えていたと思っています」
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