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暗殺者は人形使いの舞台で踊る(1)

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「その女を殺したら、金をくれるのか」

 薄暗い酒場の一角で、ルダーは小声で尋ねた。彼は、ぼさぼさの黒髪にひょろりとした体型。一見、中肉中背に見えるが本当はそれなりに背が高い。だが、それをそうと見せないほどの猫背。瞳の色も黒く、服まで黒い。そんな彼は、つい先日20歳になったばかりだ。

「ああ。数ヶ月は遊んで暮らせるぐらいの金をお前にやろう。どうだ、悪い話ではかろう?」

「……わかった」

 正直なところ「数ヶ月遊んで暮らせるぐらいの金」ではまったく足りない。彼は、貧民街の一角で、病気で臥せっている妹と共に暮らしている。稼いだ金は最低限の生活費、そして、彼女の薬代でそのほとんどが消えていく。数ヶ月分の給金は一か月分の給金にも満たない。

 残念ながら彼は名の通った暗殺者でもないため、高額を積まれることがない。むしろ、金の割に危ない橋を渡らされることしばしば。しかし、それでも普通に稼ぐよりは余程良い金になるし、そもそも貧民街暮らしの彼を雇ってくれる者なぞ、そうはいない。普通の人間より多少なりと身体能力は高いが、せめて何かしらの「異能」があれば。そう思うものの、彼は異能にも恵まれず、軽度の気配遮断が出来るだけ。

 暗殺の仕事が入らなければ、仕方なく男娼まがいのこともする。だが、陰鬱な印象を持つ彼は年々客をとることも出来なくなり、今はすっかりそれも難しい。顔の造作は悪くないが、ぼさぼさの黒髪で目を隠して猫背なのも問題なのかもしれない。

「決行は明日の夜だ」

 ルダーの向かいに座っている男が声を潜める。依頼主が誰なのかはわからないが、ルダーと会話をしている男が仲介者であることだけは理解している。そして、彼にはそれだけで十分だ。踏み込んだことを暴く趣味もなければ、そんな腕前も持っていない。ルダーは無言で頷いた。

「明日の夜、サリダはカターラの宿に宿泊する手筈になっている。あの女は、いつも一番良い部屋をとっている。そこの使用人に金を掴ませて、窓の鍵を開けておく」

 ターゲットは有名な投資家。どうやら、どこぞの貴族の末裔らしいが既に貴族図鑑からは除名をされており、平民の中でのし上がったやり手の金髪女性……と言う表向きの話。実際は、その女を「使って」いる「バック」がいる。要は、彼女自身にはそう大した護衛もつかない程度の存在だ。

 ルダーは多くを聞かない。何にせよ、その女性を殺せば良い。彼はその話を受けた。そもそも、話を聞いている時点で断ることが出来ないとはわかっていた。一杯飲んだ代金は相手に任せて酒場を後にして、のそのそと夜の石畳を歩く。

「……うっ……ごほっ……」

 街灯がぽつぽつと点いている通りを抜け、暗い貧民街の入口で彼はおかしな咳をした。最近、時々出るその咳をすると、胸のあたりがいささか苦しくなる。ひゅう、ひゅう、と体の内側で音が鳴る。

「くそ……」

 だが、自分までもが医者の世話になるわけにはいかない。妹の薬代だけで精一杯だ。本当はもう少し金を貯められたら、治癒の異能を持つ者のところに妹を連れていきたいぐらいなのに。ここで自分に金を使うわけにはいかない。

 彼は、早く治れ、早く治れ、と呟きながら、小汚い貧民街の路地に足を踏み入れた。明日の夜は今日よりも遅くなってしまうのだ。せめて、今日は妹に顔を見せてやらないと。自分が不在でも食べられるようにと、なけなしの金で買ったパンの袋をつぶさないように大切に抱いて歩くのだった。
 


 翌日は、雲がほとんどなく随分と月が明るい夜だった。暗殺の日としてはあまりよろしくないが、今日を逃すわけにはいかない。仕方なく、ルダーは「カターラの宿」に向かった。

 カターラの宿は高級宿だ。よって、その入口には見張りが立っている。ルダーは自らの異能である「気配遮断」を使って姿を消しながら、周囲の家屋の屋根をつたって近づいていく。やがて、カターラの宿の屋根にあがり、なんとか「その部屋」に狙いをつけた。

(ったく……高い部屋は、窓を開けるにも一苦労だ……!)

 内側から窓を開ければベランダがあり、景観が良く広場が広がる……そんな部屋に、夜とはいえ誰の目にも触れずに侵入をするのは骨が折れる。彼の気配遮断は、持続時間がそう長くない上、すぐには継続を出来ない。街灯もぽつぽつ光っている上に、月のせいで明るすぎだ……と、独りごちる。20分ほど辛抱強く様子を伺い、ようやく彼は屋根から下りてベランダに侵入をした。

「ふう……ここで、あってる、よな……?」

 窓が開けば正解だ。窓の外から様子を窺えば、中は薄暗い。月は既に傾こうとしている時刻。標的はきっと眠っているに違いない。

「お……」

 小さな音を立てて窓が開く。間違っていないようだ。彼はするりと内側に入って窓を閉めた。

 高級宿の部屋は広い。ソファやらローテーブルやらがあり、その横に大きなベッドがある。室内の明かりは完全に消えているが、窓から差し込む月明かりでうっすらと視界は保たれた。

「……?……」

 ベッドに女性が一人眠っているように見える。が、彼はいぶかしげに眉根を顰めた。

(なんだ……? あれは、本当に……目当ての女か?)

 自分が殺すべき相手は、30代後半の貴婦人。豊かな金髪、体つきは外から見ればどれほどコルセットを締め上げているんだ、と言われるほど腰が細いものの、胸や尻は豊満で、顔にはそばかすがあったはずだ。だが、どうもベッドで眠っている相手は、そうは見えない。

 と、ふっとルダーの気配遮断が解けてしまった。しまった、窓に入るまでの時間が長すぎた。まあ、眠っているだろうから大丈夫だろう……そう思ったが……

「きゃああああ!?」

「うわ!」

 突然、眠っているはずの女性がむくりと起きて、金切り声をあげた。慌ててルダーはベッドにあがり、彼女の口をふさぐ。そうしながらも、彼は彼女を「違う」と判断をした。

(やばい。こりゃあ全然違う。どうなってるんだ!?)

「お前……なんで、ここに……っ……」

 ルダーは間抜けにもそう声をあげた。が、即座に短剣をその女性の喉元に突き付ける。月明かりの下で見えた彼女はまっすぐな白髪だったし、体つきも小柄。まったくもって違う。そして、年齢は自分と同じぐらい、要するに20歳ぐらいではないか……とルダーは焦った。

「えっ……あの、わ、わたし……」

「なんなんだよ、お前はよぉ……」

「わ、わたし? わたしは、アールタと言います……」

 弱弱しくも、可愛らしい声。ルダーは焦って小声で吠える。

「名前を聞いてんじゃねぇよ! ここにいるはずだったサリダはどこにいったんだよ!」

「サリダ……? あの、今日このお部屋、キャンセルが出たらしくて……それで、たまたまわたしが入れたのですが……」

「はあ!? キャンセル!? くそ、どういうこった……」

 と、彼女に聞いても埒が明かない。しかし、窓の鍵が開いていたのだから、この部屋で間違いはなかったのだろう。サリダが何かを察してキャンセルをしたとも考えられる。

「仕方がねぇ……人違いでした、じゃどうしようもないが、ここに泊っていた女を殺した、と言い張ればいいか……」

 それで通るだろうか。今からでも、サリダをどうにか探した方が良いのではないか。いや、どちらにしても口封じは必要だ。すると、彼の腕の中の女性は声を荒げる。

「まっ、ま、ま、待って! 取引を、取引をしましょう!?」

「は? 取引?」

 そんなものは受け付けない……とはいえ、この部屋に泊るということは、それなりに裕福な証拠だ。話だけでも聞いてもいいか、と思うルダー。

「そう! そう! えっと、えっと、あなたの体の、悪いところを治しますっ、治しますから……」

「は?」

 薄暗い中、ルダーは心底嫌そうな表情でわざと首を横に傾げた。

「お前、何? 治癒術師とかそういうやつ?」

「ちょっと違いますけど、そんな感じです! なので、なので、殺さないで……」

 アールタはがくがくと震えながら、両手を組んで頭上に突き上げる。その様子が哀れで情けなく見え、ルダーは「あはは!」と笑って、手を離した。

「で? どこを治すってんだよ? 俺は五体満足でどこも悪くねぇぞ?」

「えっ、そんなことないですよね?」

 それまで大慌てで命乞いをしていたアールタは、きょとんとした表情で動きを止めた。見れば、随分と顔立ちが可愛らしい。まっすぐな白髪は胸のあたり、前髪は眉の下できっちりそろっている。不安におののくものの、大きな瞳は青く、ぱっちりとしているし、鼻筋はすっと通っており、唇は少し薄いが形が良い。

(俺の妹も、病気が治れば……)

 そして、もっとうまいものを食わせてやれば。一瞬彼の気が逸れたが、わざと声を荒げてそのことを考えないようにした。

「あぁ!?」

「あなた、胸の……呼吸に大切なこの辺りの場所がよろしくないですもの。そのままにしておけば、一か月後には常に呼吸が苦しくなって、取り返しがつかなくなりますよ」

 そう言って、自分の胸と胸の間を手で上下にこするアールタ。

「……な、何を、嘘言ってやがる……」

 そう言ったルダーの声は掠れた。精一杯の虚勢を張ろうとしたが、完全に失敗だ。勿論、それは彼に心当たりがあったからだ。

(まじか。最近、ちっと咳が出るし、ちっと息苦しくなるし、まずいと思ってたんだけどそんなにやべぇのか……)

 ずばりとそれを言い当てられた。仕方がないので「お前、わかるのか……?」と尋ねると、剣を突き付けられているというのに、アールタはいくらか明るい声をあげる。

「はい。わたしの異能は、その人の悪いところが見えて、治療が出来るんです」

「本当か?」

「ええ。だって、あなたも心当たりがあるから、そんなことを聞くわけですよね?」

「うっ……」

 そう言われてしまえば、認めざるを得ない。ルダーは短剣を彼女の喉に突き付けて言う。

「じゃあ、治せ」

「わたしを助けてくれますか?」

「あぁ……助けてやるから、治せっての。その代わり、俺が殺し屋だってのは黙っていられるか?」

 ぱあっと明るい表情になるアールタ。

「黙っています! その言葉、本当ですね?」

「おう……」

「では、失礼して。ちょっと、この短剣どけてください」

 仕方なくルダーは短剣を下ろした。アールタはベッドの上からおずおずと降りてルダーを見上げて手を前に差し出す。彼の胸のあたりに手のひらをぴったりとつけ、それから目を伏せて何かを唱えた。一体何の文言なのかは、彼の耳には聞き取れない。いや、聞こえてはきたが、意味がわからない言葉だった。

 すると、ぱあっと彼女の手のひらから光が放たれる。

(おお、なんだか、あったけぇ……)

 体の内側が温かい、と思うルダー。しばらくそのまま静かにしていると、少しずつ彼女の手のひらから光が消えていった。それから、ふう、とため息をついて、手を下ろす。

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