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ひそやかな転機(1)

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 静かな夜の庭園。時には、アウグストはもっと早い時刻に帰宅をしていることもあるため、毎日会えるわけではない。が、アメリアは、毎日庭園に足を運んだ。何故なら、彼女の目的はアウグストに会うことではないからだ。

 毎日、目が覚めると、バルツァー侯爵家に自分がいるのが夢ではないのだとほっとする。しかし、その次に「本当に自分がここにいていいのだろうか」と、恐れを抱く。自分は何の役にも立たないのに、と思えば胸の奥が痛む。

 ここでは、誰もかれも自分に優しい。着替えを手伝ってくれて、食事を勧めてくれて、それから何をすることにも制限をかけないし、どこに行くのも自由だ。その自由が、彼女には少しだけ息苦しい。

 彼女はもう邸宅を掃除することもなければ、洗濯をすることもない。それらは、ヒルシュ子爵家でも最後の1か月は手放したものだ。当時はその分一日マナーやら何やらを勉強しなければいけなかったが、ここではそれも強制されない。

 それでも、彼女は「何かをしなければ」と、バルツァー侯爵邸にある図書室からいくつか貴族のマナーなどについての書物を持って来た。しかし、正直なところアメリアはそこまで文字を読むことが得意ではない。勿論、書けるし読める。だが、長い時間読んでいるとどっと疲れる。

 また、貴族のたしなみとして刺繍はどうかと勧められたが、彼女は裁縫こそ出来ても、刺繍は出来ない。今は時間があるため刺繍を習っているが、これもまた集中をすればすぐに疲れてしまう。

「アメリア様は体力がだいぶ足りないようですね」

 と、バルツァー侯爵家かかりつけの医者に言われた。確かに、ヒルシュ子爵家にいた頃も、掃除や洗濯をすれば疲れてしまって、そこから昼に2刻ほど眠っていた。話を聞けば、食事が足りないことが主な原因なのだと言う。また、以前は掃除や洗濯をしていたが、今は何もしていない。少し歩いた方が良いとも言われた。

 だが、昼間どこかにいこうとすると、誰かが必ずついて来る。それが、アメリアには少し苦痛だった。それに、どこに行こうかと考えても、特に案が浮かばない。昼にも庭園に足を運んで庭師の仕事をじっと見ていたが、日差しが強くてそこでまた一気に疲れてしまった。

(これでは、お披露目会とやらで、アウグスト様の隣に座っているだけでも……)

 疲れてしまうのではないかと思う。だから、彼女は夜の庭園を歩くのだ。今日は空が少し暗く、月明かりも星明かりもない。そのため、燭台の明かりをランプに移して持って来た。

(このお屋敷は、蜜蝋を使っているわ……ヒルシュ家の離れでは、もっと獣くさい……動物の匂いがする蝋燭しか使えなかったのに)

 ヒルシュ家は本館の一部では蜜蠟を使っていたものの、使用人が寝泊りする場所や護衛騎士たちの詰め所、それから離れは動物性の蝋燭を使っていたはずだった。たったそれだけで、アウグストが築いた財が大きいことがよくわかる。そして、自分が今使っているランプの油も植物性だと彼女は気付いていた。何を使っているのかはわからなかったが、とにかく匂いが違うのだ。それを、素直に「すごい」と彼女は思う。

 バルツァー侯爵家の庭園は思った以上に広かった。庭師に聞けば、アウグストは別段庭園をどうとも思っていないようだったが、先代――アウグストの父親だ――まではよく庭園にあれこれ口出しをしていたらしく、みな庭園が好きだったとのことだ。とはいえ、先代の借金だか何かのせいで、一時的に予算が割けなくなって庭園の手入れ回数も減った。それを、アウグストは元に戻したのだと言う。

 だから、アウグストは庭園に興味がないのかもしれないが、庭園に何が必要なのかはわかっていて、好きにさせてくれるので良い旦那様だ……庭師はそうアメリアに話してくれた。

(わたしも庭園のことはよくわからないけれど……)

 アメリアは夜の庭園をぐるりと回る。美しい花壇の花は夜露に濡れている。今日は少しだけ涼しかったので、肩にはレースのショールをかけていた。

「あっ……?」

 庭園に出て案外奥まで歩いたな、戻らないと……そう思った矢先だった。ぽつぽつと細かい雨がアメリアの頬に落ちて来る。アメリアは慌ててランプを地面に置いて、レースのショールをそっと頭からかぶる。それから、片手でショールの端を押さえ、片手でランプを持って邸宅に向かった。彼女は普段走らないが、さすがに雨に降られては小走りにならざるを得ない。

「はっ、はっ、はっ……」

 少し、息が切れる。なんとか渡り廊下に戻ると、アメリアは膝を床につく。すると、そこに足音が近づいて来た
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