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2人きりのティータイム
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食事後に一息ついてから、リーエンは城内の一部を案内された。アルフレドの城はとんでもなく広く、いくつかのエリアに分かれている。リーエンがいる場所は「居住エリア」と呼ばれるが、そのエリアすらやたら広い。他のエリアはアルフレドの執務の関係から日々不特定多数の魔族が行き来しているため、彼女の利用が許されるのは居住エリア全体とその他エリアの一部。彼女が行けない場所は結界が張られており、足を踏み入れられない。また、許可がなければ城外にも出られないという話だ。
広い庭園も一部のみ。図書室は居住エリア外に3か所あるがそのうち2か所は彼女が行けない場所にある……などなど、一度にあれこれ説明されても情報量が多すぎる。リーエンは「何かあったらその時々で聞こう」と、一度に記憶することを諦めた。
説明が終わるとティータイムまでは1人の時間を与えられた。ようやく落ち着いて自分の部屋を見渡すリーエン。彼女が与えられた部屋は、これまで過ごしていた部屋の倍の大きさがあり、ものが揃い過ぎていた。
「クローゼットもこの部屋にあるのね」
クローゼットには既に20着ほどドレスが並んでいるし、大きな全身鏡も用意されている。靴も10足ほど置いてあり、試しに履けば驚いたことにサイズがぴったりだ。
(どれもわたしが好きな感じのデザインだわ)
リーエンは華美すぎるものはあまり得意ではない。彼女の顔は両親ですら「清楚で地味可愛い」などと言う程度。決して不器量ではないが、貴族らしい派手な華やかさは持ち合わせていない。目鼻立ちがよくてもおっとりして見えるせいか、豪奢なドレスを着ると身の丈があっていないような状態になってしまう。
ありがたいことに、クローゼットに入っているドレスはどれも彼女の好みにあっていた。宝石類がどこにも縫いつけられていないし、金や銀の糸で刺繍をされてもいない。だが、裾にあしらわれた繊細なレースや、胸元の上品なベルベットのリボンは品の良さを感じさせる。
(どなたが選んでくださったのかしら)
それから、来客用らしきソファセット。それとは別にカウチもある。隅には書き物などに丁度良さそうな椅子と机があり、その一角は落ち着いている。この部屋1つで来客の対応もして、1人でくつろいで、勉強も出来る。雑多でありながら、空間の広さと所々に置かれた観葉植物等のおかげで不思議とごちゃついた印象がなく、むしろスッキリしているから不思議なものだ。
彼女があまり出歩かなくて済むようにと、ああでもないこうでもないと城の使用人達が苦労をした部屋なのだが、当然それをリーエンは知る由もない。
「広すぎると過ごしにくいように思えるけれど……」
配置のおかげか、殺風景な雰囲気もない。カウチに体を投げ出すと家具が視界に入らない絶妙な角度で、気になるものも何もなくゆったりと過ごせそうだ。リーエンはそのままカウチでぼんやりと過ごし、昨日からの緊張の連続から僅かながら解き放たれた。
ついに緊張のティータイムの時間がやって来た。白を基調とした美しい部屋にリーエンは案内された。庭園が見える大きな窓から光が差し込んで明るい。テーブルには人間界とそう変わりないセッティングがされている。護衛騎士と女中に見守られながら席に座ると、ほどなくしてアルフレドも姿を現した。
「待たせたか。すまんな」
「いえ、今到着したばかりです」
「そうか……一杯目を淹れたら全員さがってくれ」
そう言いながら、彼は比較的リーエンの近くに着席する。
(昨日の衝撃ですっかり忘れていたけれど、上質な衣類を少し着崩していらっしゃるアルフレド様は、なんとも素敵ね……きっと、ご婦人方にも人気があるに違いないわ。わたしが知る限りの社交界でもここまで見た目が素敵な人なんて、そうそういなかったもの)
整ったすっきりとした顔立ちにはどことなく品がある。が、頭部には昨晩なかったはずの角があり、リーエンは驚いて目を瞬かせた。
「どうした、じろじろと見て」
「あっ、し、失礼いたしました……昨晩は、その、頭の……」
「ああ、お前が驚くと思って角は隠していた。他にも、いつもは出していないが翼や尻尾があってな……すまないが今日は少し時間がないので、話が性急になることを許してもらいたい」
彼の低すぎず高すぎない声は、男性らしくも柔らかく響く。魔族とはいえ、こんな男性がどうして自分のようなぼんやりした女を選んだのかとリーエンは不思議で仕方がない。
ティーカップに茶が注がれると、使用人達は全員部屋を出て行く。二人きりになりたいようななりたくないような、どちらにしても居心地の悪さにリーエンは縮こまってしまう。
「気楽にしろ。この部屋の雰囲気は人間界のティータイムに近いと思うが、どうだろうか」
「驚きました。魔界でもこのような場があるとは想像もしていなかったので……」
「魔界召集で来た花嫁は、大体ティータイムでもてなすと精神的に落ち着くという実績があるようでな。生活の変化はストレスをもたらす。それの緩和のためにこの部屋が作られ、ティータイムが推奨されるようになったらしい」
「そうなんですね」
(どうしよう。緊張する……どう接したらいいのかわからない……)
アルフレドが自分の夫になる人物なのか、既にもうそうなのかも良くわからない。少なくとも城の人々はリーエンのことを「奥方様」とは呼んでいないから、まだのような気もする。自分の立場をどう尋ねようかとリーエンは悩んだ。
「使用人は下げたし、菓子は勝手に食べてくれ。俺はお前との時間を他のやつらに邪魔されたくないのでな」
「は、はい……」
「体の調子はどうだ? その……近々、またお前を抱きたいのだが……」
「!」
アルフレドのストレートな物言いに驚いてしまい、ティーカップにかけようとしたリーエンの指がつるりと滑って、カチンとカップとソーサーが鳴る。近々? すぐに? 昨日と同じように? あまり考えないようにしようと思っていた昨晩のことを再び思い出してしまい、リーエンは言葉を失う。
(またあんな風に抱かれなければいけないの……?)
嫁いだのだから当然のことだ。リーエンだって、昨晩で終わりだとは思ってはいない。が、こんな風にはっきりと「次」を早急に求められるとは思ってもみなかった。必死に「はい、と答えなければいけないわ……大丈夫……大丈夫よ……」と自分を励まそうとするも、そう簡単にいはいかない。
ひとつひとつを思い起こせば、彼は時には紳士的な態度もとってくれていたのだし……とリーエンは必死に自分を納得させようとする。だが、それだけのことで好意的に受け入れることは難しい。
「リーエン?」
「あの……あちこち体が痛くて……」
それは嘘ではないが、断りの理由はそれだけではない。が、アルフレドはとりたててそれ以上の追究をしなかった。
「痛むか。初めてだったのだし当たり前だな……昨晩はマーキングを急いでいたため、こちらも相当手荒だったことは認める。怖がらせてしまっただろうし、申し訳ない。では、しばらく我慢をしよう」
「申し訳ございません……」
「体が落ち着いたら教えてくれるか。お前の体にあまり負担がない状態で抱きたいと思っている」
それもまたあまりに直接的な物言いで、リーエンは真っ赤になる。
「あの……やっぱり……早く、お世継ぎが必要なのでしょうか」
「いや。そういうわけでもない」
「そうなんですか……?」
世継ぎは急がない。でも抱きたい。そうか、もしかして自分は妻ではなくて、彼の性欲を満たすためだけに選ばれてしまったのかもしれない。そう思いついて、リーエンは「どうしよう」と焦った。早く抱かれなければ、もしかしたら殺されてしまうだろうか……いや、でも、そんな風に男性の性欲の捌け口にこの先もなり続けるならば、死んだほうが良いかもしれない……ぐるぐるとよろしくない考えがリーエンの頭の中を駆け巡る。
(娼婦という存在がいると聞いたことがある。もしかしたら、わたしはその人達のような立場なのだろうか)
どちらにしても、自分の命のためにも心のためにも、少しでも前向きな話をしなければ。健気にもそう思いながら、リーエンは必死に言葉を探す。
「そ、れでは……あの……」
「……大丈夫だ。お前は俺が怖いのかもしれないが、俺は今のところ何を言われてもお前を怒らないと約束する。言いたいことがあれば言うと良い」
そのアルフレドの言葉はリーエンにとっては心からありがたいものだった。「今のところ」であっても良い。たとえ今だけであっても、彼が耳を傾けてくれると約束してくれるなら心強い。
「わ、わたしがアルフレド様との子供を産むために嫁いでいることは存じております。でも、その、お世継ぎがまだ必要でないとおっしゃるなら……せめて、もう少し……もう少しだけ、アルフレド様のことを教えていただいてから……」
「ああ、成程……そうだな……」
アルフレドは深い溜息をついた。リーエンは「どういうことだろう、そんなにも夜伽が必要なのだろうか。そんなに溜息をつくなんて本当は怒りを抑えているのだろうか」と、緊張の面持ちで次の言葉を待つ。
「わかった。最大限の努力はする。ふむ……肩書のせいで女に拒まれたことがないが、セックスを断られるというのはなかなかにショックだな……」
その一言のインパクトは凄い。「これは、大変な人に選ばれてしまった……」とリーエンの緊張が高まる。それはそうだろう。確かに、昨晩の彼はあまりにも手慣れ過ぎていた、と経験がない自分にだってわかる。この人はきっと沢山の女性と遊び歩いて来たような人なのだろう。いや、魔族は本来そういうものなのかもしれない、でも。と、またもぐるぐると考えながら「申し訳ありません……」となんとか言葉を発した。
「うん。この話は今日のところこれで終わりだ」
アルフレドはそう言うと、近くにあったタルトを1ピース取り分け、皿に乗せてリーエンの前に差し出した。
「食べろ。上に乗っている果実は朝摘みのものだ」
それは、リーエンがいつもは好んで食べる果物のタルトだ。いつもならば大喜びで食べるだろうが、今の彼女には出来かねる。
「あ……ありがとうございます……」
「ああ。とにかく、今晩はゆっくり休むといい。茶を飲んだら、今後お前が何をしなければいけないのか、説明があると思う。お前には魔界のことを勉強してもらわなければいけない。図書室の書物はほとんどが魔界の文字で書かれているが、文字さえ覚えればお前達の公用語との共通点をすぐ覚えられるだろう」
「わ、わかりました」
勉強はそう嫌いではない。彼の言葉で、ようやく良くない思考から離れ、リーエンは少しばかりはっきりした声音で応えた。
(魔界のことを勉強……? ということは、夜の伽をするためだけではなく……何か働くことになるのかしら……)
その方がまだ良いと思える。生まれてから「働いた」経験がリーエンにはないが、わざわざ人間の自分にさせるような仕事ならば、きっと少しは役に立てるのではないかと思う。
「俺は毎日執務があるし、時には数日視察で留守にもする。時間がとれそうな日は前もって連絡をいれる。運が良ければ夕食時かその後ぐらいに顔を出せるかもしれないが、俺は朝早く夜は遅い。基本的に食事は1人でとってもらうが、それは大丈夫だろうか」
「はい」
「どうしても話がある時は、俺の執務室に直接来てくれ。俺の一日の予定とティータイムの時刻は、毎朝お前が着替える時に伝えるようにする」
「わかりました」
この時間しか共にいることも出来ず、食事も共に出来ず、夜の伽が必要。それならば、やはり自分は妻として選ばれたわけではないのだろう。一日の予定というのも、きっとこれから自分がやらされる仕事に必要だから告げるのだろうし……リーエンは、人間の貴族の感覚で素直にそう思った。
勿論、貴族の当主であれば多忙を極め、妻と接する時間が短いこともある。だが、ここは彼の城で、彼は「執務室」にいるのだと言う。出かけるわけでもなく同じ城の中にいてもほとんど会えないのなら、やはり自分は妻ではないのかもしれない。
しかし、そうすると更に謎が一つ。自分はぱっと見てそう体つきが良いわけでも美貌があるわけでも、賢そうにそう見えるわけでもない気がする。何故彼は自分を選んだのだろう。
リーエンは「今なら聞けるのでは」と勇気を振り絞り、遂に彼に問いかけた。
「あの、アルフレド様」
「うん?」
「どうして、わたしをお選びになったのですか? 沢山のご令嬢がいる中で、自分がアルフレド様に選ばれた理由を教えていただきたいのですが……」
「ああ、うん……お前が良いと思ったからだ」
答えになっていない、とリーエンは思う。だが、少なくとも「良いと思った」のだと聞いてほっとする。ほっとした直後、それは夜伽をさせるのに何らかの好みが合致したとか、そういうことだろうかと思いついてしまい、またも不安な気持ちになる。なかなか感情に振り回されて忙しない。
「良いと言うのは……?」
「一目惚れとでも思ってくれ」
なんとなくはぐらかされた感じがして、リーエンはそれ以上深く聞くことが出来なかった。その代わり、勇気を振り絞ってもう一つ。
「では、何故わたしは特別待遇なのでしょう……ジョアン様にそうお伺いしましたが……」
その言葉にアルフレドはさらりと答える。
「ああ、言っていなかったか。俺は魔王と呼ばれる立場なのでな」
「ま、お、う」
「ああ。人間界には馴染みのない言葉かもしれないが」
馴染みがなくとも知らないわけがない。魔界召集の知識がある者ならば、みな「魔王」から各国に通達がある、と知っている。だが、魔王は国王と序列は同じではない。国ではなく、その世界の王なのだから。
それならば、自分が特別待遇であることは理解が出来る。だが、理解の範囲はそこまでだ。自分が? 魔王の? 妻に? 言葉の意味は理解出来るが、あまりのおおごとにリーエンの体は強張った。妙に体が冷えて、思考がそこで止まってしまう。アルフレドを見ることすら出来なくなって、目の前にあるタルトに視線を向けているが、どうにも焦点が合っていない。彼女のその様子を見て、苦笑いを浮かべるアルフレド。
「リーエン。お前は、俺を知ってから、とさっき言っただろうが」
「は、い」
声をかけてもらったから、と必死に彼を見ようとリーエンは試みたが、動くのは目線ばかり。それをアルフレドは失礼だとは思わず、彼女に言い聞かせるように告げた。
「俺は、自らお前を選んで、ティータイムはお前とだけ過ごそうとして、お前に怒りを向けないことを約束して、まだセックスをしたくないというお前の要望を尊重して、お前にタルトを渡すような男だ。お前が今日知った俺のことで大事なことはそれだけだ」
「あ……」
「他のことは大した意味がない。悪いがもう時間だ。お前は俺を恐れることはない。この魔界で俺を恐れなくて良いのはお前だけだ。それを覚えておけ」
そう言うとアルフレドは冷めかけた茶を飲み干して「また連絡する」と立ち上がった。
広い庭園も一部のみ。図書室は居住エリア外に3か所あるがそのうち2か所は彼女が行けない場所にある……などなど、一度にあれこれ説明されても情報量が多すぎる。リーエンは「何かあったらその時々で聞こう」と、一度に記憶することを諦めた。
説明が終わるとティータイムまでは1人の時間を与えられた。ようやく落ち着いて自分の部屋を見渡すリーエン。彼女が与えられた部屋は、これまで過ごしていた部屋の倍の大きさがあり、ものが揃い過ぎていた。
「クローゼットもこの部屋にあるのね」
クローゼットには既に20着ほどドレスが並んでいるし、大きな全身鏡も用意されている。靴も10足ほど置いてあり、試しに履けば驚いたことにサイズがぴったりだ。
(どれもわたしが好きな感じのデザインだわ)
リーエンは華美すぎるものはあまり得意ではない。彼女の顔は両親ですら「清楚で地味可愛い」などと言う程度。決して不器量ではないが、貴族らしい派手な華やかさは持ち合わせていない。目鼻立ちがよくてもおっとりして見えるせいか、豪奢なドレスを着ると身の丈があっていないような状態になってしまう。
ありがたいことに、クローゼットに入っているドレスはどれも彼女の好みにあっていた。宝石類がどこにも縫いつけられていないし、金や銀の糸で刺繍をされてもいない。だが、裾にあしらわれた繊細なレースや、胸元の上品なベルベットのリボンは品の良さを感じさせる。
(どなたが選んでくださったのかしら)
それから、来客用らしきソファセット。それとは別にカウチもある。隅には書き物などに丁度良さそうな椅子と机があり、その一角は落ち着いている。この部屋1つで来客の対応もして、1人でくつろいで、勉強も出来る。雑多でありながら、空間の広さと所々に置かれた観葉植物等のおかげで不思議とごちゃついた印象がなく、むしろスッキリしているから不思議なものだ。
彼女があまり出歩かなくて済むようにと、ああでもないこうでもないと城の使用人達が苦労をした部屋なのだが、当然それをリーエンは知る由もない。
「広すぎると過ごしにくいように思えるけれど……」
配置のおかげか、殺風景な雰囲気もない。カウチに体を投げ出すと家具が視界に入らない絶妙な角度で、気になるものも何もなくゆったりと過ごせそうだ。リーエンはそのままカウチでぼんやりと過ごし、昨日からの緊張の連続から僅かながら解き放たれた。
ついに緊張のティータイムの時間がやって来た。白を基調とした美しい部屋にリーエンは案内された。庭園が見える大きな窓から光が差し込んで明るい。テーブルには人間界とそう変わりないセッティングがされている。護衛騎士と女中に見守られながら席に座ると、ほどなくしてアルフレドも姿を現した。
「待たせたか。すまんな」
「いえ、今到着したばかりです」
「そうか……一杯目を淹れたら全員さがってくれ」
そう言いながら、彼は比較的リーエンの近くに着席する。
(昨日の衝撃ですっかり忘れていたけれど、上質な衣類を少し着崩していらっしゃるアルフレド様は、なんとも素敵ね……きっと、ご婦人方にも人気があるに違いないわ。わたしが知る限りの社交界でもここまで見た目が素敵な人なんて、そうそういなかったもの)
整ったすっきりとした顔立ちにはどことなく品がある。が、頭部には昨晩なかったはずの角があり、リーエンは驚いて目を瞬かせた。
「どうした、じろじろと見て」
「あっ、し、失礼いたしました……昨晩は、その、頭の……」
「ああ、お前が驚くと思って角は隠していた。他にも、いつもは出していないが翼や尻尾があってな……すまないが今日は少し時間がないので、話が性急になることを許してもらいたい」
彼の低すぎず高すぎない声は、男性らしくも柔らかく響く。魔族とはいえ、こんな男性がどうして自分のようなぼんやりした女を選んだのかとリーエンは不思議で仕方がない。
ティーカップに茶が注がれると、使用人達は全員部屋を出て行く。二人きりになりたいようななりたくないような、どちらにしても居心地の悪さにリーエンは縮こまってしまう。
「気楽にしろ。この部屋の雰囲気は人間界のティータイムに近いと思うが、どうだろうか」
「驚きました。魔界でもこのような場があるとは想像もしていなかったので……」
「魔界召集で来た花嫁は、大体ティータイムでもてなすと精神的に落ち着くという実績があるようでな。生活の変化はストレスをもたらす。それの緩和のためにこの部屋が作られ、ティータイムが推奨されるようになったらしい」
「そうなんですね」
(どうしよう。緊張する……どう接したらいいのかわからない……)
アルフレドが自分の夫になる人物なのか、既にもうそうなのかも良くわからない。少なくとも城の人々はリーエンのことを「奥方様」とは呼んでいないから、まだのような気もする。自分の立場をどう尋ねようかとリーエンは悩んだ。
「使用人は下げたし、菓子は勝手に食べてくれ。俺はお前との時間を他のやつらに邪魔されたくないのでな」
「は、はい……」
「体の調子はどうだ? その……近々、またお前を抱きたいのだが……」
「!」
アルフレドのストレートな物言いに驚いてしまい、ティーカップにかけようとしたリーエンの指がつるりと滑って、カチンとカップとソーサーが鳴る。近々? すぐに? 昨日と同じように? あまり考えないようにしようと思っていた昨晩のことを再び思い出してしまい、リーエンは言葉を失う。
(またあんな風に抱かれなければいけないの……?)
嫁いだのだから当然のことだ。リーエンだって、昨晩で終わりだとは思ってはいない。が、こんな風にはっきりと「次」を早急に求められるとは思ってもみなかった。必死に「はい、と答えなければいけないわ……大丈夫……大丈夫よ……」と自分を励まそうとするも、そう簡単にいはいかない。
ひとつひとつを思い起こせば、彼は時には紳士的な態度もとってくれていたのだし……とリーエンは必死に自分を納得させようとする。だが、それだけのことで好意的に受け入れることは難しい。
「リーエン?」
「あの……あちこち体が痛くて……」
それは嘘ではないが、断りの理由はそれだけではない。が、アルフレドはとりたててそれ以上の追究をしなかった。
「痛むか。初めてだったのだし当たり前だな……昨晩はマーキングを急いでいたため、こちらも相当手荒だったことは認める。怖がらせてしまっただろうし、申し訳ない。では、しばらく我慢をしよう」
「申し訳ございません……」
「体が落ち着いたら教えてくれるか。お前の体にあまり負担がない状態で抱きたいと思っている」
それもまたあまりに直接的な物言いで、リーエンは真っ赤になる。
「あの……やっぱり……早く、お世継ぎが必要なのでしょうか」
「いや。そういうわけでもない」
「そうなんですか……?」
世継ぎは急がない。でも抱きたい。そうか、もしかして自分は妻ではなくて、彼の性欲を満たすためだけに選ばれてしまったのかもしれない。そう思いついて、リーエンは「どうしよう」と焦った。早く抱かれなければ、もしかしたら殺されてしまうだろうか……いや、でも、そんな風に男性の性欲の捌け口にこの先もなり続けるならば、死んだほうが良いかもしれない……ぐるぐるとよろしくない考えがリーエンの頭の中を駆け巡る。
(娼婦という存在がいると聞いたことがある。もしかしたら、わたしはその人達のような立場なのだろうか)
どちらにしても、自分の命のためにも心のためにも、少しでも前向きな話をしなければ。健気にもそう思いながら、リーエンは必死に言葉を探す。
「そ、れでは……あの……」
「……大丈夫だ。お前は俺が怖いのかもしれないが、俺は今のところ何を言われてもお前を怒らないと約束する。言いたいことがあれば言うと良い」
そのアルフレドの言葉はリーエンにとっては心からありがたいものだった。「今のところ」であっても良い。たとえ今だけであっても、彼が耳を傾けてくれると約束してくれるなら心強い。
「わ、わたしがアルフレド様との子供を産むために嫁いでいることは存じております。でも、その、お世継ぎがまだ必要でないとおっしゃるなら……せめて、もう少し……もう少しだけ、アルフレド様のことを教えていただいてから……」
「ああ、成程……そうだな……」
アルフレドは深い溜息をついた。リーエンは「どういうことだろう、そんなにも夜伽が必要なのだろうか。そんなに溜息をつくなんて本当は怒りを抑えているのだろうか」と、緊張の面持ちで次の言葉を待つ。
「わかった。最大限の努力はする。ふむ……肩書のせいで女に拒まれたことがないが、セックスを断られるというのはなかなかにショックだな……」
その一言のインパクトは凄い。「これは、大変な人に選ばれてしまった……」とリーエンの緊張が高まる。それはそうだろう。確かに、昨晩の彼はあまりにも手慣れ過ぎていた、と経験がない自分にだってわかる。この人はきっと沢山の女性と遊び歩いて来たような人なのだろう。いや、魔族は本来そういうものなのかもしれない、でも。と、またもぐるぐると考えながら「申し訳ありません……」となんとか言葉を発した。
「うん。この話は今日のところこれで終わりだ」
アルフレドはそう言うと、近くにあったタルトを1ピース取り分け、皿に乗せてリーエンの前に差し出した。
「食べろ。上に乗っている果実は朝摘みのものだ」
それは、リーエンがいつもは好んで食べる果物のタルトだ。いつもならば大喜びで食べるだろうが、今の彼女には出来かねる。
「あ……ありがとうございます……」
「ああ。とにかく、今晩はゆっくり休むといい。茶を飲んだら、今後お前が何をしなければいけないのか、説明があると思う。お前には魔界のことを勉強してもらわなければいけない。図書室の書物はほとんどが魔界の文字で書かれているが、文字さえ覚えればお前達の公用語との共通点をすぐ覚えられるだろう」
「わ、わかりました」
勉強はそう嫌いではない。彼の言葉で、ようやく良くない思考から離れ、リーエンは少しばかりはっきりした声音で応えた。
(魔界のことを勉強……? ということは、夜の伽をするためだけではなく……何か働くことになるのかしら……)
その方がまだ良いと思える。生まれてから「働いた」経験がリーエンにはないが、わざわざ人間の自分にさせるような仕事ならば、きっと少しは役に立てるのではないかと思う。
「俺は毎日執務があるし、時には数日視察で留守にもする。時間がとれそうな日は前もって連絡をいれる。運が良ければ夕食時かその後ぐらいに顔を出せるかもしれないが、俺は朝早く夜は遅い。基本的に食事は1人でとってもらうが、それは大丈夫だろうか」
「はい」
「どうしても話がある時は、俺の執務室に直接来てくれ。俺の一日の予定とティータイムの時刻は、毎朝お前が着替える時に伝えるようにする」
「わかりました」
この時間しか共にいることも出来ず、食事も共に出来ず、夜の伽が必要。それならば、やはり自分は妻として選ばれたわけではないのだろう。一日の予定というのも、きっとこれから自分がやらされる仕事に必要だから告げるのだろうし……リーエンは、人間の貴族の感覚で素直にそう思った。
勿論、貴族の当主であれば多忙を極め、妻と接する時間が短いこともある。だが、ここは彼の城で、彼は「執務室」にいるのだと言う。出かけるわけでもなく同じ城の中にいてもほとんど会えないのなら、やはり自分は妻ではないのかもしれない。
しかし、そうすると更に謎が一つ。自分はぱっと見てそう体つきが良いわけでも美貌があるわけでも、賢そうにそう見えるわけでもない気がする。何故彼は自分を選んだのだろう。
リーエンは「今なら聞けるのでは」と勇気を振り絞り、遂に彼に問いかけた。
「あの、アルフレド様」
「うん?」
「どうして、わたしをお選びになったのですか? 沢山のご令嬢がいる中で、自分がアルフレド様に選ばれた理由を教えていただきたいのですが……」
「ああ、うん……お前が良いと思ったからだ」
答えになっていない、とリーエンは思う。だが、少なくとも「良いと思った」のだと聞いてほっとする。ほっとした直後、それは夜伽をさせるのに何らかの好みが合致したとか、そういうことだろうかと思いついてしまい、またも不安な気持ちになる。なかなか感情に振り回されて忙しない。
「良いと言うのは……?」
「一目惚れとでも思ってくれ」
なんとなくはぐらかされた感じがして、リーエンはそれ以上深く聞くことが出来なかった。その代わり、勇気を振り絞ってもう一つ。
「では、何故わたしは特別待遇なのでしょう……ジョアン様にそうお伺いしましたが……」
その言葉にアルフレドはさらりと答える。
「ああ、言っていなかったか。俺は魔王と呼ばれる立場なのでな」
「ま、お、う」
「ああ。人間界には馴染みのない言葉かもしれないが」
馴染みがなくとも知らないわけがない。魔界召集の知識がある者ならば、みな「魔王」から各国に通達がある、と知っている。だが、魔王は国王と序列は同じではない。国ではなく、その世界の王なのだから。
それならば、自分が特別待遇であることは理解が出来る。だが、理解の範囲はそこまでだ。自分が? 魔王の? 妻に? 言葉の意味は理解出来るが、あまりのおおごとにリーエンの体は強張った。妙に体が冷えて、思考がそこで止まってしまう。アルフレドを見ることすら出来なくなって、目の前にあるタルトに視線を向けているが、どうにも焦点が合っていない。彼女のその様子を見て、苦笑いを浮かべるアルフレド。
「リーエン。お前は、俺を知ってから、とさっき言っただろうが」
「は、い」
声をかけてもらったから、と必死に彼を見ようとリーエンは試みたが、動くのは目線ばかり。それをアルフレドは失礼だとは思わず、彼女に言い聞かせるように告げた。
「俺は、自らお前を選んで、ティータイムはお前とだけ過ごそうとして、お前に怒りを向けないことを約束して、まだセックスをしたくないというお前の要望を尊重して、お前にタルトを渡すような男だ。お前が今日知った俺のことで大事なことはそれだけだ」
「あ……」
「他のことは大した意味がない。悪いがもう時間だ。お前は俺を恐れることはない。この魔界で俺を恐れなくて良いのはお前だけだ。それを覚えておけ」
そう言うとアルフレドは冷めかけた茶を飲み干して「また連絡する」と立ち上がった。
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