身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした

今泉 香耶

文字の大きさ
上 下
22 / 37

近づく2人(3)

しおりを挟む
 さて、アメリアはアウグストが去った室内で、息を整えていた。僅かな時間であったが、彼が彼女の部屋にやってくるのは珍しいことだったし、何より、下手くそな刺繍を見られるのではないかとハラハラして気が動転していたからだ。

(でも……わたしが好きなものを聞いてくださるなんて)

 それが、事務的な会話だとしても嬉しいと思う。本当ならば、自分用の飲み物など用意をしてもらわなくとも、何かしらあればそれで良いはずだ。何かは飲めるだろうと思える。だが、そこであえて自分用にと言ってもらえるなんて。

「それに……相談、と言ってくださったわ……」

 今でも思い出しただけで胸が高鳴る。自分に相談。そんなことを今まで言ってくれた人間がいただろうか。これまでの人生一度だって、そんな言葉を言われた記憶がない。

 それは、彼にとってはなんということもない言葉でも、アメリアにとっては大切なものだった。じんと胸が熱くなる。ああ、たったこれだけのことなのに。なのに、こんなに嬉しいなんて。

(わたしは本当にここでアウグスト様の妻になれるんだろうか……)

 未だに、どこか現実感はない。だが、初日にあれだけ冷たく突き放されたことが今では嘘のようだとすら思えてしまうのだから、慣れというものは恐ろしい。けれど、アメリアはどこかで「慣れてはいけない」とも感じていた。

 それは、やはり自分はカミラの身代わりでここに来たこと。そして、アウグストに大量の結納金を出させたから結婚をしないわけにはいけないこと、そういったしがらみが彼女の心の中に残っているからだ。

 彼らは互いに不自由だ。心のどこかで自分たちの始まりを意識して、己の想いに枷をしているようだった。決して互いに踏み込まないように、一線を置いているのもそのせいなのだろう。

「ああ、でも……」

 アメリアは、まったくうまくいかず、縫ってもきちんと揃わない刺繍を見つめた。そう大したステッチは覚えていない。ただ、図案を埋めていくだけのことがこんなにも難しい。そのことを彼女は初めて知った。けれども。

「こんな刺繍でも、あの方は笑わずにいてくださるのかしら……」

 アウグストはどこか皮肉屋めいたところはある。しかし、彼はアメリアがテーブルマナーに慣れないことも、会話がうまく続けられないことも、言葉以上のことをうまく深読みできないことも、何もかも、馬鹿にしたりはしていないと彼女はもう気が付いていた。

 彼は素っ気ないし、時折ぶっきらぼうだったりもするけれど、決してアメリアのことを笑わない。それは、勿論彼にとって「期待していない」だけかもしれないが、だからといって馬鹿にすることもなかった。だから、少しだけ信じてみたい気持ちが心の中で湧きあがる。それに。

(アウグスト様……)

 今晩は庭園に行っても彼は来ないのだ。当然、今までだってそんなことは普通にあった。彼が昼から問題なくバルツァー侯爵家にいたこともあれば、今日のように外泊をしたことだってある。その日、アメリアは庭園で一人でしばらく歩き、それから寝室に戻って眠る。何の問題もなくそう過ごしていた。

 だが。不思議なもので、何故か「今日は庭園に行かなくてもいいのだ」と、先ほど彼女はふと感じた。なんということか。それではまるで、アウグストに会うために夜の庭園に自分が通っていたかのようではないか……アメリアは小さくため息をついて、ソファに背を預けた。

「ああ、わたし……」

 一体、どうしてしまったのだろう。どこで間違えたのだろうか。いや、間違えではないのかもしれない。ただ、一体何故……ぐるぐると答えのない問いが脳内に繰り返される。

 本当の答えはわかっているのに、それと今はうまく向かい合えない。ただ、鼓動がどきどきと高鳴って「心が震えている」と彼女は自分の胸を両手で押さえた。

 彼らはそうやって日々を繰り返し、僅かながらに互いの距離が近づいていく。
 そして、ついに婚姻式とお披露目会当日となるのだった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。

石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。 実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。 そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。 血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。 この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

【完】嫁き遅れの伯爵令嬢は逃げられ公爵に熱愛される

えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
 リリエラは母を亡くし弟の養育や領地の執務の手伝いをしていて貴族令嬢としての適齢期をやや逃してしまっていた。ところが弟の成人と婚約を機に家を追い出されることになり、住み込みの働き口を探していたところ教会のシスターから公爵との契約婚を勧められた。  お相手は公爵家当主となったばかりで、さらに彼は婚約者に立て続けに逃げられるといういわくつきの物件だったのだ。  少し辛辣なところがあるもののお人好しでお節介なリリエラに公爵も心惹かれていて……。  22.4.7女性向けホットランキングに入っておりました。ありがとうございます 22.4.9.9位,4.10.5位,4.11.3位,4.12.2位  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

【完結】私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね

江崎美彩
恋愛
 王太子殿下の婚約者候補を探すために開かれていると噂されるお茶会に招待された、伯爵令嬢のミンディ・ハーミング。  幼馴染のブライアンが好きなのに、当のブライアンは「ミンディみたいなじゃじゃ馬がお茶会に出ても恥をかくだけだ」なんて揶揄うばかり。 「私が王太子殿下のお茶会に誘われたからって、今更あわてても遅いんだからね! 王太子殿下に見染められても知らないんだから!」  ミンディはブライアンに告げ、お茶会に向かう…… 〜登場人物〜 ミンディ・ハーミング 元気が取り柄の伯爵令嬢。 幼馴染のブライアンに揶揄われてばかりだが、ブライアンが自分にだけ向けるクシャクシャな笑顔が大好き。 ブライアン・ケイリー ミンディの幼馴染の伯爵家嫡男。 天邪鬼な性格で、ミンディの事を揶揄ってばかりいる。 ベリンダ・ケイリー ブライアンの年子の妹。 ミンディとブライアンの良き理解者。 王太子殿下 婚約者が決まらない事に対して色々な噂を立てられている。 『小説家になろう』にも投稿しています

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!

りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。 食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。 だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。 食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。 パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。 そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。 王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。 そんなの自分でしろ!!!!!

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

処理中です...