33 / 37
ヒルシュ子爵邸(4)
しおりを挟む
カミラの結婚式当日。アウグストは欠席の知らせを出していたものの、会場に向かった。それは、アメリアがそこにいるかどうかを確認しようと思ってのことだった。
彼はようやく心から「アメリアに会いたい」と強く思う。まるで手のひらを返したかのような、自分の我儘さ、自分勝手さに呆れていたが、リーゼが「アウグスト様。それは、恋という厄介なものですよ」と彼に告げ、ディルクは「それは困ったものですが、時には心に素直になることが一番かと」と彼を諭した。
まったく彼らは余計なことばかりを、と思いつつ、いい歳をして自分はまだまだ子供のようだとアウグストは苦笑いを見せた。ああ、本当に自分は馬鹿だな……彼は馬車の中で、仕事の書類すら見ずにぐるぐると考えていた。
(あれから、毎晩)
渡り廊下を歩いて、庭園で彼女の姿を探している自分に気付いた。いつも「ただそこにいるだけ」だった彼女に、気が付けば「そこにいてくれる」と感じるようになったのはいつだったのか。
控えめな「おかえりなさい」と「おやすみなさい」が当たり前になったのはいつだったのか。
彼女の部屋を見た。主を失った部屋は、驚くほど彼が準備をしたものから何も変わっておらず、そして、何故が「清廉だ」と思った。誰かがそこに存在したことをかすかに残しながら、だが、何も増えず。何も減らず。静かに彼女がそこで暮らしていたということを、如実に表していたあの部屋。
それを見て、彼は「いや、それは自分を騙そうと」とちらりと思った。が、そうではない。そうではないのだ。
(わたしは、自分がこれ以上傷つきたくなかったから……)
ただ、それだけだった。彼は逃げたのだ。その自覚はあった。しかし、その逃げの末、彼女を失ってから見えたものがあった。それは。
「アメリア……」
彼女に会いたい。彼女は彼に対して何をするわけでもなかった。ただ、夜の庭園で会って、おかえりなさいとおやすみなさいを言って。時々一緒に食事をして。ただそれだけだった。
なのに、どうだ。「それだけ」だったのに「それだけ」ではなかったのだ。アウグストの胸にぽっかりと空いた空虚な穴。それを埋めるのは、他の誰でもない。彼女しかいない。
「なかなかの人出だな……」
カミラの結婚式会場に、時間より少し早く到着した。人々は忙しなく動いている。あまりにも大きな会場に、アウグストは辟易をした。贅を凝らしたその別荘は、いささか古臭い。古臭いけれど広く、そこここに大きな花で飾り立てられ、彼の目からみても「行き過ぎだ」と思うほどの人員が走り回っている。
入口の受付もまだ整っていない状態だったが、彼は声をかけた。
「失礼。ヒルシュ子爵はいらっしゃるか」
「あっ、はい、いらっしゃいますが……」
「アウグスト・バルツァーと言う。式に参列出来ないため、ご挨拶だけでも」
やがて、受付の者がヒルシュ子爵を探し出して連れて来てくれるまで、彼は10分ほど待った。その間、彼の目に映っていたのは「本当の貴族ならばここまでの式を行うのだ」と言わんばかりの派手な装飾品やら、大きな花やら、贅を尽くしたものばかりだ。
(ギンスター伯爵側だけがこの金を出したとは思えないな)
彼が知るギンスター伯爵家は、財は相当なものだが、正直なところ少しケチだ。商売をしていれば、相手がどれぐらいの財を保持して、どれぐらい財布の紐を緩めるかぐらいはわかる。むしろ、商売をしていなければ、そこまでは測れないだろう。
(わたしが出した結納金が、すべてここに流れているということか……)
「バルツァー侯爵様!」
聞き覚えがある、耳障りの悪い声。にこにこと作られた笑顔を顔に貼り付けて、ヒルシュ子爵がやって来た。
「ヒルシュ子爵。突然申し訳ない。本日、式には参列出来ないが、祝いのお言葉を」
心にもないことを言いながら、ヒルシュ子爵を見る。彼の瞳からは、祝い金への期待がにじみ出ていたが、それについては口にしない。
「ありがとうございます。そのお気持ち、しかといただきました」
「ところで、わたしの妻は今日は……?」
「そ、それが、残念なことに、アメリアは体調不良でして……バルツァー侯爵家からの長旅で疲れたのでしょう。折角の姉の結婚式ではありますが、欠席をすることになり……もともと、体が弱い子ですので、まさかとは思いましたが、いや、残念です」
もっともらしい言葉。だが、そうではないことをアウグストはわかっている。彼女は目標となる日取りがあれば、それに合わせて体調を整えることが出来ると、お披露目会でわからせてくれた。もし、本当にカミラを祝いたいと彼女が思っていれば、いくら体調が優れなくとも彼女は少しでも無理をして列席をするに違いない。アウグストはそう思った。
「そうですか。それは、よろしくお伝えください」
「ありがとうございます」
「後ほど、祝い金をヒルシュ子爵邸にお届けいたしますので……邸宅にはどなたかお残りでいらっしゃいますね?」
「はっ、はい! 邸宅には、執事代理人が残っておりますので、そちらの者に……!」
「わかりました。それでは、これで」
アウグストはそう言ってその場からあっさりと去った。彼の背後で見送るヒルシュ子爵は、口の両端をにんまりと釣り上げて、祝い金のことで頭がいっぱいの様子だった。
彼はようやく心から「アメリアに会いたい」と強く思う。まるで手のひらを返したかのような、自分の我儘さ、自分勝手さに呆れていたが、リーゼが「アウグスト様。それは、恋という厄介なものですよ」と彼に告げ、ディルクは「それは困ったものですが、時には心に素直になることが一番かと」と彼を諭した。
まったく彼らは余計なことばかりを、と思いつつ、いい歳をして自分はまだまだ子供のようだとアウグストは苦笑いを見せた。ああ、本当に自分は馬鹿だな……彼は馬車の中で、仕事の書類すら見ずにぐるぐると考えていた。
(あれから、毎晩)
渡り廊下を歩いて、庭園で彼女の姿を探している自分に気付いた。いつも「ただそこにいるだけ」だった彼女に、気が付けば「そこにいてくれる」と感じるようになったのはいつだったのか。
控えめな「おかえりなさい」と「おやすみなさい」が当たり前になったのはいつだったのか。
彼女の部屋を見た。主を失った部屋は、驚くほど彼が準備をしたものから何も変わっておらず、そして、何故が「清廉だ」と思った。誰かがそこに存在したことをかすかに残しながら、だが、何も増えず。何も減らず。静かに彼女がそこで暮らしていたということを、如実に表していたあの部屋。
それを見て、彼は「いや、それは自分を騙そうと」とちらりと思った。が、そうではない。そうではないのだ。
(わたしは、自分がこれ以上傷つきたくなかったから……)
ただ、それだけだった。彼は逃げたのだ。その自覚はあった。しかし、その逃げの末、彼女を失ってから見えたものがあった。それは。
「アメリア……」
彼女に会いたい。彼女は彼に対して何をするわけでもなかった。ただ、夜の庭園で会って、おかえりなさいとおやすみなさいを言って。時々一緒に食事をして。ただそれだけだった。
なのに、どうだ。「それだけ」だったのに「それだけ」ではなかったのだ。アウグストの胸にぽっかりと空いた空虚な穴。それを埋めるのは、他の誰でもない。彼女しかいない。
「なかなかの人出だな……」
カミラの結婚式会場に、時間より少し早く到着した。人々は忙しなく動いている。あまりにも大きな会場に、アウグストは辟易をした。贅を凝らしたその別荘は、いささか古臭い。古臭いけれど広く、そこここに大きな花で飾り立てられ、彼の目からみても「行き過ぎだ」と思うほどの人員が走り回っている。
入口の受付もまだ整っていない状態だったが、彼は声をかけた。
「失礼。ヒルシュ子爵はいらっしゃるか」
「あっ、はい、いらっしゃいますが……」
「アウグスト・バルツァーと言う。式に参列出来ないため、ご挨拶だけでも」
やがて、受付の者がヒルシュ子爵を探し出して連れて来てくれるまで、彼は10分ほど待った。その間、彼の目に映っていたのは「本当の貴族ならばここまでの式を行うのだ」と言わんばかりの派手な装飾品やら、大きな花やら、贅を尽くしたものばかりだ。
(ギンスター伯爵側だけがこの金を出したとは思えないな)
彼が知るギンスター伯爵家は、財は相当なものだが、正直なところ少しケチだ。商売をしていれば、相手がどれぐらいの財を保持して、どれぐらい財布の紐を緩めるかぐらいはわかる。むしろ、商売をしていなければ、そこまでは測れないだろう。
(わたしが出した結納金が、すべてここに流れているということか……)
「バルツァー侯爵様!」
聞き覚えがある、耳障りの悪い声。にこにこと作られた笑顔を顔に貼り付けて、ヒルシュ子爵がやって来た。
「ヒルシュ子爵。突然申し訳ない。本日、式には参列出来ないが、祝いのお言葉を」
心にもないことを言いながら、ヒルシュ子爵を見る。彼の瞳からは、祝い金への期待がにじみ出ていたが、それについては口にしない。
「ありがとうございます。そのお気持ち、しかといただきました」
「ところで、わたしの妻は今日は……?」
「そ、それが、残念なことに、アメリアは体調不良でして……バルツァー侯爵家からの長旅で疲れたのでしょう。折角の姉の結婚式ではありますが、欠席をすることになり……もともと、体が弱い子ですので、まさかとは思いましたが、いや、残念です」
もっともらしい言葉。だが、そうではないことをアウグストはわかっている。彼女は目標となる日取りがあれば、それに合わせて体調を整えることが出来ると、お披露目会でわからせてくれた。もし、本当にカミラを祝いたいと彼女が思っていれば、いくら体調が優れなくとも彼女は少しでも無理をして列席をするに違いない。アウグストはそう思った。
「そうですか。それは、よろしくお伝えください」
「ありがとうございます」
「後ほど、祝い金をヒルシュ子爵邸にお届けいたしますので……邸宅にはどなたかお残りでいらっしゃいますね?」
「はっ、はい! 邸宅には、執事代理人が残っておりますので、そちらの者に……!」
「わかりました。それでは、これで」
アウグストはそう言ってその場からあっさりと去った。彼の背後で見送るヒルシュ子爵は、口の両端をにんまりと釣り上げて、祝い金のことで頭がいっぱいの様子だった。
357
お気に入りに追加
855
あなたにおすすめの小説
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

【完】嫁き遅れの伯爵令嬢は逃げられ公爵に熱愛される
えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
リリエラは母を亡くし弟の養育や領地の執務の手伝いをしていて貴族令嬢としての適齢期をやや逃してしまっていた。ところが弟の成人と婚約を機に家を追い出されることになり、住み込みの働き口を探していたところ教会のシスターから公爵との契約婚を勧められた。
お相手は公爵家当主となったばかりで、さらに彼は婚約者に立て続けに逃げられるといういわくつきの物件だったのだ。
少し辛辣なところがあるもののお人好しでお節介なリリエラに公爵も心惹かれていて……。
22.4.7女性向けホットランキングに入っておりました。ありがとうございます 22.4.9.9位,4.10.5位,4.11.3位,4.12.2位
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み

メイドから家庭教師にジョブチェンジ~特殊能力持ち貧乏伯爵令嬢の話~
Na20
恋愛
ローガン公爵家でメイドとして働いているイリア。今日も洗濯物を干しに行こうと歩いていると茂みからこどもの泣き声が聞こえてきた。なんだかんだでほっとけないイリアによる秘密の特訓が始まるのだった。そしてそれが公爵様にバレてメイドをクビになりそうになったが…
※恋愛要素ほぼないです。続きが書ければ恋愛要素があるはずなので恋愛ジャンルになっています。
※設定はふんわり、ご都合主義です
小説家になろう様でも掲載しています
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話
束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。
クライヴには想い人がいるという噂があった。
それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。
晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。
【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね
江崎美彩
恋愛
王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。
幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。
「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」
ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう……
〜登場人物〜
ミンディ・ハーミング
元気が取り柄の伯爵令嬢。
幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。
ブライアン・ケイリー
ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。
天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。
ベリンダ・ケイリー
ブライアンの年子の妹。
ミンディとブライアンの良き理解者。
王太子殿下
婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。
『小説家になろう』にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる